篠山に登る人は多くはないけれど、いることは居ます。どれくらいの数かははっきり分かりませんが。ぼくが直接、登ったと聞いたのはいずれもベテランの人で5~6人くらいです。初めてのお遍路ではここまで足を延ばせる人は皆無と言っていいでしょう。ここに来る人のほとんどは登ってきた道をそのまま引き返す。そうでないと40番観自在寺をとばすことになってしまいます。でもその昔、江戸時代にはここから秡川温泉の方に下ってしまうのが普通だったようです。当時は観自在寺が札所でなかったのか、あるいは観自在に行ってからこの山に登ったのか。だとすればかなりの遠回りになりますが、愛媛大学四国遍路研究センターが出版している「四国遍路の世界」によると、江戸時代の23の遍路日記を調べたところ現代のへんろ道である灘道(柏経由)とこの篠山から秡川温泉に下るルートを歩いた人の割合は11:12でほぼ半々だった。二つのルートの間にある中道は当時はお遍路が歩くことは宇和島藩に禁止されていたそうです。つまり今回ぼくが歩いたルートは江戸時代のメインのへんろ道であったということが言えます。
でも現代になって歩く人がめっきり減ってしまったせいかかなり厳しい感じになっていました。ちゃんとした山道になっているところはほんとに少なくて、横峰寺や焼山寺の山道がいかにきれいでありがたいものか痛感するほどでした。
でも現代になって歩く人がめっきり減ってしまったせいかかなり厳しい感じになっていました。ちゃんとした山道になっているところはほんとに少なくて、横峰寺や焼山寺の山道がいかにきれいでありがたいものか痛感するほどでした。
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11:56 篠山神社の建物は比較的新しい、
11:57 神社の左横から山頂に続く道があります、
11:57 ロープは必要ないくらいですが、
11:58 山頂は伊豫と土佐の国境、
11:58 2回目だけれど今回の方がはるかにきつかった、暑さにやられました。
12:23 いよいよ下っていきます。前回のようにマイゴにならず宿にたどり着けさえすればという気持ち、
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12:38 とにかくはっきりした道がないのでリボンが頼り、
12:39 これが大事なパスマーカー、前回もこれ見たことは憶えているけれどそのまま直進してしまった。
12:39 今回は別に案内板もあった、
12:39 決定的に分かりやすい案内表示、たぶんdaboさんがつけてくれたものだと思われる。
12:40 案内板がなければとてもこちらに進むことはできない、直進の方にはリボンもあったし。
12:40 最初の部分にはトラロープもありました。
12:40 ロープがなければ道だと分からない。
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12:41 ロープがなくなると今度はリボンだけが頼り、
12:41 ロープはここまで
12:42 このあと全部のリボンを撮影しながら下る、スマホを片手にだから3回も滑ってこけた、幸いけがはなかったけれど。
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12:44 リボンがなければ絶対迷子になる、はっきりした道になっていないのだから。
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12:46 しかもこの傾斜、
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12:51 どこが道でしょう?
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14:10 ようやく舗装道が見えました。何とかマイゴちゃんにならずに済みました。
14:11 3kmを下るのに110分もかかりました、この倍以上歩いた感じでクタクタです。
14:11 舗装道を北へ、秡川温泉方面に向かいます。