広州の地下鉄には農講所(ノンジャンスオ)という駅があり、駅の階段を上がるとそこが農講所の旧跡であった。
この農講所とは、正しくは農民運動講習所といい、1200年代からあった儒教の学舎を利用して1924年に革命運動の指導者育成のために設置された講習所である。
1926年には33歳の毛沢東が所長、28歳の周恩来が教員を務めていたという中国共産党にとっての聖地のような所である。
当時の毛沢東所長
周恩来は蒋介石校長の下での黄埔軍官学校政治部主任を辞めて、ここ農民運動講習所に移り、毛沢東校長の下で教師となったのである。
黄埔主任当時の周恩来
その毛沢東であるが今も中国の紙幣100元、50元、20元、10元、5元札すべてに彼の肖像が描かれており、中国を代表する人物としての評価は揺ぎ無いようである。
広州で流通する毛沢東紙幣は殆どが薄汚れており、日本の紙幣のような綺麗なものにはなかなかお目にかかれない。
お札を触った後には必ず良く手を洗うという日本人留学生もいるくらいである。
100元札(中国人には日本人にとっての1万円札くらいの価値があり、偽札が非常に多く流通している。一度見た偽札では札の左にある透かしの毛沢東の毛髪が白髪であった)
毛沢東の主治医の李 志綏氏が書いた「毛沢東の私生活」という本には、仰天する生活を送っていた毛の素顔が詳細に記録されている。
又、張 戎(チャン ユン)氏は最近出版した「マオー誰も知らなかった毛沢東」で、毛沢東による大躍進政策と文化大革命の結果、中国人7000万人が亡くなったと記述している。
小平は毛沢東の死後、彼の功罪について功を7割、罪を3割と評価した。
日中戦争後、中国共産党軍を率いて混乱する中国を統一した功績は、罪の3分を差し引いても余りがあるということか。
50元札(この札も偽札が多く出回っている)
李 志綏氏によれば毛沢東自身が湖南省の農民出身であるが故に、知識人や都市の資産家に対する偏見や対抗意識を非常に根強く持っていたらしい。
そのために文化大革命においては有識者や金持ちであるという理由だけで紅衛兵による攻撃の対象とされたのである。
文化大革命時の中国については張 戎(チャン ユン)氏のベストセラー「ワイルドスワン」に詳しく記述されている。
一方、毛沢東自身は晩年非常な汗かきであったためか、農民のような肉体労働が大嫌いであったらしい。
20元札(半端な金額であるが、意外と多く流通している)
また李 志綏氏によれば、毛沢東は非常に冷酷な一面を持っており、例えば核戦争となって中国人が3億人くらい死んでも、中国は人口が多いのでどうということは無いと真顔で発言したこともあったという。
さらに、毛沢東が贈り物を受け取るのに気を遣うなと発言したために、今も中国共産党の幹部は贈り物が大好きで、汚職の根絶は事実上不可能に近いほどの広がりを見せている。
10元札(10元札は非常に多く流通しているためか、触りたくないような汚い札が殆どである。これほど綺麗な10元札はなかなか手に入らない)
李 志綏氏の本には、毛沢東が60歳を過ぎても毎晩党員の若い女性を集めてダンスパーティを開き、その後で気に入った女性を何人もベッドに連れ込んでいたと書かれている。
共産主義の教祖も日本の新興宗教オウム真理教の教祖とよく似た行動をしていたのである。
5元札(これほど綺麗な5元札は珍しい)
また毛沢東は近代医学に不信感を持っており、周恩来がガンにかかった時に手術を受けることを許可しなかったために、毛沢東より若い周恩来は早死してしまったという記述もあった。
歯を磨くという習慣の無い農民の生活を改めようとしなかったために、虫歯だらけであったとか、とにかく近代的な生活に背を向ける姿勢を死ぬまで改めなかったようである。
中国は毛沢東が長生きしたために、近代化のために必要な時間をただ空費したのであった。
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