野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



4月末になっても、大和川河口はユリカモメで一杯です。水質が改善した大和川河口で北に渡るための栄養を補給しているのでしょう。

空中を飛行するユリカモメ

ズームしてみると、右側の空中にいるのは冬鳥ユリカモメではなく、旅鳥のアジサシでした。アジサシもオオソリハシシギなどと同じで、オーストラリアなどの越冬地から北に向かって渡る途中の渡り鳥です。

頭が黒くなる夏羽に代わったユリカモメが水中の獲物を探しています。

冬羽のままのユリカモメが飛行してきました。

真横にきた姿を良く見ると、頭の部分が薄い灰色に変色していました。これからだんだん黒くなってゆくのでしょう。

これが夏羽のユリカモメ

夕方の大和川河口で羽を休めています。

ワイドで見るとこんな状態でした。



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全国屈指の牡丹の名所といえば、真言宗豊山派総本山の長谷寺です。

そろそろ牡丹も見頃ではと思って、行ってみると、予想通り丁度満開でした。

長谷寺の牡丹の開花も地球温暖化の影響か、毎年少しづつ早くなっているようです。

登廊の両側にある牡丹を、登廊と一緒に撮影できるのが長谷寺の良いところでしょう。

登廊からの牡丹

牡丹と登廊

この日は少し天気が悪く、ときどき小雨もぱらつきましたが、満開の牡丹の写真を撮ることができました。

これからゴールデンウイーク前半くらいまでが、長谷寺の牡丹の見頃ではないでしょうか。

新緑が床に反射する本堂舞台内部



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今週も大和川河口まで散歩してみました。この日、小潮だったせいで先週見えていた干潟が海面に覆われ、そこには野鳥の姿がありません。・・・あきらめかけ、ふと護岸の石垣を見ると、カニを食べている野鳥を発見。

太く頑丈なクチバシと灰色の足の色からチュウシャクシギのようです。

もっと良く見ようと思って、頭を大きく出すと、気づかれて、さっと飛び去ってしまいました。

その体形や大きさは、先週見たオオソリハシシギと良く似ていました。・・・オオソリハシシギ

手元の図鑑によれば、チュウシャクシギのクチバシの長さは、6.5~9.1cm、オオソリハシシギのクチバシは8.8~12.1cm(メスの場合、オスはもっと短い)よりも少し短いようです。

同じ場所に飛来しても、シギ同士で食べ物が重ならないようクチバシが進化したのでしょう。・・・ゴカイを食べるオオソリハシシギ

 チュウシャクシギは、オオソリハシシギと同じように夏にアラスカやシベリアで繁殖、 秋にオーストラリアなどへ渡りますが、その際に日本へ飛来するのは希だそうです。・・・チュウシャクシギが浅くなった干潟に戻ってきました。

彼等は、秋の渡りでは寄り道することなく直接越冬地へ飛び、春に繁殖地に渡る際のみ、日本に立ち寄って栄養を補給するのでしょう。・・・この日み見かけたのは五羽だけでした。

チュウシャクシギは絶滅危惧種には指定されていないようなので、これから渡来する数が増えるのではないでしょうか。

大和川の水質が良くなれば、シギなど渡り鳥の食べ物となる生き物が増えることは間違いないでしょう。また干潟の保存が渡り鳥のために必要だと思います。

 参考文献:鳥のくちばし図鑑 国松 俊英著



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出雲大社の東隣には2007年に開館した歴史博物館があり、入場者は館内の展示物を自由に撮影することができましたので、その展示を紹介しましょう。

中央ロビーの出雲大社境内遺跡から出土した直径3mもある宇豆柱柱材。科学分析調査野結果、鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が高いとのこと。

平安時代の出雲大社本殿を再現したという10分の1の模型

出雲大社本殿(左)の大きさを、同じ縮尺の他の神社本殿と比較できる模型展示コーナー。左から三番目が住吉大社の本殿。

遷宮前の出雲大社本殿の屋根に乗っていた千木の実物

風土記の時代の出雲地図。今は東の宍道湖に注ぐ斐伊川が出雲大社のある西に向かって流れています。

出雲市の荒神谷遺跡から出土した弥生時代中期(紀元前200年~10年)の青銅剣358本(国宝)

