野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



先日伊丹空港から高知空港まで行ってきましたので、その途中の様子を紹介しましょう。・・・新装なった伊丹空港のレストラン

レストラン街の明るい通路

屋上展望デッキは、中部空港にある細いワイヤー仕切りとなっていました。

高知行きの飛行機は、ボンバルディアDHC8-Q400型

座席はプロペラの真横でした。

小型機なので滑走距離は短く、すぐ空中に

中央は猪名川、高速自動車道の右はダイハツ池田工場、猪名川がカーブしている左は川西能勢口駅付近

飛行機は左に大きく曲がり、武庫川沿いに宝塚駅周辺のタワーマンションが見えてきました。中央で渋滞しているのは中国自動車道

西宮市上空、中央の下に見えるのが甲子園球場でしょう。

つづく



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ゴールデンウイークに入ると、大阪の干潟にシギやチドリの仲間が南方の越冬地などから渡来してきます。・・・メダイチドリ

メダイチドリ3羽とハマシギ2羽

メダイチドリ9羽とトウネン2羽(左の小さい鳥)

左はハマシギ、中央はチュウシャクシギ、胸の茶色いのはメダイチドリ、右の小型2羽がトウネン

メダイチドリ3羽とオバシギ

オバシギ

オバシギの翼伸び

チュウシャクシギとオバシギ

アオアオシシギ



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大阪市内の公園に飛来してきた野鳥の写真と一緒に、鳥の翼と羽毛について先日読んだ本から紹介しましょう。<・・・>がその引用・・・カワウ

<これまでの化石証拠では、小型の恐竜に羽毛の(あるものが)見つかることが多く、体の小さな生物は体温維持に多くのエネルギーが必要ということを考えると、初期の羽毛は体の保温を主な機能として進化してきた可能性が大きい>・・・アオサギ

<羽毛の利点は使い捨て方式にある。多くの鳥類は少なくても1年に1回羽毛を入れ替えることにより古く痛んだものは処分し、新たなきれいな羽毛を手に入れることが可能となる。また、捕食者に羽毛を押さえられても羽毛だけが抜けて、体は逃げることができる。抜けた部分はまたすぐに生えてくる>・・・婚姻色のダイサギ

<鳥の翼の羽毛には飛行器官としての重要な利点がある。それは、一枚板ではなく、バラバラの構造物の重ね合わせだということだ。この重ね合わせは、翼の形状を連続的に変化させることに貢献している>・・・婚姻色の出ていないダイサギ

<重なりを大きくすれば、翼面積は小さくなり、重なりを小さくすれば広く翼を広げることができ翼面積は大きくなる。翼面積は、飛行性能に直接関わるため、たるむことなく微調整し易い羽毛は都合が良い>・・・婚姻色のダイサギの眼

<鳥は、基本的には翼を打ち下ろすときに推進力を得る。ただし、打ち下ろすためには翼を再び持ち上げなくてはならない>・・・カルガモ

<このとき、空気抵抗が大きいと体が下に下がってしまう。しかし、羽毛には重なり構造がある。このため、翼を持ち上げるときには、羽毛と羽毛の間に空気を通過させることで、空気抵抗を減らすことができる。これらの利点は、羽毛が当初は飛行器官ではないものとして進化してきたことにより得られたと考えられる>・・・ミサゴ

<最初から飛行器官としての機能が期待されていると、どうしても単純な(コウモリやムササビの翼に見られる)被膜器官となり、羽毛のような複雑な構造物は進化しなかったろう。翼竜が空に進出したころ、おそらく我が物顔で使い放題の空間だった。飛ぶことが出来ればそれだけで多種を凌駕する存在になれたはずである>・・・チュウシャクシギの頭 

<鳥が空に進出したときには、すでに翼竜が空の覇者としての地位を確立していた>しかし、複雑な羽毛を持った鳥は、翼竜との生存競争に勝って今日の繁栄を築いたのでしょう。・・・チュウシャクシギ

 参考文献:鳥類学者無謀にも恐竜を語る 川上和人著



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大阪市内の公園に飛来してきたダキサギの写真と一緒に、先日読んだ本から鳥の羽毛について紹介しましょう。<・・・>がその引用

