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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



そごうが大阪で創業した翌年、1831年に飯田新七が京都烏丸松原でそごうと同じく古着を扱う「たかしまや」を創業している。

高島屋大阪店夜景



屋号は、飯田新七の養父儀兵衛が、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)の出身であることから名づけられたようである。

1717年に伏見で創業した大丸に比べれば、100年以上も新しい店なので京都の人は、大丸さんと「さん」をつけるのに高島屋には「さん」がつかないというが本当であろうか。

大阪には創業から67年後の1898年(明治31年)心斎橋筋と三ツ寺町通りの交差点北東角に進出しているが、高島屋呉服店と書かれた店が1913年に発行された大阪地図に載っている。



1922年には、当時のメインロード長堀橋の南側、堺筋と鰻谷南通りの交差点南東角に鉄筋コンクリート地下1階、地上7階建の新店舗を開設している。

この店も当時の大阪地図に載っている



長堀橋の大阪高島屋は、大阪市中央公会堂の設計で有名な岡田信一郎の設計作品で、大阪の街並みの中でひときわ目立つ建物だった。

この建物は、高島屋が退去したあと大幅に増改築され、「アルテビル長堀橋」という名前で現存しているが、来月から解体されるという。



長堀橋店移転の10年後の1932年(昭和7年)高島屋大阪店は、南海難波駅ビル(地下2階、地上7階建)に入居し、しばらく長堀橋店との2店体制で営業しているが、難波店は日本初の冷暖房を装備した百貨店であったという。

江戸時代から大阪で営業している三越、大丸や、明治初期のそごう比べれば高島屋大阪店の歴史は浅く、そのハンディを克服するためか1938年に呉服店系としては異例の食堂経営に取り組み、大阪店に東洋一の大食堂を誕生させている。

現在の高島屋大阪店



南海難波のターミナルビルに出店し、さらに大食堂を作ったのは、1929年創業の阪急百貨店の成功を真似たのかもしれないが、1938年の大阪地図には南海高島屋という名前で載っている。



現在の登記上の高島屋本店は、大阪店のある南海難波駅ビルにあり、この店は店舗面積7万3千平米という巨艦店で、さらに増築部分が完成すると日本最大級の百貨店となるらしい。

1995年には横浜高島屋など子会社5社を吸収合併して百貨店業界で売上高日本一になっていたが、今年大丸と松坂屋が経営統合し、さらに来年4月には三越と伊勢丹の統合で一挙に3位に順位を下げることになるようである。


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