野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



日曜日の大阪マラソンも無事終わりましたが、その前夜にインテックス大阪で開催されていた「大阪マラソンEXPO2011」を見てきました。インテックス大阪の中庭

「大阪マラソンEXPO2011」は、10月28日と29日の2日間、11時から夜8時まで開催されていました。2号館のランナー受付。

2万8千人がエントリーする受付会場です。ランナーは、ここで手続きしたあと、同じ2号館の中にあるスポーツメーカー等の出店ブースに向かう動線となっていました。

まず最初にあったのは、ミズノのブース。受付を済ませて気分の高まったたランナー達は、財布の紐が緩む、と狙ったのかもしれません。

翌日42キロを走るランナーに安心を与える商品を提供するためか、不安に付け込み不要なものまでドッサリ買ってもらおうということなのでしょうか。こちらは隣にある3号館の展示即売ブース。

読売新聞が完走者の氏名タイムなどを掲載する新聞(300円)の受付窓口もありました。2万8千人全員が1部買うと8百万円以上の売上になりますね。

エントリーに来たランナー達の高揚した気分の中、出店したブースはどこも結構盛り上がっていましたので経済効果は大きかったのではないでしょうか。大阪マラソンのオフィシャルショップもありました。

大阪マラソンとどう関係するのか、「豊臣期大坂図屏風」まで展示してありましたが、ランナーの人気はいま一つだったようです。

1号館には、レース前のカーボローディングとレース後のたんぱく質補給のための「大阪マラソンうまいもん市場」があり、ここは28日、29日だけでなくレース当日も10時から17時まで営業していました。

 



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総勢3万人(うちマラソン参加者は2万8千人)のランナーが大阪市内を走る大阪マラソンのゴールは、インテックス大阪と旧ライカ本社との間に設けられていました。今回、大阪マラソンの参加費は、1万5百円、それでも約15万5千人の応募があったといいますので、参加できた人は5,5倍のクジに当たった幸運な人だったようです。

私がゴール手前に到着するやいなや、シモン選手(38歳)が駆けぬけて行き、女子部門の堂々1位、2時間32分48秒だったようです。彼女はシドニーで高橋に次いで2位、銀メダルのランナーだったことで良く知られています。

今回はマラソン以外にチャレンジラン(8,8キロ)という短距離種目が用意されていて、そちらの参加者は2000人、参加料5千5百円だったようです。ちょっと選手から遠かったので、場所をWTCビル前に移動することにしました。

この日、朝9時に大阪府庁前をスタートしたマランソンの制限時間は 7時間、午後から小雨となりましたが、選手達は午後4時までにゴールする必要があります。

さて、WTCビル前まで来ると、名前が書かれたゼッケンを付けた招待選手、猪野祐貴選手(19歳ノーリツ)が走ってきました。彼女は4位、2時間45分14秒でゴールしています。

次に来た女子選手は、鈴木純子選手(三菱重工)。2時間46分36秒の5位でゴールイン

次が苦しそうな表情をした田畑郁恵選手(元気アップこもの)2時間49分49秒、6位でゴールイン

さて、その次に来たのは、招待選手のゼッケンを付けた友枝美里選手(22歳、豊田自動織機)、2時間50分33秒、7位でゴールしています。

その次は、ゼッケンが見えなかったのですが、たぶん加古光江選手(健康の森走遊会)でしょう。2時間53分54秒の8位でゴールインしています。

今回は初めての大会だったので、写真の出来がもうひとつ。来年は、選手の表情が判る、もっと良い場所で撮影しようと思います。



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今回のテニス合宿は、兵庫県多可郡多可町八千代区にある「森のホテル・エーデルささゆり」に宿泊し、ガルテン八千代のテニスコートを使うことにしました。 翌日晴天時のエーデルささゆりの正面



