野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



久しぶりに京都の下賀茂神社に参詣してきました。その途中、糺の森で見かけた野鳥を紹介しましょう。・・・参道のマガモ(体長59cm)

京都に持ってゆくには、150~600mmズームレンズ(1.9kg)は重いので、この日は軽い50~250mmズームレンズ(380g)を装着しての撮影となりました。・・・シロハラ(体長25cm)

600mmならAPSサイズの一眼カメラでは900mm相当(18倍)ですが、250mmなら375mm(7.5倍)、どの野鳥も小さく写っています。・・・下賀茂神社舞殿屋根にいたのは、イソヒヨドリ♂成鳥(体長23cm)

糺の森の参道のヤマガラ(体長14cm)だけ近くに寄ってきてくれました。ヤマガラは神社の森や公園などで良く見かける野鳥です。

なかなかフレンドリーなヤマガラでした

この距離なら250mmズームレンズで十分ですね。・・・ヤマガラを真下から

ところが高い梢にシメ(19cm)がいました。

この距離なら、レンズは600mmが欲しいところ。

藪の中にモズ♂(20cm)も見つけました。モズは近所の公園で先月大きく写したことがあります。

その大写し

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




松方コレクションで有名な松方幸次郎の父親は、明治時代に活躍した薩摩閥の政治家「松方正義」(1835〜1924年)です。アオサギの写真と一緒に松形正義を紹介しましょう。

松方正義は、薩摩出身ながら勤皇志士としての活動歴がない人物でしたが、5歳年長の大久保利通の引きで国家財政面で政治手腕を発揮、伊藤内閣(1885年・松方は50歳)・黒田内閣(1888年)・山縣内閣(1889年)で大蔵大臣を歴任しています。

さらに首相(1891〜2年・当時56〜57歳・1896〜8年・当時61〜63歳)・元老・公爵(1922年・87歳)にまで立身した人物で、パークス襲撃事件で活躍した4歳年下の中井弘が爵位を受けることなく亡くなったのとは対照的でした。

日清戦争開戦時、松方正義(当時59歳)は無役(元首相)でしたが、西南戦争の戦費を基準に予算を立てようとした当時の政府首脳部に「前例などにとらわれず、勝つ為にいくら必要かの見込みを立て工面する方法を考えるべき」と主張したといいます。

日露戦争の開戦(1903年・当時68歳)に当たっては、消極派の伊藤博文・井上馨らに反論し、積極的に開戦を主張、蔵相に自信がないとしても自分が補佐するから懸念は解決できると会議を主導、この功績が明治天皇から認められ、異例の大勲位受章者となっています。

松方のもうけた子供は15男11女と計26子、三菱の岩崎家などとの閨閥をつくり、現在でも数百人の会員からなる一族会があるほどです。

松方正義は27歳で長男をもうけると、数年おきに次々と子供が誕生、第15男の誕生時には64歳になっていましたが、その後もまだ女児をもうける精力絶倫の人物でした。

松方と接したことのある尾崎行雄は「松方がもし薩摩人でなかったら総理大臣になれなかったろう。先輩が皆没したため、回り回って薩摩の代表になった」と、記していますが、明治天皇が非常に信頼していた人物だったことは確かでしょう。

伊藤博文や山縣有朋らの死後、松方は元老を主導する立場となりますが、1924年に呼吸不全により死去(89歳)。皇族を除くと9人目となる国葬が執り行われていますので、功なり名を遂げた一生でした。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日行ってきました国立西洋美術館の松方コレクションと、3月下旬の野鳥を紹介しましょう。<・・・>が同館のHPの記事です。・・・カニを咥えたアオサギ

まず<国立西洋美術館は1959(昭和34)年、フランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開するために設立されています>・・・ヒクイナ(緋クイナ)