<羽毛は、何よりもまず、飛翔に欠かすことのできない大切な器官である。翼に生えた長く大きな風切羽は軽くて丈夫で、羽ばたきや滑空により揚力を生み出し、鳥が自在に空を飛ぶ原動力となる>

<現生動物において羽毛を持つものは鳥類だけであり、鳥類独特の器官だと考えられていた。そして、かつては恐竜が羽毛を持つとは考えられていなかった。しかし、鳥の祖先となる獣脚類の一群である恐竜たちからも、羽毛の化石が見つかるようになってきた>

<鳥にとって独特の特徴だと思っていた羽毛は、恐竜時代に発達したと考えられるようになり、現在の恐竜学の中では、多くの恐竜に羽毛が生えていたことは共通認識となっている>

<現代の鳥類にとって羽毛は、空を飛ぶために必要不可欠な部品である。しかし、最初から空を飛ぶための道具として進化してきたわけではないだろう。今では飛翔に適した羽毛を持つ鳥類だが、祖先は空を飛ぶことができない獣脚類の恐竜であった>

<恐竜が進化のなかで羽毛を獲得したとき、初期の羽毛は飛翔に使えるようなしっかりとした器官ではなかったはずだ。初期の羽毛は飛翔のためではない、別の理由で進化してきたと考えられている>

<鳥の体は体羽に覆われており、体全体を怪我や衝撃、寒さなどから守っている。外からは見えないが、その下には綿羽と呼ばれる綿毛のような羽毛が生えており、保温の役割を担う>

<そして羽毛には、さまざまな色がついており、ときには捕食者からのカモフラージュのため、ときには繁殖のディスプレイのためにも活躍する。このような飛翔以外の機能こそが、初期の羽毛が持っていた機能だった>

<最初は飛翔以外の機能のために進化してきた羽毛の一部が、だんだん大型で丈夫になることによって、それが飛翔にも役立つものになってきたのだろう>・・・なるほど何億年という途方もない年月による進化の結果なのでしょうね。・・・最後はカルガモ

参考文献:鳥類学者無謀にも恐竜を語る 川上和人著



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水鳥に白い羽毛を持ったものが多い理由について、先日読んだ本から紹介しましょう。<・・・>がその引用

<体の白い鳥は、水辺の鳥が中心となっていることがわかる。海や川、湖などで生活する鳥には、白色のものが出現しやすい。白いことが目立つことであるとすると、それは他者に向けた信号であると解釈できる>

<その(白いという)信号は(鷲や鷹などの)捕食者に襲われやすくなるが、白い鳥が本当に信号を送りたい相手は、捕食者ではない。食べられるために身を献げるような聖人君子は、野生下では子孫を残せない>

<そうすると、(白いという)信号を受け取って欲しい相手は、同種や近縁種などである可能性が高い。ところで水辺の鳥たちは、群れを作る性質も共通している>

<風景の中で白い点があると、遠くからでもよく認識できる。特に、開けたところの鳥ならその効果は絶大だ。白いことによって、鳥は自分の仲間を見つけ、群れをつくり易くなっている>

<見つけるのは大変だが、見つけてしまえば食べ尽くすことがない水中の小魚の群れなどは、一羽で探すより皆で探したほうが効率が良い>

<また、群れをつくっていれば多くの仲間の誰かが、いち早く危険な捕食者を見つけてくれるので、すぐにそこから安全な場所に逃げることができる>

<特に海や水辺は隠れるものが少なく、体色が何色だとしても目立つし、体の大きな白い鳥は特に目立つ>

体色が白だから、群れとなり易く、白であれば捕食者に狙われ易いデメリットより、生存できるメリットの方が遥かに大きかったということでしょう。

参考文献:鳥類学者無謀にも恐竜を語る 川上和人著



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解剖学者の養老孟司さんの著書「遺言」という本にある「少子高齢化の先行き」を、経島のウミネコの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が本からの引用

<高齢化はさほどの問題ではない。なぜなら30年もすれば、年配者の数が減ってしまうからである。ただし、高齢化は労働生産人口の減少を引き起こしており、それが、デフレの一つの要因かもしれない>

<問題は少子化である。現在の日本の社会状況を凍結し、このまま社会が推移してゆくと、日本社会はいずれ消滅する計算になる。(中略)いずれ増えだすに違いない。そう思って日常を過ごしているならユデガエルの状態である>

