ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

鼻吹噴(はなふぶき)

2017年09月28日 23時21分37秒 | Weblog
少し前に、歯磨き中急にくしゃみが出そうになった時、絶望的な気持ちになる
と書いたが、"くしゃみが出そうな感じ"を表す言葉(〇意とか○○感)がない
のがどうにも不思議でならない。

くしゃみといえば古今東西、老若男女を問わず、ごくありふれた生理的行動で、
いきおい人々の日々の生活に馴染みの深いものであろう。それなのに、それに
まつわる言葉のレパートリーがあまりにも貧弱なのである。

腹が減れば空腹感、飢餓感。トイレに行きたい時は便意、尿意。眠い時は眠気。
眠気などは睡魔に襲われる、という雅な修辞まで一般的だ。
そのような中で"くしゃみが出そうな感じ"には、熟語も修辞もほとんどない。
一応くしゃみ自体には『打嚏(だてい)』『嚏る(はなひる)』という類語が
あるが、調べてみるまでそんな語の存在すら知らなかった。

くしゃみは元々『くさめ』から派生したとされ、その言葉自体も魔除けの呪文
(くしゃみで魂が抜けるという俗信があった)が元であったというから、もしか
したら非常に忌まわしい行動という認識があったのかも知れない。
そこから代名詞的な、間接的な呼ばれ方をされるようになり今に至るのでは
なかろうか、と考える。

しかしながら日本古来の習わしである、『突発的かつ原因がよく分からないものは
虫のせい』という観念に則った『くさめ虫が刺した』的な言い回しすらしないのは
不思議、というか少々残念に思える。詩情のある言い回しを避ける程に忌まわしいもの
だったとでも言うのだろうか。ただ、それならば"虫"が"魔"に進化するだけだから
やはり不可解である。

結局"くしゃみが出そうな感じ"を意味する熟語について、『嚏意(ていい)』とか
それっぽい語を検索にかけても引っかからなかったので、現状無い可能性が大である。
なればこそ、感覚と言語の真空地帯を埋めるべく世の文学者や国語学者の方々の
創意が発揮できる余地があるとも言えるのだが、新しい概念や事象を言葉にすることは
あっても、今まで身近にあったけど言葉にされてこなかったものに対しては動きが
あまり良くない印象がある。

くしゃみが出そうで出ない感覚というものは、かゆい所に手が届かないもどかしさを
強く味わうものであるが、そのような感覚がすっきり言葉にならないのも、同様に
言いようのないもどかしさを感じさせてやまない。
どなたかスッキリさせてはくれまいか。
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思い付き帳のすすめ

2017年09月26日 23時39分09秒 | Weblog
寝る前に出し抜けに良い考えが降ってくることが、有り難いことに
たまにあるので、枕元の手帳は未だに欠かすことが出来ない。
その多くは翌日に改めてみると大したことの無い内容であったりするが、
だからといって書き留めなかったり記憶頼りにするのも良くないので、
出来るだけ下らない事でも、多少訳が分からなくても書き留めるように
している。

こういったメモ帳は後から読んで、その時に新しい発見を生むことも
ままある。この前の引越しの際の荷物整理時に出てきた手帳がまさに
そうであったので、殊更に必要と感じる。
あとは意外と時系列が重要になる事が多く、この手の走り書きメモでは
失われがちな情報でもあるので、何年の何月何日に記したかを併記して
おくと先々のためになる。

その他にその時のレシートやチケットの切れ端、箸袋など、雑多なものを
挟んでおいたり貼り付けておくというのも良い。
誰に見せるわけでも誰が見るでもなく、己自身すら見ないかも知れない、
それが雑記手帳であるが、だからこそ良いのである。
スマホや端末を利用せずに、あえてアナログで記録するというのもミソ
である。とにかく、雑で良い。正しく整える必要もない。後から紐解く
こともそこまで考えなくてもいい。

