野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日に続いて賀茂御祖神社(かものみおやじんじゃ・通称下鴨神社)の糺の森について紹介しましょう。・・・南口鳥居

公益財団法人・賀茂御祖神社・境内糺の森保存会のHPには<文化と文明の賜物を次代へ伝えるためにも、都市の森林は極めて重要な役割を担っています>・・・楼門

<また、森は多くの人々に健康や生き甲斐づくりの場を提供、人の暮らしに寄り添う森は、人々の心身と暮らしを快適で健康にするだけでなく、町の潤いと美しい景観を守ります>・・・観光客のいない楼門

<紀元前3世紀ごろの原生林と同じ植生が今に伝えられる「糺の森」は、貴重な都市の森林として国の史跡であるだけでなく、国宝2棟、重要文化財53棟、重要社殿30棟など歴史的建造物を数多内包し、ユネスコの『世界文化遺産』にも登録される文化の森です>・・・舞殿

<この貴重な世界遺産「糺の森・国宝賀茂御祖神社」を保存し、次代につなぐことは、我が国の文化と環境を守ることはもちろん、都市における自然環境保護につながると考えております>舞殿と楼門

ところが下鴨神社には21年ごとに社殿などを修復・新調する「式年遷宮」の儀式があり、糺の森の整備にまわす費用も不足したため、神社は境内に「定期借地権付きマンション」の建設を決意しています。

マンション購入者には、下鴨神社の氏子のような気持ちで、糺の森と下鴨神社の保全に協力して貰うということですが、京都の閑静な場所に住まいを持ちたいお金持ちには、理想的な住居となりそうです。・・・糺の森にある末社の雑太(さわた)社。この前で日本のラグビーの歴史が始まったとありました。

ただし購入者には、借地期限が切れる50年後に建物を解体、更地にして神社に返却することが義務付けられています。・・・糺の森

不動産会社のHPによれば、99戸ある住戸の価格は約7000万円~約1億円、専有面積は、65.64m²~83.80m²、他に管理費、修繕積立金、地代、(50年後の)解体準備金が必要とありました。・・・道路の向かいにある「糺の森」をいつでも自分の庭のように散歩することができるのなら安いと考える富裕層は、意外と多いかも知れません。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




公益財団法人・賀茂御祖神社(かものみおやじんじゃ・以下通称の下鴨神社とします)・境内糺の森保存会のHPによれば、神社の「糺の森(ただすのもり)」は、縄文時代から続く3万6千坪の森で、ケヤキ、エノキ、ムクノキなどの広葉樹を中心に、樹齢600~200年の樹木が約600本もある貴重な森です。

 

下鴨神社は「糺の森整備計画」を作成していますが、神社には21年ごとに約70棟の社殿などを修復・新調する「式年遷宮」があり、1回の遷宮に約30億円もの費用がかかるため、糺の森の整備費用が工面できなくなっています。2015年の34回目の遷宮では、国の補助金と寄付を合わせても必要額を満たせず赤字となっています。

神社は、その赤字の穴埋めと「糺の森整備」を進めるため、 やむを得ず境内に「定期借地権付きマンション」の建設を決意しています。・・・鳥居の先には、マンションと整備された参道がほぼ完成していました。

「京都市」のHP(京都市情報館)には<今回の計画地は,世界遺産である糺の森から道路を隔てて南側に隣接し,法令上集合住宅の建設が可能な地域である>・・・糺の森の南側から見たマンションと整備された参道

<地域は「既存樹木の保全」,「日本瓦葺きの和風外観の建築物」などの景観が求められ、参道沿いは「緑豊かな社家町の雰囲気の継承」が求められる地域である>・・・糺の森の参道

<計画地は,アスファルト舗装の元駐車場だった場所で,そこに建物を数棟に分けて配置し、日本瓦や生垣を施すとともに,糺の森と調和した整備がなされる>ことで景観は守られるとし、工事を許可したようです。・・・二の鳥居

ところが周辺住民らが市風致地区条例違反だとして、許可の取り消しを求めた訴訟を京都地裁におこしています。・・・糺の森

今年(2017年)3月30日に京都地裁でその判決があり、久保田浩史裁判長は住民の訴えを却下しています。

その要旨は、「景観条例は、不特定多数の利益を保護するもので、周辺住民だけの個別的利益を保護するものではない」とし、周辺住民には原告としての適格がないと判断したようです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日長谷寺を訪問した際に見た5月の花を紹介しましょう。・・・シャクナゲ

 

