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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



先日も夕陽を紹介しましたが、大阪港からは今の時期と3月の年二回、明石海峡に沈む夕陽を見ることができます。・・・この日の太陽は、大関門赤灯台の右側、明石海峡の真上。

ズームアップすると、明石海峡大橋が少し霞んで見えています。今日も水平線に沈む夕陽を見ることができるのでしょうか。

さらにズームアップ。この高さでは、夕陽がまだ強烈に光っています。

夕陽が水平線に沈むまで少し時間かあったので、六甲山の西から東までをワイドで写してみました。

この日、水平線のすぐ上に厚い雲があるようで、夕陽はその中に入ってゆきます。

夕陽が半分雲の中に隠れてしまいました。雲は、薄い層のように見えるので、その下から再び夕陽が姿を現す可能性もまだあります。

もう一度ズームしてみると、雲の下にもどうやら雲があるようです。これでは水平線に沈む夕陽は絶望でしょう。

ワイドで見るとこんな景色。

この日、水平線に沈む夕陽を見ることができませんでした。はたして次のチャンスはあるのでしょうか。



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秋に咲くバラは、春に咲くバラに比べると株につく数も少なく、貧弱なものが多いようです。

しかし良く見ると、長居植物園では、なかなか見事なバラが咲いています。この日は秋晴れだったので、色彩が鮮やかでした。

造花のようにも見えますが、普通に咲いたバラの花です。

朱色のバラ。花数の少ない秋のバラ園は、当然訪れる人も少なく、静かに観賞することができるのも良いところです。

薄い紫のバラ

薄いオレンジ色のバラ

ピンクのバラ

秋の日差しを受けたバラを真横から写してみました。

秋にこれだけの花を咲かせる長居植物園スタッフの栽培技術は、「お見事」のひとこと。



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この時期、咲洲シーサイドコスモ遊歩道から明石海峡の彼方の水平線に沈む夕陽を見ることができます。・・・この日の西空には雲が全くありませんでした。

ズームアップすると、明石海峡大橋が見えてきます。・・・夕陽は、明石海峡の直上部にあるようです。

もっとズームしてみると、水平線の向こうに橋があることが良く判ります。水平線上に並んだ突起は、咲洲の西にできる埋立地の杭でしょう。

閉鎖された海の時空館、大阪港の出入り口(大関門)、夕日、船をワイドで見るとこんな景観です。

この日の夕陽は、明石海峡大橋明石側主塔の右側に沈むようです。

沈みかけた夕陽を少しワイドでも見てみましょう。直下が海ではないので、ダルマ夕日にはなりません。

ズームアップしてみると、どうやら神戸空港の彼方に沈むようです。・・・夕陽の右端にある地上の建物は、神戸空港の管制塔でしょう。

この日の夕陽は、殆んど水平線に近いポイントに沈んでいます。・・・この日の撮影は、海面に近い位置からだったので、手前の海が盛り上がったように見えています。

夕陽が沈んでからも、雲ひとつない明石海峡の右側に赤い残照が暫くの間見えていました。・・・大阪港からの秋の夕陽でした。



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長居植物園のコスモス畑では、コスモスの花が咲き始めていました。白に赤紫のエッジがあるコスモス。

ヒガンバナ(中国原産か)も開花していました。

コスモスのクローズアップ

白いヒガンバナもクローズアップしてみました。

白いコスモス

ヒガンバナの前に同じヒガンバナ科の白いタマスダレ(ペルー原産)が咲いていました。

赤紫のコスモス

白に薄いピンクのエッジがあるコスモス

シュールな絵画のようなコスモスの花



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長居植物園では、コスモスが咲き始めました。秋に桃色の花を咲かせるコスモスの原産地はメキシコの高原地帯で、18世紀末にヨーロッパに渡来、日本には明治20年頃に渡来したようです。中に黄色いコスモスが混じっていましたが、キバナコスモスです。