エーデルささゆりとガルテン八千代はどちらも「北はりま(播磨)ハイランド構想」に基づき設置された施設です。雨の中到着したエーデルささゆり玄関へのアプローチ



北はりまハイランド構想とは、兵庫県西脇市、多可町の住民、民間団体、行政が連携し、地域資源を活かした交流の舞台をつくり、豊かな暮らしと心の豊かさを目指そうというものだそうです。ロビー



このため、北播磨にある既存の文化・スポーツ・レクリエーション施設などを再整備し、施設間のネットワークを強化、地域資源の有効活用を図る計画とか。関係者には頑張ってほしいものです。夜のロビー



さて、エーデルささゆりは、食事がおいしいと女性に評判のホテルで、我がテニスクラブでは今回が3回目の利用となりました。レストラン「リンデン」の内部



この日は雨だったので、早めにチェックインし、メンバー全員が和室に集まって久しぶりのトランプゲームで盛り上がりました。 和室の宿泊室



夕食は、1階のレストラン「リンデン」で和食コース(先付 / 前菜 / 吸物 / 炊き合せ / お造り / 蒸し物 / 鍋物 / 天婦羅 / 焼物(魚) / 焼物(肉) / フルーツ)を頂きました。 先付 の写真、この後は酔って撮るのを忘れました。



翌朝、豪華な沖ブリの焼き物がついた朝食を食べ、いよいよ快晴のテニスコートに出陣です。



歩いて5分の場所にあるガルテン八千代には、ナイターもできる人工芝テニスコートが6面、そのうち2面を借りてテニスの試合を昼まで楽しみました。



テニスの後には、エーデルささゆりに戻って昼食を取り、レストラン「リンデン」の料理には外れがないとメンバーの意見が一致したのでした。早朝散歩したエーデルささゆりの裏山には秋の足音が・・・

14時にエーデルささゆりを出て、16時過ぎには大阪に到着。今回の合宿は、移動が楽で食事が美味しかったと、参加した皆さんの評判は良かったようです。

 



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先日、中国縦貫自動車道の滝野社インターからほど近い、兵庫県多可郡多可町にある「北はりまハイランド」でのテニス合宿に参加してきました。テニスの前にまず訪問したのは、多可町のハーモニーパークです。

面積4,3ヘクタールもあるハーモニーパークの園内には、リンゴ、ナシ、クリ、サクランボ、梅、キウイフルーツなどの果樹が植えられ、観光客が果樹の採取を楽しめるようになっています。レストラン

我々が行った時期は、栗と梨が終わり、リンゴ園のリンゴ狩りだけが公開されていました。 パークのレストランでの昼食

リンゴの木は、「シナノスイート」「新世界」「アルプス乙女」「津軽」「千秋」「由香里」「ニュージョナゴールド」「富士」など約1100本もあり、園内では600円で食べ放題です。レストラン隣の管理棟にある収穫したばかりのリンゴ

ところで、ウイキペディアによればリンゴの原産地は、中央アジアの山岳地帯の寒冷地、現在日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたものだそうです。 管理棟売店のリンゴ

この日は、生憎の雨だったので、リンゴ狩りは断念し、リンゴの実った園内を撮影しただけで引き上げることにしました。 地上に落下したリンゴも見えます。

リンゴは、病害抵抗性、食味、収量などの点から次々と品種改良が加えられ、現在7500種以上(農林水産省に登録されている品種は177種)の品種が栽培されているとか。シナノスイートは色が薄い

また、暑さに弱いため信州や東北地方で主に栽培されていますが、この「北はりまハイランド」でも栽培されているとは知りませんでした。 新世界は赤が強いようです。

信州まで出かけなくても、大阪から僅か2時間という近い場所にリンゴ狩りのできるリンゴ園があったことを、ここで初めて知りました。鈴なりに実っているアルプス乙女

折角リンゴ園まで来たのですが、雨のためにリンゴ狩りができなかったのが残念。

 



