野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



今の季節、大阪の干潟ではオグロシギとオオソリハシシギを同時に見ることができます。この良く似たシギ2種について、手元にある3冊の文献でその体長を調べてみました。

日本の鳥550 水辺の鳥 桐原政志解説(2000年発行)によるとオグロの体長は36~44cm、オオソリは37~41cmとありました。・・・手前の薄茶色い2羽がオグロシギ、奥にいるやや白みのあるのがオオソリハシシギです。

次に日本の野鳥650 大西敏一、五百澤日丸解説(2014年発行)にはオグロ38.5cm、オオソリ39cmとあります。・・・下の写真のオグロシギ(2羽)は動いてブレていますが、手前のオオソリハシシギと奥のソリハシシギはじっとしているのかブレが少ないようです。

三番目に山渓ハンディ図鑑7新版日本の野鳥 叶内拓哉解説(2014年発行)にはオグロ38cm、オオソリ39cmと出ていました。手前がオグロシギ、奥がオオソリハシシギ

上に掲載した写真では、オオソリの方がやや大きいように見えますが、以上の文献によるとオグロとの差は殆んど無いようです。このオグロシギは幼鳥の特徴を示しています。

一方、今の季節に大阪に渡ってくるオオソリハシも殆んどが幼鳥だそうです。ということなら幼鳥同士を比べるとオオソリの方がやや大きいということかも知れません。・・・オオソリはクチバシがやや上向きに反っているのが特徴です。

オオソリもオグロも長いクチバシは意外と柔らかく、先端部だけをピンセットのようにして獲物を挟むことができるようです。

突然、オグロシギ2羽がオオソリハシシギを残して飛びたちました。カメラのシャッタースピ-ドが遅かったのでブレてしまっています。

やや早いシャッタースピードで飛行中の姿を写してみると、オグロシギというだけあって尾羽の先端が黒いことが判りますね。



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大阪市内の公園で環境省レッドリスト2015の絶滅危惧ⅠB(EN、絶滅の危険性が高い)に指定されているチュウヒを久しぶりに見ましたので紹介しましょう。

当然、大阪府レッドリストでも絶滅危惧Ⅰ類(CR+EN、現在絶滅の危機に瀕している)に指定されている野鳥です。

チュウヒは、草地にいるネズミなどの小動物を探して、いつも下を向いて飛んでいます。

しかし、ときどき顔を上げてくれることもあるので、そのときがシャッターチャンスです。

これも前を向いたチュウヒですが、距離があって表情が良く判りません。

獲物を見つけるとホバリングしてから急降下

獲物を捉える直前に足を下ろしますが、このときは逃げられたようです。

これも獲物を見つけ、足を下ろしかけたチュウヒ

おっと、ミサゴが上から邪魔しに入ったようです。



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この日、近所の公園にバーディングに行ってみると、セイタカシギ1羽とクチバシの長いシギ2羽が一緒にいるではありませんか。

セイタカシギは、先日紹介した通り、環境省のレッドリスト絶滅危惧Ⅱ類に指定されている希少な野鳥です。・・・頭を掻いています。

右の2羽を良く見ると、大阪府レッドリスト準絶滅危惧に指定されているオグロシギのようです。

並んで写すと、オグロシギ(体長36~44cm)はセイタカシギ(体長35~40cm)よりもかなり背が低いことが判りました。

実はシギの仲間にはアシナガシギと呼ばれるセイタカシギと紛らわしい名前のシギがいます。アシナガシギは、北アメリカ北極圏で繁殖、南アメリカ中部に渡って越冬、日本ではなかなか見ることのできない鳥です。(過去に飛来した記録は5例しかないとか)日本の鳥550 水辺の鳥から

日本で普通見る足の長いシギは、背も高いのでセイタカシギと覚えるようにしましょう。ちなみにアシナガシギの全長は、18~23cm。セイタカシギよりもかなり小さく、図鑑によれば足もセイタカシギほど長くありません。

