野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



1968年、ホノルル市内に日本人観光客を対象とする店舗を最初に開業したDFS社は、今日までずっと日本人観光客をターゲットとした店舗運営をしている。



現在、アジア太平洋地区、アメリカなど15カ国に150の店舗を持ち、都市の中心地には、「ギャラリア」という名称をつけた店を13店舗展開している。



この「ギャラリア」は、グアムの店をDFS ギャラリア グアムとして1995年に開店したのが最初という。

向かいはアンダーウオーターワールド



DFS社は、翌1996年にフランスの複合企業LVMH(ルイヴィトン・モエ・ヘネシー)社の所有となり、同グループ傘下のブランドをすべて扱うようになっている。



DFS社は、ハワイ、グアム、サイパンがホノルル、アメリカ国内がサンフランシスコ、東京、沖縄、シンガポール、オーストラリア、バリ島、北京、マカオ、台湾などが香港で管轄され、その香港に本社を置いている。

DFS前の渋滞



フランスLVMH社の香港に本社を置く子会社が、日本人観光客をターゲットして、太平洋、アメリカ、アジアに店舗を展開する、DFS社はまさにグローバル企業の典型である。



DFS ギャラリア グアムの中は、東京、大阪の高級ブランドショップに入り込んだような高級感溢れる内装がしてあり、とてもグアムにいるとは思えない。



親会社のメインブランド、ルイヴィトンだけは特別待遇となっていて、DFSのショップ通路以外に、外部から直接店の中に入ることができるようになっていた。



高級ブランドショップを見て、入り口の左にある「みやげ物コーナー」に行くと、ここのみやげ物はそれなりに高級である。



このグアムは、フリーポートとなっているために関税がかからず、消費税も無いので、そのぶん日本よりも安い値段で買うことができるようである。



せっかくなので、観光記念にセール中のちょっとしたブランドものを買っておいたが、やはり日本で買うよりも格安であったと思う。

明日につづく


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ウエスティンホテルの前からショッピングバスに乗ると、次の停車場所がマイクロネシアモールである。



このショッピングモールは、11年前にも来たことがあるが、もっと広かったような記憶がある。



しかし、今回見たマイクロネシアモールは、思っていたよりも狭いモールで、ショップに並ぶ商品にも欲しいものがあまり無い。



そこでモールの外にあるスーパー、「ペイレススーパーマケット」に入って食料品を見てみると、Kマートよりも遥かにアイテムが充実していて面白い。



まず果物売り場に山積してあるマンゴーを見ると、1ポンド(450g)が1,89ドル(208円)と日本の半値くらいである。



また、メロンも格安だったので、マンゴーと一緒に買って翌朝食べてみたら、両方とも十分な甘みがあって美味いフルーツであった。



形の面白いローカルアボガドは、検疫で問題が無ければお土産にしたかったが、食べきれないので今回は断念した。



野菜売り場には、日本であまり見かけないタロイモもあったが、一体どんな味なのか食べてみたいものである。



野菜売り場の先には、米国らしい格安ケーキやスイーツが山盛りとなった売り場があり、グアムの人もやはり甘党の多いアメリカ人なのである。



一番奥には、鮮魚売り場があり、日本でお馴染みのアジが1ポンド4,39ドル(480円)、イトヨリが1ポンド4,65ドル(510円)で売られている。



また生きたナマズも1ポンド3,56ドル(390円)売っていたが、この値段は日本よりも安いのではなかろうか。



スーパ-の酪農製品の売り場はかなり充実していて、チーズの種類などは日本の大型デパートや専門店にもひけを取らない品揃えであった。



パンの売り場でサンドイッチを買い外に出ると、熱帯にしかないプリメリアの白い花が駐車場に咲いていて、花と青空のコントラストが美しい。



HISで貰ったパスを見せてショッピングバスに乗り込むと、僅か10分後にはホテルの部屋に戻ることができるのでグアムは本当に便利である。

明日につづく


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グアムには、日本のイタリア料理店、「カプリチョ-ザ」が3店舗もあり、日本人観光客と地元の人に結構人気があるようである。



大阪にあるカプリチョ-ザ なんばダ・オーレ店は、今も私のお気に入りの店で、このブログで以前紹介したことがある。

グアムの客席と調理場(右)



