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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



斐伊川河口に毎年渡来するコハクチョウの群れの中に、アメリカコハクチョウを見つけましたので紹介しましょう。

環境省のガンカモ類の生息調査(2017年暫定値)によれば、ハクチョウ類の渡来数は7万、ガン類は23万、カモ類は160万程度、ハクチョウ類の渡来数はかなり少ないようです。・・・斐伊川河口付近のコハクチョウ

20181月の全国調査によれば、オオハクチョウが26千、コハクチョウが43千、アメリカコハクチョウは僅か9と報告されています。(人為的に持ち込まれた外来種のコブハクチョウは304)・・・中央はガンの仲間のオオヒシクイ

2009年に斐伊川河口に渡来した記録のあるナキハクチョウ(全長152cm)は、ハクチョウ類最大種で、嘴に黄色い部分が無いのが特徴ですが、長距離の渡りはなく北アメリカ北部の留鳥とされ日本へ渡来することは極めて稀なようです。・・・すべてコハクチョウ

さて、コハクチョウ(全長120cm)とオオハクチョウ(全長140cm)は、クチバシの黄色い部分の大きさと形状で識別することができます。・・・コハクチョウ

オオハクチョウは黄色い部分の面積が広く、黄色の下部が上部よりも尖って前に出ています。一方コハクチョウの黄色い部分は、下部が上部よりも丸く後退しています。・・・コハクチョウ

アメリカコハクチョウ(全長1320m)は、この黄色い部分が極端に小さく、申し訳程度しかありません。ウイキペディアによれば、<アメリカコハクチョウは北アメリカ北部で繁殖、日本へはごく少数が冬鳥としてコハクチョウの群れに混じって渡来する>・・・アメリカコハクチョウ

<アメリカコハクチョウは、コハクチョウよりもくちばしの黒色の占める割合が大きく、付け根の部分がわずかに黄色>・・・アメリカコハクチョウ

<アメリカコハクチョウは、通常コハクチョウの亜種とされているが、分布域が明確に分かれることと体の大きさが異なる(全長が10cmくらい長い)ことなどから、独立種とする説もある>・・・コハクチョウの飛行

参考文献:日本の野鳥590 大西敏一解説



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ヒシクイと共に天然記念物に指定されているオオヒシクイですが、琵琶湖の湖北地域にはピーク時に300~500羽の集団が見られるそうです。・・・向こうの白い鳥はコハクチョウ

この出雲市斐伊川河口の渡来数は、それよりかなり少ない毎年100羽前後とか。

斐伊川の河口でこの日みたオオヒシクイの集団は約70羽でした。・・・翼を広げると180cm以上というオオヒシクイ

 2018年1月に実施した環境省のガンカモ類の生息調査(通称「全国ガンカモ一斉調査」)によれば、ヒシクイ(オオヒシクイを含む)の全国渡来数は6594羽

そのうち島根県が179羽。この殆どは斐伊川の河口部でしょう。なお島根県はマガンの渡来数は、宮城県、新潟県に次ぐ全国3位の2949羽でした。・・・着地寸前

去年のガンの仲間の全国渡来数を見ると、カリガネとハイイロガンがそれぞれ2羽、ハクガンが23羽となっていますので、この3種のガンを見る機会は非常に少ないようです。

次がコクガンが520羽、シジュウカラガン1898羽、その次がオオヒシクイを含むヒシクイの6594羽となっていました。・・・飛び出し

ヒシクイやマガンの尾羽は18枚もありますが、ワシタカなど猛禽類の尾羽の数は12枚です。

尾羽が美しいオオヒシクイの後ろ姿でした。



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昨日に続いて2019年春の選抜高校野球大会の21世紀出場校枠3校の中に選ばれた徳島県立富岡西高校のある阿南市を紹介しましょう。・・・牛岐城址の門

阿南市と言えばLEDの生産で有名な日亜化学工業(資本金520憶円、従業員8800名)の本社所在地です。・・・牛岐城址会館

富岡西高校の前進は富岡中学校で、日亜化学の創業者小川信雄氏(19122002年)、カミソリ後藤田として有名な政治家、後藤田正晴氏(19142005年)は卒業生です。・・・東京大学富岡地動観測所設置の石碑

小川信雄氏は、富岡中学校を首席で卒業、陸軍依託生徒として徳島高等工業(後の徳島大学)に進学し、戦後日亜化学工業を創業した立志伝中の人物です。・・・牛岐城址広場

ところで富岡城(1万石)の初代は、阿波徳島藩蜂須賀氏の次席家老賀島長昌(?~1588年)、長昌の正室は蜂須賀小六正勝の娘なので藩主蜂須賀家政の義理の弟となります。