突然、セイタカシギが飛びたちました。瞬間の出来事なので、ちゃんと写ったのはこの1枚だけでした。

ピントの甘い写真をもう1枚だけ撮ることができました。

最後にオグロシギのカップルの間に立つセイタカシギをどうぞ。眼が大きく意外とかわいい顔をしています。

 



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近所の公園にバーディングに立ち寄って見ると、遠い干潟に2羽のシギが来ていました。距離は80mくらいでしょう。

 

カメラをズーミング、腹に黒い斑点が見えるのでハマシギと判りました。

ハマシギは、チドリ目シギ科オバシギ属ハマシギ種に分類されています。

ウイキペディアによれば、日本で見るハマシギはアラスカ北部で繁殖し、旅鳥又は冬鳥として全国各地に飛来するとのこと。

名前の通り海岸部の干潟など浜に飛来することからハマシギと呼ばれますが、古い時代にはハマチドリとも呼ばれていたようです。

クチバシが短く足の指が3本しかないものがチドリ科、クチバシが長く足の指が4本あるものがシギ科(ミユビシギは例外的に3本)と分類されるようです。・・・ハマシギのクチバシは確かにチドリよりも長い

このハマシギ、環境省レッドリスト2012年版に準絶滅危惧、大阪府レッドリスト2000年版にも準絶滅危惧と指定されていました。

ところが、新しいレッドリスト(環境省2015年版、大阪府2014年版)を見ると、準絶滅危惧指定から外されています。

日本への飛来数は減少傾向にあると言われているのに、レッドリストから除外されたのはなぜなのでしょうか。



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近所の公園でみかけるミサゴは、杭の上がお気に入りの場所です。そこに飛来するミサゴの連続撮影に成功しましたので紹介しましょう。

杭の直前で翼を前に大きく広げ、飛行スピードを落とすと、ミサゴの体がふわりと上昇します。

翼の角度を浅くして緩やかに上昇しながら杭の下から急接近。

ミサゴは、杭先端部を頭部よりも前に出した足で掴もうとしています。(水中の魚を捕まえる際にも同じ姿勢をとるようです)

頑丈な脚の爪で杭の先端をしっかりと掴んで着地(着杭)となりました。

翼を広げてバランスを保ちながら、足の位置を微調整しています。

ミサゴはこの杭の上がお気に入りで、何時間もじっとしていることがよくあります。飛び出す瞬間を撮影しようとするカメラマンは、忍耐力が要求されることになりますね。

そして、急に何の予告もなく、杭の上から飛び出すのです。

杭から離れた直後のミサゴ。力強く全力で羽ばたいているのが良く判ると思います。

つづく



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今の季節、大阪市内の干潟ではセイタカシギも見ることができます。

セイタカシギは、環境省レッドリストの絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている全国的に希少な野鳥です。・・・ズーミング

 セイタカシギは、東京湾周辺から愛知県で繁殖している地域限定の留鳥ですが、他の地方では旅鳥又は冬鳥とされています。

この個体がもし旅鳥なら、越冬地に向けて渡る途中、大阪市内の干潟に立ち寄ったのでしょう。

セイタカシギの体長は35~40cm、上のアオアシシギ(30~34cm)よりも少し大きいはずですが、この個体はやや小ぶりでした。(右側の2羽はソリハシシギ)

偶然、クサシギ(左21~24cm)、コアオアシシギ(中22~25cm)、セイタカシギ(右35~40cm)が3役そろい踏み。

手前はクサシギでしょう。クサシギは、大阪府レッドリストの準絶滅危惧(NT)に指定されている大阪府では希少な野鳥です。

 野鳥図鑑で見るセイタカシギの成鳥は、嘴の先端から付け根まで黒、眼の虹彩が赤、長い足に色は濃いピンク色。

大阪市内に飛来してきたこの個体、嘴の付け根がピンク色、眼の虹彩が黒、足の色は薄いピンク色、幼鳥かもしれません。



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エゾビタキはカムチャッカ半島、樺太、沿海州辺りを繁殖地とし、今の季節に日本を経由して越冬地(フィリッピン、ニューギニア方面)に渡る旅鳥です。・・・正面

