野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



東大経済学部名誉教授の岩井克人さんが書いた「経済学の宇宙」という本を読みました。その中から興味のあったところを大和川の野鳥と一緒に紹介しましょう。<・・・>が本からの引用(・・・)がROSSのコメントです。。ハシビロガモ

<(バブル期・1880年代末頃までの)日本企業のステレオタイプとして、株主の発言力は弱く、会社の経営にはほとんど口をはさまない。企業経営者の多くは組織の内部から昇進しており、その経営は利益率より企業組織それ自体の拡大を目標としている>・・・マガモ

<日本の従業員は終身雇用制、年功賃金制、企業別組合に守られ、自社に対して強い帰属意識を持っている。生産や流通や開発の現場では、情報を共有した従業員の間のインフォーマルな関係が重視される>・・・5月末頃には北に渡るユリカモメ

<日本の多くの企業はいくつかのグループを形成し、お互いの株式を持ち合っている。大企業は、下請け、孫請けと広がる垂直的な系列関係を長期的に維持している。多くの会社は長期的な貸借関係を保っているメーンバンクから資金を調達している>・・・気の早いユリカモメはもう夏羽になっていました。

<このような日本企業のステレオタイプに対して、単なる神話ではないかという疑いを持っていました(中略)しかし、研究会に招かれた日本の企業人たちが話すホンネは、この特徴づけが決して神話ではなく、当時の日本企業の実態をよく表現していることを教えてくれました>・・・堤防の上から撮ったので、ユリカモメの足の水かきが写っていますね。

<従業員を増やすと、一人あたりの分け前が減ってしまうので企業規模の成長に対して(従業員から)激しい抵抗があるはずですが、(バブルの頃の)日本企業は、世界の中で最も成長志向が高く、それに最も寄与したのが年功賃金制でした>・・・大和川の中洲にいるカモメ類

年功賃金制とは、若年従業員の賃金はその生産性以下に抑え、高年従業員の賃金をその生産性以上とする雇用慣行で、古くからその企業組織に属している高年従業員が、若い従業員が大勢加入することで得をする制度です。・・・こちらはセグロカモメでしょう。

年功賃金制は、今も素晴らしい制度だと思うのですが、経済成長が持続しないと成り立たないのでしょう。・・・青空の下を飛ぶセグロカモメ

岩井克人さんが書いた本を読んで、経済学のことがなんとなく判ったような気がしました。・・・最後にもう一枚

参考文献:「経済学の宇宙」 岩井克人著



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3月末、南方で越冬していた渡り鳥たちが繁殖のために戻ってきます。そのなかには環境省の絶滅危惧種に指定された野鳥もいます。・・・シロチドリも絶滅危惧Ⅱ類(VU)

シロチドリに囲まれた中央のクチバシのやや長い鳥は、ハマシギでしょう。ハマシギも準絶滅危惧種(NT)に指定されている野鳥です。

シロチドリのアップ

今年、近所の池で越冬したアカアシシギ(下)も、シロチドリと同じ絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている野鳥です。

北の繁殖地に向かう途中、先月末に大阪に立ち寄ったホウロクシギ。これも絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている野鳥です。

ホウロクシギは、体長55~65cm。日本で見ることができるシギの仲間では最大種ですが、生息数は少ないようです。

4月中旬には、オオソリハシシギ(体長37~41cm・去年撮影)が大阪に立ち寄ってくれるはずです。オオソリハシシギも絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている野鳥です。

近所の公園で見かけるチュウヒは、絶滅危惧Ⅱ類(VU)よりも絶滅の危険性が高い絶滅危惧ⅠB類(EN)に指定されている野鳥です。

3月上旬まで近所で越冬し、北に渡ったツクシガモも、絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定された野鳥です。絶滅が心配される野鳥をこれだけ見ることができる大阪は、まだ自然の豊かな都市と言えるのではないでしょうか。



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天気の良い朝、近所の干潟にでかけてみると、見なれない大型のシギが遠くのヨシ原を歩いているのが見えました。

