ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

裏テーマ

2016年04月29日 23時29分19秒 | Weblog
絵描きには往々にしてこだわりと言うか、例えば人間キャラの顎を
ひどく尖らせた描き方が気に入らないとか、胸の谷間にとりあえず
yの字を書いとけ的な表現が気に食わないとか、エロ漫画における
局部の位置がおかしいのがどうしても気になって、やる気もそぞろ
になるとか、半ば意地や言いがかりのような意見や矜持を持っている
ように思える。

体のパーツや表情の表現、ちょっとしたしぐさや小物の描き込みの
ようなフェティッシュなものは、割と広く知られ、理解もあり、
それがある種の作家性であったり、作家のモチベーションの源で
あるという認識が定着している感があるが、個人的には、先に
述べた、ややネガティブなそれも、同じくらい重要な"絵描きとしての
根っこ"に当たる要素であると考える。

ものがネガティブなので、あまり表立って言えないようなもので
あるし、人によっては周囲がドン引きするような内容である可能性も
それなりに高い。

でも、もし気心が知れてかつ絵心がある人が傍にいるのならば、
さりげなく聞いてみると良いかも知れない。多分『人口に膾炙された
あの表現だけど、個人的にはひどく気に入らない(だから私はこう描く)』
というような話が二つ三つどころでなく聞けることであろう。

もちろん、そんなものはなく、純粋に綺麗なものを綺麗に描きたいだけだ
と言う人もいるだろうが。
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罰当たり的モチーフ探し

2016年04月26日 23時13分19秒 | Weblog
『天龍八部衆』というものをご存知だろうか。
かの有名な興福寺の阿修羅が属している、仏教上の尊格であるが、
固有の存在ではなく、釈迦の教えに帰依した人以外の種族という
大雑把なもので、要は仏法はかように人以外の心も広く掴むんだぜ的な
意味合いを持っているのだと個人的には把握している。

こんな導入ではあるが、今回書きたいのはどちらかと言うと冒涜的な
内容で、件の八部衆は非常にRPGに出てくる種族的、もっと言うと
人外フェチにはたまらないモチーフなのではなかろうかというのが主眼。

詳しい説明はWikipediaあたりを見てもらうこととして、
八部衆は多くの場合

天(てん:デーヴァ)…人よりも優れた神に近い存在、よその国の神であることも。
龍(りゅう:ナーガ)…生命力に優れた河や自然の力の象徴。性質は東洋のドラゴン的。
夜叉(やしゃ:ヤクシャ)…いわゆる鬼神。荒ぶる存在であるが、積極的に悪さはしない
乾闥婆(けんだっぱ:ガンダルヴァ)…半人半獣。音楽を愛しすごくいい匂いがするらしい。
阿修羅(あしゅら:アスラ)…いわゆる戦神。よその国の神様の一団とも。
迦楼羅(かるら:ガルーダ)…半人半禽。ナーガ(蛇)の天敵。速さと強さの象徴。
緊那羅(きんなら:キンナラ)…半人半獣。歌がとてもうまくて、女性は美しい。
摩睺羅伽(まごらか:マホーラガ)…半人半蛇。楽器の演奏がとてもうまい。

の八柱(興福寺のは結構例外的構成で、上記と違う)で、大変に個性的かつ
役割がしっかりしている。絵的なおいしさ(アレンジのし甲斐)もあるので、
色々と妄想が捗ること請け合いである。

まず初めに浮かんでくるであろう、罰当たりではないかという感想であるが、
そのまま使わずにあくまでもモチーフとして拝借する形であれば問題なかろうと
思われる。本当は信仰が伴うのが一番であろうが、(信仰が伴えば興福寺像のような
大胆なアレンジも許されよう)それを望むのは中々難しいだろう。
現代の絵描きであれば尚の事である。
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くじ運

2016年04月24日 23時41分32秒 | Weblog
今回の『神羅万象チョコ』の懸賞は、ランダムに封入されているという
金色の台紙(所によって台紙が金なのか印刷インクが金なのかまちまち
なのが混乱を感じさせる)を送付するというものであるが、個人的には
この方式は非常にやめて欲しいと感じてやまない。