徳島藩蜂須賀家の筆頭家老家は、蜂須賀小六正勝と義兄弟だった稲田植元(15451628年)から始まる稲田氏で、淡路国洲本と徳島県美馬市脇町で14千石を与えられていました。

賀島長昌の次の当主(2代目)は賀島 政慶(15721627年、正室は徳島藩筆頭家老の稲田植元の娘)は、秀吉の小田原征伐、文禄・慶長の役、関ヶ原の戦いに出陣。1603年蜂須賀家に戻って徳島藩の次席家老となっています。

賀島政慶は、1614年の大坂冬の陣では徳島城留守居を務め、1615年大坂夏の陣では蜂須賀勢の先鋒、1619年の福島正則改易の際に広島城受け取りで活躍、賀島家は明治まで続いていますが、1638年の一国一城令で富岡城と稲田氏の脇城は廃城となっています。

稲田家では、明治維新の際に徳島藩の家臣は士族、家老の稲田家家臣は陪臣扱いされ、士族の下となったことで、稲田藩を立てようとする稲田家臣と、それに反対する蜂須賀家臣が争った稲田騒動が起こっていますが、次席家老賀島家側では騒動は無かったようです。

 

 



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2019年春の選抜高校野球大会の21世紀出場校枠3校の中に四国から選ばれたのが徳島県立富岡西高校野球部です。その富岡西高校のある阿南市を紹介しましょう。・・・祝甲子園出場の垂れ幕

阿南市は青色発光ダイオードの開発で有名なノーベル賞学者中村氏が勤務していた日亜化学工業(非上場)の本社工場のある人口73千人の地方都市です。・・・JR四国の阿南駅

日亜化学工業はLED関連商品で発展し、現在の資本金520憶円、従業員8800名、年間売上高3472憶円、年間利益632憶円という企業に発展、2020年には売上高5000憶円を目標にしているそうです。・・・駅前通り

同じ徳島県を創業地とする大塚製薬の大塚ホールディングスは、資本金816憶円、従業員45千名、年間売上高12千憶円、年間利益933憶円というので、上には上がありますね。・・・阿南市街地を歩いていると牛岐城址公園の門が

公園の看板によれば<この地は戦国時代に阿波守護職細川氏の家臣、新開氏の居城で、守護の実権が細川氏から三好氏に移っても牛岐城主は新開氏のままであった>・・・牛岐城址公園広場

その後<1575年、土佐の長宗我部元親が阿波を侵略、牛岐城主の新開道善は謀殺され、1580年から元親の弟、長宗我部親康が牛岐城主として阿波国南部を支配していました>

それからわずか5年後となる<1585年、豊臣秀吉の四国攻略によって長宗我部氏は土佐に敗退したことで、秀吉は蜂須賀小六の嫡男、蜂須賀家政に阿波国を与え、家政は姉の子(従弟)賀島政慶を牛岐城代としています>・・・城跡の高台からの眺望

<賀島政慶は、牛岐の地名を縁起の良い富岡に改めたので、城は富岡城、城下も富岡と呼ばれるようになっています>それ以降、富岡(阿南市一帯)は賀島氏が支配しています。・・・阿南市街地

賀島氏が牛岐城に入ってから53年後となる<1638年、江戸幕府の一国一城令によって富岡城は取り壊されますが、徳島藩の次席家老(筆頭家老は淡路に配置した稲田氏)賀島氏の支配は明治維新まで続いています>・・・阿南市役所



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2月になって、大阪市内の公園でツグミの姿を見ることが増えてきました。

そのツグミが止まり木から飛び出す場面をカメラで狙ってみました。

シャッタースピードが遅かったので翼がブレていますが、足を一杯に伸ばして飛び出した直後の写真

翼を前に出してスピードを落とし、揚力をつけて方向を調整しています。

翼をやや下に向けて方向を定め

翼を畳んで目標に向けて急降下

翼を持ち上げて方向修正

翼を広げてスピードダウン

地面スレスレを飛ぶツグミ



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鳥取県日野町根雨駅の近くの日野川にはオシドリの集団渡来地があります。そこにはヒドリガモも渡来してきています。

ヒドリガモ3羽とキンクロハジロの飛び出し。キンクロハジロの前のピンボケ鳥はオシドリ♀

これならよく判るホシハジロとキンクロハジロ

3羽並んで飛行するホシハジロ。根雨の日野川では背景にオシドリが入ってしまいます。

もうじき着水でしょう。

カモの仲間は、全身を水中に入れ(潜って)餌を採る潜水ガモと、潜らない水面採餌ガモがいますが、飛行している両者は潜水ガモの仲間です。

オシドリとマガモは、採餌の際に水面で逆立ちして頭部だけを水中に入れる水面採餌ガモでの仲間です。

日野川では潜水ガモと水面採餌ガモが仲良く共存していました。・・・キンクロハジロがホシハジロを追い越して前に

左側のオシドリと、その後ろマガモ水面採餌ガモ。右側のホシハジロ、その後ろのキンクロハジロが潜水ガモです。



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昨日の記事は小さなオオジュリン(大きさ16cm)だったので、今回は少し大きなオオヒシクイ(大きさ95cm)の飛び出しを紹介しましょう。