2羽の大型シギは、ほどなく近くの干潟に移動して、休憩するようです。

クチバシの長さと、腹部の色から環境省の第4次レッドリスト(2012)で絶滅危惧Ⅱ種(VU)に指定されているホウロクシギで間違いないでしょう。

デジカメのデジタルズーム機能を活用して拡大撮影してみました。

ホウロクシギの体長は、55~66cm。日本で見ることができるシギの仲間では最大種でしょう。

ホウロクシギは、雌雄おなじ体色をしていますが、♀の方がやや大きく、クチバシも長いようです。

ホウロクシギの翼下面には、茶色い細かな模様がありますが、ホウロクシギとそっくりのダイシャクシギの翼下面は白色。なので両者の見分けがつくそうです。

シャッタースピードを落として撮影したので、少しぶれてしまいました。

絶滅危惧種のホウロクシギでも、こうしてちゃんと見ることができるのが大阪の素晴らしいところでしょう。・・・これもブレてしまった失敗作です。



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先日、大阪港に次々と入港する海上自衛隊の練習艦・護衛艦を偶然見かけましたので紹介しましょう。

艦首に3508とあるのは当初から練習艦として設計され、1995年に就役した「かしま」です。「かしま」の基準排水量は4050トン、全長143m、全幅18.0m、最大速力25ノット、乗員360名。練習艦なので装備された兵器は76mm速射砲1門、68式3連装魚雷発射管2基だけですが、訓練用の各種兵器シュミレーターが完備されているとか。

艦首に3518とあるのは練習艦「せとゆき」です。「せとゆき」の基準排水量は2950トン、全長130m、全幅13.6m、最大速力29.7ノット、乗員200名。

装備された兵器は、76mm速射砲1門、Mk15(20mm機関砲)2基、4連装ハープーン(対艦ミサイル)2基、74式8連装シースパロー(対空ミサイル)1基、8連装アスロック(対潜水艦ミサイル)1基、68式3連装魚雷発射管2基、ヘリコプターの搭載はしていません。

「せとゆき」は2012年に護衛艦から練習艦に変更され、2013年3月には海上自衛隊初の練習艦女性艦長東良子2佐が着任、東さんが1佐(大佐)に昇任したことで、2015年3月には後任として川嶋潤子2佐が着任、連続して女性自衛官が艦長となっています。・・・神戸ポートアイランドに入るフェリー

さて3番目、艦首に151とあるのは護衛艦「あさぎり」です。「あさぎり」の基準排水量は3500トン、全長137m、全幅14.6m、最大速力30ノット、乗員220名

装備兵器は、76mm速射砲1門、CIWS(ミサイル迎撃20mm機関砲)2基、4連装ハープーン(対艦ミサイル)2基、74式8連装シースパロー(対空ミサイル)1基、8連装アスロック(対潜水艦ミサイル)1基、68式3連装魚雷発射管2基、艦尾にヘリコプターを1機搭載と強力です。

「あさぎり」は、1988年に護衛艦として就役し、2005年に護衛艦から練習艦に一度転籍しています。2011年には「あさぎり」副長に防衛大学女性1期卒(1998年)の大谷三穂2佐(旧海軍の中佐)が就任。・・・あさぎりの軍艦旗

一度練習艦となった「あさぎり」ですが、増強著しい中国海軍への備えとして2012年に再び護衛艦に戻っています。有事の際には、女性艦長であっても200人以上もの男性将兵を陣頭指揮し、敵と戦う任務となりますが、太平洋戦争で大敗した帝国海軍の教訓を生かし、頑張って欲しいものです。・・・上海から来た中国の新鑑真



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辻政信の足跡、今回はその最後、辻の失踪についてジュロン鳥園の猛禽類と一緒に紹介しましょう。・・・タカ目コンドル科のトキイロコンドルは、南米から中米メキシコまで分布

吉田首相とGHQとの橋渡しで有名な辰巳栄一(元)中将は「昭和23年、辻君がひそかに帰国したさい、米国の情報業務に協力することを条件に、その庇護を受けることとなった」と語り、昭和25年に辻政信の戦犯指定が解除されています。・・・日本では名古屋市や鹿児島市の動物園で見ることができるようです。トキイロコンドルの顔

タイから中国に逃亡して首尾よく帰国した辻は、戦犯指定解除のあと体験を「潜行三千里」と題してサンデー毎日に連載、さらに「ガダルカナル」を文芸春秋に、「流転」を改造に発表、敗戦時に逃亡した参謀は、一挙に時代の寵児となっています。・・・タカ目タカ科のシロハラウミワシ(白腹海鷲)は、インド、東南アジア、オーストラリアの沿岸部に分布する猛禽類で、ミサゴと同じように魚類を主食としています。

その人気に便乗するかのように辻は昭和27年、郷里の石川県から参議院選挙に立候補して当選、その後、衆議院議員選挙に3度、昭和34年には参議院選挙に鞍替えし、全国区で当選を果たしています。・・・タカ目タカ科のサンショクウミワシ(三色海鷲)はアフリカの海岸、湖、池沼などに分布する猛禽類。魚類を主としていますが爬虫類や鳥類、哺乳類も捕食するようです。