<なぜ少子化なのであろうか。少子化が著しいのは、まず東京都、続いて京都府、大阪府などである。要するに都市化はヒトを増えなくさせる。そう結論せざるを得ない。こうした例で見るように、子供が増えないのは、根本的には都市化と関連している>

<都市は意識の世界である。意識は自然を排除する。つまり人工的な世界は、まさに不自然なのである。ところが子供は自然である。なぜなら設計図が無く、先行きがどうなるか、育ててみなければ、結論は不明である>

<そういう(自然な子供の)存在を(都市住民の)意識は嫌う。意識的にはすべては「ああすれば、こうなる」でなければならない。そうはいかないのが、子供という自然なのである。努力して育ててみるが、どんな大人になるか知れたものではない>

<都市という物理的環境に問題があるのではない。人々が自然に対峙する方法を忘れてしまったことに根本の原因がある。なぜ忘れてしまったか。感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いているからだ>

<ヒトの生活から意識を外すことはできない。できることは意識がいかなるものか、それを理解することである。それを理解すれば、ああしてはまずい、こうすればいいということがひとりでにわかってくるはず>

<問題は(感覚に意味と秩序を与える)意識について考えることをタブーにしてきたことにある。意識を考えることは、自分が立っている足元を掘り起こすことである。ここまで都市化、意識化(少子化)が進んできた社会では、もはや意識をタブーにしておくわけにはゆかない>・・都市化、意識化を捨てて(ウミネコ?のような)自然に対峙することが少子化対策ということでしょうか。養老哲学は難解です。



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近所の公園で、あまり見かけない野鳥を見つけました。

越冬地の東南アジアから夏鳥として本州中部以北に渡来するノビタキのようです。・・・頭は黒

本州では高原、北海道では平地に生息し繁殖するようです。

そういえば去年7月、旅行先の立山室堂ターミナル周辺(標高2450m)で数多くのノビタキを見かけました。

ノビタキ♂の成鳥は、スッポリと黒い頭巾を被ったようと表現されます。・・・下の写真が頭巾被り

大雨覆には細長い白斑があるので、翼を畳んだ状態でも一部白く見える部分があります。

大阪のノビタキは警戒心が強く、なかなか近くで写真を撮らせてくれませんでした。・・・胸は赤褐色、首の横は白

こちらは飛行姿が目立って増えてきたツバメ

近所の公園では珍しいコマドリ♀。かなり衰弱していたので近くから撮影できました。



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日本の夜を守るという日御碕神社からほど近い経島(ふみしま)近くの漁港で見たウミネコの飛び出しを紹介しましょう。

漁港の船を繋ぐビットの上のウミネコが今にも飛び出しそうです。

つま先立ちして翼を精いっぱい持ち上げたウミネコ

翼を水平にし、足でビットを蹴って前に飛び出しました。・・・左の初列風切り羽P10が傷んでいるようです。

離陸しましたが、強い向かい風が吹いているので、ビットの上から前方に進めていません。

翼の先端(初列風切り羽)を下げ、足を上に持ち上げています。

すぐに翼を持ち上げて

チュウヒがやるように、翼をV字型にしたまま飛行を続け。

向かい風の中、ビットから少しだけ前に進みました。



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出雲大社から車で北に約30分、日御碕神社のすぐ西にある「経島(ふみしま)ウミネコ繁殖地(国の天然記念物)」を紹介しましょう。

経島にはかつて日御碕神社の下之宮(祭神は天照大御神)があり、今も年に一度の神事の際に同神社の神職だけが上陸することを許されています。・・・港のウミネコ(全長46cm)

この経島には11~12月にかけて5000羽のウミネコが集まり、4~5月に産卵、7月には島を離れるといいます。・・・経島の鳥居

クチバシ先端の色(赤と黒)は、他のカモメと識別する際のポイントです。

経島の中にある石碑(左に大正十四年一月、右に天然記念物経島うみねこ繁殖地)、今から93年も前からウミネコの名所だったことが判ります。・・・石碑の周辺はウミネコの巣

港の岸壁にもウミネコがいましたので、そっと近づいてみました。・・・飛ぶ直前のウミネコ

ウミネコの尾羽の黒帯は、遠くからウミネコと他の日本産のカモメを識別するポイントです。

ウモネコ尾羽の黒帯は、下からでも良く判ります。・・・翼の羽の重なりが美しい

猛禽類のような鋭さはありませんが、大きく湾曲した上クチバシは獲物を切り裂くために役立つのでしょう。



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日御碕神社の写真と一緒にその歴史を出雲観光協会公式HPから紹介しましょう。・・・石の鳥居の向こうに朱の楼門があります。