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八軒家浜から中之島公園まで歩き、ばらその橋を渡るとバラ園の中心部で、そこからは大阪市庁舎や中之島フェスティバルホール跡地に建築中の超高層ビルが良く見えます。

バラ園の正面に見える難波橋は、明治時代まで一筋西側に架かっていましたが、1915年に現在の場所に移設され、翌年に堺筋の幅が13間(23m)に拡張されています。秋咲きのバラは、今が見頃でしょう。

その先、大阪市庁舎前には地下鉄御堂筋線が通っていて、その1期工事(梅田から心斎橋間)のルートには、堂島川、土佐堀川、長堀川(現在は消滅)という3本の川が流れていました。

その工事の際のエピソードのいくつかを紹介してみましょう。1937年4月に完成する御堂筋より19年も前、1918年(大正7年)に完成した中之島中央公会堂。

1931年(昭和6年)4月9日、淀屋橋北の地下鉄工事現場で、土佐堀川の水を堰き止めていた鋼矢板が決壊、市役所前の電車道にまで水が溢れだす事故が発生しています。1903年に完成した日銀大阪支店ビルは、既にこの地にあったので、その事故を目撃しているはずですね。

土木工学の権威だった京大名誉教授田辺朔郎は、大阪市役所で会見、「橋脚となる部分を深く掘り下げていたが、底に非常に軟弱な地盤があり、水圧のために鋼矢板の底が緩み、崩壊するに至った」と不可抗力を示唆、工事関係者の責任は問われなかったといいます。中之島の高層ビル群

土佐堀川に架かる淀屋橋周辺は、地中深い場所に非常に軟弱な地盤があり、80年前に鋼矢板が崩壊する事故があったことを忘れてはいけません。

1932年(昭和7年)には、地下鉄工事の穴の上に渡した仮設橋から荷車を引いた馬が足を踏み外して下に落ちる事故も発生しています。御堂筋の彫刻

御堂筋の拡張に最後まで反対したのは、北御堂の北側にあった浄久寺で、その地点の電信電話ケーブルは迂回させられ、地下鉄開通後(梅田から心斎橋間は1933年5月)にやっと本来の位置に戻されたといいます。北御堂の門

地下鉄御堂筋線は、1935年10月に心斎橋から難波まで開通しますが、御堂筋の完成は、地下鉄から1年半遅れとなる1937年4月、日本はそれから4年後、対米戦争に突入するのです。

参考文献:御堂筋ものがたり 三田純市著



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天王寺動物園の動物写真、今回は鳥シリーズです。カンムリヅルの目(手塚治虫、火の鳥のモデル)その美しさからウガンダの国鳥となっています。

ダチョウの目(水晶体の奥の虹彩と瞳孔が良く見えます)、先日見た映画「猿の惑星 創世記」には、遺伝子操作されて脳が発達した猿の瞳孔が緑色に変化するというシーンがありましたね。

さて、若生謙二さんの著書「動物園革命」の中から、世界に通用する動物園について若生さんの意見を紹介しましょう。ペリカンの目(本来は瞳孔が見えるのですが、この写真には写っていませんね)

動物園で野生動物に出会うことが観客の生命観を刺激し、動物の暮らす環境に思いをはせることで、人としての環境観が育つのではないでしょうか。シュバシコウ(朱色の嘴の鴻)の目

人間が野生動物の生息地に入ると、動物は植物と暮らしていることにあらためて気づくといいます。ベニイロフライミンゴの目

植栽や地形の変化、水の流れなどを使って、生息地を体験する場をいかに造り出すか、その構成が動物園の成否を握っているようです。オジロワシの目

観客が動物園内を歩く数時間、そこで実際の生息地の野生動物に出会ったような体験ができるなら、人々の動物(自然環境)に対する意識も変わるのではないでしょうか。チリーフラミンゴの目