さて、ウェスティンホテルの前、パシフィックプレイスの2階にある「カプリチョ-ザ」が、グアムの3店の中で一番おいしいとの評判を聞いたので、夕方6時頃に出かけてみた。



まだ外が明るい店の中は、日本の「カプリチョ-ザ」の雰囲気とよく似ているが、日本人よりも地元の客が多いのに吃驚した。



4人で注文したメニューは、まずイカとツナのサラダ(13ドル)、ピザマルゲリータ(13ドル)、トマトとニンニクのスパゲティ(17ドル)で、値段は日本と大差がない。

イカとツナのサラダ



次にスペシャルメニューの中から、シーフードプラターとロブスタースペシャルを注文してみた。

水槽の中の生きたロブスター



シーフードプラター(27ドル)には、海老、ホタテ貝柱、白身魚、ポテト、カリフラワー、ピクルス等の野菜が大皿に一緒に盛られて出てくる。



ロブスタースペシャル(64ドル)には、30センチくらいのロブスターと、シーザーサラダ、ビールがついてくるが、このロブスターは、入り口に置いてある水槽の中で活かしているものを使っているようで、身がプリプリとして美味しかった。



食事のあとテーブルでチェックを頼み、出てきた請求書の中身にチップ(10%Gratuity)が入っていることを確認してカードで支払った。

ロブスターとの格闘



このGratuityという単語は、あまり日本人になじみのない英語であるが、意味がわからず別にチップを加算して支払う人はいないのであろうか。

7時過ぎに外に出てみると、店の前には大勢のお客が空席待ちの列を作ってすごい人気である。



この店は、事前に連絡しておけば大型ワゴンでホテルまで無料送迎してくれるサービスがあったので、食事のあとエアコンの効いた大型車でショッピングに行くタモンサンズプラザまで送ってもらうこととした。

明日につづく


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ウエスティンホテル前の停留所から無料乗車券を見せてショッピングバスに乗り込み、大型スーパー「Kマート」までショッピングにでかけてみた。



Kマートは、みやげもの、家庭用品、家電、衣類、食品、酒類など何でもありの巨大スーパーで、11年前に来たときにはその規模の大きさに吃驚したものである。



ところが、その後日本で開店した巨大スーパーを何箇所も見ているせいか、今では記憶にあるよりもかなり狭い店であった。

Kマート前の車



以前Kマートで珍しい商品を手当たり次第に買った記憶があるが、今回はみやげもの売り場でナッツ、食品売場のフルーツ、オーストラリアワインを1本買ってドルで支払い、ショッピングバスを待ってホテルに戻った。

ウエスティンホテルの前、パシフィックプレイスにあるコンビニ店、ABCストアには今回初めて入ってみたが、商品アイテムが意外と充実しているのに吃驚した。



ABCストアでは、支払いに日本円(1万円札や千円札)を使うことができ、お釣りをドルで受け取れる利便性が有難い。



店員は、日本語が判り、日本のコンビニで買い物をしているのとまったく変わらない便利なコンビニであった。



ABCストアには、当然酒の売り場もあり、グアムはフリーポートなので日本のアサヒスーパドライが6本たった7ドルと格安である。



ここでグアムらいしいデザインのサーフパンツを買って帰り、それに着替えてビーチに出てみると、まさにリゾートしている気分となった。



ABCストアのあるパシフィックプレイスの1階には、水着専門店のロコブティック、アクセサリーのシルバーUSA、石鹸専門店レモンツリー、喫茶店コーヒービーンナリーなどがあり、夜遅くまでやっている。



また同じ1階には、結婚セレモニーのサービス会社、ワタベウエディングがあり、その前にはワタベ社の巨大なストレッチリムジンが停車していた。



パシフィックプレイスの2階には、ステーキハウスのアウトバック、イタリア料理カプリチョーザがあるが、その中のカプリチョーザについて明日報告したいと思う。

明日につづく

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プールのカウンターでタオルを2枚借り、ビーチに置いてあるデッキチェアの上に敷いてサンダルとシャツを脱ぎ、おもむろに目の前の海に入る。

