職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

NHK・TVふるさと一番!「ひんやり涼しい!氷彫刻の達人技」。ノミ&ドリルさばきの跡に、ゾクッとする

2010-08-30 15:13:23 | Weblog

10.08.30 いいBlogの条件。設定・主材・主想がはっきりしている。わしのはアカンわ^^;


この時期の赤い花には、いい思い出がない。2006/夏の終わりにBlogの更新が完全にストップ。更新ストップというは、このときだけだ。「ホームページは自分の現時点における『存在の仕方そのもの』」が持論のわたしだから、当然、身の上も危機に瀕していたはずだ。
 その更新ストップ直前の記事の画像が赤い花だった(^_-)。この花の印象が強すぎるのかもしれない。




◆いいBlogというのは、よくよくみると、「設定」がしっかりしている。(「設定」=時・場所・人物。)
 時間は、1日のうちの、いつなのか?
 どんな仕事あるいは活動(あるいは生活)をしているのか?
 どんなところ(環境)にいるのか?
 ま、これらを、くっきりと打ち出すか、あるいは、それとなくやるか……の区別はあるが、読む者には、よくわかるようになっている。

 わたしの場合、この設定が、現時点では完全に崩壊しているのではないか?

◆有名人?(芸能人とか国・県府・市会議員等)の場合は、この「設定」は、Blogを読む人とのあいだで暗黙の了解事になっているから、
 ――「こんな頼りない私達だったのに最後にすごく嬉しいお言葉をかけて下さいました。」「本当に嬉しかったです。」「もっと頑張って行かなきゃと改めて思うこともできた24時間でした。」
 ――「朝、潮橋で朝立ち終了。これから東京です。大田区や多摩の施設に行きます。野菜工場の『店産店消』も見ます。世論では菅さんが総理としてふさわしいとの事。違います。小沢さんが嫌いなだけです。『菅違い』されぬ様に。大阪民主が維新との対立軸を明確にとの事、大阪を変えるか市の組合を守るかです。」
 ……というような書き方でいいのだけれども、わたしの場合は、こういうわけにはいかない。

◆ということで、「設定」が完全に崩壊しているわたしのBlogをどうするか?
 設定がはっきりしないと、Blogを読む人も、また、つまるところ、書いている本人も、「主材」(←わたしがこだわりつづける内容)とか、「主想」(←主材に対して感じている価値&意義)とかが、はっきりしないのだ。

 現時点では、悩みつつ、迷いつつ、まず、「教育」から離れた「わたし」というのはありえないのだから、「設定」上、「わたし」という人物は、「教育」に携わる人間、あるいは、教育界の片隅に棲息する人物……ということにしようと考えている。
 さらに、具体化した人物像――たとえば、中学の、バリバリの学級担任か、あるいは、窓辺でぼんやり教育論をやっている人物か等については、今後、「わたし」と「教育」との「距離」の取り方を少しずつ調整して、「設定」してことにしよう。(←ホンマ、あいまいな言い回しで、スンマヘン、スンマヘン^^;^^;^^;)

 念のために要旨をくりかえすと――
(1)いいBlogというのは、まず「設定」がしっかりしている。
(2)そして、その中心人物がこだわっている内容(主材)と、こだわっている内容への思い・意気・願い(主想)が、はっきりしている。
 この2点において、わしのBlogは、まだまだ、これからや。

◆今、12:30。
 PCに向かいながら、NHK・TV=ふるさと一番!「ひんやり涼しい!氷彫刻の達人技」(東京杉並区「まるごと見せます・氷のカジキマグロ作り」)を、音量0で、チラチラと見ていたが、達人のノミさばき、ドリルさばきが、スゴイ(@_@)。
 さばき「跡」にゾクッとする。(音量0だから、よけいにそう感じるのかもしれない。)
 まさに芸術!
 わたしも、自分自身の「設定」をはっきりさせて、こういうプロの「さばき」に至る修業に打ち込める環境を創出したいわ(^_^)v。