荒神谷遺跡から3.4km離れた加茂岩倉遺跡から出土した弥生時代中期~後期(紀元前200年~200年)の銅鐸39個(国宝)。

かわらけ谷横穴墓から出土した保存状態の良い古墳時代(西暦600年代初頭)の太刀と鞘(重要文化財)



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先日、アラスカからオーストラリア・ニュージーランドまでの8千〜11千kmを、オオソリハシシギが69日間かけて無着陸で飛行する(飛びながら眠っている)話を紹介しました。・・・コサギの下にいる3羽がオオソリハシシギ

そこで、米国人アレクサンダー・F・スカッチの「鳥はどこで眠るのか」という本の中に空中を飛びながら眠る他の鳥の話がありましたので、大和川の野鳥の飛行写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が引用部・・・ヒドリガモ

<ウ類と同じようにグンカンドリ類も、飛べなくなるほどにすぐ、びしょ濡れになる羽毛をまとっている>・・・これがウ類のカワウ

<濡れるのを避けるため、彼らは泳ぐことも潜ることもせず、トビウオを空中で捕まえたり、海面から餌を浚いとったり、他の鳥が餌を吐き出すまでつきまとって、落としたところをかすめ取ったりしている>・・・ヨシガモ

<そのためにグンカンドリ類は、営巣するための島をねぐらとし、海上で寝ることはない。しかし、グンカンドリ類が陸からはるかに離れた海上でも見られることがある。こうしたグンカンドリ類は、飛びながら眠ると推測されている>・・・アオサギ

<また、飛びながら寝ていると思われる種にセグロアジサシがいる。(中略)セグロアジサシの羽毛は、海面では1時間ほどしか生存できないほど水を吸い取るが、非繁殖期に営巣地(陸上)に降りることは知られていない>・・・ユリカモメ(夏羽)

<のみならず、夜間に上空からセグロアジサシの特徴的な鳴き声が聞こえてくることが知られていて、セグロアジサシが、地上で眠っている姿が見つかったことはない>・・・ユリカモメ(冬羽の幼鳥か)

<こうした点からセグロアジサシは、空中をゆっくりと羽ばたきながら、数か月間も空中を飛び続けているという結論が導かれる>居眠りしたまま飛んでいても、空中なら障害物がないので安全ですね。・・・ヒドリガモ

<しかし、セグロアジサシ以外のアジサシ類は、砂州や広い砂浜のような安全な場所でのんびりと居眠りをしている姿が観察されているので、飛びながら眠ることはないと考えられている>・・・ヨシガモのペア

参考文献:鳥はどこで眠るのか アレクサンダー・F・スカッチ著 浜口哲一、高橋満彦訳



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山階鳥類研究所のHPには<我が国では8科76種ものシギ・チドリ類が記録されており、そのほとんどは長距離の渡りをすることが知られていますが、我が国で観察されるシギ・チドリ類の個体数は近年著しく減少してきています>とありました。・・・大和川河口に飛来した6羽のシギ

そこで<シギ・チドリ類を保護するため、彼らがどこを中継して渡るのかが明らかになれば、効果的な保護計画がたてられる、という観点から1991年以降、鳥類標識調査の際に、金属リングに加えて脚にフラッグ(プラスチック製の旗)を付け始めました>・・・大和川河口のオオソリハシシギ

<フラッグは、調査場所別に位置や色、形が決められているので、観察するだけでその鳥がどこで足環を付けられたのかが判り、これまでに13万羽以上のシギ・チドリ類がフラッグを付けて放鳥されました>・・・手前のシギの右足に金属リング、上に曲げられた左足にチラッと青いフラッグのようなものが見えています。

<また、個体識別を目的としてカラーリングやフラッグに大きな字で番号等を彫り込むこともあります。そういうフラッグの付いたシギ・チドリ類を観察した場合は、フラッグの位置、組み合わせだけではなく、出来る限りカラーリングの有無、足環・フラッグ・カラーリングの位置関係や番号等も記録し、その結果をご連絡下さい>・・・やはり左足に青いフラッグがありますね。