というのも、ここでも何度か書いてきた通り、個人的なくじ運が非常に
悪く、おおよそこの手の当たり券をさらりと引いたためしがない。
今まで件のシリーズでも何度か、実質当たり券を引くタイプの懸賞が
あったが、全てどれも見事なまでにはずしている。大体毎弾につき
100個程度は買っているにもかかわらず、である。
昔に出ていたビックリマンでも当たり制度を導入していたが、2000と
32弾も含めて当たりを引いたのはたった一回のみである。
今回の弾はまだ出たばかりのため、まだそこまで大量には買っていないが、
あと2種で全部揃う程度には買っている。当然当たりは引けていない。

学生のころは他人に買わせて、首尾よく当たりを引いてくれたら買い取る
という技を使って対処していたが、今はそんなことを頼れるツテは無く、
一縷の望みにかけて総当たり的に(金の力で箱で)買う程度しかできない。

他の運にかけてはそれなりにあると自認しているが、くじ運とギャンブル眼は
悲しくなるほど無い。普通の人生を送る上では特に問題になることがないのが
救いではあるが、少し悲しい気持ちになる。
早めに諦めて、オークションで買うか…。
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大樹の枯れ朽ちるように

2016年04月22日 23時13分11秒 | Weblog
通勤の道すがらにある小学校が、春休みの時期を過ぎても妙に静か
なので、調べてみたら閉校していた。調べる過程でここ何年かの間に
小中学校の廃校や統合がかなり行われていたことを知り、うすら寒い
気持ちになる。
思えば近隣の学校もかなり潰れており、取り壊しの目途も立たずに
最低限度の管理だけで半ば放置状態の所すら見られる。

結局他の目的に転用するにしても、老人を住まわせる施設くらいしか
思い当たらず、取り壊すにしても昔の建築基準による大量のアスベスト
がどうとかでままならず、放置する他ないという、市政としても
お荷物であろうことが何とはなしに窺える。

それにしても、ここ何年かの近隣の衰退は非常に著しいと言わざるを得ない。
某有名企業のビルは丸々取り壊されて、何が建つのかと思えば駐車場になる
始末で、近所の銭湯も潰れ、その他にも数え切れないくらいの家や店の
取り壊し現場を見かけた。そして跡地は空き地のままか駐車場になるという
ケースが半分以上という惨状。そんなに車を停める需要があるのだろうかと
いう疑問がまず湧いてくるくらい、飲み物の自販機と同じくらいの割合で
それが偏在している。

いったい何が起きているのか。全国的なものなのか、住んでいる近辺だけ
なのか。何か大きなものが死にゆくさまをつぶさに見せつけられているような、
そのような心地である。
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マヨネーズ味

2016年04月19日 23時37分15秒 | Weblog
ようやく『神羅万象チョコ』の季節であるが、いつものように発売日に
量販店へ出向き箱買いをするに当たり、そこまでの往復の電車賃で
より多く買えば(別に急いで買いあさらなくても)良かろうという判断が
先に立ち、適当なスーパーでちまちま買うに留めている今日この頃。

つまりは、いささか収集の熱も下がってきてしまった可能性もある。
今回の弾は主人公が女好きという、やや対象年齢が上がった設定であるが、
これにより毎弾のように女性キャラが百花繚乱とばかりに乱れ咲くことが
示唆されており、この下がった購買意欲を逆転上昇させることを期待して
やまない。

今のところ目についた変化点として、女性キャラの"胸"の描写が妙な
あざとさを伴うようになったことであるが、個人的にそんなのは望んでいない。
この機会なので物申したいことをぶちまけておくと、最近の女性キャラは
とかく胸を強調したり膨張させたり、胸部周りの造形や描写をくどいくらいに
処理した"濃い味付け"で提供するのを常としているようであるが、それはもう
いい加減食傷気味であり、お腹いっぱいを通り越して吐き気がする。

某牛丼屋チェーンでもこの手の、何かとソースやチーズやマヨネーズを
かけたがる濃い味主体のものがあるが、それはあくまでもニッチであるべきで、
誤解を恐れず有り体に言えば下品という領域に属する。(なればこその趣もある)
ただ、それが主流になってしまったり、当たり前のようになってしまうのが
恐ろしいと感じる次第である。濃い味がセーブされてきたのは、濃い味を
もたらすものが希少だったという原因以外に、人の体が濃い味を処理しきれない、
つまりは毒となるという原因もあると思われる。