ウエスティンとリーフホテル



珊瑚礁が砕けた白い砂のビーチは、日差しを反射してまぶしいくらいであったが、遠浅になった水中を4~500メートル先のリーフ目指して歩いて行く。

ホテル高層階からみたリーフ



裸足の場合には、底を注意しながら歩かないと、ところどころにあるサンゴを踏んでケガすることになりそうなので、慎重に水中を見ながら足を運んでゆく。



2~300メートルくらい沖に向かって歩くと、やっと肩の深さくらいになり、日航ホテルが近く見え、周囲に海水浴客がいなくなってくる。



遠浅の海の中には、まばらにサンゴが生えているが、意外と小魚は少なく、かわりに2~30センチのサヨリの群れがどこからか集まってきて、私の周囲をグルグルと回りだすではないか。



あまりに近くまで寄ってくるので、掴んでやろうと手を出してみるが、海の中を泳ぐ魚を、素手で掴むのは至難の技で、何度か野生のサヨリの体にタッチすることができただけであった。



水中を泳ぐサヨリを、透明ビニール袋に入れたデジタルカメラで撮影してみたが、水中ではなかなかピントが合わなくて良いショットがほとんど無かった。



ビーチからおよそ300メートルくらい沖まで歩き、振り返って見えるホテルの写真を、水面近くから何枚か撮っておく。

アウロラリゾートとウエスティン



天気があまり良くなかったせいで、写真のコントラストがもうひとつであったが、天気が良すぎると、こんどは日焼けを心配しなければならない。

アウトリガーとハイヤット



グアムでは、空気が澄んでいるせいか日差しが強烈で、天気の良い日にチョット海に出るだけで、体中が真っ赤になるほど日焼けしてしまう。

左からハイヤット、ホリディリゾート、フィエスタリゾート、マリオット、PICのホテル


海水面ギリギリの高さから、ビーチとホテルと空を狙った写真は、日本ではなかなか撮ることのできないリゾート写真となった。

明日につづく

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ウエスティンリゾートグアムの4階は、レストランフロアで、今回の旅行ではネット情報で評判の良かったプレゴというイタリアンレストランに入ってみた。



夕方に入ったプレゴの中は、西日が差し込み、まぶしいくらいであったが、冷房が効いている店内は気分が良い。



店員から外にあるベランダに出られることを教えて貰ったので、外に出てみると、ベランダの正面に太陽が沈むグアムの海が広がっている。



また、ウエスティンの柱越しに隣のオーロラリゾート(旧オークラ)ホテルが、夕陽に照らされてキラキラと光っている。



フィリピン海に沈むサンセットを、食事の準備ができるまで暫く眺めていたが、この風景こそグアムリゾートの醍醐味ではなかろうか。



リゾート気分を満喫できるプレゴの料理は、ネットでの評判どおり美味しかったので、食べることに熱中してしまい、前菜以外の料理の写真を撮るのを忘れてしまった。



さて、ホテルの中に戻ると3階は宴会場、2階が託児所、ビーチと同じレベルにある1階はカフェとスパ、カフェの横の通路を外に出ると、メインプールがあり、その先がビーチである。



プールやビーチで使うタオルは、外のカウンターで部屋番号と名前をサインして希望の枚数を借り、使い終わって返すと、借りる際に書いた書類が出てくるのでそれにもう一度サインして終りである。



プールやビーチには、デッキチェアが何台も置いてあり、いつでもデッキチェアでのんびり日光浴ができるようになっていた。



ホテルの中に戻ると7階から18階までが一般の客室、19,20階がクラブ客室、最上階21階がロイヤルビーチクラブというクラブ客室専用ラウンジとなっている。



今回エレベーターで乗り合わせたクラブ階利用者には、比較的若い宿泊客が多かったが、日本人も贅沢になったものである。



各階へのアクセスは、中央に4台のメインエレベーターロビーと、海側にある展望エレベーター1台を使うことになるが、この展望エレベーターからの眺めは絶景である。

明日につづく


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実は、今回のウエスティンリゾートグアム(以下ウエスティン)には、以前のグアム旅行で1度泊まったことがある。