昭和36年、参議院の許可を受けた辻参議院議員(58歳)は、突然ベトナム、カンボジア、ラオス方面への視察旅行に出発しています。・・・目の周りがハゲているタカ目タカ科のヤシハゲワシは、熱帯アフリカに分布。アブラヤシの実を主として、カニや小魚、両生類なども捕食するようです。

出発に先立ち、辻は友人の林秀澄氏(元大佐)に「内戦中のラオスを見てきたい。ビエンチャンからジャール平原を見て、北ベトナムのビンに出る。そこから空路香港に出て帰国する」と語ったといいます。・・・タカ目コンドルカ科のヒメコンドル(幼鳥)は南北アメリカに分布

414日カンボジアからラオスの首都ビエンチャンに入り、そこで自由ラオス軍(パテト・ラオ)の将校だった赤坂勝美氏と会談。赤坂氏に「ホーチミン大統領に会いラオスでの軍事活動をやめるよう説得したいのでぜひ助けてくれ。アジアの団結のためだ」と語ったといいます。・・・ヤシハゲワシの半身

421日、辻はビエンチャン北方5kmで待つ案内役と合流するため一人で出かけたまま消息を絶っています。・・・タカ目タカ科のシロガシラトビ(白頭鳶)はアジア南部からオーストラリアに分布。両生類、魚、昆虫を捕食するそうです

その後、ジャール平原でパテトラオ軍にスパイとして射殺されたと伝えられていますが、真相は今も不明のまま、現職の国会議員が海外で行方不明となった例は空前絶後でしょう。・・・猛禽類飼育舎の隣にあるサイチョウ飼育舎の白戴冠サイチョウは、猛禽類ではありません

昭和44、家族の請求により東京地方裁判所1968年7月付で辻政信の死亡宣告をしています。

参考文献;作戦参謀 辻政信 ある辣腕参謀の罪と罰 生出 寿著




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天気が良かったので久しぶりに地下鉄天満橋駅で下り、八軒家浜から中之島の栴檀木橋まで早朝散歩してみました。・・・八軒家浜からの大川と中之島剣先公園

大川は中之島剣先で二つに分かれ、左側を流れるのが土佐堀川です。

中之島の右側は堂島川

堂島川の右岸から見た中之島公園

堂島川の右岸は、気持ちの良い遊歩道となっています。ちょっと休憩できるベンチがあればと思いました。

遊歩道を進むと、阪神高速高架橋の向こうに難波橋が見えてきます。

堂島川右岸から見た中之島公園と土佐堀川沿いのビル群です。

難波橋の中央部から、直接中之島公園に下りることができます。正面の橋が栴檀木橋。昔、寂しかったこの辺りには千匹のタヌキがいたのでセンタヌキ橋と呼ばれ、それがいつしかセンダンノキ橋に変わったという話が長谷川幸延のエッセイにありました。

いつ見ても美しい中之島中央公会堂です。



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シンガポールの華僑虐殺を指示した辻参謀の終戦後をシンガポール・ジュロンバードパークのバードショー、キング・オブ・ザスカイズ の写真と一緒に紹介しましょう。

1945715日、タイ国内に第十八方面軍が新設され、方面軍司令官に中村明人中将(当時56歳)、軍参謀長に花谷正中将(同51歳)、高級参謀に辻政信大佐(同43歳)が任命されています。

811日、バンコクの新聞が日本のポツダム宣言受諾のニュースを報道すると花谷と辻は中村軍司令官に合い「ふたたび日本軍が立ち上がるために辻参謀に若干の青年将校を加え地下に潜入せしめたい」と司令官の決裁を願い出ています。

中村軍司令官は「(上部機関)南方総軍の同意と、辻参謀が実行の確信があるというのなら、着手してよろしい」と回答。許可を得た辻参謀は戦争終結放送を聞いた夜に7人の青年士官とともに僧に変装してメナム川河畔にあるワット・リヤーブ寺院に入っています。

915日、英国軍がバンコクに進駐、武装解除された日本軍将兵は捕虜収容所に入れられますが、英国が戦犯として探す辻参謀の姿は無く、英国東南アジア軍最高司令官ルイス・マウントバッテン海軍大将は「草の根を分けても探せ」と命令しています。