これもシャクナゲ

 ウツギ(卯の花)

ツツジ

シャクナゲ

新録

オオデマリ

菊桜

長谷寺は牡丹で有名ですが、それ以外の花も至る所に咲き誇っている花の寺でした。・・・ツツジ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




近所の干潟でシロチドリ(17cm・環境省レッドリスト2017の絶滅危惧Ⅱ類指定)の番(つがい)を観察していました。前が♀、後ろが♂

 

突然♀が立ち止まると、♂が♀の背中に飛び乗ろうとしています。・・・交尾がはじまるようです。

♀が座り込み、その背中に♂が足を下ろしますが、不安定なので翼を広げてバランスを取っています。

♂は、♀の背中の上の足(正式には跗蹠ふしょ)を折って体を安定させ、翼を畳み。

恐らく、これが総排泄腔をドッキングさせた交尾の瞬間でしょう。

まだ続いています。先日紹介したコアジサシよりも長い時間をかけて交尾するようです。

♀が立ちあがりました。これで交尾は終了でしょう。

♂が♀の背中から足を下ろしています。

恐らく近くで営巣し、これから繁殖活動が始まるのでしょうが、絶滅危惧指定が解除される日が来るのでしょうか。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




天気が良かったので、ブラリと長居植物園に行ってきました。そこの5月の花を紹介しましょう。

バラは青空に映えますね。

シャクヤク

ポピー

バラ

シャクヤク

バラ

シャクヤク

バラ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




近所の干潟に行ってみると、繁殖地のロシアなどに渡る途中のシギチドリが、渡来してきています。・・・先頭の1羽はアカアシシギでしょう。

殆んどが小型のトウネン(15cm)ですが、やや大きなシギチドリも少数ですが混じっています。

干潟に着地

トウネンの群れの中に3羽いるやや大きなグレーの鳥はキアシシギ(25cm)でしょう。

トウネン(15cm)の群れの中央の1羽は、腹が褐色、クチバシが長いのでサルハマシギ(22cm)でしょう。後方の灰色の大型シギはキアシシギ

中央がサルハマシギ、最後尾がキアシシギ

着地する寸前のサルハマシギ(クチバシの長い1羽)が中央に見えています。

干潟で休むシギチドリ

いつまでもこういう景観を楽しみたいのですが、日本に渡来するシギチドリは激減しているのが現状なのです。・・・トウネンとキアシシギ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




五月晴れの昼休み、会社の近所にある靱公園まで出かけてみました。

 

バラ園ではバラが満開

まだ蕾のバラもあるようです。

こちらはタンポポの花

バラには青空が良く合いますね

木漏れ日を浴びるバラ

シャクヤクの花に似たバラもありました。

バラの花に埋もれているのは、近所の職場から繰り出して来たOLでしょう。

ゴクラクチョウ花も今が見頃となっていました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日の記事からの続きです。・・・西郷がその名前を高め、維新の元勲となるきっかけをつかんだのが禁門の変でした。その際の西郷を紹介しましょう。

西郷の薩摩第二隊(600名)には、大砲隊長中原猶介(33歳)の指揮する新式の葡萄弾砲(榴散弾砲)四門がありました。それを長州軍に向けて一斉射撃したため、攻勢だった長州軍は動揺。

<長州軍を率いる来島又兵衛(48歳・長州の猛将)は、満面に朱をそそぎ馬首を返して烏丸通りに飛び出してゆき、薩摩軍の正面に突きこんだ。鬼来島の名にそむかぬ武者ぶりであった(中略)>

<(西郷側近の)村田新八(29歳)と税所篤(38歳)は、(巨体の)総大将の西郷吉之助が第一線に飛びだしてゆこうとするのを引き留めるのに苦労していた(中略)>

馬上の西郷は、長州側からも良く見え、集中射撃を受けましたが、勇敢にも第一線に飛びだしたのでした。

<西郷は銃弾の乱れ飛ぶ街路の真ん中に馬を止め、味方の兵士たちに向かって「退くな、一歩も退くな」と怒鳴っていた>

西郷は、長州軍の銃弾で足を負傷(側近の税所篤も3発の銃弾で重傷)、西郷の指揮で奮い立った薩摩兵は長州軍を圧倒、来島又兵衛が戦死したことで長州軍は撤退し蛤御門は守られたのです。

蛤御門を守備していた幕府軍(会津・一橋連合軍)は壊滅寸前の状態にあり、西郷の援軍がなければ、長州軍が京都御所になだれ込み、天皇を奪うクーデターが成功した可能性がありました。

