足立美術館をつくった足立全康氏(1899~1990年)のチャリティ活動の話と一緒に大阪市内のコアオアシシギを紹介しましょう。<・・・>が著書からの引用・・・左がコアオアシ、岩の上がイソシギ、その右はセイタカシギ
<昭和52年の冬、私は山陰中央新報社常務の木幡修介さんを夕食に誘った。食事と言うのは口実で、チャリティのための色紙の相談が狙いだった>・・・アオアシシギ(左)とコアオアシシギ
<ずらりと並んだ料理を前にして、私はおもむろに風呂敷を解き、色紙を出すと、マジックインキでナスビの絵を描いた>・・・左2羽アオアシシギ、次がタカブシギとコアオアシシギ
<「実は、私の描いたこの色紙を、美術館に来られた人に一枚千二百円で売り、材料費を引いた千円を寄付したいと思うんですが(中略)枚数も百枚とか千枚やない。一万枚描いて一千万円を贈りたいと考えてます」>・・・アオアシシギの前を歩くコアオアシシギ(足が長いのが特徴)
<男子たるもの、一度口に出した以上、前言を翻すわけにはゆかない。それからというもの、私は食前、食後、仕事の合間、寝る時間も惜しんで色紙を描きまくった(中略)二千枚前後になると急にペースダウン。その時はさすがに私も、もうこれでやめようと弱音を吐いた>
<しかし、木幡さんの顔を思い浮かべると、どうにも申し訳ない気分になり、よし、もう一度挑戦してみるか、と考え直した。それからというもの、覚悟が決まったせいか、リズムに乗ってすらすらと描けるようになった。特に四千枚を過ぎたあたりからは、目をつぶっても描けるようになった>・・・コアオアオシシギの嘴は、アオアオシシギの嘴よりも細身です
<ホシザキ電機社長の坂本薫俊さんが美術館に来られた時、私の描いたナスビの絵の横に讃をお願いしたところ、その場でたちまち「娘十八 番茶も出花 (ナスビの)色の黒いは八難隠す(以下略)」と、たちどころにしたためられた>
<ホシザキ電機の創業者、坂本薫俊(1910~2003年)は島根県雲南市木次町の出身。「島根の松下幸之助」とも呼ばれていたそうなので、次の機会に紹介してみたいと思います>・・・左からイソシギ、コアオアシ、ソリハシ
<昭和54年夏、ナスビの絵を描いた私の色紙の売上金一千万円を社会福祉基金として山陰中央新報社にお渡しした。売れた一万枚のうち前半の五千枚は下手だったように思うので、後日芳名録を頼りに美術館の招待券をお送りした>足立全康氏は、有言実行を絵に描いたような凄い人物だったようです。・・・コアオアシ?。
参考文献:庭園日本一 足立美術館をつくった男 足立全康著