<松方コレクションを築いた松方幸次郎(1865‐1950)は、明治の元勲で総理大臣も務めた松方正義の三男。旧制一高の前身からアメリカに留学して法律博士号を取得、帰国後、神戸の川崎造船所(現在の川重)の創業者(川崎正蔵)に見込まれ、1896年年に同社の初代社長に就任しています>・・・ヒクイナ(緋クイナ)

<松方は、第一次世界大戦による造船景気で莫大な利益を上げたことで、たびたびヨーロッパを訪れ(1916年から約10年間)絵画、彫刻から家具やタペストリーまで、膨大な数の美術品を買い集めています>大正時代が松方の絶頂期だったようです。・・・オオジュリン♀

<現在、東京国立博物館が所蔵する浮世絵コレクション約8千点を含め、彼が手に入れた作品の総数は約1万点、松方は日本の若い画家たちに本物の西洋美術を見せてやろうという気概をもって東京に美術館を建てる準備をしていました>・・・オオジュリン♀

<しかし、1927年(昭和2年)の世界恐慌によって川崎造船所も経営危機に陥り、松方は自らの財産を処分して会社の財務整理にあてたのです>・・・オオジュリン♂

<このために、日本に運ばれていた松方の美術品は数度にわたって売り立てられて散逸、またロンドンの倉庫にあった作品群も1939年の火災ですべて焼失しています>・・・オオジュリン♂・・・良く見ると右足に足輪がありますが、さすがに文字は読めません。

<一方、パリに残された約400点の作品は、ロダン美術館一角に保管され、この作品群は第二次大戦の末期に敵国人財産としてフランス政府の管理下に置かれています>・・・ムクドリ

<1951年、サンフランシスコ平和条約によって一旦フランス国有財産となりますが、フランス政府はそれを「松方コレクション」として日本に寄贈返還することを決定、これを受け入れ展示するための美術館として、1959年に国立西洋美術館が誕生したのでした>・・・マイフィールドで越冬したアカアシシギ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日の東京旅行では、JR上野駅からほど近い国立西洋美術館に行ってきましたので、公式HPからその概要を紹介しましょう。<・・・>がHPの記事・・・現在シャセリオー展が特別展示されています。

<国立西洋美術館はフランス政府から寄贈返還された松方コレクション(印象派の絵画およびロダンの彫刻を中心とするフランス美術コレクション)を基礎に、西洋美術に関する作品を広く公衆の観覧に供する機関として、1959年4月に発足しました>・・・西洋美術館の入り口、一般展示ゾーンだけなら65歳以上の人は無料です。

 

<以来、広く西洋美術全般を対象とする唯一の国立美術館として、展覧事業を中心に、西洋美術に関する作品および資料の収集、調査研究、保存修復、教育普及、出版物の刊行等を行っています>・・・彫刻作品と内部のスロープ

<これらの事業のうち、展覧事業に関しては、本館(ル・コルビュジエ設計、1959年)・新館(前川國男設計、1979年)において、当館設立の趣旨である松方コレクションの作品および創立以来毎年購入しているルネサンス以降20世紀初頭までの作品および寄贈・寄託作品を常設展として年間を通して開催しています>・・・国立西洋美術館では、ごく一部の作品を除いて展示作品の写真撮影が許可されています。但し、フラッシュ・ストロボ撮影は禁止です。

<また、企画・特別展専用の展示室として1997(平成9)年度竣工した企画展示館において欧米の美術館等からの借用作品によって当館の自主的な特別展を年1回、さらに新聞社等との共催展を年2回程度開催し、西洋美術の紹介に力を注いでいます>・・・始めて中に入りましたが、レベルが高い収蔵作品の数々に驚きました。

<さらに、2001年4月からは国立美術館4館が一つの独立行政法人国立美術館に移行し、国立西洋美術館は独立行政法人国立美術館が設置する美術館の一つとなりました>・・・この日は土曜日でしたが、そんなに混雑していません。

国立西洋美術館は2007年、国の重要文化財に指定され、前庭・園地も2009年に国の登録記念物(名勝地関係)に登録されています。・・・右の壁の最奥にコルビジェの絵画作品が展示されていました。(ジャンバー姿の男性が見えてる作品。数少ない撮影禁止作品)

