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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大丸は1717年、下村彦右衛門正啓が京都市伏見区京町に呉服店「大文字屋」を開業したのがはじまりで、大丸はこの年を創業としている。

今日の大丸



伏見での創業から9年を経た1726年には心斎橋に進出し、1728年名古屋店、1743年江戸(東京)店を開店しているが、明治末期の1910年の不況で東京、名古屋店は共に一旦閉鎖されている。

大丸心斎橋のプレート



1728年に名古屋店を開きたときに「大文字屋」を「大丸屋」と称したことが屋号を大丸とした始めらしいが、1837年に起こった大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き打ちを免れたという。

幕末の1867年に書かれた大阪地図、浪華名所独案内にも心斎橋筋にも大丸呉服店の名前が見えるので、当時から目立つ店であったようである。



その後、大正初期の1912年に京都店が開店し、1913年には神戸店が開店したが、1920年に心斎橋店が失火により全焼したために建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で1922年に心斎橋筋に面した1期工事が完成している。

大丸の看板文字には3画の右から7,5,3のヒゲが出ている。



1933年(昭和8年)には、御堂筋に面した3期工事が完成しているが、大丸心斎橋店は、大正から昭和初期の建築様式を今も伝えるヴォーリズの作品として有名な建築物である。

イルミネーション



ちなみに隣の「そごう」は、1830年十合伊兵衛が古着屋「大和屋」を座摩神社の南隣で開業しているが、1877年に呉服商に商売替えし、心斎橋筋1丁目鰻谷角に進出、明治中期の1894年現在地に移転して十合呉服店として出発している。

イルミネーションの全景



大丸ではクジャクが象徴とされており、心斎橋店の心斎橋側入り口と京都店の四条通りに面した壁面にはレリーフが飾られ、系列スーパー「大丸ピーコック」の名称もクジャクに由来しているようである。

心斎橋正面玄関



大丸は、バブル崩壊ののち、奥田前日本経団連会長(トヨタ前会長)の実弟、奥田務氏が社長に就任して収益力を業界首位級に押し上げ、さらに今年3月には松坂屋との経営統合を決定している。


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