大和川河口で撮影したこの写真を山階鳥類研究所にメール送信したところ、早速下記の返信がありました。<・・・>部分

<山階鳥研でシギ・チドリ及びアジサシ類のフラッグ観察データベースを担当している○○と申します。この度は大阪の大和川河口で観察された刻字フラッグ付きオオソリハシシギの観察記録をお送り下さり、ありがとうございました>

<この鳥は、201354日に宮城県亘理町「鳥の海」(仙台空港から15km南の湾)で放鳥されています。放鳥時、メス・成鳥と判定され、7A-06008の足環を装着されました>・・・そこまで判ることに驚きました。

<オオソリハシシギのオスは、繁殖期にはかなり赤っぽくなります。また、嘴はメスより細めです。お送りいただいたフラッグ個体もメスと判断できます>・・・やさしい眼をしていますね

<宮城県亘理町「鳥の海」では、青/白のフラッグを付けたのですが、白フラッグが脱落したようです。データベースには20150046IDで登録いたしました。なお、この個体は414日に愛媛県の重信川河口(松山空港から3km南)でも観察されています>・・・しばらくすると6羽のオオソリハシシギは飛び立ってしまいました。

このメスのオオソリハシシギは、2013年5月に宮城県→アラスカ(繁殖)→秋にニュージランドかオーストラリア→2014年(春・発見されず)→アラスカ(繁殖)→秋にニュージランドかオーストラリア→2015414日愛媛県→418日大和川河口ときて(ここからは予測)→宮城県→ベーリング海横断→アラスカ(繁殖)という大旅行をするようです。



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大和川の河口まで散歩した際に見かけた野鳥を紹介しましょう。・・・コサギ(留鳥)の顔がピンク色なのは婚姻色。

カワウ(留鳥)は、かなりの数が大和川河口に生息しているようです。

ダイサギ(夏鳥)も数羽いました。ときどき長居植物園の池に飛来してくるダイサギは、この大和川河口のものかもしれません。

繁殖地(ユーラシア大陸北部)へ渡る前のヒドリガモも多数見かけました。

姿の美しいヨシガモ(が、かなり近くまで寄ってくれました。ここで渡りのための栄養補給をしているのでしょう。繁殖地はユーラシア大陸の北部とか。

大阪城の堀で見たカンムリカイツブリ(冬鳥)もいました。カンムリカイツブリの繁殖地は、中国東北部からモンゴル。

秋から冬にかけて純白だった頭部が真っ黒に変わっていたユリカモメ。3月下旬から変わり始め、気温が上がる5月頃にはカムチャッカ半島へ旅立つようです。

セグロカモメ(冬鳥)は、東北・北海道からカムチャッカ半島で繁殖するそうです。・・・ユリカモメよりも大型のカモメなのですぐ見分けがつきます。

大和川河口にいたユリカモメは、百羽を遥かに超える群れのようでした。もうじき繁殖地への長い旅がはじまるのでしょうね。



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かつて全国で最も水質が悪いとされていた大和川ですが、現在はかなり改善されたようで、干潟に生息する生き物も増えてきているようです。

潮が満ちてくると、砂の中に生息するゴカイなどが出てくるのでしょう。それを狙ったオオソリハシシギが来ていました。

彼らは、アラスカなどの北極圏で繁殖し、冬季は東南アジア、オーストラリアで越冬、春に繁殖地に向かう途中、日本に立ち寄って休養と栄養補給をするようです。・・・オオソリハシシギは、ユリカモメより少し小さいですね。

そのクチバシの先端は、人間の唇のように曲げることもできるようです。・・・下の写真では、上のクチバシの先端が少し上に、下の先端が下に曲がっています。

米国地質調査所アラスカ科学センターでは、秋にアラスカからニュージーランドやオーストラリア東部に南下するオオソリハシシギに発信器をつけ、人工衛星で追跡した研究結果を発表しています。(2008年の朝日新聞)・・・日本刀のような反りのあるクチバシを上手に使ってゴカイを獲るようです。