<2016(平成28)年7月、国立西洋美術館を含む「ル・コルビュジエの建築作品—近代建築運動への顕着な貢献—」が、世界遺産一覧表に記載されました>・・・新館への入り口。新館内はすべて撮影禁止となっていました。

現在は松方コレクションに加えて、ルネサンス期より20世紀初頭までの西洋絵画・彫刻作品の購入を進め、常設展示しています。・・・国立西洋美術館の中庭

エントランスの外に設置されている彫刻作品



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オオシマザクラとメジロ

オカメザクラとメジロ

オカメザクラとメジロ

オカメザクラとメジロの翼

カワヅザクラとメジロ

オカメザクラとメジロ

オカメザクラとメジロ

オカメザクラとメジロの翼

メジロの翼



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、東京のマンションのゲストルームに宿泊しましたので、最近の東京マンション事情を紹介しましょう。・・・ゲストルームのダイニング

東京のマンションはますます豪華さを競うようになり、低料金(3~8千円)で客を泊められるゲストルームがあるマンションが増えてきています。・・・ダイニングに続くリビング

ところが、先着順の予約制としたゲストルームは、なかなか空きがなく、一般の入居者がほとんど利用できないマンションもあるようです。・・・ダイニングテーブルとキッチン

このゲストルームには、流し台下に鍋などの調理器具と食器、IHヒーター、食器洗浄機、電子レンジが完備していました。・・・ベッドルーム、突き当りが洗面所、その左がトイレ、右がバスルーム

あるマンションで苦情が相次いだため管理組合が調べたところ、数世帯の住民が大量に部屋を予約していたことが判明しています。・・・2シンクの洗面台

予約したゲストルームを実際に利用するのは数日だけで、あとは解約料金が発生しない利用の2日前にキャンセルしていたことがわかったそうです。・・・ビューバスルーム

予約者は、とりあえず部屋を押さえておこうという軽い気持ちだったようですが、本来の希望者が予約できないうえ、キャンセルによる空室が多く発生、管理組合に入るべき収入が入ってこない事態になっていました。・・・ハート型の気泡浴槽

そこで管理組合理事会は、ゲストルームの年間宿泊数を制限した新しい基準を策定、一旦予約するとキャンセルしても宿泊数にカウントされるようにしたそうです。・・・バスルームからの眺め

これで「とりあえず予約」が激減し、ほかの入居者が予約を取りやすくなったとのこと。・・・ベッドルームからダイニング方向



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今回の東京旅行でのランチは、1年前(20163月)銀座数寄屋橋の『東急プラザ銀座』11階にオープンした「THE APOLLO」(店舗459、180 席)。・・・東急プラザ銀座の屋上はKIRIKO TERRACE

この「THE APOLLO」は、オーストラリア・シドニー発の人気のあるモダンギリシャレストランで、ギリシャ系オーストラリア人SamとシェフのJonathanによって2011年、オーストラリア・シドニーでスタートしました。

ギリシャ料理は、イタリア料理、スペイン料理とともに(地中海料理として)ワインを飲みながらゆっくりコミュニケーションするライフスタイルとして、世界無形文化遺産に登録されています。

なかでもギリシャ料理"グリーク フード"は、魚介類、穀類、乳 製品、野菜、果物類等をバランス良く、かつ肉類少量とオリーブオイルを使った料理が中心です。

また濃厚なギリシャヨーグルトやヤギのミルクを使って作られるフェタチーズ、その他炭火で焼いたジューシーな肉料理なども特徴だそうです。

THE APOLLO」は、そのギリシャ料理をモダンにアレンジし、シンプルでクールなインテリアの中で料理をシェアしながらコミュニケーションを楽しむスタイルを提案したレストランとか。

2011年にシドニーでオープンしたTHE APOLLOは「The Australia Hot 50 restaurants」を3年連続受賞、Australia gourmet traveller」のトップ100にも4年連続で選ばれ、ハリウッドスターやモデルたちからも支持されるという人気店だそうです。

