2019年春の選抜高校野球大会の21世紀出場校枠3校の中に四国から選ばれたのが徳島県立富岡西高校野球部です。その富岡西高校のある阿南市を紹介しましょう。・・・祝甲子園出場の垂れ幕
阿南市は青色発光ダイオードの開発で有名なノーベル賞学者中村氏が勤務していた日亜化学工業(非上場)の本社工場のある人口7万3千人の地方都市です。・・・JR四国の阿南駅
日亜化学工業はLED関連商品で発展し、現在の資本金520憶円、従業員8800名、年間売上高3472憶円、年間利益632憶円という企業に発展、2020年には売上高5000憶円を目標にしているそうです。・・・駅前通り
同じ徳島県を創業地とする大塚製薬の大塚ホールディングスは、資本金816憶円、従業員4万5千名、年間売上高1兆2千憶円、年間利益933憶円というので、上には上がありますね。・・・阿南市街地を歩いていると牛岐城址公園の門が
公園の看板によれば<この地は戦国時代に阿波守護職細川氏の家臣、新開氏の居城で、守護の実権が細川氏から三好氏に移っても牛岐城主は新開氏のままであった>・・・牛岐城址公園広場
その後<1575年、土佐の長宗我部元親が阿波を侵略、牛岐城主の新開道善は謀殺され、1580年から元親の弟、長宗我部親康が牛岐城主として阿波国南部を支配していました>
それからわずか5年後となる<1585年、豊臣秀吉の四国攻略によって長宗我部氏は土佐に敗退したことで、秀吉は蜂須賀小六の嫡男、蜂須賀家政に阿波国を与え、家政は姉の子(従弟)賀島政慶を牛岐城代としています>・・・城跡の高台からの眺望
<賀島政慶は、牛岐の地名を縁起の良い富岡に改めたので、城は富岡城、城下も富岡と呼ばれるようになっています>それ以降、富岡(阿南市一帯)は賀島氏が支配しています。・・・阿南市街地
賀島氏が牛岐城に入ってから53年後となる<1638年、江戸幕府の一国一城令によって富岡城は取り壊されますが、徳島藩の次席家老(筆頭家老は淡路に配置した稲田氏)賀島氏の支配は明治維新まで続いています>・・・阿南市役所