エゾビタキの体長は15cm、スズメと同じくらいの野鳥です。通常1羽で行動しているので、一般の人の眼に触れることは少ないでしょう。・・・エゾビタキの背中

良く似た仲間にコサメビタキとサメビタキがいますが、エゾビタキは胸から脇にかけ黒褐色の縦班紋があるので判別は容易です。・・・できるだけズーミングしてみました。

さて、こちらは干潟に近い石垣に飛んできたソリハシシギ(左、体長23cm)とイソシギ(中央と右、体長20cm)です。・・・ほぼ同じ体格なのに体長が違うのはクチバシの長さが違うからでしょう。

ソリハシシギ(右)は、繁殖地シベリアから越冬地(東南アジアからオーストラリア)に向かう途中、大阪市に立ち寄ったのでしょう。

中部地方より南に分布するイソシギは留鳥、それより北に分布するものは夏鳥で、秋に越冬地へ渡るようです。留鳥イソシギは、これほど近くまで寄りつかないのでこの個体は旅の途中の夏鳥かもしれません。

こちらは同じ日に見かけたイソヒヨドリ♂の若鳥です。

イソヒヨドリ♂の成鳥は、胸の白いうろこ模様が消えてレンガ色となり、体の上面はもっと明るい青色となります。

イソヒヨドリは全国の海岸、河口、港などに生息。♂の成鳥は、鮮やかな青色をしていますが、警戒心が強いので写真撮影は簡単ではないようです。



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今の季節、大阪市内の公園ではオオタカの若鳥を見ることができます。オオタカの成鳥は暗灰色をしていて眼の虹彩が黄色です。

オオタカは、環境省レッドリストの準絶滅危惧21種のひとつ、大阪府のレッドリストでも準絶滅危惧に指定されている希少な野鳥です。

残念ながらオオタカの飛び出し写真は撮れず、遠くで旋回したところをやっと1枚だけ撮影することができました。オオタカの体長は♂50cm、♀59cm、名前と違ってと意外と小さなタカでした。

こちらも環境省レッドリストの準絶滅危惧21種のひとつ、大阪府のレッドリストでも準絶滅危惧に指定されているミサゴ。ミサゴの体長は♂54cm、♀64cmとオオタカよりやや大型

こちらはオオタカと同じタカ科のトビ。トビはオオタカやミサゴより大きく♂59cm、♀69cmもあります。

トビは全国各地に分布、ありふれた野鳥なのであまり人気はありませんが、その飛行姿はなかなか美しいと思います。

この日、池で混血カモを見かけました。マガモのエクリプスに似ていますが、マガモの飛来は通常11月なので、恐らくアイガモとの混血でしょう。

こちらは、越冬地(オーストラリアなど)に渡る旅の途中、大阪に立ち寄ったオオソリハシシギ3羽。オオソリハシシギの体長は39cm、野鳥の体長は上向きに寝かせ、クチバシを水平に置き、その先端から尾の先端までをいうので、胴体の長さは名前ほど大きくありません。

この日はやや遠かったですが、キセキレイ(体長20cm)も見ることができました。キセキレイは、山地の河川や渓流に生息する野鳥ですが、北海道あたりから越冬地に渡る途中、大阪市内に立ち寄ったのかも知れません。



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足立美術館をつくった足立全康氏(1899~1990年)のチャリティ活動の話と一緒に大阪市内のコアオアシシギを紹介しましょう。<・・・>が著書からの引用・・・左がコアオアシ、岩の上がイソシギ、その右はセイタカシギ

<昭和52年の冬、私は山陰中央新報社常務の木幡修介さんを夕食に誘った。食事と言うのは口実で、チャリティのための色紙の相談が狙いだった>・・・アオアシシギ(左)とコアオアシシギ

<ずらりと並んだ料理を前にして、私はおもむろに風呂敷を解き、色紙を出すと、マジックインキでナスビの絵を描いた>・・・左2羽アオアシシギ、次がタカブシギとコアオアシシギ