キバナコスモスはコスモスと比べて夏場の暑さに強いため、コスモスよりも早い時期に花を咲かせ、コスモスより繁殖力も旺盛だそうです。・・・こちらがキバナコスモスの畑

そのキバナコスモス畑の中で、ホバリングしながら蜜を吸っている、ハチドリのような生き物を見つけました。オオスカシバという蝶目スズメガ科の昆虫でした。

スズメガ科の蛾は、その多くが夕方から夜間に活動しますが、オオスカシバは昼間活動するのが特長です。高速で羽ばたいていますがブーンという羽音は聞こえませんでした。

この写真を見ると、背中が羽毛に覆われているようにも見えます。

その翅は、ハチのように薄くて透明なので、ハチと間違う人も多いとか。オオスカシバを漢字表記すると「大透翅」となります。

文字通り、大きな透明の翅をもったオオスカシバは、蜜を吸うためのチョウのような口吻を持っています。

オオスカシバは、長さ2cmほどの口吻を使って常にホバリングしながら蜜を吸っていました。

それにしても面白い生き物ですね。



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仲秋の名月が昇る姿は、先日紹介しました。ところが、日没と月の出がほぼ同時刻だったため、写真が冴えません。そこで、後日すっかり暮れた大阪港に月の出を撮影に行ってきました。・・・なみはや大橋の向こうが生駒山です。

この日の月は、生駒山最高地点のやや左から昇り始めました。月の直下に、ちょうど通天閣の上部が見えています。

ワイドではこんな光景となりました。・・・周囲が暗くなっているせいで、半分だけ姿を現した月の光が海面に反射しています。

昇りはじめた月のすぐ下は、生駒山山上遊園地の明かりでしょう。・・・この高さの月は、黄色く見えていますね。

暫くすると、月が生駒山の稜線から完全に姿を現し始めました。月の右下にある塔は、生駒山上遊園地の回転飛行塔でしょうか。

生駒山から離れた月は、なみはや大橋に一時遮られます。・・・月の直下を見ると、生駒山上に薄い雲があるようです。

少しワイドでみると、月の右手に「あべのハルカス」が見えます。

折角なので、最大までズームアップしてみましょう。

これが、大阪港から見える月の出です。・・・月の光が黄色から白に変化しています。



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長居植物園の蝶の写真と一緒に百田尚樹さんの小説「永遠の0」から日本海軍のガダルカナル作戦失敗について紹介しましょう。<・・・・>の中が小説の引用です。・・・アゲハチョウのペア

<ガダルカナルでは、総計で三万人以上の兵士を投入し、二万人の兵士がこの島で命を失いました。二万人のうち戦闘で亡くなった者は五千人です。残りは飢えて亡くなったのです>・・・アオスジアゲハ

<しかし、ガダルカナルの海戦では、緒戦に非常に大きなチャンスがあったのです(中略)第一次ソロモン海戦と言われる海戦ですが、この戦いで三川軍一司令長官(1888~1981年)率いる第八艦隊は、米巡洋艦の攻撃をほぼ完全に打ち破ったのです>・・・飛び立ったアゲハチョウを正面から

<しかし三川艦隊はただちに撤収しています。この時、更に突き進み、敵輸送船団を攻撃すれば、ほぼ完全に輸送船団を撃滅させることができたのです(中略)そうなればその後に行われたガダルカナルでの戦いは全く違った様相を呈していたことでしょう>・・・アオスジアゲハ

<このときガダルカナルへの米軍輸送船団は、重砲などはほとんど揚陸させておらず、三川艦隊が襲いかかれば輸送船団の武器弾薬は海中に没することになったのです>・・・羽ばたくツマグロヒョウモンの雄

<巡洋艦「鳥海」の早川幹夫艦長(1894~1944年)は、輸送船団撃滅を目指して進むことを強く意見具申しますが、三川長官はそれを退けました>・・・アオスジアゲハ

<三川長官は敵空母を恐れたのです(中略、しかしこのとき)ラバウル零戦隊の二日に渡る決死の戦いが(米空母群提督に日本の空母群が近いと判断させ、ガダルカナル海域から)米空母群を退けていたのです>・・・花から離れる寸前のアゲハチョウ

<三川長官が第八艦隊の司令長官に赴任する際、永野軍令部総長が「我が国は工業が乏しいから、出来るだけ船を沈めないようにしてくれ」と言った(中略)兵隊や搭乗員の命は簡単に捨て駒にするくせに、高価な軍艦となると後生大事にするとは>・・・アオスジアゲハ

<艦隊司令官にとって最高の名誉である金鵄勲章のための査定ポイントで、最も大きいものは海戦によって軍艦を沈めることだそうです。戦艦を最高点として以下、巡洋艦、駆逐艦と続き、輸送船などは何隻沈めてもまったく点数にならない>・・・アゲハチョウのペア

<しかし日本海軍の艦艇を失えば大きなマイナスになります。三川長官が巡洋艦並びに駆逐艦を撃沈した後、輸送船などに目もくれずにとっとと引き上げたのはそのためか>と百田さんは、日本海軍の弱点を指摘しています。

