技術であるとか、文化とかの発展が加速度的であるという事実は、
もはや言うまでもないような状況であるが、そのような中でも旧来の
生活スタイルや技術、文化も確かに存在している。
問題なのは、その差がいつまで許容され続けるのかということだと、
個人的には考えている。
往々にして発展する技術は後ろを見ない。過去の反省は生かしても、
過去の資産を活かせるとは限らない。そうやって邁進していくことは
もちろん悪いことではないが、古いものが自然に廃れていくよりも、新しい
ものが生まれていくスピードが早いという状況は、いずれ破綻することを
予感させ、それを恐ろしいと感じている。
大体こういった、大きな改革にはカウンター的な勢力が形成されがちである
が、それすら生まれてないように見える。思うに、変化の波が早すぎて、
カウンター勢力の形成が間に合わないからではなかろうか。
同時にそれは、発展の速度がしばらく緩むと、大きなカウンターが
やってくる可能性を秘めている。
行き過ぎた急流が多少なりとも是正されるということで、個人的には
近いうちに来てくれと願ってはいるが、発展の速度が緩まないで欲しい
という願いもある。前者は安定を、後者は生きるための糧をもたらす
からである。
(足りない頭で)考えすぎなのかも知れないが、何ともままならない。
もはや言うまでもないような状況であるが、そのような中でも旧来の
生活スタイルや技術、文化も確かに存在している。
問題なのは、その差がいつまで許容され続けるのかということだと、
個人的には考えている。
往々にして発展する技術は後ろを見ない。過去の反省は生かしても、
過去の資産を活かせるとは限らない。そうやって邁進していくことは
もちろん悪いことではないが、古いものが自然に廃れていくよりも、新しい
ものが生まれていくスピードが早いという状況は、いずれ破綻することを
予感させ、それを恐ろしいと感じている。
大体こういった、大きな改革にはカウンター的な勢力が形成されがちである
が、それすら生まれてないように見える。思うに、変化の波が早すぎて、
カウンター勢力の形成が間に合わないからではなかろうか。
同時にそれは、発展の速度がしばらく緩むと、大きなカウンターが
やってくる可能性を秘めている。
行き過ぎた急流が多少なりとも是正されるということで、個人的には
近いうちに来てくれと願ってはいるが、発展の速度が緩まないで欲しい
という願いもある。前者は安定を、後者は生きるための糧をもたらす
からである。
(足りない頭で)考えすぎなのかも知れないが、何ともままならない。