辻参謀が出頭すればシンガポールでの華僑虐殺、フィリピンでの捕虜虐殺、ビルマでの英国兵士の生肉試食を追及され、まちがいなく死刑となるところでした。

辻参謀は、英国軍の追及が厳しさを増すなか、1028日に中国重慶政府バンコク出先機関に飛び込み「重慶で蒋介石主席に会見し、日華合作の第一歩を開きたい」と申告しています。

本国政府と相談した重慶政府機関は、辻を中国(重慶)に送ることとなり、華僑に変装した辻一行は何度も危機一髪の窮地を乗り越えて19463月ついに重慶に到着しています。

蒋介石の国民政府は52日重慶から南京に移転、辻も軍事顧問的立場となって71日に南京に転居。1948年の初め「中共軍と国民政府は揚子江を境として南北対立の体制をとるべき」との策を具申していますが取り上げられませんでした。

 

軍事顧問的立場が危うくなった辻は、国民政府国防部に辞表を提出し19485月に帰国、日本でも英国の追及は厳しく、国内潜行を余儀なくされています。

参考文献;作戦参謀 辻政信 ある辣腕参謀の罪と罰 生出 寿著



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シンガポールのジュロンバードパークでは1日に2回、ホークアリーナでバードショーが開催されています。・・・ホークアリーナの客席

朝のショーでは、女性の調教師が登場

イヌワシでしょうか

池の中のヘビの模型をキャッチ

こちらはアメリカの国鳥ハクトウワシ

フクロウ(ミミズク)の飛行

お客の腕に大型のタカを止まらせるショー

シロガシラトビの飛行

シロガシラトビ(白頭鳶)



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3月下旬の今、大阪にある自宅の近所で見ることができる野鳥を紹介しましょう。・・・もうじき北に渡る冬鳥のジョウビタキ♂

遠いのではっきりしませんがカワラヒワ♀でしょう。カワラヒワは留鳥なので渡りはしません。

こちらは色が濃いのでカワラヒワ♂・尻尾の形が決めてでしょう。

早咲きのオオシマザクラの花に来たメジロも留鳥です。

同じオオシマザクラに来た大型の野鳥・ヒヨドリも留鳥です。このヒヨドリは、サクラの花をムシャムシャと食べていました。

芝生の中から丸い昆虫のようなものを見つけて捕食するツグミ・舌が写っていますね。ツグミも冬鳥で、もうじき北に帰って繁殖するのでしょう。

ヤマガラもいました。ヤマガラは留鳥ですが高地に分布する個体は、冬季標高の低い場所に移動するようです。

オオシマザクラの花に囲まれたメジロ

 

ヒヨドリは日本だけに分布する野鳥で、来日した海外バーダーがぜひ観察したい野鳥のひとつだそうです。



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1944年7月辻政信大佐はビルマ訪面軍配下の第三十三軍参謀としてビルマに赴任しています。そのビルマでの辻参謀をオナガガモの着水写真と一緒に紹介しましょう。

ビルマ戦場での辻参謀についてビルマ方面軍の参謀長だった田中新一中将(東條首相にバカヤローと言った前参謀本部作戦部長)は、

「辻という男はたいした傑物だ。戦場における活躍ぶりは大したものだ。ただ彼に望むところは対人関係についての反省だ」

「もう少し相手の立場を尊重する気持ちにならんとな。もっとも吾輩も多少、その傾向はあるがな」、二人とも陸軍大学で教育され、優等で卒業した人物の典型でしょう。

雑誌「人物往来社」昭和41年2月号の「侍大将現場に消ゆ」という記事に、ビルマ方面軍配下の第三十三軍参謀長(辻の上司)をしていた片倉 衷元少将(1898~1991年)の以下の談話が記載されています。下の<・・・・>部分

<辻が終戦間近のビルマ戦線で、敵を凌駕する勇気を養うため、英兵の生肉を食用に供させたことを言っているのだ・・・>

<いくら戦陣中とはいえ、参謀勤務でありながら、自分ばかりでなく他人にまでそうさせたことは人間としてゆるせない>

作家の田々宮英太郎は、雑誌の出版後に片倉元少将に会い、この記事の信憑性を確かめたところ、片倉は

「辻大佐と同じ司令部にいた参謀でN少佐(名を秘す)は、戦後、私を訪ねてきて、この事実を詳細に話していったんだからまちがいありません」と言ったといいます。

参考文献;作戦参謀 辻政信 ある辣腕参謀の罪と罰 生出 寿著

 