参考文献:永遠の0 百田尚樹著



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9月19日は仲秋の名月でした。大阪港からは、その仲秋の名月が西の水平線に沈む姿を見ることができます。・・・早朝の名月は、大阪港大関門灯台よりもやや高い位置にありました。

ちょっとズームアップ。名月は、明石海峡のちょうど真上にあります。・・・さすが仲秋の名月だけあって光が強烈ですね。

さらにズームアップすると、明石海峡大橋が見えてきます。

この日の月は、明石側主塔の右側に沈むようです。・・・この高さまで下りてくると、月の光が白から黄色に変化しています。

少しワイドで見てみると、月は大阪港大関門灯台の塔の中央部まで沈みました。・・・沈む月がこの高さまでクリアに見える日は少ないと思います。

ズームアップすると、月の下側がやや赤くなってきました。

さらに沈んだ月は、全体がオレンジ色に変化しています。・・・左から大阪港に入る船が写ってしまいました。

さらにズームアップ。・・・薄い雲の向こうの月は、光が弱くなり、さらに赤色に変化、水平線からやや外れた地平線の彼方に沈むようです。

ワイドで見た、大阪港の彼方に沈む赤い月。・・・宵の月も綺麗ですが、こういう仲秋の名月も面白いと思います。



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百田尚樹さんの小説「永遠の0」に日本海軍の特攻作戦について触れた部分がありますので紹介しましょう。<・・・・>の中が小説の引用です。・・・以下写真は長居植物園のアゲハチョウと花

<飛行機の操縦は車のように簡単なものではありません。操縦以前に覚えなくてはいけないものが数多くあります。ですから、予科練の飛行練習生たちは大変な難関の試験をくぐり抜けて選ばれた優秀な少年達だったのです>

<その点、学徒出陣の大学生達は豊富な知識と高い知性があります。手っ取り早く飛行機乗りに仕立て上げるのに恰好の素材だったのです。特攻で亡くなった人たちは四千四百人以上。半分近くがこうした飛行予備学生出身のパイロットたちでした>

<教育課程を終えた飛行学生達は「特攻を志願する」志願書を書かされていますが、志願しないと書いた人達は、上官に個別に呼ばれ説得を受けたようです。当時の日本の軍隊における上官の説得というのは、これはもうほとんど命令と同じです。これに逆らうことは不可能でしょう>

<現代でも、果たして会社や組織の中で、自分の首をかけて上司に堂々と「NO」が言える人たちがどれほどいるのでしょうか。私達の状況はそれよりもはるかに厳しいものでした>

<あの頃の軍部は、兵隊の命など何とも思っていなかったのです。沖縄戦での戦艦大和の海上特攻では、一度の出撃で(航空特攻の総数と)同じくらいの人が命を失っています>

<大和の出撃は絶望的なものでした。沖縄の海岸線に乗り上げて陸上砲台として上陸した米軍を砲撃するという荒唐無稽な作戦のために出撃させられたのです>

<航空機の護衛もなく一隻の戦艦と数隻の護衛艦が沖縄にたどり着けることなど、万が一にもあり得ないことです>

<連合艦隊の誇りとも言うべき大和でさえ特攻で捨ててしまう作戦を立てる軍令部や連合艦隊幕僚が予備学生を使い捨てることに躊躇するはずもありません>

参考文献:永遠の0 百田尚樹著



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大阪港からは、生駒山から昇る仲秋の名月が見えるはずです。・・・しかし、日没間もないことと、生駒山に薄い靄があったことで、山頂から昇る月をはっきりと見ることはできません。

そこで、カメラの明るさを調整し、「あべのハルカス」のすぐ右にまで昇った名月をなんとか写すことができました。

月は、「あべのハルカス」の屋上を越えた高さまで上昇、やっと肉眼でも見えるようになりました。

ズームアップしてみましょう。周囲がまだ明るいので、ボンヤリとしか写りません。

暫くしてこの高さまで上昇すると、かなり白く光ってきました。いよいよ仲秋の名月の登場です。・・・海面に月の明かりが反射し始めています。

あべのハルカスと月。・・・ISO感度を上げ過ぎたせいで、画面がざらついてしまいました。

名月の光は、さらに強くなってきました。

月の光が強いので、周囲の景色は実際よりも暗く写っています。

折角なので、最大にズーミングしてみました。仲秋の名月の高度がやや低いので、少し黄色く写ってしまいました。



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太平洋戦争でアメリカ軍と戦った日本海軍の戦闘機搭乗員を主人公とした小説が百田尚樹さんの「永遠の0」です。作者の百田さんは、作品の中でカミカゼ特攻と殉教的自爆テロリストの違いを判り易く説明していますので紹介しましょう。<・・・・>の中が小説の引用です。・・・長居植物園のキバナコスモス

