ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

明日は今日の続き

2017年12月31日 23時07分13秒 | Weblog
今年も残すところあとわずか。
友人が遊びに来たのでひたすら飲んだり食ったり、ガンプラ制作
大会したり、色々話をしたりして今に至るが、その中で
バーチャルユーチューバーというものが台頭してきていることを
知る。来年はそれが旋風を巻き起こすだろう。

個人的には、あの手の素人系の配信はどうにも馴染めないままで
いるが、あまりにも多様化した世の中において、メジャーどころ
にはない柔軟性をもって、ニッチの結晶のようなものが勢力を
伸ばしつつある状況は、動物の進化史における哺乳類のそれを
見るような思いであり、やがては彼らの時代が来るのだろうと
思わずにはいられない。

この一年、思い返すに及ばずあっという間で、去年もこうして
年末を自宅で過ごしていたことが数か月前の事のように感じられる
ような体たらくであるが、その間にも本当に色々なことがあった。
毎年のようにやりたいことが積まれていき、それをこなす間もなく
次の年がやってくるような状況で、来年はどれだけのことを
実現できるかも分からないが、しぶとくマイペースにやって
いこうと思う。

それでは皆様、よいお年を。
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2017年12月28日 22時55分31秒 | Weblog
大掃除をする。引越してからまだ一年程度なのと、来客が近くに
控えていることもあり、特に問題もなくあっさりと終わる。

しかし、この季節に掃除をしてみて思うのは、一年の終わりという
区切り以外に理由がなく、気候的な条件としてはあまりにも不適と
言わざるを得ないということ。
精神修養としての面も見出せるかも知れないが、とにかく寒かったり
冷たかったり、それによって固まっていたり、乾かなかったり、
気力が出なかったりで、よしんば片付けしても時期が遅れる
(今くらいの日に大掃除する)と、大量に出たゴミが回収され
なかったりするので、とにかく修行と思う他ないような環境下で
行われるこの冬季の大掃除に異議を申し立てたい。

個人的に掃除に最適なのは寒過ぎず暑過ぎず、湿気が控えめで、
その上時期的な節目近くである3月末~4月中旬までと思われる。
節目とかその辺を問わないならば10月の乾燥し始めた頃(長雨が
終わったくらい)もアリではなかろうか。
あとは大掛かりな洗濯物や風呂掃除であれば真夏に行うのも
良いだろう。

日本は四季がはっきりしているのが特徴でもあり、それぞれの季節で
それぞれ使うものがあるのだから、夏出来ることは夏にやり、
冬出来ることは冬にやれば良かろうと考える。
一年の禊的な、気持ち的な問題があるということであれば、火元とか
そういう特別な所だけに絞れば良かろう。

つまりは定期的に掃除をしろという話でもある。自戒も込めつつ。
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急いて暮れゆく

2017年12月26日 23時29分58秒 | Weblog
クリスマスが終わったためか、街の雰囲気が一気に年末の
空気を帯び始め、皆どこか浮足立った様子。
スーパーの売り物もケーキから一転して鏡餅や蕎麦などの
年末年始に向けたものに早変わりしていた。

幼少の頃は年末にはほぼすべての店が閉まるため、かなりの
量の食料や生活必需品を買い込んでいたが、今では買い物に
困る程度で、概ね問題は無い。にもかかわらず、昔さながらの
結構な買っぷりを見せている人が時々見受けられ、年末年始の
期間中は籠城戦を決め込むつもりなのかと思えてくる。
近所に海外の人が良く利用している宿泊施設があるので、
そこの人が単に爆買いをしているだけという可能性もあるが。

ともあれ、世間がかように殺気立っている状態ではあるが、
個人的に今年の年末は幸運なことに消化試合ムードであったので、
例年にも増して心安らかに過ごすことができそうな感じである。
しかしながら油断は禁物。色々気を付けつつ来年を迎えたい。
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結局慣れた道へ

2017年12月24日 23時08分49秒 | Weblog
ついに我が家に敷布団が導入され、寝心地の良さに驚く。
思えば幼少の頃より畳に敷布団で寝ていたので、その感覚が
肉体的に標準として刻み込まれており、そうそう簡単には
書き換えが叶わなかったのだろうと思い至る。

