市川橋を渡るとすぐ右に折れて土手の道を行く。ここから御着まではほぼ一本道、街道をはずす心配はない。向こうに見えているのは新幹線、立ち上がりの遅い旧式のデジカメながら上手く先頭車両を捉えることができた。
目の前の道がいきなり細くなった。どう見ても街道とは思えない。でも90°折れるのも勇気がいる。四国ならこういうところには大抵遍路標識やシールがあるけれど、もちろんそういうものは期待できない。街道を本当に歩こうと思えばリサーチは欠かせないということだろう。結局ぼくは細い道を直進したけれど、街道は右折していたのでした。姫路城から市川までの街道の内本当の道は3分の1くらいしか歩くことはできなかった。
撮影隊が読んでいる解説板の少し先にも、もう一つの解説板があった。
ここを南北に外堀があったけれど、明治になってその半分以上が埋められて道路になってしまった。もちろん豪壮な外京口門もことごとく破壊されてしまった。
ここを南北に外堀があったけれど、明治になってその半分以上が埋められて道路になってしまった。もちろん豪壮な外京口門もことごとく破壊されてしまった。
郵便局から最初の大きな交差点(二つ目の信号)で信号待ちをしていたら、いきなり左の方から撮影隊がやって来た。最初はまさかと思ったけれど、先頭には確かに原田さんがいた。一旦下って信号を渡りまた北の道へ上がっていく。ここで、初めてもう一つ北の道が街道であることを認識する。当然撮影隊のあとに続く。もしここで撮影隊に遭遇しなかったらずっと街道をはずしたまま歩いていたかもしれない。
この二つの間の広い道を東へ進む。この時点では二階町が街道だとは思ってもみなかった。元塩町と古二階町の境の道が平野町に当たったところで北に上がる、そしてぼくが今歩いている広い道を横切ってもう一つ北の筋が山陽道になると思われる。
桜門橋の前の道を東へ、護国神社の前を通って次の交差点に姫路郵便局がある。その向かいは姫路警察署、迷わずこの道を来たけれど、帰ってからよく考えてみれば、この道は街道ではない。内堀と中堀の間に街道が通っているわけはない。国道2号は中堀の上に作られたから、その一つか二つ南の筋が山陽道であった可能性が強い。たぶん二階町が山陽道であったろう。ずいぶん前に、ばんばふみおさんが山陽道を歩いたとき、船場小学校の北側にある本徳寺の前まで下りてきたと言っていたから、間違いのないところだろう。ただ、昨日の原田さんはそこまで下りず2号線を歩いていたようだった。それは、意図的に人通りの多い二階町を歩くことを避けたと思われる。
大手門を出てつい最近できた桜門橋を渡る。大手門の前にあるのにどうして桜門橋なのか。その理由はすぐ横にある解説板に詳しく記されています。現在の大手門は昭和の初めに作られたもの、江戸時代の大手門も桜門橋も明治の初めに破壊されてしまった。陸軍が駐屯するので、昔の形の門では不便だった。