新聞記者が<私は、特攻隊員が一時的な洗脳を受けていたと思っています(雄略)特攻隊員の遺書を読めば、(テロリストと同じ)殉教的精神は明らかだと思いますが>というと・・・長居植物園のコスモス

元特攻要員は、<あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか(中略)当時の手紙類は上官の検閲があった。戦争や軍部に批判的な文章は許されなかった。また軍人にあるまじき弱々しいことを書くことも許されなかった>・・・長居植物園のコスモス

さらに<特攻隊員達は、そんな厳しい制約の中で行間に思いを込めて書いたのだ(中略)報国だとか忠孝だとかいう言葉にだまされるな。喜んで死ぬと書いてあるからといって、本当に喜んで死んだと思っているのか>・・・長居植物園のアゲハチョウ

<死にたくないという本音が書かれていなくとも、愛する家族にはその気持ちはわかる。なぜなら、多くの遺書には、愛する者に対する限り無い思いが綴られているからだ>・・・長居植物園のツマグロヒョウモンの雌

また<自爆テロの奴らは一般市民を殺戮の対象にしたものだ。無辜の民の命を狙ったものだ。ニューヨークの飛行機テロもそうではないか(中略)我々が特攻で狙ったのは無辜の民が生活するビルではない>・・・長居植物園のアゲハ

<爆撃機や戦闘機を積んだ航空母艦だ。米空母は我が国土を空襲し、一般市民を無差別に銃爆撃した。そんな彼らが無辜の民と言えるか>・・・長居植物園のアゲハ

<空母は恐ろしい殺戮兵器だった。我々が攻撃したのは、そんな最強の殺戮兵器だ。しかも特攻隊員達は性能の劣る航空機に重い爆弾をくくりつけ、少ない護衛戦闘機しか付けて貰えずに出撃したのだ>・・・長居植物園のアゲハ

<何倍もの敵戦闘機に攻撃され、それをくぐり抜けた後は凄まじい対空砲火を浴びたのだ。無防備の貿易センタービルに突っ込んだ奴らとは断じて同じではない>・・・長居植物園のツマグロヒョウモン

参考文献:永遠の0 百田尚樹著



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台風18号の通過した後、長居植物園の蝶を撮影してみると、その多くが台風のせいで羽を損傷していることが判りました。羽がボロボロのアオスジアゲハ

アゲハチョウも、左の羽の下が損傷しています。

 

ツマグロヒョウモンの雄(左の羽の下が欠けています)

  

アオスジアゲハ

クマバチの羽も傷んでいました。

 

このアオスジアゲハは、左の羽の端部が少し欠けています。

 

このツマグロヒョウモンの羽は、損傷がないようです。

 

このアオスジアゲハも、どうやら台風の被害を免れたようでした。

 

モンシロチョウの羽も大丈夫そうですなので、うまく台風をやり過ごしたのでしょう。

 



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台風18号が通り過ぎた夕方、大阪港のシーサイドコスモ遊歩道を散歩していると、神戸の山に沈む夕陽が見えました。

すこしズームアップしてみると、明石海峡大橋が良く見えます。台風の雨で洗われたせいか、空気の透明度は良いようです。

橋をもっとズーミング。春には無かった護岸の杭のようなものがズラリと並んでいました。どうやら咲洲と明石海峡大橋との間に新しい埋立地の工事が始まるようです。

さて、夕陽は大阪港白灯台の少し上の高さまで沈んできました。どうやら神戸市須磨区辺りのようです。太陽直下の橋は、ポートアイランドから神戸空港への連絡橋でしょう。

沈みそうな夕陽を最大に拡大してみましょう。太陽直下やや左、山上の建物はレストハウス「おらが茶屋」、その右斜面の下にある台地は高倉台、上にある3棟の高層建物は、左から高倉台市街地住宅3,2,1号棟でしょう。

夕陽は、神戸市須磨区高倉台に半分沈み、やや暗くなってきました。

ワイドで見ると、こんな光景です。

須磨区高倉台の台地に沈みかけた夕陽の前を、船が通過してゆきます。太陽の左上に高倉山のレストハウス「おらが茶屋」がシルエットとなってはっきりと見えています。

この日の日没は、午後6時4分。咲洲シーサイドコスモからの夕陽の紹介でした。天候さえ良ければ、もうじき明石海峡大橋の中央に沈む夕陽をここから見ることができるはずです。



