1950年6月25日朝鮮半島全域の支配を目指した金日成の北朝鮮軍は一気に38度線を越え、8月には南朝鮮の90%を占領した。
しかしアメリカ軍を主体とする国連軍が9月15日に38度線に近い仁川(インチョン)に上陸し、南に侵攻した北朝鮮軍を孤立させ、さらに北上する姿勢を見せた。
朝鮮半島をすべて支配することを狙った金日成に朝鮮戦争を起こすようにけしかけたのは実は毛沢東なのである。
戦争の開始直前に中国軍の支援を頼みにきた金日成に対して毛沢東は人民解放軍を朝鮮に投入できると確約している。
毛沢東は朝鮮戦争を国民党から投降してきた450万人にも上る中国人部隊を始末する格好の機会と考え、意図的に朝鮮の戦場に送り込んだ。
戦場から逃げ出す兵士を始末するために後方には処刑部隊が控えていたという。
毛沢東は兵隊の使い捨て競争をすれば、アメリカが絶対に太刀打ちできないと確信していた。
1950年10月19日、毛沢東は劣勢に陥った北朝鮮軍を助けるために、旧国民党軍を主体とする45万人の中国軍を朝鮮戦争に投入している。
毛沢東のもう一つの狙いは朝鮮戦争に参戦することで、ソ連から武器の援助や軍事技術の援助を受け、さらに兵器の生産工場の建設支援を受けることであった。
スターリンは毛沢東の命令で交渉に来た周恩来と林彪に飛行機、大砲、戦車、その他軍事装備の供与を約束し実行している。
スターリンは朝鮮戦争で、ミグ戦闘機等のソ連の最新兵器の実戦テストができると考えたのである。
又、戦利品としてアメリカの軍事技術を入手することができるとも考えていたらしい。
さらに毛沢東が西側諸国の軍を圧倒すれば、東西の軍事バランスが崩れ、ヨーロッパにソ連の支配地域をさらに広げることが可能になることを期待していた。
従って米国軍と毛沢東との戦争を望んでいたソ連は、国連の安全保障理事会で朝鮮に国連軍を派遣するという採決に拒否権を使用しなかったのである。
このときの安保理事会でのソ連の行動はいままで謎とされていたが、謎の行動の裏にはスターリンの意図が働いていたのである。
1950年末、フランスの高官はソ連は中国人を家畜のように使って、彼らに西側との戦いをさせていると、スターリンの意図をズバリ見破った発言をしている。
1951年1月25日、国連軍が反撃を開始すると戦況は一変し中国側の犠牲者は莫大な数に上った。
同年3月1日毛沢東はスターリンに対して、中国軍は今まで10万人の犠牲者を出し、今後さらに30万人の戦死者を見込んでいるので、これから42万人を追加派遣すると報告している。
そこには中国の国民を家畜か消耗品のようにしか見ていない毛沢東の本音が見て取れ、総計で300万人の中国軍が朝鮮戦争に投入されたのである。
朝鮮戦争に参戦したことで毛沢東は当初の狙い通り、最新鋭のミグ戦闘機3000機を保有する世界第3位の空軍力を獲得している。
さらにソ連の援助で最新兵器を生産する工場が、中国国内各地に続々と建設され、朝鮮戦争を利用した毛沢東の狙いは現実になったのである。
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