太平洋戦争の天王山とも言われるガダルカナルの戦いには、米軍にハルゼーという手ごわい敵がいたことを中之島公園の朝の風景と一緒に紹介しましょう。
太平洋方面最高司令官ニミッツ大将は、ガダルカナル戦を指揮していたゴームレー中将(59歳)を途中で更迭、ハルゼー中将(60歳)を送り込んでいますが、その理由はゴームレーが、ガダルカナルの戦いは半ば負けたと思い込んでいたことを見抜いたからでした。
このときハルゼーがゴームレーに代わってガダルカナルに登場したことは、戦争の流れをがらりと変え、ある米軍将校は「ハルゼー一人は、海兵隊一個師団(2万人)の価値があった」と後に語っています。
ゴームレー同様に勝利を疑っていたハルゼーは、それを決して表に出さず、周囲に楽観論を示しながら指揮を執りはじめていますが、その兵力は、ゴームレーが与えられていたものと同じでした。
しかし、ゴームレーが使わずにいたもの(修理の必要な兵力や予備の兵力)の活用を指示、これで最前線の兵士に、ハルゼーならなんとかしてくれるとの確信が広まっています。
ある日、戦闘で被弾した一隻の駆逐艦を修理のために無断でシドニーに送った駆逐隊司令のバーク大佐(当時41歳、後に海軍大将)がハルゼーに呼ばれています。
ハルゼーは「バーク大佐、なぜあの駆逐艦をシドニーに送ったのだね。修理のためと思うが、私の許可なしに戦闘地域から艦を外に出さないよう、はっきりと言っていたはずだが」と、冷たい目で突き刺すように見ながら言ったのです。
大佐は不動の姿勢で「あの駆逐艦をシドニーに派遣したのは、修理のためではありません。シドニーから酒を持ってくるために派遣したのです。我々にはウイスキーが無くなり、水兵たちにはビールが切れていたからであります」と即座に答えています。
意表を突かれたハルゼーは、微笑み「よし、解った。それこそ筋の通った理由だ。もし君が修理のために送ったと言っていたら君を処罰していただろう」と許し、てっきり処罰されると思っていた本人と南太平洋地区の米軍参謀達は意外な結果に驚いたといいます。
兵士が戦う気があるならば、司令官は規律違反も見逃してくれるというこの話が燎原の火のようにガダルカナル戦の参加艦隊に広まり、結果的に米軍の士気を高めたのでした。ハルゼーのような司令官は残念ながら日本軍にはいなかったようです。
参考文献:ガダルカナルの戦いーアメリカ側から見た太平洋戦争の天王山 エドウィン・ホワイト著 井原裕司訳