発信器を付けたオス2羽は、5〜6日で約7千km、メス7羽は、6〜9日で8千〜1万1千kmを無着陸で飛んでいたそうです。・・・ゴカイを獲り、飲み込む寸前のオオソリハシシギ

飛び立つ前に栄養を十分に補給したオオソリハシシギは、一挙に高度数千メートルまで上昇、途中での無駄なエネルギー消費を抑えるためか、不眠不休でノンストップの飛行を続けたといいます。その渡りを終えた際には、体重が半減していたとか。・・・こちらは大きなゴカイを飲み込もうとしています。

さて、ニュージーランドやオーストラリアでの越冬を終えたオオソリハシシギは、春に繁殖地に向かって北上します。その際にはノンストップ飛行ではなく、アジア大陸寄りのルートをゆっくりと休みながら飛行することが判っています。

その理由は、ルートの途中にある日本などの干潟に着陸し、十分な栄養をつけてからアラスカに向かったほうが繁殖に有利になるからでしょう。



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阪堺大橋から600mくらい歩いた大和川の干潟で小さな野鳥を見つけました。野鳥の背中は、砂の色とよく似ているので気がつかない人も多いと思います。

ネオ一眼カメラの望遠で撮影してみると、眼の周りだけが鮮やかな黄色の輪となっているコチドリでした。コチドリは大阪府の準絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。(現時点での絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」 に移行する可能性が増大している種)

酒に酔っ払った人の歩き方は、このコチドリの歩き方から来ているそうで、確かに真っすぐに歩くことがありません。

コチドリは南方で越冬し、4月頃に日本に渡ってきて繁殖するそうなので、渡ってきた直後かもしれません。

チドリの仲間では最小サイズですが、眼の周りのイエローリングと頭部のブラックラインが美しい野鳥でした。

さらに大和川河口付近まで散歩を続けていると、砂地をチョコチョコ走る小さな鳥がいました。中央の二羽、左はユリカモメ

干潟の中のゴカイなどを餌としているシロチドリです。

シロチドリもコチドリと同じくらいの小さな野鳥で、やはり南方で越冬し、4月ころ日本に渡ってくるそうです。・・・大きさをシギと比較してみました。

シロチドリは、国(環境省)のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類に指定されている野鳥です。絶滅危惧Ⅱ類とはアホウドリ、タンチョウ鶴などと同じレベル、絶滅がかなり心配されているようです。

 

 



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天気が良かったので、地下鉄住之江公園駅から阪堺大橋を渡り、大和川左岸を河口に向けて散歩してみました。・・・阪堺大橋(左が住之江公園駅方向)

大和川に架かる阪神高速湾岸線の高架橋です。左手が河口方向、対岸は住之江区平林

大和川の中洲には、これからカムチャッカ半島に渡るユリカモメの群れが休んでいました。

堺水位観測所の塔

中洲のユリカモメを少しズームアップ

阪堺大橋(国道29号線)から約1.5kmのポイントに、大和川河口から0.6kmの標識がありました。(国道26号線までは2.8km)

河口から1.6kmのポイントから潮の引いた浜に下り、阪神高速高架橋を見てみました。

こちらは大和川河口右岸方向。干潮時、左岸側に幅50mくらいの干潟が出現していましたが、川幅は500mもあるので大和川の流れには支障はありません。

このポイントで河口から500mくらいでしょうか、干潟はここから100mくらい先まで続いていました。・・・中央に関電南港発電所の煙突が何とか見えています。

 



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さて、出雲大社(かつては杵築大社)の祭神は大国主神で、天照大神の子の天穂日命(アメノホヒノミコト)を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきていて、現在の宮司は84代国造(こくそう)の千家尊祐氏です。

ところで出雲国造家は南北朝時代の1343年、55代出雲国造「孝宗」の弟「貞孝」が別家を立て、「孝宗」系の千家と「貞孝」系の北島家の二流となり、出雲大社の祭事は幕末まで両家が二分して行っていましたが、明治以降から現在までは千家家が執り行っています。