感覚(味覚)の世代による差と言われてしまうと、閉口せざるを得ないが、
実際のところ、今の若い人は、例えばブレザーのような厚手の服なのに
胸のラインがボディペイントのようにハッキリ出ているような描写をエロいと
感じているのかどうか、それが知りたい次第である。
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決めたり捨てたり

2016年04月17日 22時23分23秒 | Weblog
『真女神転生4FINAL』をようやくクリアする。最終ボス戦までの
流れや諸々の台詞が過去作に準えられており、FC版からのファンとして
涙腺が熱くなるがその後にまさかの連敗を喫し、三度目にしてようやく
ボス打倒を果たすころには台詞などどうでもよくなってしまっていた。

本作のラスボスは、レベルを十分に上げてメンバーの構成やスキルを
それ用に対策したものにしてもなお、戦闘中の指示一つ間違えるだけで
簡単に戦況をひっくり返されて全滅する程度には強い。
ストーリーの流れでノリノリなメンバーの勢いとは裏腹に、ジリ貧に陥り
敗色濃厚になって矢尽き刀折れ、全滅していく様は、何とも悲しい。

と言うような難易度ではあるが、個人的にはこの作品、10代くらいの
若い人にこそ遊んで欲しいゲームだと思ってやまない。CERO的には
推奨されてないが、内容的には中学生や高校入ったばかりくらいの、
色々と悩む時期に向けられたメッセージが強く感じられた。

曰く、既成の価値観を疑い、しかしあらゆる価値観を認め、そして
その価値観は人を縛るものではなく、人が見出しそこをより良くする
のが本義である―というような考え方は、何かと答えを欲してやまない
若い身空にこそ知っておいて欲しいことである。
本を読んだり、アニメを見て学ぶ教訓もそれはそれで重要であるし、
現実世界の様々な活動から得られる経験がもっとも身になるのであるが、
ゲームから学ぶものは現実のそれには及ばないまでも、一応の『経験』
であり、自らが下す"決断"がもたらすそれらは、ただの知識以上に
己の血肉になる。

どのようなゲームであれ、大なり小なり決断を迫られるものであるが、
有意義な決断を求められるゲームが良い(心に残る)ゲームになるの
ではなかろうかと思った次第である。
某RPGの嫁候補が未だに論じられているような、そんな感じの。
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もやもやする

2016年04月14日 23時28分04秒 | Weblog
ここ最近ゲームのために寝不足気味で、しかも上がったり下がったり
気温変動の激しい季節も相まって、思考がどうにもまとまらない。
何かを書こうというネタが浮かんでも、何かしらの結論にまでまとめる
ことが出来なかったり、書いているうちにその内容がそもそも書くまでも
ないことに気が付いたりで、そうこうしているうちに色々忘れていくという
実にダメな状態である。

可能であれば二週間くらい休みたいものであるが、次の連休が当てに
出来なくなるという状況で、少々暗い気持ちになる。
残業とかがきつくないのが目下の救いであるが、なればこそ連休の消滅に
納得がいかなかったりで云々。ともあれ、諸々寝て忘れたい。
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ラスボスに求められるもの

2016年04月12日 23時28分17秒 | Weblog
少し前に『Dimension W』のアニメをやっていたので、その話。

件のアニメの原作漫画は、絵が好みで、結構練られた設定も良く、
現在も購読しているのであるが、僅か1クールで既刊の内容を
あらかた追うという離れ業の中でその物語を見てみると、案外
一貫性を欠いたような部分が目につき、残念な気持ちになる。

当然アニメ版では省略された部分も多く、それによって原作を
読んでいないと流れ的におかしくなるような所もある。
しかしながら、主人公が実はかなり精神的、性格的に安定して
いないとか、ボスキャラクターの動機が幼稚であるとか、
そういうのは原作のままで、それが今回のアニメ化ではっきりして
しまったような形である。
本来販促のつもりで行われたはずのアニメ化が、詰め込み過ぎで
分かりづらい上に、主人公の心情や行動が結構ぶれる様を浮き彫り
にして、作品に対してのマイナスな感情を湧き上がらせるような、
逆効果に終わってしまったのではないかとすら思う。

