昨日に続き、西南の役で政府軍が最後の総攻撃をする前日、山県有朋(1838~1922年)が城山に籠城する西郷隆盛(1828~1877年)に宛てた手紙の続きを咲くやこの花館の花と一緒に紹介しましょう。<・・・>が山県の手紙の引用、(・・・)はROSSの補足
<ああ、君はどれほど深い悲しみを心の底に秘めているのだろうか。有朋は君を良く知っているがゆえに、君のために悲しむ。だが、すでにここまできてしまっては、言っても益の無いことだ>
<どうして君は早く自らの手で自らを図ること(自決)をしなかったのか。交戦以来、すでに数か月を経て、両軍の死傷者は日に数百をかぞえ、骨肉相殺戮し、朋友相食んでいる>
<人情の忍ぶべからざるところを忍ぶとはいえ、(鹿児島県出身の肉親同士が敵味方となって戦う)この戦いよりひどいものはあるまい。そして兵士の心情を問えば、互いにほんの少しの恨みも持っているわけではない>
<官軍の兵は仕事として、薩摩軍は西郷のためにという以外に何の理由もない。数県の兵士を率いて天下の大軍(政府軍)に抵抗し、数旬の激戦に挫折してなおたゆまないことで、君の威名が実のあるものであることは十分に示された>
<いまさら何を望んでだだ(城山の陣地を)守り、まだ健闘しようとするのであろうか。論者は必ず言うであろう。西郷は事のならぬことを知ったが、自らの余生を長引かせるために多数の死傷者を作りだすことを迷わなかったと>
<有朋はもちろん、そうではないことを知っているがゆえに、君のためにこれを痛惜せずにはいられぬ。頼む、君は早く自らの命を絶ち、一つはこの挙が君の素志ではなかったことを証明し、一つは相互の死傷者をこれ以上増やさぬよう図ってほしい>
<君がそうすれば、兵もとどまるに違いない。今日、天下の君に対する毀誉は極端なものがある。国憲の存在するところ、自然のなりゆきとはいいながら、君の心事を知っている者も、決して有朋一人ではない>
<どうして公論が他年に定まることを考えないのか。旧友として、有朋は切に君にこれを願い、望まずにはいられない。どうか、少しでも有朋の心情の苦しさを察してくれ。涙をふるってこれを書く> 此の手紙が届いた翌日、西郷は最後の突撃をして負傷、別府晋介の介錯で自決しています。
西郷は、陸軍大将の自分が最強薩摩軍団1万3000人を率いても政府軍には勝てないという事実を身を持って示し、全国武士階級の反政府活動を沈静化させようとしたのではないでしょうか。
「 濡れ衣を ほさんともせず 子供ら(私学校生徒)の なすがまにまに 果てし君かな 」勝海舟が西郷の死を知って詠んだ和歌を紹介して終わります。
参考文献:維新・西南戦争 編纂 旧参謀本部 監修 桑田忠親、山岡荘八