世界に通用する動物園の展示スペースを造り、その成果を世界に発信し、その評価を受けることが世界水準への到達の道と若生氏は考えているそうです。イヌワシの目

ROSSの意見ですが、以前ウオルトディズニーワールド(フロリダ州オーランド)にあるアニマルキングダム(面積何と200ha)という素晴らしい動物園に行ったことがあります。シラサギの目

この天王寺動物園(11ha)の土地をそっくり売却して、鶴見緑地公園(126ha)の中に移転、その広さを使ったサファリゾーン等を造れば、アニマルキングダムに匹敵する自然動物園となりそうです。ソウゲンワシの目

それが実現できれば、USJや海遊館以上の集客施設となり、外国や日本各地から大阪へ来る観光客も激増するのではないでしょうか。

参考文献:「動物園革命」 若生謙二著



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八軒家浜から中之島バラ公園までの景観が気に入っているので、たまに通勤ルートを変えて天満橋駅で下り、会社のある本町まで早朝散歩をしています。八軒家浜前の大川

そのルートとなる中之島公園では、10月22日から30日までの9日間が、水辺のイベント(24件)が楽しめる「水都大阪2011」の「チャレンジウイーク」が始まっていました。中央が中之島公園

公式HPによれば「めぐる・たのしむ・つなぐ・かんじる」という4つの視点のプログラムがあるそうです。天神橋の上から見た大川と八軒家浜

八軒家浜から天神橋へ、そこから螺旋スロープを通って中之島公園に下ります。剣先部分の景観もなかなかのものですね。

天神橋の下を潜ると、中之島公園の芝生広場です。なかなか良く手入れされていますね。

その「水都大阪2011」は、府民市民がプログラムに参加することを通じて、互いに楽しみを分かち合い、水辺を使いこなし、大阪に愛着を持つ環境を創造することを目標としているとHPにありました。中之島公園のバラ園に到着。

そのイベントの一環として、2年前の「水都大阪2009」の際に八軒家浜に展示されたラバーダックが今回も「中之島バラ園」のばら園橋の横に登場しています。

実物をまだ見ていない人は、この機会に中之島公園に足を運んでみてはどうでしょうか。ラバーダック

 

秋咲きのバラとラバーダックを楽しみ、家族や友人同士のつながりに思いをはせ、土佐堀川の流れを見ながら、環境の大切さを感じて欲しいということでしょうか。中之島公園バラ園中心部のバラも、かなり開花しています。

この通勤ルートを歩いてみると、大阪の中心部に意外と緑が多いことに気がつきます。

つづく



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天王寺動物園に入った右側(北園)、カバ舎の池のカバ。カバ舎は、アフリカサバンナの草食動物エリアと離れていて、一体感が無いと動物園革命の著者、若生謙二氏は批判しています。

その隣のサイ舎。ここでは観客の視線がアフリカサバンナのイメージとはそぐわない高速道路の高架がある南向きとなっています。

天王寺動物園の誇るアフリカサバンナ草食動物エリア(2000年完成)の動物達は、従来の見下し展示では無く、観客が見上げる位置に配置されているのが特長です。キリン。

動物達の生命の尊厳を観客に伝えるためには、立場を逆転させて動物を空間的に優位な場所に配することが大切と若生謙二氏は書いています。レッサーパンダ

カナダのトロント動物園の面積は500ヘクタ-ル(大阪城公園の5倍)もあるとか。トラの中の最大種アムールトラ

2006年に完成したアフリカサバンナ肉食動物エリアのオスのライオン。隣の草食動物エリアにいるキリンやシマウマと一緒に写真撮影できるチャンスもあるようです。

北園の奥にある肉食動物は、まだ檻の中で展示されているものが多いようです。ウンピョウ

2009年に公開された映画「沈まぬ太陽」の中に、ニューヨークのブロンクス動物園を主人公が訪れるシーンがありますが、そのロケはこの天王寺動物園で撮影されています。ヒョウ