オオヒシクイは、ロシアのカムチャツカ半島から渡ってくるガンの仲間で、翼を広げると約1・8メートル、体重は約5kgという大型の野鳥です。琵琶湖の湖北地域や出雲の斐伊川河口が越冬地の南限とされています。

オオヒシクイとヒシクイ(大きさ85cm)は、国の天然記念物(指定された1971年、両亜種は区別されてなかった)で、ヒシクイは環境省レッドリスト絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されています。

環境省レッドリストのオオヒシクイは、危機のレベルが低い準絶滅危惧(NT)なので、ヒシクイよりも渡来数は多いようです。

ヒシクイは、オオヒシクイよりやや小さく、体型が太短く見えます。また頸部も短く、嘴が太くて短いのが特徴です。

霞ヶ浦の南に位置する茨城県稲敷市の公式HPには<毎年11月になると「オオヒシクイ」の群が、稲波干拓地(江戸崎地区)へカムチャッカ半島からはるばるやってきます>

<オオヒシクイとはガンの一種の渡鳥で、国の天然記念物に指定されています。昔はヒシの実を食べたことからこう呼ばれています。体長は約90cm以上。羽を広げるとなんと180cm以上もある大型の鳥です。くちばしの先がオレンジ色になっているのが特徴です>

<飛来する稲波干拓地は、約230haの広々とした水田地帯。オオヒシクイはここをえさ場としていて、2番穂やスズメノカタビラなどの食物をついばんだり、のんびりと日なたぼっこをしている姿を見ることが出来ます>

この日に見た斐伊川河口のオオヒシクイは、70羽くらいの集団でした。オオヒシクイの集団は他にもいる可能性があります。



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近所の公園でツグミ(大きさ24cm)を撮影していると、右からオオジュリン(大きさ16cm)が飛んで来ました。

止る枝に先客のツグミがいるので、スピードダウン。尾羽左右両側2枚(4枚)が白いことが判ります。

止る場所を急遽下の枝に変更したオオジュリン。

オオジュリンの羽ばたきを止めて写したかったのですが、シャッタースピード1/800秒は遅かったようです。

オオジュリンは、やっと下の枝の上に到着しました。

ここから着地(正確には着枝)

翼を一杯に広げて、着枝までもうちょっと。

翼を後ろに引いて

足のクッションを使って着枝



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根雨のオシドリ観察小屋の手前にある中州には、対岸から次々とオシドリが飛来してきました。・・・空中にいるのはオシドリ♀

しばらくすると中州は、オシドリで一杯になっています。薄い灰茶色が♀

そのオシドリ達が川に入り始めました。

川の中に飛来するオシドリ♂

キンクロハジロも仲間入りしてきて、川の中は大混雑。

すごいことになってきました。

オシドリのオシクラマンジュウ

マガモも混じっていますね。

ひしめき合うオシドリの集団を初めて見ました。



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根雨のオシドリ観察小屋からはコガモも見ることができました。・・・コガモの飛行姿

対岸の川岸で休むコガモ

川の中央にある浅瀬にいたコガモ

突然飛び上がったコがモ

根雨の主役はオシドリですが、色々なカモ属の野鳥を見ることができました。先頭はホシハジロ、オシドリの近くにコガモ3羽、右はマガモ、後ろはキンクロハジロ

オシドリを除けばコガモの数が最も多いように思いました。

コガモを半円形に取り囲むオシドリ

オシドリの美しさには敵いませんが、コガモの姿も捨てたものではありません。

オシドリの撮影中には、フレームの中に期せずしてコガモが入ってしまうことが多かったようです。



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大阪市内の公園に飛来するチュウヒの眼を狙ってみました。

猛禽類の仲間で、野原をスレスレに飛ぶのがノスリ、葦原を中くらいの高さで飛ぶのがチュウヒだそうです。

このチュウヒ、獲物を探すため、葦原上空を殆ど下を向いて飛行しています。

しかし、人間が近くにいると警戒して視線を人間の方に向けることがあります。

そのとき、黄色い虹彩のまん丸い眼を見ることができます。

猛禽類は、黄色い虹彩を持つものが多いようです。

チュウヒも例外ではありません。

野鳥がカメラを持った人間に向かって飛んで来るケースは少ないようですが、このときは例外でした。

せっかくなのでトリミングし眼を大きくしてみました。猛禽類にしては可愛い眼ではありませんか。



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根雨のオシドリ観察小屋からは、オシドリたちと一緒にいるトモエガモを見ることができました。・・・下の写真の中央上部