千家、北島家は、それぞれ大国主大神を主祭神とする宗教団体として出雲大社教(千家系)、出雲教(北島家系)を主宰していますが、千家が北島家を圧倒しているようです。・・・出雲大社の西隣が千家国造館と神楽殿

大注連縄のあることで知られる神楽殿は、千家(出雲大社教)の拝殿で、中で結婚式を挙げることができ、昨年10月5日には三笠宮家との婚儀もここで挙式しています。・・・神楽殿

ところで、もともと神の月という意味の当て字、神無月(かむなづき=神の山という意味の神奈備山かむなびやまと同じ)が、文字通りの神無し月と解釈されるようになった経緯を紹介しましょう。

平安末期、藤原北家魚名流の藤原清輔(1107〜1177年)が歌学の「奥義抄」(1144年頃成立)で、出雲と神無月の関係を文学的に表したことがその始まりと考えられています。・・・出雲大社の東隣にある北島国造館

それ以降、文学と歴史が混同され、神無月(旧暦10月11日 - 17日)には全国から出雲大社に八百万の神々が集まり、出雲の神在月としてここで神議が行われるという説が広まったようです。・・・北島国造館の門

藤原清輔が神無月という言葉を使いはじめる以前には、出雲での神在月というものも無かったのです。・・・出雲教の拝殿

藤原清輔の解釈から871年、今ではすっかり定着していて、出雲大社には全国から集まる神の社(東西の十九社)まで存在しています。・・・摂社の命主社とムクノキの巨木



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昨日の記事の続きですが、今回は出雲大社(かつては杵築大社)の歴史を紹介しましょう。出雲からは、銅剣、銅矛、銅鐸などが多数出土していて、6世紀頃までに、この地で盛んな神祇祭祀があったと考えられています。・・・拝殿(左)の真後ろに八足門(やつあしもん)、その向こうに本殿の屋根が見えています。

日本書紀には7世紀中頃、659年(斉明天皇5年)、出雲国造に命じて(もともとあった)「神之宮」を修造させたとあります。従って673年(天武2年)頃に創建されたとされる伊勢神宮より出雲大社が古いことは確実でしょう。・・・八足門の中には入れません。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇を退治した神話が古事記・日本書紀にあることから、中世には出雲大社の祭神が素戔嗚尊と解釈され、毛利綱広が寄進した銅鳥居(1666年)にも素戔嗚尊とありますが、正しくは素戔嗚尊の直系子孫とされる大己貴神(おおあなむちのかみ=大国主神)です。・・・八足門の右側に続く東回廊、その上にあるのは観祭楼

天武、持統天皇の時代には、神事は出雲大社(大己貴神=大国主神)に、政治は皇孫(天皇家)に分けることが決定され、海に太陽が沈む出雲の対極の場所として、海から太陽が上る伊勢に伊勢神宮(天照大神)が造営されたと言われています。・・・東側の瑞垣越しに見える本殿(中央)

ところで、古代日本語では、夕陽の沈む西のことを「夕つ方(も)」=イツモ、東は「朝つ方」=アズモ(アズマ)と発音していたそうで、出雲はイツモ(西)の当て字という説もあるようです。・・・手前は天前社、その向こうの屋根が御向社、中央が本殿

このことから出雲の「大国主神」は、日没から日の出までの幽事(神事)を主宰、「天照大神」は、日の出から日没までの顕事(政治)を主宰するとされていました。・・・左から天前社、御向社、本殿

千家が主宰する出雲大社教は、その教理で顕幽を一貫して生死を超えた永遠の生に生きる道を教えるとし、死の問題に解決を与えた唯一の神道であることを誇っています。・・・本殿の北側

奈良時代までは、この政治は皇孫(天皇家)、神事は出雲大社という体制が機能していましたが、平安期に藤原氏が台頭すると、摂関家が政治を主宰、天皇家は伊勢神宮での神事を主宰すると変化し、出雲大社の地位が低下したようです。・・・彰古館建物は大正3年(1914)に出雲大社全体の宝物館として造られたもの。

