壇上伽藍
2008-12-11 | 日記
帰ってから、いろいろ調べて判ったんですけど、今の金剛峯寺は金剛峯寺ではなかった。豊臣秀吉がお母さんのために建てた青巌寺だった。だから秀次が切腹した部屋が残っているのですね。明治時代に建て替えられたときに総本山金剛峯寺になったのでした。高野山の全部をまとめて金剛峯寺だった。空海が開いた頃はもちろん多くの寺坊があった訳でなく入定したときに完成していなかった堂塔もあったくらい。その最初の堂塔が建設された所が本来は金剛峯寺と言うべきなのだろうけれど、そこは現在は壇上伽藍と呼ばれている場所で、高野山の象徴とされる根本大塔がそびえています。建っているのではなく敢えてそびえていると書いたくらいこの塔は想像を超えるくらい大きい。いわゆる多宝塔なのですが根本大塔と言われるちゃんとした理由がある。現在の建物は昭和12年に建設されたもので、何と6代目、それくらい高野山は落雷山火事が多かったということなのでしょうか、でも1200年の歴史があるので150年から200年に一度の割合、仕方のない数字だと考えることもできる。その前に建っている金堂も6度の焼失に遭い昭和7年に再建された現在の金堂は7代目になる。高野山は994年の大火災でほとんど総ての堂塔を失い、総ての僧侶が山を下り廃墟同然になったという。空海時代の建物は一切残っていない。現在残っている建物で一番古いものは、根本大塔の手前にある不動堂、1197年に建設されたもので建物としては高野山唯一の国宝に指定されています。