トモエガモは、環境省レッドリスト2018年版の絶滅危惧Ⅱ類(VU)指定の野鳥です。

カモの仲間で絶滅危惧に指定されているのは、ツクシガモとトモエガモの2種だけなので、稀少なカモでしょう。

オシドリと一緒に対岸から飛んできて、かなり近くから撮影することができました。・・・頸の後ろに白いX斑のある♂の手前がトモエガモ♀(クチバシの横に円形白斑)

少数のトモエガモが毎年ここで越冬しているので、根雨の小屋でトモエガモを見ることができる確率は高いと思います。

ところが、今年(2019年)3月以降、日野川に架かるJR鉄橋の補修工事が始まるそうです。

そのために、この小屋からトモエガモやオシドリを見ることができるのは今月一杯まででしょう。

また、工事のために日野川の中州や流れが変わる恐れがあるので、来シーズン以降のオシドリやトモエガモの渡来は不確実のようです。

来シーズン以降のトモエガモ、オシドリの根雨への渡来はどうなるのでしょう。心配ですね。



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根雨のオシドリは、朝9時頃に他の場所に移動することが多いようで、やや離れた場所に数羽が休んでいるだけでした。しかし、乗る列車まで時間があったので粘ってみました。

やっぱり、粘った甲斐がありました。

待つこと90分、対岸に隠れていたオシドリたちが、観測小屋手前の中州に次々に飛来しはじめたのです。

そこで、次の目的地に向かう特急を1本遅らせ、撮影時間を確保。

しばらくすると、目の前の中州はオシドリだらけになっていました。

日野川の底に沈んでいる残った餌(くず米)を食べにきたようで、次々と川に入り始めました。

芋の子を洗う状態となったオシドリ

突然、オシドリたちが一斉に飛び立つことがありました。

あっという間に集団で飛び立つので、カメラのピントがなかなか合いません。

つづく



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日野町公式HPには<日野町を流れる日野川には、秋から春先にかけてオシドリが飛来。多いときには1,000羽以上の姿を観察小屋から間近に見ることができます>・・・日野町の根雨駅

とあったので、新大阪発650の新幹線(さくら543号)、岡山から伯備線特急(やくも3号)に乗り日野町根雨駅まで行ってきました。

根雨駅に到着したのが、951、JR鉄橋の下にある観測小屋に入ったのは10時5分、ボランティアの説明では「オシドリは明け方から9時前後までいて、そのあとは対岸で眠るか、他の餌場に飛び立ってしまい、夕方の16時にならないと戻ってこないことが多い」とのこと。

大阪から根雨まで、公共交通機関を使って行くなら、これ以上早い時間に来ることはできません。どうしても早朝にオシドリを観察するなら、近くで宿泊するしかないかと、この日は半ば諦めかけていました。・・・小屋の内部

観察小屋の窓から日野川を見ても、キンクロハジロ、コガモ、ホシハジロ、マガモなどの水鳥がチラホラと見えるだけ。

ただ遠い対岸の岸辺や藪の中に、朝食を終えたオシドリたちが休んでいるのが見えました。

このとき、カワアイサ♂が1羽、上流に向かって泳いで行きましたが、オシドリの姿はほとんどありません。

オシドリが少ないので、次の目的地(出雲市のマガンとコハクチョウ撮影)への移動のため小屋を出ようとすると、対岸からオシドリが少しずつ、近くまで飛んでくるではありませんか。

飛来するオシドリは、どんどん数を増やして集団で川に入り、逆立ちしながら川底の餌を食べ始めました。

つづく



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大阪の公園池に渡来してきているキンクロハジロの雌雄(左が♂、右が♀)。このカモは、なぜキンクロハジロと呼ばれるのでしょうか。

江戸時代前期、キンクロハジロは「きぐろあいさ」や「はじろがも」と呼ばれていたようです。

江戸時代中期には「きんくろがも」「をきつはじろ」と呼ばれ、後期になってからキンクロハジロという呼称が定着したようです。

その語源は、金色の眼を持った黒い羽白がも「きんめくろはじろ・金眼黒羽白」からきているようです。  

確かにキンクロハジロの羽の裏側は真っ白です。

「きぐろがも」「こがねめはじろ」もキンクロハジロの別名として存在していたようです。

キンクロハジロの初列風切り羽、次列風切り羽の表側にも幅が広く目立つ白い翼帯があります。

このキンクロハジロは♀ですが、♂の翼も♀と変わらないようです。

キンクロハジロの羽ばたきでした。

参考文献:図説鳥名の由来辞典 菅原浩・柿澤亮三編著



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