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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



1806年に出版された摂津大坂地図によれば、高麗橋1丁目堺筋角に小さく三井のマークが描かれているが、この地点は2005年に閉店するまでの三越のあった場所である。



1837年の大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き打ちを免れた大丸に対して、越後屋は幕府の御用商人であったせいか襲撃され全焼したという。

しかし、1867年頃に出版された浪華名所独案内という地図には、三井呉服店が描かれているので、すぐに再建されたのであろうが、明治になってからの1894年にも建て替えられたらしい。



浪華名所独案内には、高麗橋2丁目の三井ガーデンホテルが建つ場所に三井両替商の店舗が描かれているので、三井銀行大阪支店のルーツとなる場所であろう。

ちなみに三井銀行は、1936年三越の北側に新しい支店ビルを建てているが、そのビルは今も三井住友銀行大阪中央支店として立派に使われている。



現在の商号「三越」は、1904年合名会社三井呉服店から株式会社三越呉服店へ改称した際に使われ始めたというので、創業から334年の歴史を誇る同社が三越となってからまだ73年しか経っていない。

1913年の大阪地図を見ると、高麗橋1丁目にちゃんと三越呉服店の名前があり、1917年には新館が開店し、三越は旧館と合わせ地下1階、地上7階という大阪最大のルネッサンス式建物となっている。



1920年には東館が完成したことで、翌年から三越大阪店は西日本の百貨店としては初の下足預かり制度を廃止している。

しかし1937年に御堂筋が完成したことで、大阪のキタとミナミをつなぐメインロードは堺筋から御堂筋に変わり、三越に来る買い物客は、次第に減ってゆくのである。

1913年の地図には御堂筋は無く、堺筋と四ツ橋筋が電車道となっている



さらに1995年の阪神・淡路大震災によって三越大阪店は被災して大きなダメージを受け、2005年には1691年以来314年間も続いた大阪店の歴史を閉じている。

大阪から姿を消した三越は、大阪店ができて320年後となる2011年春、JR大阪駅の北側にできるビルに復活することになっているというので楽しみである。

駅ビル工事現場




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