野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日の記事に続いてウチワヤンマの産卵を紹介しましょう。

オスとの連結から外れたメスは、すぐに水中に産卵を始めました。

ウイキペディアによれば<産卵はメス単独で行われ、ホバリングをしながら腹部の先で間欠的に浮遊物を打つ>とあり、その通りホバリングしながら産卵していますね。

ピントの甘い写真ですが、メスの尾部から黄色い粒がついた細い糸のようなものが出ています。

これは尾部にピントが来ました。

ウイキペディアに<卵は、糸で連なっている>とあるので、細い糸のようなものに付いた黄色い粒が卵でしょう。

<卵の期間は、1-2週間程度>ということなので、意外と早く孵化するようです。・・・交尾をした直後から産卵を始めたのには驚きました。

また孵化した幼虫は<幼虫で1-2年間を水辺で過ごす>というので、空を飛べるようになるのはまだ先のようです。・・・オスとの連結時にメスの体内で受精が完了していたのでしょう。

ウチワヤンマは、この後にも場所を変えて何度か産卵を繰り返していました。



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近所の公園の池で交尾中のウチワヤンマを見つけました。前がオス、後ろがメス

交尾したまま別の場所に移動。

どうやらこの場所でメスが産卵するようです。

連結が外れそう

連結が外れた直後。オスの交接器がリング状に畳まれて、体内に収納される様子が見えています。

メスが腹部を伸ばし始めています。その横に黄色い粒が付着した細い糸のようなものが見えています。

細い糸のようなものに付着した黄色い粒がウチワヤンマの卵でしょう。

ウチワヤンマのオスがメスの頭部を持ったまま空中に

もうじきメス頭部の連結も外れそうですね。

つづく



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昨日の記事に続き、腹部第8節の側縁がひろがって、ウチワ状になっているウチワヤンマの飛行写真です。

大阪府立環境農林水産総合研究所の水辺の昆虫図鑑には、近縁種のタイワンウチワヤンマが紹介され<このトンボは、もともと四国南部や九州および南西諸島に分布していましたが、近年分布域が北上しています>とありました。これも地球温暖化の影響でしょう。

さらに<大阪府では、30年ほど前にはじめて見つかりましたが、今では抽水植物が豊富で、開放的な池では普通に見られるようになっています>

<公園の池など人工的な水域でも多く生息します。水生生物センターでも徐々に個体数が増えているようです>

<また、(ウチワヤンマは)名前に”ヤンマ”とついていますが、ギンヤンマなどの属するヤンマ科ではなく、コオニヤンマやオオサカサナエなどと同じサナエトンボ科に属します>

<サナエトンボ科の成虫はヤンマのように複眼が接することがなく、左右に分かれています>正面から見るとその様子がよく判ります。

このウチワヤンマは、タイワンウチワヤンマとよく似ていますが、それよりやや大型のトンボです。また翅の編目模様もよく判りますね。前翅が上に後翅がやや下に

ウチワヤンマとタイワンウチワヤンマは、尻尾にあるウチワ模様で識別ができるようです。・・・前翅が水平に後翅がやや上にきています。

前翅がやや下に、上げた後翅がやや下向きにきています。前翅の編目模様はこの写真が一番が判り易いので、複眼部のピントがやや甘くなっています。



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以前からトンボが空中を飛行している写真を撮りたいと思っていました。

ところが、撮影難易度は高く、飛行中のトンボをファインダーの中に入れることすらできません。

ファインダーのフレームに何とか入っても、オートフォーカスが間に合わずピントが来ません。

何とかピントが来ても被写体ブレ続出で、見るに堪える写真にならないのです。

とくに大型で美しいヤンマ系統は難しく、半ば諦めていました。

ところがこの日に限って、ウチワヤンマが池の上をゆっくりと飛行していました。

ウチワヤンマは、ヤンマと呼ばれていますが、サナエトンボ科のトンボでヤンマの仲間ではありません。

真横からの写真。飛行中は足を胸元にしっかりと畳んでいますね。翅の編目模様が綺麗です。

こちらはやや斜め上から。尻尾のウチワまでピントが来ていました。このウチワに黄色い模様が無いのがタイワンウチワヤンマですね。



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大阪市内の干潟にも北国で繁殖を終えたシギチドリが渡来しはじめています。・・・右が渡来してきたキアシシギ、左は留鳥のイソシギ