それを防いだのは、西郷と彼が指揮する薩摩軍だったのです。この戦闘以降、西郷は幕末におけるカリスマ的な存在となったのでした。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日の記事の続きです。・・・西郷が所属した薩摩第二隊の主将島津備後(22歳?)は、藩主島津忠義の弟(島津久光の第三子)なので名目的な存在、それに次ぐ小松帯刀(30歳)は家老として宮中との連絡業務に当たっていたようです。

 

従って薩摩第二隊(600名)は、軍賦役の西郷吉之助(37歳)が実質的な指揮官でした。禁門の変のときに西郷がどう活躍したか、林房雄の小説から紹介しましょう。<・・・>が小説からの引用

<(幕府側の禁裏守備隊は)長州勢の逆寄せにあって、計画が狂った(中略)蛤御門は陥落の寸前にあった>

<すぐ隣の仲立売御門を守る越前軍は、国司信濃(23歳・長州藩家老)の率いる長州軍に押しまくられて退却、長州軍は公卿屋敷の門を破り、蛤御門の会津、一橋連合軍に十字砲火をあびせかけた>

長州軍を迎え撃つ会津兵・一橋兵の数は多かったようですが、近代兵器と優秀な指揮官を欠き、戦意も不足していたようです。

<蛤御門が突破されれば、公卿門が危うくなる。長州兵が内裏の庭になだれをうって突入したら、勝利は彼らのものとなる>初戦は銃砲で武装し、戦意旺盛な長州軍が優勢だったのです。

<このとき丸に十字の旗印をひるがえした(西郷隆盛率いる)大部隊が、烏丸通りを迂回して、長州軍の背後と側面にあらわれた。(長州軍への)不意打ちであった>

この朝、薩摩第二隊は長州軍の拠点があった天龍寺を目指して出撃していましたが、蛤御門の砲声を聞いてすぐに引き返していたのです。

<長州軍としては、御所の乾御門(蛤御門の北側)を固く守っている(軍役奉行伊地知正治率いる薩摩第一隊)薩摩軍がここまで突出して来ようとは思っていなかった>

つづく



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




西郷隆盛(1864〜1877年)は薩摩藩の下級武士(家督相続時に禄高41石)でしたが、名君島津斉彬の目にとまって抜擢されたことは有名です。中之島公園のバラの写真と一緒に西郷隆盛を紹介しましょう。

 

西郷は、藩主斉彬の急死で失脚、3年間も奄美大島に流され、復帰後すぐにまた2年間の流罪となり、1864年にやっと赦免され、京都に派遣されています。

二度も島流しにあった西郷隆盛が薩摩藩のカリスマ的な存在となるのは名君島津斉彬に寵愛されたことの外に、1864年(西郷37歳)の蛤御門の変で長州軍と命懸けで戦ったことがきっかけとなったのではないでしょうか。

この禁門の変以降、西郷は急速に存在感を高め、薩長同盟を成立させ、王政復古、戊辰戦争を主導、さらに勝海舟との降伏交渉による江戸城総攻撃中止も有名です。

西郷隆盛が禁門の変のときにどう活躍したかについて、林房雄の小説から紹介しましょう。<・・・>がその引用

<薩摩屋敷には1200の精兵が結集していた。大部隊である。屋敷の庭には入りきれぬのでとなりの相国寺の境内にまであふれ出て、さかんな篝火を焚いて気勢をあげていた>幕府側の総兵力は3200人だったので38%が薩摩部隊でした。

<(薩摩軍奉行の)伊地知正治(当時37歳)の軍略によれば、この軍勢を二手に分け、第一隊の主将は島津図書(24歳・久光の第二子)。大目付町田民部(27歳)と軍役奉行伊地知正治がこれを補佐し、鹿児島城下隊の他に隈の城、水引、蒲生の外城隊を率いて「乾御門」をかためる(積極的に戦闘をしない守備隊)>

<第二隊の主将は島津備後(22歳?・久光の第三子)。家老小松帯刀(30歳)と軍賦役西郷吉之助(37歳)がこれを補佐>(経験と年齢からみて実質的な指揮官は西郷隆盛でしょう)

<城下隊の他に出水、高岡、阿久根の外城隊を率い、これに大砲隊長中原猶介(33歳)の指揮する兵庫海軍修業所の生徒達が新式の葡萄弾砲(榴散弾砲)四門を持って加わり、天龍寺方面の敵の本陣を突くことになっていた(積極的な攻撃部隊)>