とは言え敷布団カバーが調達できず、掛け布団もないので、
その敷布団の上に毛布を敷き、その上に寝袋に入った状態で
横になり、最後に仕上げの毛布を上から掛けるという、多分
正しくないスタイルとなっているが、快適であればこのまま
続けていくつもりである。

あと、自宅のフィギュアがいつの間にか100体を越えていた。
かかった金額を計算すると寒さが増すのでそこは無視するとして、
大体月一体くらいの割合で増えていたので、10年近く集めて
いればさもありなんと感慨にふけるが、一体どこまで続ける
つもりかという漠然とした不安めいた気持ちも沸いてくる。
以前書いた通り、いまだフィギュアの値段の高騰は続いている
ので、どこかで作る側に切り替えた方が良いのかも知れない。
積んでいるプラモデルを何とかする方法も兼ねて。

近所のスーパーでやたらに鶏肉が売られているなと思ったら、
今日はクリスマスイブだった。街に出れば、うんざりするほどの
クリスマスムードなのだろうが、そういうのに比べると、
うっかりすると気が付かない可能性すらある程の控えめな雰囲気と
言うのは好感が持てる。どこかの誰かが差別とかで騒いだとか、
そういう野暮方面の力がかかった可能性もあるが、ただでさえ
物入りな年末にむやみに飢餓感を煽るのは良くないと思うので、
結果的には問題ない。

供養のためにも鶏肉を買って帰るべきかとも思ったが、個人的に
最近鶏肉と白米の組み合わせは満腹感が過剰と感じる(実際腹に
溜まる以上に一杯になったと感じてしまう)ので、いつも通りの
納豆のち茶漬けという夕飯と相成った。
ケーキも買わず、いつもの休日の夜のおやつとして注目している
和菓子(餅系の腹持ちの良いやつ)を購入。

個人的に年末感が無いと嘆いていたが、自業自得である。
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使いどころ

2017年12月21日 23時24分52秒 | Weblog
この前検討していたボーナスの使い道について、とりあえず
敷布団は既に注文を完了した。年末は家に居る時間が長いので、
この機を逃す手はない。 ということもあり、現在かなり
真面目に購入を検討しているのが『椅子』である。

ダイニングチェアとか、リクライニング付きで寝られるやつとか
或いは座椅子とか色々あるが、折角なのでお高めの作業椅子の
購入を考えている。具体的にはアーロンチェアとかあの系統。

体形が人並み以下で、できれば試しに座った感じを重視して
選びたいため、その辺の椅子を取り揃えている近場の家具店を
探し中。これくらいのものになるとAmazonと値段的にもあまり
変わらなかったりもすると言うし、何より信頼性を重視したい。

あとは机の上につい置いてしまいがちなアレやらコレをしまう
ためのキャビネットも欲しい。これはAmazonでも良さそうだが、
昨年の引っ越しの際に家具は多少高くても良いもの(ゴミに
なりにくいもの)を選ぶべしという教訓を得たので、デザインは
次点としてとにかく耐久性と信頼性を重視し、値段は後から
ついてくるものとして選択するつもりである。

あとは良い巡り合わせを願うのみ。
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変わらぬ風景のようで

2017年12月19日 23時15分35秒 | Weblog
この前の奈良に行った時の話。

奈良と言えば修学旅行に定番であるが、さすがに12月ともなれば
かような学生の集団もいるまいと思っていた。しかし、実際には
それなりに学生と思しき団体が来ていて少々驚く。
期末試験を早めに切り上げて旅行に充てたのか、詳しい所は
良く分からないが、修学旅行は5~6月、または10~11月頃に行う
ものだという個人的感覚がこの歳にして崩れたのは何か心地が良い。

また、これは季節を問わずにいる海外からの観光客であるが、特に
中国の人は鹿がお気に入りのようで、南大門前あたりの鹿の密集地では
みんなのはしゃぐ声が絶えず、ここでテンション使い果たしはしない
だろうかと余計な心配をしつつも、楽しそうで何よりだと思う。