<「実は、私の描いたこの色紙を、美術館に来られた人に一枚千二百円で売り、材料費を引いた千円を寄付したいと思うんですが(中略)枚数も百枚とか千枚やない。一万枚描いて一千万円を贈りたいと考えてます」>・・・アオアシシギの前を歩くコアオアシシギ(足が長いのが特徴)

<男子たるもの、一度口に出した以上、前言を翻すわけにはゆかない。それからというもの、私は食前、食後、仕事の合間、寝る時間も惜しんで色紙を描きまくった(中略)二千枚前後になると急にペースダウン。その時はさすがに私も、もうこれでやめようと弱音を吐いた>

<しかし、木幡さんの顔を思い浮かべると、どうにも申し訳ない気分になり、よし、もう一度挑戦してみるか、と考え直した。それからというもの、覚悟が決まったせいか、リズムに乗ってすらすらと描けるようになった。特に四千枚を過ぎたあたりからは、目をつぶっても描けるようになった>・・・コアオアオシシギの嘴は、アオアオシシギの嘴よりも細身です

<ホシザキ電機社長の坂本薫俊さんが美術館に来られた時、私の描いたナスビの絵の横に讃をお願いしたところ、その場でたちまち「娘十八 番茶も出花 (ナスビの)色の黒いは八難隠す(以下略)」と、たちどころにしたためられた>

<ホシザキ電機の創業者、坂本薫俊(1910~2003年)は島根県雲南市木次町の出身。「島根の松下幸之助」とも呼ばれていたそうなので、次の機会に紹介してみたいと思います>・・・左からイソシギ、コアオアシ、ソリハシ

<昭和54年夏、ナスビの絵を描いた私の色紙の売上金一千万円を社会福祉基金として山陰中央新報社にお渡しした。売れた一万枚のうち前半の五千枚は下手だったように思うので、後日芳名録を頼りに美術館の招待券をお送りした>足立全康氏は、有言実行を絵に描いたような凄い人物だったようです。・・・コアオアシ?。

参考文献:庭園日本一 足立美術館をつくった男 足立全康著

 



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前回までの記事で紹介したように足立全康(ぜんこう)氏は、新幹線開業直前の新大阪駅周辺で地主から土地を精力的に買収、ほんの2、3年の間に十数億円という利潤を上げたそうですが、その極意を紹介しましょう。・・・美術館の庭園に立つ足立全康像

足立氏は、自分の人生を要約して「ワシの人生は絵と女と庭や」と言い続けています。美術品のコレクターで無類の女好き。庭園つくりも誰にも負けないという文字を戒名にまでしようとしていたようです。(実際の戒名は積善院全道余慶居士)

その著書に<私はもともと無教養な人間、人のようになかなか常識的な座談ができないのでワイ談に活路を求めた>

<ワイ談とはいえ話の中にも、皆が関心のありそうな、時の話題をふんだんに織り込み、あまり露骨にならないよう、その一歩手前で止めて、しかもさも自分がそうであったかのように演出する>

<それに加えて大事なのは、落語のクスグリと一緒で、皆が腹を抱えて笑えるようなシナリオを随所に用意する、そうすれば一遍に相手の懐に飛び込むことができる>

著書には、倒産した東洋バルブが保有していた北沢コレクションの処理委員会(債権者は三井物産など大手商社)から横山大観作品(20点)を一括購入する際、名品を除外して譲渡するという処理委員会メンバーを足立氏はワイ談を持ち出して説得、見事一括購入にこぎつけたとありました。

後日処理委員会のメンバー(大手商社幹部)から「あなたの話にはまいりました。あれで委員みんなの腹が決まった。私もこれまでいろいろな名演説を聞きましたが、あれほどの殺し文句は知りません」と言われるくらい凄い説得力のあるワイ談だったようです。・・・喫茶室

著書には、はっきりと書いていませんが、他の不動産屋なら決して相手にしなかった新大阪駅周辺の地主を、足立氏はこの手法で籠絡し、大成功を収めたのではないでしょうか。・・・喫茶室でケーキセットを注文。竹炭のマドラーが珍しい