念のための最低限の日付があって、ページが散逸しやすいものでなければ
概ね問題ない。ただ、消えるボールペンで書くのは良くない。
書き損じはもとより気にしなくても良く、裏抜けせず、どのような姿勢で
あっても書け、出来れば片手で書く態勢に持っていけるものがベスト。
該当するものとしてはノック式のボールペンなどであろうか。

とにかく色々と思わぬ発見があるのでおすすめしたい。
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国語は重要科目

2017年09月24日 23時18分46秒 | Weblog
正に秋といったこの季節、夕方くらいになると近所から夕飯のものであろう
良いにおいが漂ってきて、風情が色めく心地である。

しかしなぜ、この季節に近所の夕飯のにおいが際立つのか、他の季節は
それほどでもないという感覚なのに、ということで少し考えてみたら、この時期は
涼しくなった関係で多くの家が冷暖房のために部屋を閉め切らずに開け放っており、
ついでに良い風も吹き、それが通る上に空気が乾燥してきているのでそうなるので
あろうという具合に自己解決した。

思えば遠くの音もよく聞こえるようになるのもこの季節。随分離れた国道から
喧しいバイクの音が聞こえてきやがる。(風情が台無しだ)

話は大きく変わるが、小中高で国語の勉強を行う理由は結構な割合で『文脈や行間を
読む』能力を身に付けさせることのように思えてきた。
国語のテストで"このくだりにおける作者の考えを述べよ"という問いに対して、
"締め切り間近でしんどい"的な回答をするのはまさに模範的な誤答で、正しい回答を
するには出題者の意図まで忖度する(テストの文脈を読む)必要がある。

ある国語教師は国語の時間に学ぶことは一種の推理ゲームのようなものだ、と言って
いたが、それに類するもので、"まず読む""正しく読む""深く読む""穿って読む"
"多方面から読む"…といったとにかく読む術をあの手この手で叩き込むのが、
学校で習う国語の神髄ではなかろうか、と思った次第である。

ではなぜそんなに"読む力"を鍛えるのか、というと、世の中にある多くの文字情報が
恣意的に歪められていたり、断片的であったり、煙に巻こうとしたり、美味しそうな
言葉で大きく飾ったりと、とにかく騙す気満々で、ねじ曲がっていたり、変な味が
付けられていたり、悪意と作為に染まり切っているからであると考える。
仮に記者にその気がなくても、誰かが文字に起こした段階で人の手を経ていることに
なるから、宿命的に作為や何やらの不純物はどうしても入る。
事実だけをつぶさに記すにしても、事実を全部書き出すことは出来ないので取捨選択の
必要に迫られ、そこに作為が入る余地がある。
結局こちらに出来ることは、正しく読むという、これに尽きる。

情報社会と言われるようになって、文字情報に依存しない例も増えて来てはいるが、
文字情報の割合は依然大きい。そしてスマホやウェブという媒体や、扱う情報が増えた
都合上、物事を見出しだけで説明するかのような事例が殊更に増えた。
そして往々にしてそれらは、情報の内容を正しく伝えるには不十分だったり、恣意的に
過ぎる傾向がある。

少々穿って読むならば、そもそも情報を伝える側の立場からして、無味無色の事実など
金にならない(運営が立ち行かない)。ある方向に意見を誘導したり、悪質でない
程度に脚色する方が、出資者が喜ぶ(お金になる)。お金以上に重要なものとしては
情報を提供する立場としての『信用』があるが、基本的に事実と反してなかったり、
大きなポカをしでかさなければ、権威の方が勝るのでそうそう失われるものでもない。
本来信用など簡単に失われるもので、不思議な話なのだが、どういう訳かそうなっている。

つまり、基本的にタダでは教えないつもりと捉えてかかるのが妥当で、そのような
世の中で生きていくために、国語はしっかり勉強しなければならないという話。
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節目の恒例

2017年09月21日 23時47分54秒 | Weblog
急に秋めいてきたせいか、寒気やら頭痛がするようになった。
風邪の可能性もあるので、風邪薬でも飲んで窓もあまり解放せずに
早めに床に就こうと思う。