それにしても、これまでの人生で幾度となく奈良の東大寺から興福寺に
かけてを観て回ったが、主要堂塔が(季節限定解放のものを除く)全て
拝観可能になっていたことが数回しかないのは少し残念と感じる。
大体どこかが閉まっていたり、よしんば開いていたとしてもお目当ての
仏像が東京あたりに出張中だったりして毎度少なからず不完全燃焼な
感じが否めない。この前は興福寺国宝館が閉まっていた。

比較的頻繁に足を運べる身空ですらこの有様であるのだから、遠方から
はるばる来てくれる人はこれをどのような思いで受け止めているの
だろうか。世界遺産登録とか観光地として定番化されたとはいえ、
本業は寺院であって見世物ではないから、いくらか仕方のないことで、
またそれがあるからまた来ようという気持ちにもなるのであるが、
やはり少し残念な気持ちになる。
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そこにはかつて

2017年12月17日 23時35分09秒 | Weblog
昔から仏像が好きで、勤め先が関西になり仏像の宝庫とも言える
奈良、京都に通い放題だと息巻きつつも、結局年に一回程度しか
見に行っていないという体たらく。
そのような状態だったので、年に一回だけ見る機会のある仏像も
何だかんだで先送りにしていたが、さすがに今年を逃しては次の
チャンスがいつ来るかも分からないということで、なけなしの
気力を奮い立たせて朝から奈良の東大寺に向かう。

件の仏像は多分美術の教科書にも載っているくらい有名な、
『執金剛神』という尊格で、毎年12月16日にしか拝むことが出来ない。
ついでにかの像はお堂の裏手にあるために、普段回の字の前部分まで
しか入れない状態が解禁されるという、眼福ここに極まれりな
一日と言えよう。奈良に着くくらいまではやや気持ちが重かったが
本当に身を押して来た甲斐があった。

なお、信仰心とかは残念ながら持ち合わせていないので、同寺の
戒壇院にある四天王像と雰囲気が似ているとか、そのつながりで、
今は別の場所にある伝日光、月光菩薩像とも関係があるのかとか、
そうなると本尊の不空羂索観音もそっち寄りになるのでは、と
考えたりと、あくまでも人の作ったものとしての見方である。
そして、調べてみたら上記の見立てが大体当たりだったから面白い。

となると、現在の東大寺法華堂に安置される本尊以外の諸尊は、
元々別の本尊を守っていたものなのではなかろうかと思えてくる。
というのも、それらの造形のタッチと言うか作風が似通っている
(厳密には四天王とそれ以外、という雰囲気)ためで、
もしかしたら東大寺が金鐘寺だった頃の主要なお堂(千手堂?)から
遷されてきたものなのか、とか考えたり妄想が止みそうもない。

もっと妄想を豊かにするならば、上の四天王像の作風は、興福寺の
八部衆に近いものを感じる。仏像の造像に関しての型の可能性も
あるが、縛りの緩い天部(いわゆる"仏"以外の諸尊)でここまで
似通うのも少々違和感がある。まあ、専門家や正規の学者から
すれば、かような妄想など一笑にもならないのだろうが。

ともあれ、もし叶うならば平安時代ごろの東大寺や興福寺の辺りや
お堂の中がどうなっていたのかを見てみたい。大体あの時代の
仏像は本尊クラスのものを中心にかなり失われているので、興味と
妄想が尽きない。タイムテレビ的なもので十分なので、生きている
間には実現されていることを願ってやまない。
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お得は高価値

2017年12月14日 23時37分04秒 | Weblog
もはや季節を問わないほどに、間断なく開催される宝くじの、
賞金が上がる度に景気が悪くなっていることを実感する。

要はおいしいエサで釣って、国が小遣いを稼いでいるような状態で
その頻度と餌の質が上がるということは、それだけ物入りで、かつ
楽に稼げるからなのではなかろうかと邪推する。

もういっその事、宝くじを普段払っている税金(住民税など)に
組み込んでしまえば良かろうとさえ思う。サービスという目に見えにくい
形でのリターン以外に、運が良ければ現ナマが貰えると来れば、まだ
税金でやせ細った賞与明細を見る心も多少和らぐというものである。