日御碕神社は出雲国風土記(西暦733年完成)に「美佐伎社(みさきしゃ)」、延喜式(西暦927年完成)に「御碕神社」とある古社で、下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」があり、両社を総称して日御碕神社と呼びます。・・・楼門(以下建造物はすべて国指定重要文化財)

楼門を潜った正面にあるのが下の宮「日沉宮(日沈宮)」、こちらは天照大御神が祀られています。・・・島根半島の西端にこれほど見事な社殿(国の重文)があるとは知りませんでした。

伊勢神宮の天照大御神が「日本の昼を守る」のに対し、島根半島の最西端にある日御碕神社の天照大御神は「日本の夜を守る」 として祀られたのが始まりと言われています。従って夜に神様に守って貰いたい人は、ここまで来てお参りするのが正しいのでしょう。・・・下の宮「日沉宮(日沈宮)」の拝殿

日御碕神社「日沈宮」は、当初すぐ西側の海の中にある経島(ふみしま・昨日の記事に紹介)にお祀りしていましたが、その後現在の地に移されと伝わっています。・・・楼門の右手(下の写真の左手)階段の上の小高いところにあるのが「神の宮」、こちらは素盞嗚尊を祀っています。

素戔嗚尊(天照大御神の弟神)から5世の孫(天之葺根命・あまのふきねのみこと)の子孫が日御碕神社の宮司家(小野家)だそうです。・・・石段の上にある素戔嗚尊を祀る「神の宮」の拝殿

日本書紀では天之葺根命(古事記では天之冬衣命と表記)を、大国主命の父親としているので、日御碕神社宮司家は大国主命とも繋がるようです。・・・楼門から神の宮(祭神は素戔嗚尊)への石段

現在の建物の造営は、江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、出雲国・松江(26万石)藩主の京極忠高(高次の長男・正室は家光の姉の初姫)によって1634年(寛永11年)に着手されますが、1637年に忠高が死去(嗣子がなかったため京極家は甥が跡を継ぎ、播州竜野6万石に減封)・・・石段の上から見た楼門

京極氏のあと松江藩主となった結城秀康の三男・松平直政(1601~1666年・信州松本7万石から移封)がその造営を引き継ぎ、1644年に完成させています。その直政の松平家は、出雲・松江藩主として明治維新まで続いていますね。・・・楼門の左手から続く回廊



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JR出雲市駅に「日が沈む聖地出雲」として夕日スポットの紹介がありましたので、その聖地と言われる日御碕神社と経島(ふみしま)を訪ねてみました。

一畑バスの系統図には、出雲市駅から日御碕神社までは約57分とありました。

ところがバス乗り場の時刻表を見ると、日御碕神社行きバスは、7:30・12:45・17:30・18:30 一日たった4本しかありません。

そこで、仕方なく車を使って日御碕神社・経島まで足を伸ばしてみました。・・・日本海の荒波

出雲大社から日御碕神社までの海岸線は、荒涼とした風景が続きます。

すれ違う車も少なく、沿道は過疎化が深刻な地域のようです。・・・日御碕まで5kmの標識

岩に砕ける白波と水平線

しばらくすると谷間に日御碕神社が見えてきました。

日御碕神社前を通過して浜に出ると、例年5000羽ものウミネコが渡来し繁殖する「経島」が見えました。・・・最上部には聖地を示す鳥居が。

日御碕神社は、明日の記事で紹介する予定

 



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昨日に続き、唯川 恵さんの小説から、あまり知られていなかったエベレスト女子登山隊のエピソードを、満開の時期に靭公園で撮影した桜の写真と一緒に紹介しましょう。

<その夜、明子(隊長)と淳子(副隊長)は(二人だけの)テントに入った。「田名部(淳子)さん、勝手をして本当にごめんなさい。田名部さんが納得していないのはよくわかっている。あなたを裏切るようなことをして、本当に悪かったと思っている」謝る明子に、淳子は膝をすすめ>