さて、大己貴神(大国主神)による国つくり神話は、「少彦名神」の協力による部分と、海上からきた神霊「大物主神」(大和三輪の大神神社の祭神)の協力があったとされたことから「大物主神」は「大国主神」と同体という説があります。・・・瑞垣の西側から見た本殿、本殿の左は筑紫社

また大国主神を訓読みしたダイコクは、ヒンズー教を源とする財福と食物の神「大黒天」と通じることから大黒天とも同体という説も支持されてきています。

参考文献:出雲大社 千家尊統著



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昨日の記事からの続きです。出雲大社への参道を進むと、橋の向こうに三の鳥居が見えてきます。

この日、小川に架かる祓橋(はらいのはし)両岸のサクラが満開でした。

三の鳥居は、松の参道の鳥居と呼ばれています。ここからは古い松を保護するため、鳥居の両側にある参道を歩くことになります。

松の参道の両側にもサクラ並木があり、ちょうど満開でした。

終点から振り返って見た松の参道です。

松の参道の突き当りには、有名な四の鳥居(銅の鳥居)がありますが、改修工事中なのか仮囲いで覆われていました。

松の参道の右側には、幸魂、奇魂(さきみたま、くしみたま)を頂く大国主神像があり、「ムスビの御神像」とありました。

出雲大社では「さきみたま くしみたま まも(守)りたまひ さきは(幸)へたまえ」と祈念するそうです。

見事な注連縄のある拝殿。左隣にある神楽殿には、これよりもさらに巨大な注連縄があるのです。



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先日、出雲大社に参詣してきましたので、これから数回、出雲大社の記事を連載したいと思います。・・・扁額が6畳もあるという宇迦橋の大鳥居(一の鳥居)。その背後は雲に覆われた八雲山

 両側に松並木のある神門通りは、古い参道の姿を今にとどめています。

神門通りの途中にある一畑電鉄の出雲大社前駅。参道は、ここから石畳となり二の鳥居前まで続きます。

神門通りをこの辺りまで進むと、遠くに二の鳥居が見えてきます。

勢溜の大鳥居と呼ばれている二の鳥居です。

出雲大社への参道は、二の鳥居から少し下り坂となります。

二の鳥居の右(東側)のサクラが満開でした。背後の山には出雲ならではの八雲が立っていますね。

第80代出雲国造(こくそう)、出雲大社教初代管長、貴族院議員、東京府知事、司法大臣を歴任した千家尊福の銅像

下り坂の参道は、まだまだ先に続きます。



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昨日の記事の続きです。鶴見緑地でオオルリを見かけました。公園の遊歩道を歩いていると、突然青い野鳥が飛んできて10mくらい先の低い若木に留まりました。・・・オオルリは、大阪府の準絶滅危惧種に指定されている野鳥です。

若木の枝が邪魔ですが、動くと逃げてしまいそうなのでとりあえずシャッターを切りました。・・・ウイキペディアには、4月下旬頃に日本へ渡来とありましたが、温暖化の影響か渡来時期は早くなっているようです。

こちらは枝垂れ桜の枝に留まるヤマガラです。桜の中から聞こえてくる鳴き声で見つけました。逆光となっている場所のうえ、桜の小枝が多くピントを合わせるのが大変です。

なんとか小枝の向こうにいる姿を撮影できましたが、すぐに飛び去ってしまいました。

こちらはシロハラの後ろ姿です。シロハラは鶴見緑地で良くみかける冬鳥ですが、もうじき北に渡ってしまうはずです。

鶴見緑地の大池にいる留鳥のカワウです。

こちらはハクセキレイです。鶴見緑地では同じセキレイの仲間のセグロセキレイは少なく、キセキレイもたまに見かけることがあるようです。

鶴見緑地公園の中、いたるところで見かけるのがヒヨドリ(留鳥)です。

メジロもいました。大型のヒヨドリに遠慮しているのか、なかなか高い木の上から下りてきませんでした。



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