古い日記を調べてみると、1997年5月8日から3泊しているので、11年ぶりの宿泊という懐かしいホテルであった。

ロビーから見上げたウエスティンの吹き抜け空間



確かウエスティンは、その年にオープンしたばかりだったので、格安で泊まることができたような記憶がある。

ウエスティンのロビーショップ



そのときも悪い印象は無かったが、11年経った今回もウエスティンを選んで良かったと満足できた宿泊であった。

ウエスティンのエレベーター



このホテルは、崖の上の建っていて、メインエントランスとロビーは5階であるが、表通りに出る際には、エレベーターの停止しない6階まで階段を上がることになるのがチョット面倒である。



しかし、ホテルは表通りのすぐ近くにあるので、徒歩圏内にあるデューティフリーショップ(DFS)など、タモンの繁華街に気軽に歩いて出かけることができるのが便利である。

繁華街



ショッピングバス停留所のある表通りには、目の前にパシフィックプレースというショッピングビルがあり、その1階にハワイでおなじみのABCストアがあるので買い物には至便である。

左がパシフィックプレース



ロビー階フロントの海側には、スターバックスコーヒーが飲めるカフェ(CHACHACHA)、その横の通路を外に出るとチャペルがある。

カフェCHACHACHA



グアム2日目には、CHACHACHAでスターバックスコーヒーとサンドの朝食を食べたが(1人900円くらいだったと思う)ビュフェに飽きた人には格好の店である。

長靴を横にしたようなチャペルの全景



ウエスティンで結婚式を挙げるカップルは、ロビーのあるメインエントランスにつけた車から下り、ウエディング衣装でロビーを横断し、チャペルまで歩くことになる。

チャペルの前にあるホウオウボクの赤い花



結婚衣装のままで大勢の見知らぬ宿泊客がいるホテルロビーを歩くのは、恥ずかしいような、誇らしいような、チョット複雑な気分ではなかろうか。

エレベーターから見たロビー



この5階には、さらにツアーデスク、レンタカーデスク、DFSのショップと小さなコンビニがあり、ちょっとした飲み物なども調達することができるので、値段を気にしなければあえて外に出る必要はないのである。

明日につづく


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ホテルに泊まった翌朝、ホテルの前に広がるタモン湾に沿って、ビーチを散歩してみた。

日本語で書かれた看板



ビーチの砂は、白に近い色をしたきめ細かい部分と、波打ち際のサンゴの破片を含んだ粗い部分に別れている。



ホテルの正面は、西向きに広がるフィリピン海、右にはオーロラリゾート(旧オークラ)ホテルと、その先に外壁がカーブした日航ホテルが見える。



ホテルの左手には、リーフ、アウトリガー、ハイヤットの各ホテル。



その先に、海側が斜めにカットされたマリオットホテル、さらにパシフィックアイランドクラブ(PIC)のタワー棟が見える。



PICの遥か先には、ヒルトンホテルの重厚な建物群が望め、これらホテルが点在するタモン湾がリゾート地グアムの中心であることが良く判る。

リーフホテルの近くまで歩くと、チャモロ人のワーカーがビーチの清掃をしており、黄色の花が咲いた木にヤシガニがしがみついている。



紐で縛ってあるので、彼等が飼っているペットのようであるが、生きたヤシガニを近くから見たのは始めてであった。



陸上生活をする甲殻類で最大種のヤシガニは、「ヤシの木に登りヤシの実を落として食べるカニ」としてのイメージがあるが、ヤシガニは雑食性で、ヤシの実を主食とはしていないらしい。

若いうちに落とされたヤシの実は、形と大きさが柿の実そっくり!



雄の体長は40センチを超え、脚を広げると1メートル以上、4キログラム以上に成長するという。

清掃現場からさらに先に進むと、面白い花がビーチに一杯落ちていたので、写真に撮っておいたが、後で調べると「ゴバンノアシ」という木に咲く花であった。



名前の由来は、この木の実の形が碁盤の脚に似ていることからきているが、英語では花の形からパウダーパフ ツリーと呼ばれている。

ハイヤットホテル



この花は、早朝咲いてすぐに落花するので、なかなか目にすることが無いそうであるが、「パウダーパフ」と呼ぶ英語読みのほうが「碁盤の脚」よりも格段にセンスがあると思う。