秋といえば色々と食欲が頭をもたげてきたりする時期でもあるが、
健康診断の時期でもあったりする。せめてそれが終わるまでは節制を心掛け、
ましてや風邪を引いた状態で臨まないよう注意せねばなるまい。

しかし、もうじき新居に越してきてから一年…。
随分先だと思っていた予約のフィギュアももうじきだったりで、この調子で
来年もすぐなのだろうと思うと、殊更に寒くなる。
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万事に反作用あり

2017年09月19日 23時36分33秒 | Weblog
往々にして他者から夢見がちだと指摘される、『夢見がちな考え』の多くは、
ものの働きにおける"反作用"的な部分を考慮していないと考える。

その昔、自分の座る座布団の端を持ち上げて空を飛べないのはなぜかと問うた時に、
世の中には作用と反作用というものがあってだな…と説いたのは我が兄であったが、
つまりはそれに類することで、力に限らず多くの現象や事象はそこから突然
生じるものではなく、生じるにあたっての土台や前提があり、さらに生じた分だけ
反対側に何かが起きていて、大体差し引きゼロ(もしくはちょっとマイナス)に
なるというのが、世の理という話である。

そんな理から外れたり、無視したような空想や思想、行動は漫画やフィクションの
世界ではむしろ普通に見られさえするが、これを現実の、等身大の世界に持ち込んだ
ならば、それは夢見がちだと窘められて当然と言えよう。

物理法則然とした理を越えるものとして、人の希望であるとか意志の力であるとか、
そういうものを掲げて夢に現実味を持たせようとする手合いがいるが、希望や意志も
反作用的なものはあり、いきなり何かすごいことを何も代償にせずやれてしまう
ような魔法のエネルギーではない。それこそ漫画の読み過ぎだと言われて然るべきである。

人の情や信愛などはかなり魔法めいた、理を超えた働きを見せるが、多くはその人が
それまで他人から受けてきたものを返していることが殆どで、そうでない場合でも
余程の背景がなければ差し引きゼロ以上の働きをもたらすことは出来ないと考える。
思うに、人はされたようにしか人に為すことが出来ないではなかろうか。

とは言え、一目惚れであるとか宿業的な趣味であるとか、理で測り切れなさそうな案件も
ざっと考えた限りでいくつかあるので、絶対的な法則というような類のものではなかろう。
基本は理にそっていて、所々ちょっぴり個人レベル、もしくは10年に一人の天才レベルで
例外がある、くらいに考えておくのが無難か。
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モリモリでサクサク

2017年09月17日 23時42分29秒 | Weblog
折角の連休も台風で潰れそうな今日この頃であるが、さりとて家に籠って
ばかりというのも気分が良くないので、雨が降り出さないうちに買い物に出かける。
街は日曜日の割には人が少なめで、台風の影響が伺えたが、結局買い物を済ませて
帰宅するまで雨は降らずに済んだ。Amazonで買った方が電車賃分安い、などとは
考えないようにする。

あと、そのような中でも店に行列が出来ていて、何事かと見てみればスーファミの
小さくした版を買うべく並んでいる人達であった。個人的にはレトロフリークでも
買えば諸々解決だろうに、と思うのだが、単純に見た目や存在的にファンの心を
くすぐるものがあるのかも知れない。並んでいたのもオールドファン、といった顔ぶれ
だった。


話は変わり、ここのところ暇さえあれば粘土をちまちまとこねる日々であるが、
盛っては削るを繰り返している関係で、削り屑がそこかしこに散っているような状態に
陥りかけている。紙とかを敷いて対策はしているが、興が乗ると顔に近づけて
切削作業を行うので、落下までの距離が空き、結果として結構散らばってしまう。
プロの人たちは作業場みたいな、ある程度汚れても問題ない環境を用意するのだろうが、
他の人たちはどうしているというのか。