つづく



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




朝、近所の干潟にロシアなど北の繁殖地に渡る途中の旅鳥、キアシシギ(体長25cm)と、メダイチドリ((20cm)がきていました。

キアシシギの向こうから、見なれないチドリが歩いてきました。

足が長くて体形がスマートなチドリ

手前のシロチドリ(体長17cm)と比べると、かなり大きなチドリです。

クチバシの長さがやや長く、足も長いので、オオメダイチドリ(体長24cm)の幼鳥のようです。

うまくメダイチドリ♂と並んでくれました。メダイチドリよりもやや大きく足も長いので、やはりオオメダイチドリでしょう。

メダイチドリ♀とオオメダイチドリ

メダイチドリ♂とオオメダイチドリ

メダイチドリ♂とオオメダイチドリ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




長居植物園のバラの写真の続きです。・・・バラ園の全景

 

一重のバラも綺麗です。

芸術的な青空とバラ

昆虫とバラ

ピンクのエッジがあるバラ

フタホシヒラタアブとバラの花

赤紫のバラ

椿のようなバラ

白黒写真の中のバラ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




近所の干潟に行ってみると、繁殖時期を迎えたコアジサシ(体長26cm)がやってきていました。

 

これがコアジサシ(環境省レッドリスト2017の絶滅危惧Ⅱ類に指定)

環境省レッドリスト2017の絶滅危惧Ⅱ類に指定されたということは、近い将来、日本では見ることができなくなる野鳥ということでしょう。

こうして群れて飛ぶコアジサシが見れなくなるのは残念ですが、経済成長のためなら仕方がないということでしょう。

中央の2羽は、コアジサシより約10cmほど大きいアジサシ(体長35cm)です。

コアジサシのカップル。前方がプレゼントされた魚を飲み込む寸前の♀。やや後ろで首を伸ばしているのが♂

干潟で休む♀に魚をプレゼントするため、♂達がせっせと飛びたっていました。

コアジサシは雌雄が同色なので、外観からは区別がつきません。

必死で飛びたつのは♂、干潟で魚のプレゼントを待つのは♀でしょう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




長く行っていなかった長居植物園に行ってきました。・・・クジラの骨格展示

今回は、カメラを芸術的な設定にしてみましたので、その成果を紹介しましょう。

クロスプロセスという設定は、色合いや彩度、コントラストがシャッターを押すたびに変化します。

非現実的な色彩となっています。

こちらはグリーンが抑えられた色彩

前日が雨だったので、バラの花弁に水滴が残っていました。

空の色も非現実的です。

こちらはナチュラルに近い色彩

バラの花びらをできるだけ大きく写してみました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今の季節、近所の干潟ではシロチドリとメダイチドリを見ることができます。・・・中央上の胸が茶色でやや大きいのがメダイチドリ、両側がシロチドリ

シロチドリ全長17cm。上面は灰褐色、下面は白い羽毛、眼上部に入る眉状の斑紋(眉斑)も白。

嘴から眼部を通り後頭部へ続く斑紋(眼過線)があり胸部側面に斑紋、左右の斑紋が胸部で繋がる個体もいるようです。・・・この個体は殆んど繋がっていますね

オスの夏羽は頭頂が黒、後頭がオレンジ色の羽毛で覆われ、メスは頭頂が灰褐色で、やや地味な姿をしています。・・・恐らくオス

日本野鳥の会のポータルサイト「BIRD FAN」で、シロチドリが写真撮影された都道府県数は14都府県。その写真数は35枚、そのうち5枚(14.5%)が大阪府で撮影されています。

一方メダイチドリ(全長20cm)の写真撮影された都道府県数は11都府県。その写真数は28枚、そのうち4枚(14.3%・シロチドリとほぼ同率)が大阪府でした。・・・ユリカモメとの大きさ比べ

シロチドリは、環境省レッドブック2017年の絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されていますが、メダイチドリはまだ指定されていません。

メダイチドリは、ユーラシア大陸中東部で繁殖し、冬期は東南アジア、オーストラリアなどへの渡りをおこない越冬すると言われています。

日本では、旅鳥として春と秋の渡りの時期に全国的に渡来、関東以西では、少数が越冬することもあるようです。・・・前方の3羽はトウネン、続く群れがメダイチドリ、最後尾がシロチドリでしょう

干潟などの生息環境が破壊され続けているので、上のような光景は、そのうち見ることができなくなるのではないでしょうか。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