『東急プラザ銀座』11階の「THE APOLLO」では、地中海料理らしく明るい店内でのランチタイムとなりました。・・・料理の最後に出たスイーツ

ヘルシーな料理をワインを交えながら頂き、ゆっくりコミュニケーションする。これがおしゃれな食事「"グリークフード"」として、いま世界中で大人気だそうです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




東京駅丸の内側南口すぐに「はとバス」乗り場があり、そこから東京スカイツリーの半日ツアーバスが出ていたので、ある休日に行ってきました。

東京駅を910分に出発、途中靖国神社に30分参拝して、東京スカイツリーの展望デッキ(地上350m)で70分、1230分にバスに戻って東京駅に1250分に戻るというコースで、料金は4980円でした。

「はとバス」の宣伝パンフレットには<はとバスなら団体専用口からスムーズに入場。お時間が限られた方でもお気軽に安心してご参加いただけます予定を合わせやすく・・・>しかし、現実は団体専用口でも下の写真のような混雑で、そうはうまくゆきません。

靖国神社参拝を終えて東京スカイツリーバス停に到着したのが1050分、そこから団体専用口入場者で大混雑している行列に並ぶとそこで40分待ち、やっとエレベーターに乗り込み展望デッキに到着です。

この日、天気は良かったのですが、ひどく霞がかかっていて展望は良くありません。

しかし、東京スカイツリーから近い地上の景色は良く見えました。

地上350mの展望デッキに到着して10分間が経過した頃、ふと見ると下りのエレベーター乗り場まで長い行列ができているではありませんか。係員に聞くと40分くらいの待ち時間となる見込みとのことだったので、バスの出発に間に合うようすぐに列に並びました。

下りのエレベーター乗り場までの途中、展望を楽しむ余裕は無く、床の一部がガラス張りとなっている場所が1か所あったので、行列から外れないようにしながら記念の写真を1枚だけ撮っておきました。

30分後、やっとたどり着いた下りエレベーター乗り場(地上340m)付近の混雑です。ここでも待って、やっと地上に降りたのがバスの出発時間の少し前。バスには間に合いましたが、結果的にわずか10分間だけの東京スカイツリー展望という結果となりました。

東京スカイツリーを出発したバスは、東京駅に50分くらい遅れて到着。「はとバス」は<東京スカイツリーで70分、但し展望デッキでの展望時間と東京駅到着は当日の混雑状況によります>と正直に表記すべきでしょう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




近所の公園でモズ♂が近くに止まってくれました。

モズの向こうにある杭に、ミサゴがかなり大きな魚を持って帰ってきました。

この威嚇ポーズの訳は・・・

カラスが魚を狙ってちょっかいを出したのです。

その直後、アオサギが襲ってきたので首をすくめるミサゴ。(首から上が写っていればもっと迫力のある写真となったはず)・・・このあと、魚を持っていた右足が疲れたようです。

そこで一旦魚をクチバシで咥えて右足から離し、左足をフリーに。

左足に持ち替えてほっと一息。イヤー大きな獲物は疲れるわ・・・。

大阪府の鳥、モズをもう一度

公園の渚にはアカアシシギも2羽。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ジェフリー・アーチャーの「15の訳あり小説」に第二次大戦中、ドイツ軍がイギリスの領土を占領したことに触れた作品(メンバーズ・オンリー)がありましたのでキンクロハジロの写真と一緒に紹介しましょう。

 

フランス本土に近いイギリス領のチャンネル諸島は、人口9万7千人と少数だったため、イギリス政府は島の防衛を放棄、島民のうち3万1千人がドイツの占領を待たずに自主避難をしていました。(島には6万6千人が残っていたことになります)