さて、ハイヤットの前まで歩いて来ると、広いビーチは木目の細かい白砂となり、ここから見るとタモン湾のカーブに並ぶホテルと海が綺麗である。



ハイヤットの先まで歩くと、マリオットホテルとPICの高層ホテルをバックにのんびりと釣りをしている人を見かけた。



実は、タモン湾の海の浅瀬に入ると、すぐ近くまでサヨリの群れが寄ってくるので恐らくそれを狙っているのではなかろうか。

明日につづく


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関空から3時間10分のフライトで到着したグアム国際空港は、以前よりも広く綺麗になっていた。

グアム空港のジャンボ機



入国審査は、8年前の夜中に到着したときにかなり待たされた記憶があるが、今はブースの数を増やして観光客を待たせない工夫がされていて、10分もかからなかったと思う。

入国審査



グアムでは、昨年のバリ島やその前のオーストラリアよりも遥かに入国審査が短時間で済み、実に快適であった。

これからの観光客誘致合戦では、入国審査のわずらわしさが重要なポイントとなると思うので、各国はさらに利便性を競って欲しいものである。

グアム空港の搭乗待合ゾーンは24時間オープン



機内に預けた荷物は、入国審査場を出た場所に既に置いてあり、待ち時間0で受け取ることができたのもポイントが高い。

税関の外の待合室



税関も機内で書いた申告用紙を渡しただけですぐに外にでることができたが、税関の外にあるHISの窓口でかなり待たされた。

バス乗り場



しかし、隣のホテルに泊まる客と我々合わせて3組だけの小型バスを出してくれたので、空いたバスでの移動は快適である。

バス



グアムを走る車は殆どが日本車でナンバープレートには、白地の中央に島の形が黄色く描かれて南国ムード一杯である。

ナンバー



ホテルに到着するまでに、赤と黄色のオープンエアーのショッピングバスと何度がすれ違ったが、グアムには2社のショッピングバス会社があり、お互いに競っているらしい。

ショッピングバス



また建設機械会社が目立ったが、グアムも米軍関連などの公共建設工事が重要な産業なのであろう。

建設機械



グアムは島が狭いこともあって、空港からホテルまでの距離が短く、出発から10分くらいでホテルにチェックインできるのも他の国には無いメリットである。

ホテル



後でデジタルカメラの映像時間を見てみると、空港を出発してホテルにチェックインし、部屋に案内されるまで僅か20分であった。

明日につづく


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グアム国際空港を利用している航空会社は、全日空、JALウェイズ、コンチネンタル・ミクロネシア航空、ノースウエスト航空、大韓航空、チャイナエアライン(台湾)、フィリピン航空などで、早朝便や深夜到着便も多い24時間空港である。

JALウェイズの尾翼とコンチネンタル・ミクロネシア航空



グアム国際空港には、各旅行会社のツアーデスクやレンタカーデスクも完備され、夜中に発着する飛行機のために、デューティーフリーショップやレンタカーデスクも24時間営業している。



グアムで使うレンタル携帯電話(CiAOデンワ)の受け付けカウンターもあり、グアム空港で借りて滞在中使い、空港で返す利用者も多いようである。



去年のバリ島旅行では,関空のNTTドコモの窓口で、日本で使っているケータイのSIMカードを抜いて海外用のケータイに差し込んで使うものを借りたが、SIMカードの接触が悪くて使いにくかった。

着陸時に見えるタムニン地区のホテル



また、この電話は日本の電話番号がそのまま海外でも使えるので、海外にいることを知らない日本の友人が、日本にいるつもりで気軽に長電話をかけてくるデメリットがある。

そこで今回は、インターネットで「テレコムスクエア社」のケータイを申し込み、関空で本体を受け取ってグアムに持ち込むこととした。

グアム空港滑走路



携帯電話の番号は、出発の2日前にメールで連絡してくれるので、日本の留守家族に事前に伝えておくことができる。

連絡のあった電話番号は、001-1(アメリカ国番号)―671(グアム番号)―898―○○○○という17ケタの番号、連続待ち受け時間は75時間と日本のものよりもやや短いようである。

駐機場



このケータイを使って、日本に電話をかける場合には、011-81(日本国番号)-6(大阪)-○○○○―○○○○と押せばよく、グアム内の国内通話と日本への国際通話が同一料金で、受信、発信ともに1秒2,5円(1分なら150円)という料金設定であった。