映画の若松節朗監督は、映像の専門家として天王寺動物園がニューヨークのブロンクス動物園に比肩する場所と判断したのでしょう。ピユーマ

最後は、哺乳類ではありませんが、カンムリツルの美しい冠を見てやってください。

参考文献:動物園革命 若生謙二著

つづく



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靱公園で世界スーパージュニアテニス大会が開催されていましたので、選手とテニスボールの同時撮影にチャレンジしてみました。

センターコートでは、 沢柳璃子(1994年10月25日生まれ)対 尾崎里紗(1994年4月10日生まれ)の試合をやっていました。沢柳のサーブ

この大会女子シングルスの第5シード選手となっている尾崎のバックハンド

沢柳は、9月にあったGSユアサ女子オープン(室内/カーペット)の女子ダブルスで10歳以上年長の去年の優勝ペアを破り初優勝しています。沢柳のフォア

一方の尾崎は、6月にイギリスであったウィンブルドン選手権ジュニア部門で、ジュニア世界4位のチュニジアの選手をフルセットの末に破る金星を挙げている楽しみな選手です。尾崎のサーブ

選手とテニスボール、高速で移動する両者を同時に写真に撮るのは大変ですが、カメラの癖に馴れれば意外と簡単でした。沢柳のバックハンドのフォロースルー

試合はフルセットまでもつれ、どちらが勝利してもおかしくない互角の戦いでした。尾崎のフォアハンド

結局5-7、7-5、7-5でノーシードの沢柳が勝利しています。ジュニアの大会では、シード選手が有利とは限らないようですね。沢柳のバックハンドスライス

最後に、NO1コートの試合に登場していた昨年の女子シングルス準優勝者、小和瀬望帆(第3シード)のサーブ

 



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長堀通と佐野屋橋筋との交差点。かつて堀があった頃、ここにあった橋が「佐野屋橋」で、筋の名前となっています。

長堀通から北に入ると、船場と呼ばれる地区ですが、その場所を正確に特定できるのは今の大阪市民でも少数派ではないでしょうか。

船場地区に入ると、ゴチャゴチャした店が減り、ビルが増えてきます。

この右にもビルがありましたが、昨年解体されたままで、今は駐車場となっています。

そこには佐野屋橋筋から御堂筋までを占める広大なスペースが広がっていました。

さて、佐野屋橋筋は、難波神社の西側で一旦建物に突き当り、クランク状に曲がっています。

難波神社の左側が佐野屋橋筋、右に進めば御堂筋との交差点。

船場の中心の一つだった南御堂の石垣に突き当たって佐野屋橋筋は終わります。

御堂筋から見た南御堂。地下鉄御堂筋線の車両は、南御堂の前に開けられた大きな穴から地下に下されたと「御堂筋ものがたり」に出ていました。

参考文献:御堂筋ものがたり 三田純市著



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1893年に完成した新戎橋で道頓堀を北に渡ると、東西が東横堀と西横堀、南北が道頓堀と長堀で囲まれた島となっている「島之内」と呼ばれる雑然とした地区に入ります。

この付近は、平安末期に石清水八幡宮の荘園だった関係で、八幡神を勧請した御津八幡宮があり、この辺りは八幡町と呼ばれています。

この付近の佐野屋橋筋から西がアメリカ村で、若向きの小さな商店が軒を並べ、以前は相当賑わっていましたが、今は前ほどの活気は無いようですね。

島之内の中央部、周防町まで来ると、雑然としていた佐野屋橋筋の両側にビルが目立ち始めます。

もともと島之内は、長堀の北側、船場の店に勤める店員、職人のための住宅地で、江戸時代から雑然とした街並みでしたが、船場地区からの都市開発が南に延び、区画の整理が進んできています。