ちなみに学生の時分から色々なもので造形してきたが、最近使っている石粉粘土が一番
しっくりくる感じである。エポキシパテは準備が面倒な上に一発で形を作るのが苦手な
ために今一つ。ついでにヘラなどを舐めながら作業する癖があるので色々アウト。
ポリパテは柔らか過ぎで、切削の感じは小気味良いが少しサクサクし過ぎで、あと臭い。
スカルピーはやはり一発造形が苦手というのがネックで、切削感や後からの盛り付けが
あまり良くないのも痛い。ついでに冬場にやたら硬くなるのがつらい。
樹脂粘土(デコスイーツの果物とか作る用のやつ)は質感はすごく好みであるが、複雑な
形が作りづらく、切削性も悪い。おそらく型が必要と思われる。
木材は切削感が個人的に最高で、黄楊とかは非常に好みであるが、失敗するとやり直しが
出来ない上に、手を入れる順序をしっかりやらないと割れたりする。いきおいフィギュアの
ような複雑なものは(技量的に)作れず、着彩も基本しないものであるので、今回の
目的からは除外。
象牙も小さいものは削ったことがあるが、手のひらサイズの人形を作れる程のものは
当然扱ったことはない。ちなみに削った時に独特のにおいがする。リューターだと特に。
100均の石粉粘土は安いがボソボソしていて、すぐ毛羽立つので同じ石粉粘土でも、
ファンドのようなきめが細かくて仕上がりがカッチリするのが良い。

造形素材の性質はどれも一長一短で、今のところしっくり来ている石粉粘土も何だかんだで
不満点はある。そうなるといずれはデジタルに移行する可能性もある。デジタルの問題点は
現状初期投資のコストの高さと、出力に関してのハードルの高さであるが、いずれも徐々に
緩和されると予想される。

とは言え、完全に趣味の領域なので苦労もまた味なり、という域に達することもあるかも知れない。
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ポロリと

2017年09月14日 23時46分55秒 | Weblog
元々人の名前を憶えるのが苦手であるが、最近は思い出すのも億劫に
なりつつある。何かの拍子にかなり最近まで一緒に仕事をしていた人の名前を
忘れて、思い出すのに時間がかかったり、新しく入った同僚の名前をなかなか
憶えられなかったり、先行きが不安な状態である。

ただ、視覚的に得た記憶は維持されやすく、頭に入り易くもあるために、人の
名前を聞いて憶えようとはせずに、名簿などを別途確認することで記憶をとどめて
いる。なお、文字は文字でも活字やPC上などの画一化された文字の方が具合が
良い印象。

よくよく考えてみると、昔から耳から(音として)得た情報は中々頭に入らず、
学校の授業内容等もメモやノートをまめにつけたり、教科書に注釈を入れなければ
頭に入らず、入ったとしてもすぐに抜けていく性質だったので、それが少しばかり
ひどくなっただけ、と言えるかも知れない。と言うか、その程度であって欲しい。

会話の上では話の前後の流れは流れとして記憶できるが、固有名詞的な単体の
ものが登場してくると少々怪しくなる。いずれにしても世間話程度であれば何ら問題
はない(はずである)が、いかに元々頼りない能力であったとはいえ、衰えを
認めずにはいられなくなるような、この体たらくは我ながら何とも情けないような、
気恥ずかしいような、居たたまれない気持ちになる。

老いたなんて思うのはまだまだ10年早い。
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時計の話

2017年09月12日 23時36分29秒 | Weblog
大阪に来て間もない時期に買った電波式の目覚まし時計(上側がアナログ盤面で
下側がデジタル表示)のアナログ部分が、きっかり一時間ほど進んだ状態に
なっている。電池切れが近いからなのか、何らかの故障なのかは分からないが、
しかしそれでも目覚まし自体はちゃんとその時間に鳴るという謎の状態。
目覚ましのセットはデジタル側で行っているから問題ない…のか?