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オウムとインコは良く似ていますが、体の大小では無く、頭に冠羽があるのがオウム、無いのがインコと分類されています。ジュロン鳥園パロットパラダイスのオウムとインコの写真と一緒にその例を紹介しましょう・・・下のモモイインコはインコと呼ばれていますが頭に冠羽があるのでオウム目ロオウム科の鳥です

ペットとして有名なオカメインコも、立派な冠羽があるのでオウム目オウム科の鳥。

オウムの中で派手な冠羽を持つヤシオウムは、国際自然保護連盟(IUCN)作成のレッドリスト絶滅危惧ⅠA種(CR)に指定されている鳥。この派手な冠羽のせいかも知れません。

大型のアラゲインコは、冠羽が無いのでオウム目インコ科の鳥です。国際自然保護連盟(IUCN)作成のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ種(VU)に指定されています。

こちらヨウムも冠羽が無いのでオウム目インコ科の鳥です。国際自然保護連盟(IUCN)作成のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ種(VU)に指定されています。

ブラジルの国鳥ニョオウインコは、国際自然保護連盟(IUCN)作成のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ種(VU)よりも厳しい絶滅危惧ⅠB種(EN)に指定されています。

アケボノインコはオウム目・オウム科に分類される鳥です。

アカハラヒメコンゴウインコは、南米のギアナからベネズエラ北部、南東部よりコロンビア、アンデス東部。南はペルー北東部よりブラジルに分布するコンゴウインコの仲間

スミレコンゴウインコも乱獲で生息数が減っていて、国際自然保護連盟(IUCN)作成のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ種(VU)に指定されています。



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ジュロン鳥園の中にあるヘリコニアウォークの鳥を紹介しましょう。・・・ミドリヒロハシはボルネオ・スマトラ・マレー半島に分布するスズメ目ヒロハシ科の鳥

ヘリコニアウォークでは、鳥舎の外から写すので、なかなかピントが合いません。・・・ミナミヤイロチョウはオーストラリアから東南アジアに分布

ペットとして日本でも販売されているサクラスズメは、オーストラリアに分布する鳥

ニョオウインコはブラジルの国鳥です。サッカーブラジル代表ユニホームは、この鳥の色を真似たのでしょう。

ニョオウインコは、食用としてまたペットとしても多数捕獲されたことで生息数が減少、絶滅危惧ⅠB(EN)に指定されています。

アラゲインコはインドネシア・パプアニューギニアに分布。開発で生息数が減少、絶滅危惧Ⅱ種(VU)に指定されています。

スミレインコは、南アメリカ低地の森林地帯に分布するアケボノインコ属の仲間

フィリピンオウムは、分布するフィリピン全域で1000~4000羽まで激減。今では絶滅危惧ⅠA(CR)に指定されています。

ヤシオウムはオーストラリア北部からニューギニアに分布。名古屋の東山動物園でも見ることができるようです。



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昨日に続いて太平洋戦争時の参謀本部参謀の強気と、3月初旬まで近所にいたオナガガモの飛行を紹介しましょう。1942年11月、参謀本部戦力班長の高山中佐は、多数の損害が出ているガダルカナル奪回作戦を中止すべきと服部卓四郎作戦課長に進言しています。

服部作戦課長は、「辻君とも現地(ガダルカナル)で話したが、彼はあくまでも強気だ(中略)もし日本軍の反撃が成功すれば敵(アメリカ軍)は戦意を失うであろうと(強気に)言うのだ。自分は辻君の(強気な)意見に同意した」と言い、上司の田中新一作戦部長もそれを支持します。

ガダルカナルに乗り込み、マラリアに罹って現地を離れた辻参謀は、「作戦はいたづらに面子にとらわれるべきではない。問題はどうして転換にみちびくかだ」と、病気のせいか同僚に本音を話したようです。

しかし参謀本部に帰った辻参謀は、ガダルカナル奪回を断念すべきという(弱腰と見られる)本心は最後まで伝えませんでした。同席していた同僚参謀は「上から弱い奴と思われることが怖かったのでしょう」と述べています。

現地視察をした辻班長、服部課長の報告を受けた上司の田中新一作戦部長は、総理官邸で東條首相にガダルカナル奪回作戦遂行をあくまで強気に要求しています。

東條首相が「現在のように(ガダルカナルでの)船舶の損耗が多いと、本来の戦争遂行ができなくなるのではないか」と拒否するように言うと、田中部長は東條首相兼陸軍大臣に「(問題無いことを)陸軍次官以下に良く説明してあります」東條が「そんなことは知らん」というと「そんな陸軍省では、戦争遂行はできませんぞ。バカヤロー」と大声で叫んだといいます。

