職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★魂の襞に沿って浮遊する……あるいは、沈潜していく僕の心の動きが自然に表現できるカタチを……

2011-12-14 16:03:14 | 僕のモンマルトル日記

 

2011

12.14
DAKA古書店跡店主が「教師修業道場(学校経営)」を語る




★きょうは、自由になる時間のすべてを、今回の、12/8=ハワイ海戦記念日から4年後の8/15に至る「3年と8ヵ月」の僕の「新企画」に関する「ブレスト」に費やした。
 昨日の「橋蔵(銭形)平次888回との競争の仕方を変える」のつづきだ。

 ――僕は、どういう「世界」を目指そうとしているのか?
 ――ホンマにホンマにつまらないことでも、僕の心のうちに漠然と生まれたもの(たとえば「思い」、たとえば「感想」、ま、いってみれば「些細なネタ」)を、僕のいつもの、修飾句や接続句や独立句混じりの、ゴチャゴチャとした文体で、あるいは、蛍火、狐火、カランコロン文体で、アウトプットする。
 ――「些細なネタ」には、これまでの僕の記述(過去記述)も含むことにする。
 ――くわえて、それを包み込む、クッキリとした輪郭を有する時空間=「世界」を創出したい。
 ――たとえば、サザエさんの世界。
 「場」=サザエさんの家、近所、商店街、学校、会社……。
 「人」=家族、近所の人々、商店街の人々……。
 「時」=現在。
 こういう設定の中でストーリーを創出している。
 僕の場合も、こういう、しっかりした「設定」が必要だ。
 ――設定の例。
 庄野の『夕べの雲』の世界。
 堀の軽井沢。
 DAKA古書店跡。
 (当然)学校(教室・職員室……)。
 ――ただ、この「世界」あるいは「設定」創出のために、資料収集やら取材やらをしなければいけないというのは、シンドイからアカン。
 楽な「設定」がいい(*^_^*)。
 ――ただ、僕の場合、ずっと何年も、「設定」=「学校」でやってきている。
 この「設定」が、僕にとってはいちばん楽だし、これから作成する「職員室通信」とも自動的に融合する。
 しかし、世界が――語れる内容が――極端に狭まってしまう。
 ――ホンネをいうと、DAKA古書店跡に惹かれている。
 しかし、古書店跡と「職員室通信」をどう融合するのか?
 どう止揚するのか?
 橋蔵(銭形)平次888回と競争する「職員室通信」は絶対に外せない。
 ――これまで、これ(設定)をずっとあいまいにしてきた。
 くりかえす。
 古書店跡と「職員室通信」をどう止揚するのか?
 「止揚」のカタチに僕自身が納得できないのに、12/8=ハワイ海戦記念日から4年後の8/15に至る「3年と8ヵ月」の「新企画」をスタートしてはいけない。
 ――元プロ野球チームの監督という存在……と同じように元教師という存在というのはどうか?
 すなわち、元プロ野球チームの監督がテレビやラジオで野球を語るのと同じように、元教師、現DAKA古書店跡店主が教育を語る……。
 ――そうだ、原稿依頼とか講演依頼があったとき、必ず肩書きをどうしますか?と問われる。
 僕は「元○○○」「すこやかみなみネットサポータークラブメンバー」「600字の教育学社主宰」等、僕のほうからいくつか提示し、選択は相手に任せている。
 先日の講演は、「すこやかみなみネットサポータークラブメンバー」でやった。
 これと同じで、DAKA古書店跡店主が、「教師修業道場(学校経営)」を語る……「教育コミュニティづくり」を語る……でいいのではないか?
 ――ムリな創作は絶対にやらない。
 魂の襞に沿って浮遊する……あるいは、沈潜していく僕の心の動きが自然に表現できるカタチを……。
 ――とりあえず、日記形式で。
 ――僕は、今、ここに記述している、いわば「作法に関するブレスト内容」を人の目にさらすのは好まないが、「日記形式」を取る以上、やむをえない。
 ――先々、12/8=ハワイ海戦記念日から4年後の8/15に至る間に、この「日記形式」を、少し右側に、あるいは少し左側に寄せていけばいい。
 ――「登場人物」の設定は焦らない。
 少しずつ増やしていく。








★この画像は、先日、パートナーがどこからか借りてきたDVDの一コマ。
 老人がパイプを拾うために、ダイビングスーツを着込んで海の底へ底へと潜っていく過程で、老人はかつて共に暮らしていた家族との思い出を回想していく……。
 観ているうちに、僕は、DAKA古書店を、DAKA古書店跡にしたことを、少しだけ後悔した。
 DAKA古書店の書棚の「古書&資料の配置・配列」=「わたしの精神の構造」だった。
 老人がパイプを探すように、僕が、ある書物を探すために、書棚のあいだを浮遊していると、高校生の頃、はじめて堀辰雄に、太宰治に、江藤淳に、高村光太郎に接したときの気持ちが蘇る……大学生の頃、教師になった頃……と、魂の内側に沿って底へ底へと降りていった。






★関連記事
古書店解体。人生のチャートを喪失したような頼りなさと、それとは逆に、自分を縛っていた歴史的な精神構造から脱出した開放感

  公式ホームページへ


  WEB無人駅線ページへ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