ともあれ目覚ましは二段構え(古い携帯を使用)なので、今すぐ困るというような
ものでもなく、何だか面白いのでしばらく放置。

古い携帯電話も電波が通じていた頃は、それで時刻補正を自動で行っていたが、
今は当然それがないために若干のズレが生じてきている。折を見て時刻合わせを
せねばなるまい。 そして時計と言えば随分前にも書いたことであるが、炊飯器の
時計の異常なまでのズレの生じにくさである。上で書いた目覚まし時計とほぼ
同時期に買った炊飯器であるが、買ってから今まで時刻を直したことがない。
しかしそれでも未だ2~3分程度のズレしかないという謎技術。

とは言え、今の手元には端末であったりスマホであったり、去年買った置時計で
あったり、いずれも電波式の時計が十分にある状態なので、特にその恩恵に与る
という場面がない。まあ、本当に欲を言うならば、時計のお世話になどならない
生活が望ましいが、会社勤めの身ではその望みが果たされるのはずっと先の話である。
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雑感雑まとめ

2017年09月10日 23時03分43秒 | Weblog
色々と思ったことなどをつらつらと。

・粘土で人体(エロ系)を作っているが、人体の立体や構造に関して知識の
補完がなされていく感があり、思いの外有意義と感じている。
発端が最近のエロ系フィギュアの造形(主に腰回り)が気に入らず、だったら
自分で一から作ってやるわいというものだったが、この調子だと二次元の
絵の方にも還元できそうな手ごたえがある。造形の方が完成する保証はないが。

・ボイス付きのエロ系作品について、男役=読み手に置き換えられるような
作りになっている場合、そこで相手に『お兄さん』と呼ばれるのが個人的に
少し嫌である。この呼び方が秘める距離感は結構遠く、それは風俗のお姉さんが
呼ぶような、所詮は客としての距離というような、そんな冷たい印象があって
少し寂しくなる。完全にフィクションであるのだからわざわざ距離を感じさせる
ような呼び方ではなく、もう少しくだけた感じにしてくれればいいのに、と思う。
声優さんの演技力にも依るだろうが、『ねぇ』だけでも二人称として機能させる
ことが可能なのがボイス有りの強みであるから、もう少し模索して欲しいと
思ってやまない。

・夏の暑さが過ぎていよいよ秋らしくなってきた。気が付けばもうじき秋分という
恐ろしさ。洗濯物の乾きが遅くなり、日が落ちれば夜露が降り出し、これから
冬まであっという間なのだろう。

・もうじき神羅万象チョコの最新弾が出る。当然まずは箱買いにてつかまつる
予定であるが、前回の弾がかなりギリギリだったことと、いつも買っている店の
売り場のレイアウトが前から変わって小さくなっていることから、若干の不安が
残る。店で買えなくてもウェブの店で買えば良いのであるが。
そして以前から書いているが、何だかすごく終わりそうな雰囲気。

来週もがんばるぞ(棒読み)。
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いつの間にかの世界

2017年09月07日 23時37分17秒 | Weblog
以前に少し触れたかも知れないが、粘土をいじり始めている。
もっとも、根気の方がアレなので、完成どころかまともに形になるのか
どうかすら疑わしい。
そんな折に、そういえば最近あまり3Dプリンタの話題が出て来ないと思って
少し調べてみたら、別に下火でも何でもなく、絶賛技術更新中で、単純に
アンテナを張っていなかった己の無知を恥じる。

ついでにスカルプト(デジタル造形)ツールの方も廉価でそこそこの性能の
ものが発売されており、なぜかような折にわざわざアナログの粘土(と粘土
ベラセット)を購入したのか、我ながら良く分からない。

ともあれ、3Dプリンタはもう少し安くなったら買うかも知れない。
もちろんそれまでにスカルプトツールを購入しておくことが前提であるが。
多少機材が大きくても、今の家ならば置き場所は十分にあるので後は
買うための資金と、買ってから何をするのかの目的を用意するだけである。

…目的が今更用意されねばならぬという時点で色々ダメであるが、
何がきっかけで目的が発生するかは分からないので、日々アンテナをもう少し
高くして過ごしていこうと思った次第である。
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