ある論文によれば、渡りの早いシギチドリは、繁殖活動にあぶれたものが多いとか。・・・アオアシシギ(左)とすれ違うキアシシギ

このアオアシ、キアシがそれとは限りませんが、そういう傾向があるのでしょう。・・・ともに背中が濃い色をした夏羽ですね。

繁殖活動が出来ても、子供を上手く育てられなかったペアは早く渡りを開始するようです。・・・このアオアシシギ2羽はペアのように見えます。

肩羽に黒い羽が混じり、首から胸側にかけて黒い斑点があるのが夏羽の特徴です。

水鏡となった干潟で餌を探していました。

これからアオアシシギは次第に冬羽となりますが、冬羽はもっと薄い褐色です。

モニタリングサイト1000の調査によれば、アオアシシギの渡来数も次第に減少しているようです。

アオアシシギの姿をいつまでも見ることができる大阪であって欲しいと思いますが。・・・背伸びして警戒するアオアシシギ



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7月中旬から大阪市内の干潟には、東南アジアなどの越冬地に渡る途中のキアシシギが渡来してきています。・・・キアシシギ4羽の着地

環境省生物多様性センターのHPによれば、2019年秋の全国1000か所モニタリングサイト調査でキアシシギの渡来数は3195羽となっています。

また日本に秋渡来する(渡来の可能性のある)シギチドリ77種のうち、第一位はトウネンの5462羽。

第二位はハマシギの4404羽、トウネンとハマシギは大阪市内の干潟にも毎年多数が渡来しています。

アオアシシギの2019年秋渡来数は、1376羽とシギチドリの仲間では第7位でした。・・・以下アオアシシギの着地写真です。

ちなみにキアシシギに次ぐ第4位はソリハシシギの2864羽。ソリハシも大阪市内の干潟でよく見かける渡り鳥です。

ソリハシシシギに次ぐ第5位はダイゼンの2596羽。ダイゼンも大阪市内の干潟でよく見かけます。

ダイゼンに次ぐ第6位はメダイチドリの1537羽。大阪市内の干潟ではメダイチドリよりもアオアシシギの渡来数の方が多いようです。

渡りのシーズンは、これから本番となりますので、今年はどんなシギチドリが大阪に渡来してくるのか今から楽しみです。



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国連の「石油食料交換プログラム」汚職を取り上げた映画「バクダットスキャンダル」の続きです。公園の夏の花と一緒に紹介しましょう。<・・・>がウイキペディアからの引用

<2004年1月イラクの日刊紙アル・マダは、石油食料交換プログラムを通じて不正な売買契約を結んだとされる個人・組織のリストを発表。これがプログラムの不正に関する、最も早い指摘のひとつとなった>

<このリストには、イギリス下院議員、フランスの内務大臣、インドの外務大臣、イラク系アメリカ人実業家、ロシア人実業家、ロシア正教会幹部、バチカン幹部などの名前があり、一部はリスト発表後に辞任している>

<イギリスの石油会社社長ミルホランドは、不正疑惑を認め「石油食料交換プログラム」で得た利益の一部は(プログラム関連事業を紹介してくれた)要職とされる人物の個人口座に送り、残りを会社の利益としたと証言>

<石油食料交換プログラムにおいて、送金を担当していた銀行は、BNPパリバ銀行ニューヨーク支部で、このフランス系銀行は640億ドル(当時の為替レートで7兆3600億円)規模の国連プログラムを1社で管理していた>

<2004年に発表された報告では、BNPパリバ銀行からリベートを受領した者の国籍割合は、ロシア30%、フランス15%、中国10%、スイス・マレーシア・シリアがそれぞれ6%、ヨルダンとエジプトが4%、約20%の「その他の国」の中にアメリカ・ドイツが含まれている>