この佐野屋橋筋には、大阪の都心には珍しい銭湯「清水湯」があり、早朝5時半から深夜1時まで営業しています。

「清水湯」の入浴料は大人410円。別料金を払えば貸タオル、シャンプー、石鹸が使え、風呂道具無しでも入浴ができるので、利用する人に喜ばれています。

さて、日航ホテルの裏まで来ると、その先は長堀通との交差点です。元々佐野屋橋は、長堀に架けられていた橋で、1657年の大坂地図に既に記載されているという古い歴史があるようです。

大正末期以前の御堂筋の幅は、この佐野屋橋筋を歩くとよく判ります。

 つづく

 参考文献:御堂筋ものがたり 三田純市著

 



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先週、靱公園であったHP女子オープンテニスでは、ダブルスで伊達が優勝しましたが、今週の靱公園は大阪市長杯世界スーパージュニアテニスです。第1シード、スイスのALLGURIN(ジュニアランク世界27位)のサーブ

ALLGURINの対戦相手、野井夕夏子のフォアハンド。野井は最初のセットを3-6で落とし、野井には強すぎる相手と思われました。

ところが、第2セットから野井が健闘して6-3と取り返し、最終セットでも7-5と第1シードのALLGURINに競り勝っています。ALLGURINのフォアハンド

ナンバー1コートでは、第6シード、リヒテンシュタインのVON DEICHMANN対足立真美の試合が始まっていました。VON DEICHMANNのサーブ

VON DEICHMANNは、立ち上がりにダブルフォールトを連発、足立が一時2-0と優位でしたが、次第にシード選手としての本領を発揮し6-3、6-2と圧勝しています。足立真美のサーブ

イギリスのDUNNE。これでもジュニアです。

ダンの対戦相手、江見優生乃のフォアハンド。最後までしっかりとボールを見ていることが判ります。

太い腕から繰り出すダンの強烈なサーブ

江見は、第2セットを取るチャンスもあったのですが、ダンに6-1,7-6で破れています。ダンに比べると腕が細い江見優生乃のサーブ

体格で外国人選手に引けを取っている日本のジュニア選手達ですが、テニスでは精いっぱい戦っていましたね。



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御堂筋は、梅田から難波まで約4キロ。その御堂筋のすぐ西、南海難波駅に近い旧歌舞伎座の裏から御堂筋に並行する南北の筋(長堀から北は佐野屋橋筋)を紹介しましょう。

現在、御堂筋の幅は、24間(約43m)もありますが、もともと大阪にある南北の筋の幅は、3,5間(約6、3m)で統一されていて、旧歌舞伎座の裏から北に伸びる佐野屋橋筋の幅程度だったようです。

一方、東西の通の幅は、南北よりも広く4,5間(約8m)、夏に海からの涼しい風が吹き抜けるようになっていました。佐野屋橋筋を北に歩くと、千日前通との交差点が見えてきます。

山片蟠桃(1748~1821年)は、火災予防の観点から淀屋橋から心斎橋までの間の道路(御堂筋)を広げることを著書(夢の代)で提案、御堂筋拡張プランは既に江戸時代からあったようです。千日前通を渡ると、両側の柱に出世地蔵筋と掲示されていました。

池上市長、関助役のコンビによって御堂筋の拡張計画が具体化したのは、1921年(大正10年)になってからです。千日前通から少し入るとゴチャゴチャした街並みとなります。

その2年後、関東大震災が発生したことを教訓として御堂筋は即座に緊急事業に格上げされ、1926年10月から工事が始まっています。ところで3・11東北大震災を教訓とした緊急防災対策は必要無いのでしょうか。赤い柱は道頓堀に架かる新戎橋(1893年に初代が完成)の欄干、右が出世地蔵

御堂筋の拡張工事では、工事費の一部を御堂筋周辺に土地を持つ受益者に負担させたため、かなりの苦情があったようですが、防災上必要な事業として工事が続けられたようです。道頓堀の南にある出世地蔵