足立美術館は、足立全康氏の天才的な話術で稼いだお金と、戒名にするほどこだわった「人生は絵と女と庭や」という情熱で出来たということかも知れません。・・・壁画のような庭

参考文献:庭園日本一 足立美術館をつくった男 足立全康著



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昨日に続き、近所のカルガモの写真と一緒に足立美術館をつくった足立全康(ぜんこう)と横山大観作品のことを紹介しましょう。<・・・>が足立氏の著書からの引用です

<(昭和48年)絵画暴落は突然起こった。春に開かれた熱海の交換会から軒なみ暴落した。買い集めた作品は、半値以下ならまだしも、三分の一あるいはさらにそれ以下の激しい落ち込み方であった>

<このときの暴落で倒産した画商が何十軒もあったというし、コレクターの中には自殺した人まであったというからひどい>

<私もこの暴落で15億円の欠損を出した。そのため大阪にあった500坪の土地を売ったり、それまで集めていた横山大観の作品60~70点を売り払って急場をしのいだ>

<本来なら美術館に飾られるはずの作品である。自業自得とはいえ無念やるかたなかった(中略)もっとも、この事件が逆に大観に対する思いこみをさらに助長してくれることになった>

<暴落にもびくともしない大観芸術の底力を知らされ、ますます大観が好きになった。浮気はするものじゃあないと自分の軽率さを悔いるばかりだった>

昭和59年、足立美術館に総工費8億円をかけて大観特別展示室が完成、足立美術館が所蔵する大観作品130点のうち、常時20点前後が展示されているといいます。

足立美術館では、春夏秋冬3カ月ごとに特別展を開催しています。美術館が所蔵する横山大観コレクションは、その際にすこしづつ展示作品が入れ変えられようなので、一度の訪問ですべての大観作品を見る訳にはゆかないようです。

また大観の最高傑作ともいわれる「海に因む十題」「山に因む十題」(全20点)のうち4点を足立美術館は保有。そのうち2点は一括購入した北沢コレクションの中に含まれていたそうです。

参考文献:庭園日本一 足立美術館をつくった男 足立全康著



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足立美術館をつくった足立氏の横山大観作品へのこだわりについて、近所のアオアシシギの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が著書からの引用です

 <昭和22~23年頃、心斎橋筋を自転車で走っているとバラック建ての骨董屋に二点の掛け軸が掛っているのが目に止まった。私は絵が気にかかり自転車を止めた。作者の名前を見ると横山大観とある。これが私と大観の絵との最初の出会いだった>

<作品の大きさは2尺5寸、値段は8万円だったと記憶している。その当時、心斎橋の土地が坪3千円だったから、25~26坪は買える金額である。とても手が出る値段では無かったが、見れば見るほど欲しくて仕方ない>

<それで毎日、暇をみては何遍も自転車で通った。しかしどうあがいても所詮、無い袖は振れない。泣く泣く諦めざるを得なかった。私は「いつか大観の絵を買ってやるぞ」と固く心に決めた>

<それから間もなく、私は大観の一冊の画集を手に入れた。昭和15年の「海に因む十題」「山に因む十題」の図録である。この二十点のオリジナル作品は、1点2万5千円で希望者に売られ、大観は絵の売上総額50万円を陸軍省に寄付、その金で戦闘機「大観」号をつくるという美談が人々の共感を呼んだのである>

その後、足立氏は不動産事業で成功、昭和32~33年頃に最初の大観作品を買い、最も多いときで150点近くが手元にあったといいます。

高度成長期の後半、不動産事業では条件の良い物件が次第に減少しますが、一方で絵画投機ブームが到来、足立氏は昭和46年に美術品売買のための会社「(株)日美」を設立しています。

<軍資金は、ほとんどすべて銀行家からの借金である。(不動産で成功していた)私としては、その当時20億円くらいは調達できる自信があった>

<昭和46年から47、48年にかけて洋画はほとんど軒なみ値を飛ばし、ひと月もたたないうちに倍々で値上がりを続けた。あと1、2年もすれば投資額の倍になると皮算用(中略)最終的には15億円ほどつぎ込み全部で二百数十点が手元にあった>1990年頃にも絵画バブルがあり、大手商社伊藤萬が倒産していますが、その17年前にも同じようなことがあったようです。・・・こちらはオオソリハシシギ