<「隊長を信じてここまできました。でも、今回の件だけは納得することができません。せめて、先に私にだけでも打ち明けて欲しかった。そうすれば隊員達にもうまく説明できて、動揺も少しは鎮められたはずです」>

<「みんなには話せなかったけど、実は子供たちなの。個人的なことだから言い訳にはならないけれど、子供たちはまだ小6と小3と小さくて、父親の事故に精神的に追い詰められてしまってね、家の近くに頼れる親戚もなくて切羽詰まった手紙が届いたの>

<子供たちというのは明子が結婚した相手の先妻の子だ。「電話だけしておこうと思ってカトマンズまで下りて電話したら、電話口で泣かれちゃって、とても普通の状態じゃなかった。そんな子供たちの様子に帰れないとはどうしても言えなくて>

<帰国の理由が淳子はようやく理解できた。なさぬなかの子供たちだからこそ、明子は放っておけなかったのだ。「ちゃんと事情を手紙にして田名部さんに渡してもらおうとも考えたの。でも理由を知れば田名部さんは、私を守ろうとする発言をするかも知れない。そこで話がこじれて、副隊長と隊員との対立に繋がるかも知れない。それだけは避けたかった。隊員達の信頼を失うのは私一人でいい。だから何も言わずに帰国したの」・・明子らしい判断だった>

小説の前段には3年前のエピソードが描写されていました。明子がためらいがちに切り出した。「実はね、私・・・結婚しようと思っているんだ。相手は以前所属していた山岳会の先輩で、数年前に奥さんを病気で亡くされて、小学校のお子さんが二人いるの」40歳、結婚は明子にとって人生の大きな決断に違いない。淳子は「おめでとうございます。素敵じゃあないですか」「ただ彼は奈良に住んでいるの。だから結婚したらそっちに引っ越さなくちゃあならないのよ」・「えっ!」>

1975年エベレスト登頂に成功した女子登山隊は、副隊長の田部井淳子さんばかりが目立って、隊長の影が薄いと思っていましたが、やっとその理由が判りました。隊長はこのエピソードに触れられたくなかったのでしょうね。

しかし、1975年当時、エベレスト近くの標高3860mの場所から日本の奈良まで、たった5日間で往復した行動力、そのあとも隊をまとめ、最後にエベレスト登頂を果たした明子隊長は凄いですね。エベレスト女性初登頂成功は、この隊長がいたからでしょう。エベレスト日本女子登山隊記録「私たちのエベレスト」に同じエピソードが記載されているので、小説はほぼ事実でしょう。

参考文献:淳子のてっぺん 唯川 恵 著  「私たちのエベレスト 女子初登頂の全記録」日本女子登山隊著 読売新聞社

 



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唯川 恵さんの小説から、1975516エベレスト登頂を果たしたエベレスト女子登山隊あまり知られていなかった部分を、満開の時期に撮影した桜之宮公園の桜と一緒に紹介しましょう。<・・・>は小説の引用

1975227日、タンボジェ(標高3860m)に到着。次の日に目覚めると、明子(隊長)がザックに荷物を詰め込んでいた。「田名部(副隊長田部井淳子の小説の中の名前)さん、申し訳ないんだけれど、どうしても日本に電話をいれなくちゃあならなくなったの。カトマンズまで戻らせて頂きます」>・・・桜之宮公園のこども広場

<淳子はびっくりして「何かあったんですか」「明日には」戻ってくるから、その間、隊をお願いします」テントを出てゆく明子を追って、淳子は外に出た。その時には、もう明子は道を下り始めていた>・・・対岸は造幣局

そのあと明子隊長から手紙が届き<「田名部副隊長、隊員の皆様、突然ですが、数日間、日本に帰らせていただきます。個人的な事情により、隊を離れることを大変心苦しく思っています。タンボジェを出発するまでには戻って来ます」文面は素っ気ないものだった>・・・大川の下流方向は右にカーブしています。こちらは南向きなので逆光。

<報道班から厳しい質問が投げかけられた「個人的事情で帰国など無責任ではないか」非難は当然だった。帰国の理由をと問われても淳子にもわからない>・・・藤田美術館の方向

<淳子の気持ちは動揺していたが、それを見せれば隊員たちも不安がる。淳子は副隊長として毅然たる態度で「隊長が不在だからといって私たちのやるべきことに何ら変わりはありません。とにかく今は高所訓練に集中しましょう」と言って集会を終えた。>・・・大川上流方向の桜之宮公園は順光