もう既に年金において、一部を投資に回させて運が良ければ貰える
頃には増えているかも知れないよ!というのをやっているので、税金で
それを多少やってももはや大した問題でもあるまいと思えてくる。

仕組みはまだあまりよく把握できていないが、ふるさと納税とかの
ように、金額以外の『お得だ』と思えるような部分をうまく突いて
いければ、集金はより効率的に、かつ継続的に行えるのではなかろうか。

やり口から言えばかなり汚い部類であるが、そもそも国の集金システムに
綺麗な所などもとより無いので、どうせ取られるならば少しでも
お得だと思わせるように、上手く騙して欲しい。

なお、宝くじはちょっとあけすけに過ぎるので、買うつもりはない。
と言うか、一般人にとって10億という額は少し現実味の薄い数字と思え、
却って効果が薄れそうな気がするので、大当たりでも1~2億くらいにして、
代わりに当選数を増やす方が良いのではないかと思う。
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より寒い

2017年12月12日 23時39分46秒 | Weblog
やはり今年の冬は寒い。
普段ならば年始に実家に帰る際に服装を真冬モードに切り替えていたのが、
今年はもう既に切り替え済みである。これ以上温かくするための装備が
無いわけではないが、出来るだけそれらを出さずに冬を越したいものである。

他に寒くなることによる心配事としては、数年前旧宅であった水道栓の
凍結が起こらないかというものがある。
ここ最近は朝シャワーを浴びないと目が覚めない体質になっているので、
朝風呂の蛇口からお湯を出したつもりが水のままというのは正に悪夢そのもの
と言えよう。
前の家で起きた凍結は、例年以上の寒さに加え、それまで朝日が差していた
給湯器に陽が当たらなくなったことが原因と思われたので、新居では
(給湯器に朝日が当たるため)ある程度の寒さであれば大丈夫であろうと
見ているが、正直あまり楽観視してもいられない。

そうでなくても、寒くなることによって朝寝床から這い出すのに苦労したり、
洗濯物の乾きが悪くなったり、ちょっとしたことですぐに腹を壊したり体調を
崩したりするので、これ以上寒くならないことを願ってやまない。
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脳瞬発力鍛錬

2017年12月10日 23時46分10秒 | Weblog
ここ最近になって飲み会の頻度が増えてきて、年末の空気を弥が上にも
感じるようになった。毎年こんな感じだったような気もするが、今年は
特に多いような、ともかく他人とリアルタイムで話す場の重要さを身に
染みて感じる昨今なので、有り難い申し出と出来る限り受け切る腹積もり。

飲み会やざっかけない食事の席などで交わされる、瞬発力の要求される
会話は実は非常に重要で、それを怠っていたせいか最近頭と舌の回りが
すこぶる悪い。単純にマジヤバイなどの語彙が貧困になるとか、アレだの
コレだのといった代名詞ばかりになるとか、そういった問題もさること
ながら、話の席における"地雷"のありかに暗くなるという、文字通りの
死活問題であり、うかつに口を開けない状態に陥っている。

以前に書いたかも知れないが、それ以外にも脳内のそれなりの領域を
占めてきてしまっている"エロ領域"の影響により、ふとしたことで淫語や
公序良俗に反する表現がまろび出る危機感もあるために、さらに普段の
会話のキレが悪くなってきている。
こういったものは頭でどれだけ鎖を掛けても蓋をしても安心できるものでは
ないので、とにかく実戦の場で大丈夫な感覚と自信(安心)を掴んでいく
他に手立てがない。それが叶わなければもはや口を閉ざすくらいしかない。

仕事の、ましてや会議などの席において地雷を踏んだり、あまつさえ品性を
疑われるような語を発した場合には、ほぼ身の破滅である訳であるが、
その点飲み会であれば、ある程度のやらかしは許される可能性が高い。
なればこそ、そういう場には出来る限り出て、そこで会話の感覚を取り戻したい
と目論んでいる次第である。

気心知れた間柄や、家族であったとしても、自分ではない他人に対して、
言葉でもって意思疎通と会話のやり取りを交わすというのは、結構な
大事である。 学校に通っていた時とか、実家にいた時には気が付かな
かったが、今更のようにその重大性を感じている次第である。
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