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昨日の記事からの続きです。さて、終戦のエンペラーの主人公フェラーズ准将の実際の行動は、来日後真っ先に河井道の安否を尋ね、健在であることを知るとすぐに手紙を出して間もなく二人は再会しています。・・・キバナコスモス

フェラーズが河井道にどうしても聞きたかったことは、「天皇がもし戦犯として処刑されたとしたら日本国民がどんな反応を示すか」ということでした。・・・キバナコスモスとクマバチ

クリスチャンである河井道は「日本人は、そのような事態を決して受け入れないでしょう。もし陛下の身にそういうことが起きれば、私がいの一番に死にます」と答えたそうです。・・・ツマグロヒョウモン

この答えを聞いたフェラーズは「日本人にとって天皇が処刑されることは、アメリカ人にとってキリストが十字架に架けられることと同じ」と後の論文に書いているので、マッカーサーにもそう報告した可能性があります。・・・アゲハチョウ

マッカーサーとフェラーズが厚木に降りた8月30日の時点での日本陸海軍兵力は、約700万人、その700万人が天皇の停戦命令で直ちに戦闘を停止したことが重要でした。・・・アオスジアゲハ

西欧の近代戦争では、700万人の軍隊が命令一下戦闘を停止し、戦火がピタリと止むことなど全く理解できない、天皇だけが為し得る神業だったのです。・・・アゲハチョウ

フェラーズは、もし天皇を処罰すれば、日本国内で血なまぐさい反乱が各地に発生し収拾がつかなくなるとし、天皇の力は何十万ものアメリカ兵の力に優る、その威光を利用しない手は無いと、マッカーサーに報告したようです。・・・アゲハチョウ

天皇の戦争責任を追及せよというアメリカ世論と連合国の意向を回避するためフェラーズは獄中の東条英機にも工作し、東京裁判で天皇に責任の無いことを証言させています。・・・アゲハチョウ

岡本嗣郎氏は著書に「天皇免責工作は、政治の表と裏の両舞台で水も漏らさぬ周到さで展開され、その強引さ、露骨さ、生々しさ、隠密ぶりは、フェラーズの知られざる一面をのぞかせている」とし・・・アゲハチョウ

また、「フェラーズは、温和な文人肌の理知的人間であったと同時に、怜悧で非情で、有能な現実的政治家でもあった」とも書いています。

陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ 岡本嗣郎著

 

 



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先日紹介した終戦のエンペラーの主人公フェラーズ准将は、亡くなる9カ月前のインタビューに答え、マッカーサー元帥に提出した日本国天皇は戦犯ではないという「覚書は、ミチ・カワイから授かったものだ(中略)彼女は知らないだろうが、マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな影響を及ぼした」と答えています。・・・長居植物園のコスモスが咲き始めたと聞いたので、久しぶりに長居に行ってきました。

河井道(女性、1877~1953年)は、伊勢神宮神官の家に生まれますが、1885年に一家は函館に移住、そこで彼女は米国人宣教師サラ・スミスと新渡戸稲造に出会い、後の人生を決定しています。・・・ピンクのコスモス

新渡戸稲造からアメリカ留学を勧められた河井道は、新渡戸一家と共に1898年アメリカに渡り、プリンマー女子大学で6年間学んでいます。・・・赤のコスモス

帰国した河井道は、日本YWCAの設立に奔走、また1929年にはキリスト教による女子教育を実践する恵泉女学園を設立しています。・・・白のコスモス

日本女子教育の先駆者として河井道がアメリカ講演に招かれた1934年、アメリカ「陸軍指揮幕僚大学」にいたフェラーズとカンザス市で面会、日米関係についての意見交換をしています。・・・お椀型のコスモス

フェラーズは、河井道との会見から「日本兵の心理」という卒業論文を作成、後に陸軍大学を卒業し、日米戦の途中(1943年)にマッカーサーの軍事秘書として配属されています。・・・コスモス畑

マッカーサーがフェラーズに与えた命令は「私の目となれ耳となれ。しかし、決して周囲にそうとは気付かれないように」、彼がマッカーサーと会うのに何の制約も無かったそうです。・・・ピンクと白

フェラーズ准将は、マッカーサー司令部の対日心理作戦部部長として作戦を指揮、多くの日本兵を投降させるなど、マッカーサーの信頼は厚かったようです。・・・キバナコスモス

日本がポツダム宣言を受け入れた半月後(1945年8月30日)マッカーサーとフェラーズは、厚木飛行場に到着、連合国軍による日本統治がスタートしています。・・・アゲハチョウとキバナコスモス

つづく

陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ 岡本嗣郎著



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