関空で取扱説明をしてもらい、受け取った米国モトローラ社製のケータイは、グアム島内で国内、国際通話ともに全く問題なく使うことができた。





帰国時に関空返却カウンターで保険料と4日間の通話料合わせて3700円を支払ったが、比較的安かったと思うので機会があれば又利用したいものである。


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ノースウエスト航空の関空グアム路線は、ウイングレットの無いボーイング757-200型機(以下757)が使われていて座席数は、ビジネスクラスが横4列の20席、エコノミークラスが横6列の162席、合計182席である。



757は、全長47m、幅38m、ジャンボジェット747-400(全長71m、幅64m)よりもだいぶ小さく、最高速度時速868キロ、航続距離7200キロと公表されている。

ビジネス席



1982年に運行開始された757は、ボーイングにおけるベストセラー機の1つで913機製造され、2005年には生産を終了している。



今回は、ビジネスクラスでの利用だったので、エコノミー3人分のスペースを2人で使う座席の幅は広かったが、前後のピッチはそれほどでもない。

食事のサービス



757では、エコノミー席前後のシートピッチが32インチ、ビジネス席では38インチとエコノミーよりも6インチ(15センチ)広い。

エコノミー席



しかし、新幹線普通車は、シートピッチ40インチなので、ノースウエストのビジネスよりもまだ2インチ(5センチ)も広いのである。

去年乗ったJALバリ便のビジネスシートピッチは50インチ、ノースウエストの757よりも12インチ(30センチ)も広くゆったりとしていた。

ノースウエストのビジネス席の足元



757のビジネスクラスでは、次々に乗ってくるエコノミーの客に一瞥されながら、離陸するまでの僅かな時間にウエルカムドリンクサービスを受けることになる。

ウエルカムドリンクのシャンペン



機内食は、ビーフ、チキン、魚から選べるので、今回は蒸し焼きチキンを注文し、食前酒としてスコッチ(シーバスリーガル)を頼んでみた。

前菜のスモークサーモンの春巻きとガーリックトースト



エコノミーよりもメニュー内容が少し良く、最近エコノミーでは有料となったワイン、ビール、スコッチなどアルコールが無料なのも有難い。

蒸し焼きチキンと赤ワインとスコッチ



グアム到着後、機外に出るのも優先され、預けた荷物も早めに出てくるが、ビジネスの特典はここで終わりなのである。

隣の席の人は、魚料理(鯛のグリル)



つまりツアー旅行なので、入国審査からビジネス席の客が早く出たとしても、エコノミー席の最後の一人が出てくるまで外で待ち、全員が揃ってからバスが出発するのである。

明日につづく


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国際線のビジネスクラスを利用すると、空港での待ち時間をラウンジでゆっくりと過ごせ、機内の座席が広くゆったりとしていて、食事も美味しいので、成田を利用する関東方面の旅行客にはビジネスクラスの利用者が多いようである。

飛鳥ラウンジ



しかし、合理的な関西人にはあまり人気が無いようで、関空発のビジネスクラスはいつもガラガラという悲惨な状況であったらしい。

飛鳥ラウンジの内部



HISを通じてノースウエスト航空の関空グアム便を35日前までに申し込めば、7千円の追加料金でビジネスクラスを利用できるが、この特典は成田便には無い、関空だけの地域限定らしい。


今回のグアム旅行では、この特典を利用して早めに関空に乗り込み、チェックインの際に受け取った利用券で、北ウイングにある「飛鳥ラウンジ」に入ってみた。

赤白ワインと日本酒



私の事前調査によると飛鳥ラウンジは、去年バリ島旅行の際に使ったJALの「サクララウンジ」よりも、無料の飲み物、軽食の種類が少なく、ちょっとグレードが落ちるという評判であった。

月桂冠冷酒



「飛鳥ラウンジ」の入り口は、関空シャトルの北ウイング先端駅で下り、11番と12番ゲートの間にある。



中の受付で利用できる時間帯を聞いてみると、航空会社の運行時間中はずっと営業していますとのことなので、早朝や深夜でも利用できるようである。

アイスコーヒーとコーラ



受付の奥、右側には手前から赤白のワインと月桂冠冷酒のコーナー、次にジュース、ウーロン茶、牛乳等と一緒にチーズが入った冷蔵ケースが置いてある。

窓からの眺め



その隣がアイスコーヒー、コーラ、アイスティー、ジュースのサーバー、さらにシーバスリーガル、ジャックダニエル、ヘネシーVSOP等のアルコール類が置いてあり飲み放題である。