◆2学期は、学校行事が多い。
 わたしは徹底した行事削減論者で、修学旅行もわたしの中では、ずっと以前から廃止の対象になっている。
 ただ、今、ここで、この廃止論を展開しようというのではない。
 廃止論は、いずれ、別項目でやりたい。
 今、言おうとしているのは、これでもかとつづく2学期の学校行事を、教育過程編成時にやらざるをえないと判断し、やることに決めたのであれば、その行事を通して子ども1人1人を成長させなければいけないという話だ。
 この思いは、ずっと持ちつづけているのだが、なかなかむずかしい。
 過去を振り返っても、行事の目標がお題目に終わってしまったのでは?……と猛省することも多い。
 そこで、1人1人の成長の保証&成長の質の保証をめざして、下記のような構えで臨んでいる。



 子どもをタイプ別に計画的に育てよう

B君 Aさん
Cさん D君
◆2学期の体育祭・市中体・文化祭・修学旅行などを、1つ1つの単発の行事ではなく、「系列」・「ライン」・「つづきもの」ととらえ、子どもたち1人1人のよいところを計画的に伸ばす、あるいは弱点を計画的に克服させる場にしたい。
 このことについては、領域部会(特別活動)などが中心になって計画を立て、学校全体で取り組むという発想はまちがいではないが、経験的に、これはなかなかむずかしい。
 どうしても空疎で、形式的なものになりがちだ。
 だから、わたしは、学校全体の目標を踏まえて、学年や学級の実態に即して、子どもの顔を思い浮かべながら、計画的に成長させていく具体的方策を打ち出していくのが、適切であると思う。

◆つづきものとしてとらえ、計画的に育てる際、留意したいのが、次の2点である。

(1)タイプ別に育てる。

 わたしは、いつも、右上図のように、2軸・4分割で子どもたちをとらえ、その中から代表として「典型生徒」を設定し(図のAさん・B君……)、タイプ別に指導方法を考えるようにしている。(この「典型生徒」を決めないと、どうしても指導内容&方法が漠然としてしまうから……。)
 この図では一例として縦軸を「指導力」、横軸を「体育祭へのやる気」にした。
 Aさんは、やる気もあり、指導力もある。
 B君は、体育祭に対してはやる気はないが、指導力はある。
 当然、AさんとB君では指導の内容&方法が違う。
 Cさん、Dさんについても同じだ。
 AさんとCさんの関係をどう指導するかという問題もある。

 なお、タイプ別に指導する際、次の①~④のコーチング方法も留意したい。

 ①具体的に教える=教師が期待している行動がどういう行動か本人が具体的にわかっていないのではないか? 知らないからできない。だから、具体的に教える。「*****することが最上級生としての行動なんだよ」などと具体的にかみくだいて教える。

 ②正しい情報を与える=間違って「学習」しているのではないか? だから、本人が思っている行動が必ずしも他人からそうに思われていないということを教える。

 ③自信をもたせる=わかっているのだけれど、行動にうつせないのではないのか? だから、よく観察し、他のTの情報も得て、少しでもできていること(場面)を指摘し、ほめる。

 ④細かくコーチする=わかっているし、やれるのだが、状況に応じて適切な行動が取れないのではないか? だから、具体的な場面をとらえて、細やかな対応方法を具体的にコーチする。

(2)自主性・自治力・指導力を育てる。

  ①生徒が自分たちだけで考える「部分」を設定する
  ②自分たちだけでやる「部分」を設定する
  ③結果について自分たちで責任を負う「部分」を設定する……
 こういう場面を、つづきもの行事のなかに、綿密に、計画的に設定していく、埋め込んでいく。
 その際、わたしたちは、
  ①教える→やらせる→評価
  ②やらせてみる→教える(=評価)
  ③教える→やってみせる→やらせる→評価……(←これもひとつの例に過ぎないのだが……)、今、この行事では、どのパターンで指導し、次の行事ではどのパターンに移行しようとしているのかを明確に意識する必要がある。
 いつも①のパターンというのでは、子どもは絶対に育たない。
 むしろ、だんだんダメになっていく。

◆先に、「〈教育〉との〈距離〉の取り方を少しずつ調整して」と記述したが、調整の一環として、こういうコーナーを設置するのも、ひとつの方法だと考えている。

 ただ、これだと、なんだか唐突な感じ(>_<)。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 八戸情報へ
にほんブログ村

★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! 
  ☆公式ホームページへ


★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! 
  ☆WEB無人駅線ページへ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