<2005年2月にボルカー(元アメリカ連邦準備制度議長)による調査委員会が発した報告にはセバン国連事務次長(キプロス出身)も賄賂を受け取ったと結論している>

<セバンは2005年に国連から停職処分を受け、国連のストロング環境計画事務局長も賄賂を受け取ったとして国連を辞めている> 映画にはキプロスで優雅に暮らすセバンが登場するシーンがあります。

映画の中でセバン役の「この汚職には多くの国の高級幹部がかかわっている。公表するとその影響は世界的となるので公表すべきでない」と言うセリフが出てきます。7兆3600億円の国連プログラムからの賄賂を受けた各国要人の中には、大物すぎるとして今も追求されていない人もいるのでしょうね。映画を見るまでこんなスキャンダルがあったことを知りませんでした。



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アマゾンプレミアムで見た映画「バクダットスキャンダル」は、1996~2003年に実施された国連安保理決議に基づく石油食料交換プログラムのスキャンダルを暴いた作品です。公園のダリアの花の写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>はウイキペディアからの引用

<累計で輸出640億ドル(当時の為替レートで7兆3600億円)というプログラムは、食品・医薬品などのイラク市民に人道的な物資と交換に、イラクが石油を輸出できるようにする目的でアメリカのクリントン大統領政権により1995年に提案された>

しかし<石油食料交換プログラムが終了して、プログラム資金の汚職が明らかになり、アメリカ政府会計局は、フセイン大統領の取り分だけで推定101億ドル(1兆円を超える)の汚職であったと指摘しているが、国連が調査協力を拒否した為、全容は不明となっている>

<このプログラムではイラクから輸出された石油代金は、BNPパリバ銀行口座へ支払われ、一部がクウェート・連合軍・国連活動への賠償金へ充当、残った金でイラク政府が規制に合致した物資を買うために使うことができた>

<イラク石油の輸出累計は640億ドルを超え、このうち460億ドルが、経済制裁中のイラクの人々の人道的支援に使用されることになっていたが、かなりの金額が国連のプログラム管理・執行経費として各国要人への賄賂などに使用されていた>

<当初からイラクへの経済制裁自体を取りやめるべきだとする意見や、このプログラムでは数百万人のイラク人の死を避ける人道支援はできないとして異を唱える意見もあった>

<湾岸戦争でアメリカとイギリスの軍隊がイラクに侵攻する直前、アナン国連事務総長はプログラムを中断、物資の配布状況を監視していた300人以上の職員を退避させている>このときに問題となりそうな資料などは散逸したと報告されたのでしょう。

<2003年11月、石油食料交換プログラムは正式に終了したが、プログラム期間中イラク政府や各国の関係者、国連職員へ不正に利用されているという訴えが多くの国から出ている>

< プログラムを管理していたセバン国連事務次長(キプロス出身)は、石油食料交換プログラムは会計監査を通過していると主張して、プログラムの再調査には非協力的であった>映画バクダットスキャンダルの中にセバン事務次長が重要人物として登場しています。映画を見るまでこんなスキャンダルがあったことを知りませんでした。

つづく



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近所の公園の池で見かけたアオモンイトトンボ雌の産卵シーンだと思います。尾の部分に表面張力が見られるのでイトトンボの尾は水をはじくのでしょうね。

イトトンボの雌は、雄に比べて地味な体色をしているので探すのが大変です。産卵を終わり、翅をやや開きかけています。

翅を高速で動かして飛び立ち

上昇中の翅は、ヘリコプターの回転翼のようです。

右の透明な前翅に太陽光が反射していますね。

やや左に向きを変えピントが甘くなっていますが、飛行中のイトトンボ撮影は非常に難易度が高いのです。

このままフレームアウトしてゆきました。

こちらがアオモンイトトンボの雄。前翅縁紋の青色は雌だけにあるようです。

近くのコウホネの花と、蜜を求めて来ているハチ2種です。花の中にいるのはミツバチか?



