終戦後間もない1950年、大劇ビル地下の遊戯施設跡に設けられた飲食店がアルバイトサロン(アルサロ)である。
なんばオリエンタル西の千日前

アルサロは、同じ松竹が持っていた旧大阪歌舞伎座(今のビックカメラビルの場所)にあった進駐軍向けのキャバレーの人気にあやかって日本人向けにスタートしたという。
千日前さらに南の賑わい

支配人を務めた磯田敏夫は織田作之助門人の文士でもあり、自らの経験が元になった映画「ネオン太平記」ではロケにも使用されたようである。
なんばオリエンタル南の千日前通り

1967年日本ドリーム観光は、不採算物件であった大劇の劇場部分を複合ビルに改装し、既に営業していた地下アルサロと上階の映画館(大劇シネマ)を含んだ一大娯楽施設大劇プレイタウンに転換している。
新聞紙面を印刷したステンレスの波板で低層部を囲んだ、なんばオリエンタル南東角

ジャズ喫茶、ボウリング場、ダンスホール「大劇ダンス天国」などが設置され、一階は飲食店の他に千日デパート火災で移転を余儀なくされた一部名店街が入店し、館内は迷路状態となっていた。
なんばオリエンタル北西角

しかしバブルの頂点であった1991年、大劇は老朽化に伴い取り壊され、ダイエー系のなんばオリエンタルホテル(客室数257室)として1996年3月にオープンしている。
ホテル入り口

オープンまでに5年近くかかったのは、大劇プレイタウンに入居していたテナントとの退去に伴う権利関係の調整が難航したせいであろう。
1967年11月頃の住宅地図には大劇の中に多くのテナントが

今もなんばオリエンタルホテルの低層部分には多くの飲食店やパチンコ屋が入店していて、シティホテルと呼ぶにはちょっと抵抗があるくらいである。
なんばオリエンタル北にある榎龍王社

しかしホテルの開業わずか7年後の2003年、ダイエーの経営悪化により、外資のゴールドマンサックスグループに167億円という格安な値段で売却されている。
従って千日前大劇跡地に建つ「なんばオリエンタルホテル」は、青木建設が建てたウエスティンホテル大阪と同じようにアメリカ資本のホテルになってしまったのである。
ウエスティンホテル大阪

東洋劇場が身売りされて大劇となった土地に建つ「なんばオリエンタルホテル」は、東洋劇場と同じように最初の持ち主から次のオーナーに身売りされるよく似た運命をたどっている。
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オリエンタルホテルにも 泊まりました。地下も行きました(^O^)
ビック カメラの地下にも 京一のパチンコ店がありますね
詳しく書かれてあり へぇ~ボタンを 押しまくりましたよ(笑)
再び大劇を復活して欲しいですけどね。
ところで、西側にある精華小学校跡地が35億円で売却され商業施設として2016年度にオープンすると報道されていますが、工事が始まる気配がありませんねえ。
また、アースダイバー式に考えるとどうなるのかなと。
思い出しましたよ。
オリエンタルから南海通り角に「いづもや」がありましたけど、あのあたりは千日墓地の焼場跡らしいです。
それと、江戸時代以降、変遷はあったでしょうが、この辺は焼場を含めた千日前墓地だったのは間違いないでしょう。
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