つづく

参考文献:庭園日本一 足立美術館をつくった男 足立全康著



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先日、大山からの帰りに足立美術館まで足を伸ばしましたので、足立美術館をつくった足立全康氏(1899~1990年)のことを紹介しましょう。・・・朝10時には広大な駐車場にバスや車が一杯でした

現在の足立美術館のある土地で生まれた足立全康は、12歳(明治44年)で尋常小学校を卒業、大正から昭和初期にかけて地元でいろいろな商売に手を出し、昭和9年には大阪に出て繊維卸商を始めています。・・・美術館の入り口

太平洋戦争開戦時には既に42歳となっていたので召集は免れて郷里で終戦を迎えています。翌年に再び大阪に戻って繊維関係の仕事を再スタートし、昭和24年には船場に丸全繊維株式会社を設立、昭和33年頃から不動産投資が成功しはじめています。・・・有名な日本庭園

昭和33年年末には国鉄が申請した東海道新幹線建設計画の承認があり、昭和34年4月から工事着手、5年後の昭和39年10月に東京から新大阪までが開業しています。

当時の新大阪駅周辺は一面田園地帯、足立氏は地主から土地を精力的に買収し、2、3年の間に十数億円の利潤を上げたと自伝に書いてありました。

自伝には<大阪市から「足立さん、もう相当儲けなはったでしょう。このくらいで少し静かにしといてくれんかね」と言われたので撤退することにした>とありました。

足立氏は、稼いだお金で趣味の美術品購入をはじめていましたが、そのうち美術品が増えてゆくにつれて蔵にしまいこんでおくには勿体ないと考えるようになったようです。

そこで生まれ故郷に美術館を建てたいと思うようになりますが、いきなり地元に乗り込むと、村の人から大反対を受けたといいます。

そこで地元に徹底して頭を下げて協力を願い、ようやく住民の理解を得たことで、昭和43年にやっと安来市から工事の許可を受けています。こうして昭和45年11月3日、足立美術館は開館、当時の敷地面積は千坪、建坪80坪という小規模な美術館でした。今では美術館の敷地面積は1万坪余り、延床面積2,660坪、アメリカの専門雑誌が選ぶ日本庭園ランキングで13年連続第一位(京都の桂離宮が2位)という日本最高の庭園をもつ美術館となっています。

つづく

参考文献:庭園日本一 足立美術館をつくった男 足立全康著



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大阪市内にある公園の干潟で9月中旬に見ることのできる猛禽類、ミサゴを紹介しましょう。

ミサゴの排泄場面

排泄を終えてホットしたミサゴの表情

獲物を捕まえて帰ってきたミサゴ。獲物は必ず頭が前、尻尾が後ろにくるように持って飛びます。この姿勢が最も空気抵抗が少ないのでしょう。

池の上空まで戻ってきました。魚の頭は、ちゃんと進行方向に向けられています。

お気に入りの杭に止まりました。魚はいつものボラではなく、高級魚のスズキのようです。

♂より大きい♀が翼を広げるとその幅は175cm、成人男性の身長と同じくらいあるようです。

翼をたたんだミサゴの体長は、♀なら64cm、♂はやや小さく54cmほど。

スズキを片足でぶら下げたミサゴは猛禽類と言われるだけあって、さすがに堂々たる姿ですね。



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大阪市内にある公園の干潟で9月中旬に見ることのできる野鳥を紹介しましょう。・・・ダイサギ

コサギの顔

ダイサギの顔

翼を乾かすアオサギ

バッタを捕まえたイソヒヨドリ

意外と口の大きいイソヒヨドリの顔

シギの三役そろい踏み。左からチュウシャクシギ、アオアシシギ、オオソリハシシギ

オオソリハシシギの羽ばたき

アオアオシシギの顔



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