強気な田中陸軍少将が弱気に見えた東條陸軍大将を面罵したのは、昨日紹介した山下軍司令官の「陸軍の教育は常に強気な小才を愛する、この種の男増加するには困りたるものなり」という現象の一つでしょう。

東條首相もすくと立ち上がり「何を言うか」と一喝。田中少将は謹慎15日に処せられて南方軍総司令部に転出させられますが、免職でなかったのは強気な発言が歓迎された陸軍の幹部だったからでしょう。

参謀本部のこの強気な作戦は、ガダルカナルに送り込まれた4万の日本兵(ほとんどが徴兵された市民)の戦死者2万4600名(そのうち1万5000人が飢餓からの戦病死)、命からがら救出されたのはわずかに1万6152人という惨憺たる結果を招いたのでした。

参考文献;作戦参謀 辻政信 ある辣腕参謀の罪と罰 生出 寿著



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1942年1月、マレーからシンガポールに向けて進軍中の山下奉文軍司令官は、辻政信作戦主任参謀の強引な言動を聞き、1月3日の日記に次のように書いています。<・・・>部分(・・・)内はROSSの追記・・・3月初旬まで近所にいたツクシガモの飛行写真と一緒に紹介しましょう。

<辻中佐、第一線より帰り、私見を述べ、いろいろの言ありしという。この男はやはり我意強く、(積極性と攻撃性を強調する)小才に長じ、いわゆる「こすき男」にして国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意を要すべき男なり>・・・ほぼ逆光のツクシガモ

陸軍に<小才者多く、がっちりしたる人物乏しきに至りたるは、また(陸軍幹部)教育の罪なり。特に陸軍の教育には表面上端正なる者を用いて小才を愛するゆえに、年とともにこの種の男増加するには困りたるものなり>辻中佐は、陸軍大学を3番の成績で卒業した優等生でした。・・・逆光のツクシガモ

もっとも同じ陸軍教育を受けていた山下軍司令官も、戦況が思うように進展しないことに<大隊長らの元気不足なればなり>と、辻参謀同様の見当違いを書いていますので、当事者が自覚できないくらいに組織に浸透していたのでしょう。

戦前の日本陸軍には、不測の事態に備え被害を最小限に納める計画(英語contingency plan)に対する教育は無く、それを事前に立案することは、弱腰・卑怯な行為と考えられていました。

コンティンジェンシ-・プランとは、万一の緊急時対応、危機管理など非常事発生時にどう行動するかをあらかじめ計画しておくことです。

僥倖なことに、それなしで日露戦争に勝利した日本陸軍は「強気な必勝信念」を絶対とする教育を40年以上も続け、積極性と攻撃性を強調する人物が優等生として評価され、陸軍内部で出世したのです。

こうした罪な教育(山下軍司令官)をした結果、兵士の損失(徴兵された日本人の死)を無視した攻撃性の高い作戦計画が、(疑問に思っていても組織の融和を優先する)優等生揃いの上級幹部の認可を受け、次々に実行されたのが太平洋戦争でした。

辻参謀が最も積極的だったガダルカナル作戦では、膨大な兵士の損失が発生、その被害を最小限に食い止めようとする他の参謀達の意見は抑圧され続け、徴兵された日本人が次々と死んでいったのでした。・・・最後はコガモの飛行でした。

つづく

参考文献;作戦参謀 辻政信 ある辣腕参謀の罪と罰 生出 寿著

 



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3月中旬、近所の池にいたカモはほとんど姿を消してしまいました。その池の上を猛禽類のチュウヒが飛び獲物を探していました。

チュウヒは飛びながら地上の獲物を探すため、視線を下に向けたままの写真を量産することになります。

なにか獲物を見つけ、少しホバリングしていましたが、結局捕まえることはできませんでした。

下を向いて飛行することが多いチュウヒですが、ほんの少しの間だけ、横を見てくれることがあります。

チュウヒの黄色い虹彩と、黒い瞳孔を何とか撮影することができましたが、左の翼がフレームアウトしてしまいました。

こちらは魚を主食とする猛禽類のミサゴです。

チュウヒのあと飛行中のミサゴです。

ミサゴは前を向いて飛ぶことが多いので、その目を撮ることはチュウヒよりも簡単です。

この写真でも猛禽類に共通な黄色い虹彩と黒い瞳孔がよく判りますね。

 



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