御堂筋の工事が始まってから7年後(1933年)、イチョウ苗木の植樹がスタートしています。新戎橋から道頓堀の西側

イチョウの大量の苗は、大阪近郊で調達できなかったため、埼玉県から15年生の苗木千本を買い付け、旭区の豊里苗園で大阪の土に馴らしています。新戎橋から道頓堀の東側

1933年に15年生だったイチョウは、今年(2011年)93歳になるはずですね。梅田から難波までの御堂筋の完成は、1937年(昭和12年)、着工から11年後のことでした。

つづく

参考文献:御堂筋ものがたり 三田純市著



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日本の夕陽100選の一つ、WTCコスモタワー展望台から撮った夕陽のいくつかを以前紹介しましたが、まだ少し在庫がありましたので掲載しておきましょう。強風時のシーサイドコスモから。

これは、舞子付近に沈む夕陽。空気の透明度が低いと太陽が赤く写ってしまうようです。コスモタワーから

夕陽は、舞子から明石海峡大橋明石側主塔の左側に移動します。太陽の前に薄い雲があり、このような条件が露出とピントが合い易くベスト。シーサイドコスモから。

夕陽は、次第に明石海峡大橋淡路側主塔方向に移動します。太陽の前に殆んど雲がありません。この条件では光が強烈過ぎて露出とピントが合い難いですね。コスモタワーから

10月上旬、明石海峡を横断した夕陽は淡路島に上陸します。シーサイドコスモから。

日没後、大阪港大関門を通過しようとする6万9千トンの大型クルーズ船。水平線の左側に明石海峡大橋が、かすかに見えています。コスモタワーから

太陽が明石海峡大橋の向こう側の海に沈む現象は、年に数回見ることができますが、明石海峡大橋がこれほどクリアに見える日は少ないようです。右の島は神戸空港

その神戸空港に着陸する飛行機を、WTCコスモタワーから見ることもできます。

最後にもう一枚、シーサイドコスモからの巨大な夕陽をどうぞ。

大阪ベイエリアには、日本の夕陽100選のうち2か所(咲洲コスモタワー展望台と舞洲)が登録されています。こうして見るとその理由が判るような気がします。

 



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他のホテルでは、めったに見ることができない広いドレッシングルーム。この中で2~3人は寝ることができそうです。女性のためにネイルドライヤーが装備されているのが特長です。正面の鏡には向かいの浴室が写っています。

引き出しの中には、和風旅館にあるような二人分の浴衣がありました。下の白いのは帯です。

左右2か所に洗面台がある浴室。あまり広いので、浴槽が実際よりも小さく写っています。壁の石は、岩風呂のイメージでしょうか。

欧米系ホテルにある浅い浴槽ではなく、和風の深い浴槽。足を完全に伸ばしたまま、ゆったりと首まで浸かって入浴することができるサイズがあります。

脇のタッチパネルでバスルーム照明やBGM、浴室内のテレビがコントロールでき、何と水の騒音をデジタル消去できるハンズフリーフォンも搭載されているので、入浴中の電話が可能です。

バスタブの左側にある12型液晶テレビ、これを見ながら入浴していると、つい長風呂となってしまいます。左のガラス扉の中がトイレ。

客室の基本的なレイアウトは、ペニンシュラ香港で決定されたようですが、これだけのスペースがあるなら、トイレと浴室は分けて配置して欲しかったですね。トイレの中にも電話はあります。

バスタブ右側の洗面台とシャワーブース。壁にはバスローブが二人分掛けられていました。

引き出しの中のアメニティグッズは、箱入りです。

 

今回の東京旅行では、「ミシェランガイド東京」の赤いハウス5つ(最高級ホテル)に初めて宿泊しました。同クラスのホテルは東京にあと8軒も残っています。

そうそうペニンシュラ名物マンゴープリンも調達したので、最後に紹介しておきましょう。評判通りの絶品プリンでした。

参考文献: メイキング・オブ・ザ・ペニンシュラ東京 山口規子著



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