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新型コロナ感染者の増加が収まりません。そこで今から約100年前(1918年-1921年)に世界各国で一億人の死者を出したスペイン風邪を調べてみましたので咲くやこの花館の写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>がウイキペディアから引用

<スペインかぜの第二波は通常のインフルエンザに類似していた第一波とは異なり、健康な25–35歳の若年者層において非常に高い致死性を示し、死亡者数も大幅に増加した>

<第二波の1918年10月は全期間中で最も多くの死者を出した月となり、アメリカでは一月で29万2000人の死亡が報告され、イギリスでも1918年10月–12月(三か月)に14万6千人が死亡している>・・・この秋の新型コロナの流行が心配となります。

さらに<第三波は1919年初頭から秋にかけて流行し、最初に医師・看護師の感染者が多く、医療崩壊してしまったため、感染被害が拡大した> ・・・こうならないことを祈りたい

<世界規模で猛威を振るったスペインかぜであるが、世界規模に広がったことにより、死者も甚大になった一方、生き残った人は抗体を獲得して、集団免疫を形成することによって、感染者の減少へと繋がって収束した>・・・ワクチン開発とその普及が急がれますね。

<世界全体の推定感染者数は世界人口の3分の1とされ、 世界全体の推定死者数は1億人という説が有力。この数値は戦争(第一次大戦の死者数は約1000万人)や災害などすべてのヒトの死亡原因の中で最大>

<日本では1918年4月、台湾に巡業していた大相撲力士3人が謎の感染症で急死。同年5月の夏場所では高熱などにより全休する力士が続出したため、世間では「相撲風邪」や「力士風邪」と呼んでいた>

<その後、1918年10月に第二波の大流行が始まり、1921年3月までの2年半で当時の日本人口5500万人のうち2380万人が感染したとされ、内務省衛生局による統計では死亡者39万人とされているが、約45万人とした説もある>

<スペイン風邪は、当時の人々にとっては全く新しい感染症(新興感染症)であり、ヒトがスペイン風邪に対する抗体を持っていなかったことが、パンデミックの原因になった>今回の新型コロナも同様でしょう。ワクチン開発を急ぐ必要がありますね。

 

 



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新型コロナ感染者の増加が収まりません。そこで今から約100年前(1918年-1921年)に世界各国で一億人の死者を出したスペイン風邪の第二波を調べてみましたので熱帯スイレンの写真と一緒に紹介しましょう<・・・>がウイキペディアから引用

<スペイン風邪のパンデミックの始点は一般に1918年3月4日とされており、この日にカンザス州のアメリカ陸軍基地で、一人の兵士による最初の症例が記録され、その基地ではその後数日以内に計522人の罹患が報告されている>

<当時アメリカは第一次世界大戦に参戦中で、流行はアメリカ兵士を通じてフランス全土、イギリス、イタリア、スペインへと広がり、同年5月中にロシア領オデッサ、ドイツ領ヴロツワフにまで到達>

<5月には北アフリカ、インド、日本にも感染が拡大、6月には中国、7月にオーストラリアに達した後、パンデミックの第一波は後退を始めた>

<第一波の死亡率は高いものとはならず、アメリカの1918年上半期の死亡は7万5000件、スペイン・マドリードにおける1918年5月から6月にかけてのスペイン風邪の死者数も1000人未満だった>

<1918年8月後半、変異により致死性が高まったウイルスの流行が、アメリカ、フランス、シエラレオネの3港湾都市でほぼ同時に発生、パンデミックの第二波が始まった>

<第二波は1918年9月末までにヨーロッパ全域に広がり、第一次世界大戦も休戦状態に陥った。第二波はヨーロッパからロシア、インドへと持ち込まれ、10月には中国と日本に達した>・・・1918年11月時点で100万人に上るドイツ人兵士がスペイン風邪に患っていたとか。

<1918年11月、第一次世界大戦休戦の祝賀行事でペルーの首都リマやケニアのナイロビでも感染を引き起こし、1年後の1919年12月までに第二波はほぼ収束した>

<スペインかぜの病原体は、それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、ヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている>野生動物を食べる習慣がある中国が起源という説もあるようです。