次にキリンとアサヒの生ビールのサーバー、最後がブレンドコーヒー、エスプレッソなどのホットコーヒーサーバーという順であった。



アルコール好きの人なら十分満足してもらえるアイテムが揃っているように思ったが、食べ物が菓子パンと袋に入ったおつまみ、クッキーだけと物足らない。



駐機場の飛行機が見える窓の右側には、パソコンが3台置いてあり、自由に使えるようである。



早朝8時半頃であったためかラウンジの利用客は少なく、広い空間でゆったりとした待ち時間をすごすことができたので、「サクララウンジ」には引けを取ってはいないと思う。

明日につづく


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8年ぶりに訪問したグアム島面積の三分の一は、アメリカ軍用地が占め、アメリカ軍が必要な土地は今も強制収用することもできるという。

着陸直前に見えるハガッニャ地区(右下がグアム政府)



島の北部には、3000m級の滑走路を持つ空軍基地が東西2箇所あり、ホテルのあるタモン湾が軍用機の着陸ルートとなっているのか、滞在中にB-52戦略爆撃機の飛行を何度も目撃した。

観光客が使うグアム国際空港は、空軍基地の南15キロ、グアムの観光中心地タモン地区の高台に位置し、空軍のルートと重ならないよう民間機は南側から離着陸しているようであった。

着陸時に右の席から見たグアム国際空港(右上)



従ってグアム国際空港に着陸する際には、進行方向左の席からタモン湾が見え、離陸の際には右側の席からタモン湾を見ることができる。



島の西部には、アメリカ海軍も使用しているアプラ港があり、ロサンゼルス級原子力潜水艦の母港となっているので米軍にとってグアムは重要な軍事拠点である。

アプラ港北のUSOビーチ



在日米軍の再編により、沖縄本島に駐屯しているアメリカ第3海兵遠征軍配下の第1海兵航空団7000人が、2014年にグアムに移駐する予定であり、キャンプ瑞慶覧から司令部も移転するという。

タモン湾にあるホテル、左からリーフ、アウトリガー、ハイアット



この基地移転には、先住民の一部から反発がおきているが、かつて米軍基地が縮小された際、経済的に打撃を受けたことがあるので、大半の住民は米海兵隊のグアム移転で米本土からの観光客が大幅に増えるとして歓迎しているらしい。

グアムの産業は、沖縄と良く似ており、アメリカ軍基地関連産業とアメリカ(沖縄は日本)政府からの補助金、観光業、農業、漁業が主要な経済基盤で、島民の約60%が観光業に従事している。

ホテルのファイヤーダンスショー



ちなみに沖縄本島の面積は、1206平方キロもあり、グアム(945平方キロ)の倍以上、人口は123万人とグアムの7,5倍である。

グアム政府観光局によると、2008年4月にグアムを訪れた観光客数は、総数8万6887人。

観光客用のシッピングバス



地域別客数と前年同月比増減をみると、日本(6万758人、9%減)、韓国(7828人、4%増)、米本土(3842人、25%増)、台湾(1154人、13%減)、中国(129人、52%増)と日本人がダントツ1位である。

夜のビーチ



2007年にグアムを訪れた観光客は、122万5323人、そのうち93万人(76%)が日本人で、観光収入となると日本客が9割近くにもなるという。

日本人観光客で一杯のリーフホテル周辺



そのために観光客が利用する店では、代金を日本円で支払い、おつりをドルで受け取る決済が常識のようになっている。

明日につづく


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8年ぶりに来たグアム島は、面積約549平方キロメートル、日本の淡路島(592平方キロ)と良く似た形状をしており、西太平洋、ミクロネシアのマリアナ諸島南端に位置し、日本から南東約2500キロの距離にある。

グアムの夕陽、2500キロ西までフィリピン海が続く



人口は16万4千人で、淡路島の人口(14万7千人)よりもやや多いが、グアムに人類が住み着いたのは紀元前2~3千年ごろ、今も多数を占めるチャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンからカヌーに乗って移住してきたと考えられている。