1940年5月、ナチス・ドイツのフランス侵攻で、フランスに近いチャンネル諸島にもドイツの軍事的脅威が迫り、7月にはドイツ軍が占領。

1941年に独ソ戦が開始されると、イギリスがチャンネル諸島の奪還に動くと見て占領軍を4万人まで増強しますが、イギリスの奪還作戦は無く、3年後(1944年6月)連合軍のノルマンディー上陸作戦とともに、チャンネル諸島へのドイツの補給が途絶えてしまいます。

イギリスは、1944年9月に降伏を求める使節を島に派遣しますがドイツ側は面会を拒否し、あくまで占領を続ける意思を示しています。

しかし同年11月には食料危機が迫り、チャンネル諸島文民政府、ドイツ占領軍、イギリス政府、赤十字の四者交渉で、民間向け食料と医療品がスイス赤十字を通じて島に届けられるようになりました。

翌年(1945年)5月、ドイツが降伏すると島の占領軍も降伏を表明、ドイツ軍兵士300人もが補給断絶による栄養不良で死亡したといいます。戦争による兵士の餓死は日本兵だけではなかったようですね。

ジェフリー・アーチャーの小説「メンバーズ・オンリー」は、島の海難救助船船長が遭難したドイツ輸送船の被災者を救助したことで、厳しい処遇から解放されたという話なのですが、実際にあったことなのでしょう。

イギリスにも沖縄(戦前の人口57万人)のように外国軍に占領された島があったことを全く知りませんでしたが、こちらの方は抵抗が無かったため大規模な戦闘は無く、犠牲者も少なかったようです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




鶴見緑地で見かけた野鳥を少し紹介しましょう。大池にいたバン(体長32cm)の幼鳥でしょう。

後ろにいるバン(体長32cm)より大きい手前の鳥は、クチバシの付け根の上部額板とくちばしが白いオオバン(体長39cm)です。

バンの成鳥は、クチバシの付け根上部の額板とくちばしの根もとが繁殖期に赤くなります。

赤い額板は、繁殖期が過ぎると色あせてしまうので、今が最も美しい時期なのでしょう。・・・バンは滋賀県で準絶滅危惧種に指定されています。

鶴見緑地公園の大池には、セグロカモメ(体長61cm)も1羽だけいました。後ろはユリカモメ(体長40cm)でしょう。

日本庭園付近を縄張りとしているジョウビタキ♂(14cm)も代表的な冬鳥です。

こちらは日本庭園の池を縄張りとしている留鳥のカワセミ♀(ジョウビタキよりも少し大きい体長17cm)。日陰でしたので、色が綺麗に出ていません。

大池に大量にいたオナガガモ♂は、尾羽を含めると体長75cmもある大型の野鳥です。従って顔も大きい

オナガガモよりももっと大きいのがアオサギ(体長93cm)。クチバシに婚姻色が出ていますね。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ジェフリーアーチャーの15の訳あり小説の中に「遺書と意志のあるところ」という興味深い作品がありましたのでテリムクの写真と一緒に紹介しましょう。・・・キンムネテリムク

ベイティという主人公の女性は、資産家の遺産を狙って計画的に看護婦の資格を取り、高齢資産家の介護を担当、余命少ない(資産七千万ドルという)高齢資産家の遺書を若い弁護士(キューリック)を巻き込んで偽造するのです。

資産家が無くなり、遺言が老弁護士(資産家の古くからの弁護士)によって示されると、7000万ドル(80億円)あった資産のうち、現金・証券と不動産を除いた銀の杖と写真だけを相続するとされた二人の遺族は、訴訟に持ち込むと言い出します。

ところが顧問役の老弁護士は<「勝ち目のない裁判はやってはいけないと助言するのが弁護士の務めです」と言い(中略)遺言書をとり上げ、重々しい表情で書類を読み上げた>のです。

その遺言には<「わが母校たるプリンストン大学に一千万ドル、アメリカ退役軍人会に五百万ドル、イスラエルでの活動を援助するために米国主要ユダヤ組織会長会議に五百万ドル、生涯支持しつづけた共和党に五百万ドル、そして最後に、その目的に賛同して支持すつづけた全米ライフル協会に五百万ドルを譲る」>と書いてありました。・・・ムラサキテリムク