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新型コロナ感染者の増加が止りまりません。そこで今から約100年前に流行して世界で一億人の死者を出したスペイン風邪ではどうだったのかを調べてみました。鶴見緑地公園の花と一緒に紹介しましょう<・・・>がウイキペディアから引用

<スペイン風邪は、1918年1月から1920年12月までの3年間で世界人口の4分の1が感染したとされ、その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれていた>

<世界中の死者数は、1億人に達したとの推計もあって人類史上最悪の感染症の1つとされ、アメリカ合衆国では最初の年に平均寿命が約12歳も低下している>

<当時は第一次世界大戦中であったため、ヨーロッパやアメリカ合衆国での死亡報告は最小限に抑えられ、中立国スペインの患者数だけが自由に報道された結果、スペインが特に大きな被害を受けた印象を生み出し「スペイン風邪」という呼称が広まった>

<ほとんどのインフルエンザでは、死者が乳幼児と高齢者に偏るが、スペイン風邪では若年及び成人の死亡率が高く、アメリカの記録ではスペインかぜによる死者数の99%が65歳未満だった>

<高齢者の死亡率の低さは当時から30年前の1889年頃に流行した「ロシア風邪」で免疫を獲得していた人が多かったのではないかとの説もある>

<スペイン風邪の起源には諸説あり、ウイルス学者のジョン・オックスフォードは、1918年パンデミックの起源を第一次世界大戦中フランスに存在したイギリス陸軍のエタプル駐屯地と推定している>

<さらに中国由来のウイルスがアメリカで変異し、フランスに渡って連合国の兵士を媒介者として全世界に広まったという説もある>

<また第一次世界大戦中イギリス・フランス軍の後方作業に約9万6000人の中国人労働者を動員していたことからパンデミックを引き起こしたという説もある>要するに起源はよく判っていないようです。



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獲物を獲ってきたミサゴが杭に着地するまでの連続撮影写真をしょうかいしましょう。・・・ミサゴの視線は着地する杭の先端に

もう少しで杭の先端部というポイントで魚を掴んでいた右足を外しています。

魚は左足で保持し、右足をフリーにしたまま杭の先端部に目をやっています。

翼を畳んでややスピードを落とし、

翼を一杯に広げてブレーキを掛け、右足だけで杭に着地しました。

右足に体重を掛けてバランスを取ろうとしていますが、左足の獲物が暴れていますね。

左足の指に力を加え、暴れる獲物を締め付けているように見えませんか。

翼を水平にして着地フィニュッシュの姿勢。

又も獲物が暴れ、ややバランスを崩したように見えました。



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Amazonプライムビデオの新着映画『エル・プレシデンテ ~南米・チリ サッカー界の闇を知る男~』は、実際にあったFIFA汚職事件をドラマ化したものです。FIFA汚職事件をスイレンの花と一緒に紹介しましょう。

ウイキペディアによればFIFAは、2016年ブラッター前会長(スイス人)ら3人が2015年までの5年間にわたって日本円でおよそ83億円の裏報酬を得る契約を業者と締結していたことを明らかにしています。一人当たり何と28億円です。(1年間で5億5000万円)

一方アメリカ司法当局は、サッカーの南米選手権「コパ・アメリカ」(2013年~2014年)の放映権をめぐって、総額1億1000万ドル、日本円にして、およそ136億円の賄賂を南米サッカー連盟幹部に支払う契約があったと公表。映画にもその場面が出てきます。南米サッカー連盟加盟国は10か国、会長10人で割れば一人13億6000万円です。(たった1回の大会の金額です)

「サッカーの国際試合を見たいと熱望している世界中に楽しみを届けているのが我々で、それに伴う報酬を受けるのは当然」というセリフが映画に出てきます。「麻薬を熱望している世界の人に麻薬を届ける仕事をして、それに伴う報酬を受けるのは当然」というコロンビアの麻薬王(大金持ちと知られています)の考えと同じ発想なので驚きます。