<隊長の明子がタンボジェに戻ってきたのは5日後だった。「皆様にご迷惑をおかけしたこと、心からお詫びします。帰国の理由は個人的なことです。夫が交通事故にあったと手紙を受け取りました。放っておくことがどうしてもできず、帰国させていただきました」>・・・大阪造幣局の建物

<「お陰様で夫の病状は安定し、こうして戻ることができましたが、あくまで身内の都合です。隊を離れる理由にはなりません。申し訳ない気持ちで一杯です。みなさんの信頼を挽回できるよう、これから登攀に向けて一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします>・・・大川の遊覧クルーズ船。左は川崎橋

<しかし場はぎこちなさに包まれていた。同情の声もあったが、多くの反応は淡々としていた。「隊より家庭優先ですか」「隊長の在り方として、納得できない」そう言われるたびに隊長の明子はこうべを垂れた>・・・川崎橋をくぐる大川遊覧船

つづく

参考文献:淳子のてっぺん 唯川 恵 著



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大阪造幣局の桜の通り抜けは今日まででしたが、昨日の夕方行ってきましたので紹介しましょう。

例年、午後の早い時間帯に行くことが多いので、会場はいつも大混雑していますが、平日の夕方(5時半頃)だったせいで比較的空いていました。・・・静香

今年は例年より桜の開花が早かったため、葉桜状態となった株が多かったようです。・・・それでも遅咲きの普賢象などは満開でした。

例年は、大混雑の中、落ち着いて写真撮影もできませんでしたが、昨日の夕方は余裕がありました。・・・菊桜

数年前に登場した須磨浦普賢象が大きく成長していて、ちょうど満開でした。

大阪造幣局の桜は、先に花が一斉に咲くソメイヨシノと違い、葉と花を同時に楽しめるサトザクラの仲間です。・・・奈良八重桜も満開

サトザクラは、ほとんどの株が八重咲きなので豪華です。・・・鎌足桜

落花した花びらは地面を覆い、花びらの絨毯となっていました。

出口付近の桜は、ほとんど葉桜となっていましたが、会場があまり混雑していなかったので、結構楽しむことができました。



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一昨日の記事の続きです。メジロの飛行写真と一緒に鳥の羽毛について最近読んだ本の一部を紹介しましょう。<・・・>が本からの引用

<これまでの化石証拠では、小型の恐竜に羽毛の(あるものが)見つかることが多く、体の小さな生物は体温維持に多くのエネルギーが必要ということを考えると、初期の羽毛は体の保温を主な機能として進化してきた可能性が大きい>

<羽毛の利点は使い捨て方式にある。多くの鳥類は少なくても1年に1回羽毛を入れ替えることにより古く痛んだものは処分し、新たなきれいな羽毛を手に入れることが可能となる>

<また、捕食者に羽毛を押さえられても羽毛だけが抜けて、体は逃げることができる。抜けた部分はまたすぐに生えてくる。抜けるのは一部なので、飛行能力には支障がない>

<また羽毛には飛行器官として重要な利点がある。それは、一枚板ではなく、バラバラの構造物の重ね合わせだということ。この重ね合わせは、翼の形状を連続的に変化させることに貢献している>

<重なりを大きくすれば翼面積は小さくなり、重なりを小さくすれば、より広く翼を広げることができる。翼面積は、飛行性能に直接かかわるために、たるむことなく微調整しやすい羽毛は都合が良い>

<鳥は、基本的には翼を打ち下ろすときに推進力を得る。ただし、打ち下ろすためには翼を再び持ち上げなくてはならない。このとき、空気抵抗が大きいと体が下に下がってしまう>

<しかし、羽毛には重なり構造があるため、翼を持ち上げるときには、羽毛と羽毛の間に空気を通過させ、空気抵抗を減らすことができる。勿論、打ち下ろす時には羽毛は密着し、空気を逃がすことはない>

<これらの利点は、羽毛が飛行器官ではないものとして進化してきたことにより得られたと考えられる。最初から飛行器官としての機能が期待されていると、被膜のように単純な器官となり、羽毛のような複雑な構造物は進化しなかったろう>

参考文献:鳥類学者無謀にも恐竜を語る 川上和人



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