<老弁護士が目を上げた。「元々の遺言書にはこの段落はまったく存在していなかった(ベイティによって偽造された)と、私としてはあなた方二人(遺族)に指摘しておくべきでしょう」 そして、付け加えた 「(ミズ・ベイティ側の弁護士)ミスター・キューリックだけが敵であれば、間違いなくわれわれは勝てるでしょう」>・・・ムラサキテリムク

<「だが、(遺産の寄付を受ける)この国で最大かつ有名な五つの団体を敵にまわして勝利できる可能性はほとんどありません。法廷に出る前に、すっからかんにさせられてしまいかねない。残念ながら銀の持ち手の杖と、父上がプリンストンに入学されたときの写真で満足されることを勧めるしかありませんね」>・・・オオアオミミムクドリ

<「あの女性(ベイティ)が遺産の七千万ドルを丸々せしめてしまうわけ?」と遺族のジョニが言った。(老弁護士は)「絶対に法廷に立たなくてすむように、彼女(ベイティ)は三千万ドル(34億円)を費やしているんですよ」「実に頭のいい女だ。ミズ・リン・ベイティ。しかし、それだって本名でないそうですよ」>

この五つの団体(プリンストン大学、アメリカ退役軍人会、米国主要ユダヤ組織会長会議、共和党、全米ライフル協会)がアメリカでどれほど手ごわいかを暗喩する作品でした。・・・オナガテリムク



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、オナガガモ♂の飛行写真を紹介しましたので、今回は♀の飛行写真を紹介しましょう。・・・上の2羽が♀

下を飛ぶ先頭のカモがオナガガモ♀

オナガガモの♀は、♂よりも地味な体色をしています。

これも先頭が♀

オナガガモの♀を真横から

水面すれすれを飛ぶオナガガモ♀

飛行を止め着水する寸前のオナガガモ♀

中央が飛び出したオナガガモ♀

最後にオナガガモ♂の飛び出し写真。ほぼシンメトリーな姿を撮影することができました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、スズメとヒヨドリが餌を狙ってホバリングしている写真を撮影することができました。

 

下の写真のヒヨドリは、クチバシから舌を出しているようです。

ヒヨドリが餌を咥えました。

後ろのスズメにピントが合ってしまいましたが、空中を飛ぶ小鳥を写真撮影するのは、かなり難易度が高いものがあります。

種明かしは、この写真

これなら良く判りますね。人の手の上に載せた餌をスズメに与えていたのです。

スズメも野鳥なので、本来は人の手の上に乗ることはほとんどありません。

しかし、こうして手に乗っているということは、かなりの時間をかけ、人とスズメに信頼関係が生まれた証拠でしょう。

飛行中のスズメをちゃんと撮影するには、もっとシャッタースピードを挙げる必要がありますね。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




去年秋、大阪城に渡来しバーダーが大騒ぎしたコウライウグイス(全長26cm)の写真をシンガポールで撮っていましたので紹介しましょう。

 コウライウグイスは渡り鳥で、春から夏にかけて朝鮮半島や中国東北部などで繁殖、秋から冬は越冬地の東南アジアで過ごすことが知られています。

 渡りのルートから外れている日本各地で観察されることは少なく、旅鳥として春に日本海側の島に飛来した記録が多いようです。

 従って、秋の渡りの途中、大阪城に立ち寄ったコウライウグイスは、極めて稀な例でしょう。

 シンガポールで越冬中のコウライウグイスは数が多く、植物園などでも普通に見かける野鳥の仲間となっています。

 コウライウグイスの背中

コウライウグイスの虹彩は赤茶色

 木の葉で枝から垂れさがる袋状の巣を造る鳥として知られているズグロウロコハタオリドリは、コウライウグイスとちょっと似ています。

 先日紹介したキムネタイチョウも黄色い鳥の仲間に入れてやってください。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