アメリカ人の元FIFA理事は、映画でミスター10%(贈賄額の10%で副会長に仲介する人物)として登場しています。ミスター10%は、2011年までに総額25億円の不正な資金を得て、フロリダやバハマのリゾートに高級な住宅を所有、移動はプライベートジェットを使用していたとされています 。(25億円が10%なら、副会長は250億円を得たことになる計算)

南アフリカで行われた2010年FIFAワールドカップでは、南アメリカ側からFIFAのジャック・ワーナー元副会長側に1000万ドル(およそ12億円)の賄賂が渡っていたことが明らかになっています。

ブラジル警察は、マネーロンダリングの容疑でテイシェイラ元ブラジルサーカー連盟会長が2009年から2012年の3年間に、およそ4億6500万レアル(日本円でおよそ181億円)を海外銀行口座とブラジル口座間で資金の移動(マネーロンダリング)を行ったと発表しています。

映画には、FIFA元会長アヴェランジェの豪邸が出てきますが、ブラジルサッカー連盟元会長兼FIFA元理事のテイシェイラは、アヴェランジェの義理の息子に当たるようです。

サッカー王国ブラジルの英雄的存在だったアベランジェFIFA元会長は2016年に100歳で亡くなっていますが、その後継者テイシェイラの収賄疑惑にブラジル警察はどこまで迫れるのでしょうか。



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Amazonプライムビデオの映画『エル・プレシデンテ ~南米・チリ サッカー界の闇を知る男~』には国際サッカー連盟(FIFA)の第7代会長を1974年から1998年まで12年間務め、ゼップ・ブラッターを後任の会長に指名したブラジル人「ジョアン・アヴェランジェ」とその豪邸も出てきます。ハイビスカスの花と一緒に紹介しましょう。

アヴェランジェは、国際オリンピック委員会のメンバーでもあったため、IOCがFIFA会長時代の不正について調査を進め、IOC理事会で追放を含めた厳しい処分を下すはずでしたが、本人が辞任を申し出た為に処分は見送られています。

2015年7月、FIFAのジェフリー・ウェブ元副会長(英国とケイマン諸島の二重国籍)は、収賄額の一部1000万ドル(12億円)の保釈金を納め釈放されています。元会長アヴェランジェの収賄は、当然それ以上だったのでしょう。

2015年12月、スイスは、南米選手権やFIFAワールドカップ予選の利権に絡んで賄賂を受け取った疑いでFIFA副会長だった南米サッカー連盟会長のフアンアンヘル・ナポウト(パラグアイ)、北中米カリブ海サッカー連盟会長アルフレド・アウィト(ホンジュラス)の2人を逮捕しています。

また同月、ペルー警察は、ペルーサッカー連盟のマヌエル・ブルガ元会長を逮捕、マーケティング会社からFIFA関係者に渡された賄賂やキックバックは2億ドル(日本円でおよそ245億円)を超えるとされています。

2015年12月、アメリカ司法省はウェブFIFA元副会長(英国とケイマン諸島の二重国籍者)やスポーツ関連企業幹部など8人が収賄を認め、50億円分の資産の没収に同意したことを明らかにしています。

同月、スイス司法当局はFIFAの賄賂の受け渡しに使われたスイスの銀行口座情報をアメリカ司法省に提供、賄賂に使われた13の口座の資産(96億8000万円)を凍結しています。

2016年12月、アルゼンチンの大手スポーツ代理店がアメリカのニューヨークの連邦裁判所に、FIFA贈収賄にからむ罰金1億1280万ドル(およそ130億円)の支払いを合意しています。アルゼンチンの会社からFIFA幹部への贈収賄は明らかでしょう。アルゼンチンだけで130億円、他の国を合計すると一体いくらになるのでしょう。

2016年、FIFAはワールドカップの開催国を決める投票で、当時のFIFAの理事らに渡った金銭は、最低でも数千万米ドル(日本円で数十億円)になると発表。FIFAワールドカップの招致で票の買収が行われていたことを認めています。映画には「サッカーの国際試合を見たいと熱望している世界中に楽しみを届けているのがFIFA幹部で、それに伴う報酬を受けるのは当然」というセリフが出てきます。



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