ホテルのベランダから偶然カヌーが見えた



1521年にマゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達し、1565年にスペインの植民地となり、1668年にサン・ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため訪れるようになって以後、キリスト教文化が定着するようになったという。

ホテルの教会



1898年には、アメリカとスペインの米西戦争にアメリカが勝利し、グアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカに割譲されているので、今年は割譲110周年に当たっているようである。

タモン湾のビーチからの眺め



1941年12月には、太平洋戦争の開戦ですぐに日本軍に占領されているが、1944年7月21日にアメリカ軍によって2年7か月の占領から開放され、この日は今もグアムの祝日となっている。

ビーチの砂は元珊瑚



その戦争を経験した日本兵、横井庄一(1915~1997年)さんが、終戦後28年間を経た1972年にグアム島のジャングルで発見されたのは有名である。

宿泊したホテル



グアム政府のHPによれば、グアムの人種構成は、チャモロ人が37%、フィリピン人が26%、アジア22%、ミクロネシア8%、アメリカ人が7%とあり、意外にもアメリカ人は少数派なのである。

ホテルから見たタモン湾



公用語は英語とチャモロ語であるが、日本人観光客による収入が島の大部分の収入を占めていることから日本語も使われており、日本語を理解できる島民はかなり多いという。

ビーチの夜景



アメリカ合衆国大統領を国家元首とする合衆国の準州であるが、大統領選挙の参政権は無く、合衆国議会下院に、議決権のない代表を1名選出している。

グアム空港着陸直前



かつてはアメリカ海軍による軍政だったが、1968年以降公選によって選ばれた知事がグアム政府を統括しているという。

明日につづく


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今日は、祇園祭の宵宵宮であるが、京都の夏祭りとして有名な祇園祭は、869年に各地で疫病が流行した際に行われた御霊会を起源とするもので、970年ごろから八坂神社の祭礼として毎年行われるようになっている。

西楼門(1497年建立、重文)



今年も7月17日に山鉾巡行があるが、当初は長さ6mくらいの柄の先端に鉾を取り付けたものを立てて歩いていたようである。

絵馬堂



御霊会(祇園祭)が始まって26年が経過した頃、清少納言が枕草子の中に「ここち良けなるもの」は「御霊会」と書いているので、千年以上前から京都で続いていることは確実である。

舞殿(西側)



1378年には、世阿弥が四条東洞院の桟敷から祇園祭を楽しんだと記録も残っているが、応仁の乱(1467~1477年)では山鉾町が焼かれ、58基の山鉾の殆どが被害を受けている。

本殿(1654年建立、重文)



さて、その八坂神社の歴史であるが、平安京以前、東山山麓には祇園坂、長楽寺坂、下河原坂、法観寺坂、霊坂山、山井坂、清水坂、三寧坂の8つの坂があり、八坂郷と呼ばれていたという。

三寧坂



社伝によれば656年、高句麗より来日した調進副使が、素戔嗚尊をこの八坂郷に祀ったのに始まるというので、794年の平安遷都よりも138年も古い神社である。

祇園祭の山鉾巡行がある四条通りと八坂神社のある東山方面



876年には僧・円如が播磨国広峯の牛頭天王の分霊を遷し、その後、摂政 藤原基経(836~891年)が精舎を建立して観慶寺(別名 祇園寺)と称している。

舞殿(南側)



当初は、神社ではなく寺とみなされていたため、延喜式神名帳には記されていないが、後に二十二社の一社になっている。

南鳥居



祇園精舎とは、本来インドにあったとされる寺院であるが、神仏習合思想があった平安期には、八坂神社のことを指していた。

従って、13世紀始めに書かれた平家物語の中の「祇園精舎の鐘」とは、当時八坂神社にあった鐘のことで、鎌倉時代の京都では誰でも知っている有名な鐘であった。

本殿正面



祇園の町が八坂神社へ参詣する人の門前町として発展したのは、元和年間(1615~1624年)のことで、それから50年を経た1665年には幕府から正式に茶屋の営業が認められている。

祇園一力前の路地



祇園に茶屋ができて37年後の1702年、赤穂浪士の大石内蔵助がここで遊んだことは有名であるが、当時の内蔵助も恐らく八坂神社に参詣し、この景色を見たのであろう。


追記、ROSSは取材旅行のため、2日間ブログを休みます。


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