個人的な感想として、ラスボスがぽっと出で、知能はとても高いが
性格が下衆で行動原理が子供というキャラ性は、正直印象が悪い。
同作者の過去作『猫天』のラスボスも概ねそんなキャラだったので、
なお印象が悪い。そして、そんなどうしようもないようなラスボスでも
大した報いも受けずに比較的穏やかに(思い焦がれた人の幻影を見ながら)
倒されるというのが、とりわけ納得がいかない点である。

どうしようもない下衆のラスボスは、どうしようもなくみっとも
ない死に様を晒すのが最後の務めであると個人的には思う次第である。
例1)表向きは貴族的だが中身真っ黒でドグサレな3部DIOの場合→
ここぞと出した卑劣な不意打ちを正面から返されてそのまま死亡

例2)表向きは貴族的だが他人は全て己のための道具という下衆な
7部DIOの場合→ 栄光を手に入れ最終目標に達する直前で急転直下。
何とかしようとするも、色々ボロを出してしまい、情けなく死亡

ダサくない死に様が許されるのは、生前の行いの良かった悪役のみ。
俺は貴様の拳では死なぬとか、天に帰るに他人の手は借りぬとか、
悪役と言うよりはライバルと言うべきか。
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二度目の正直

2016年04月10日 23時22分05秒 | Weblog
ここ数週間睡眠時間を削る勢いでプレイしていた『真女神転生4FINAL』
であるが、ようやくクリア目前という所まで辿り着いた。
まだ一応の途中ではあるが、ここまでプレイした感じでも、前作の4
通常版とは段違いの内容で、実に考えさせられ、よく出来ていると感じる。

この感覚、通常ナンバリング版は何だか良く分からず、胸の支えが
取れない状態で終了だったのが、次作では打って変わって全てが納得でき、
"良いゲームだった"と記憶に刻めるというのは、過去『ペルソナ2罪/罰』
のそれに近い気がする。 まだ4FINALクリアしてないけど。

また、終盤辺りをプレイしていて脳裏に浮かんだのは、『風の谷のナウシカ
(コミック版)』の行"命を一度与えられたならば、その命はその生き物の
もので、たとえそれを与えた者であってもどうこうする権利はない(意訳)"
"たとえ近い未来に絶望が待ち受けていたとしても、今生きている人は
その生きている中で精一杯絶望に抗い足掻き、前へ進むだろう(意訳)"で、
結局はどことなく『ナウシカ』っぽいなあ、という感想である。

よくよく考えてみると、外面的なモチーフが違うだけで、本質的なテーマは
ナウシカやもののけ姫と、真・女神転生シリーズは大体同じであった。

あと、これはごく個人的な、単なる勘のようなものであるが、作中の
重要人物であるフジワラ、ツギハギの両名のモチーフは、かつての女神転生
シリーズを牽引してきた岡田氏と金子氏なのではなかろうか。
どこがと言われると返答に窮するが、何かそう感じたというそれだけである。
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海と向き合う感覚

2016年04月07日 23時20分57秒 | Weblog
不意に昔のことを思い出し、その時から何年経ったのか、
その時の周りの人達が今同じくらいの年齢であるということなど、
諸々考えを巡らせると、居たたまれない、大げさに言うと死にたい
ような気持ちになるが、よくよく突き詰めて考えてみると湧いて
きたのは死にたいという気持ちとは正反対のものであった。

死にたくなるような気持ちの反対、それは『死にたくない』ではなく、
『今をもっと精一杯生きねば』というものである。
内包する感情としては、死にたくないという気持ちも含まれているが、
現状だらしなく生きているという事実も含まれているので、
ネガティブな感情を無理やり前向きに言い換える、例えば"退却"では
なく"転進"だと豪語するようなものかも知れない。
それこそ単なる自己欺瞞と言えてしまうが、騙す相手が己のみで、
しかも有効に作用しているのならば問題あるまい。

最近は色々な物事が調べればすぐに分かるから、何事にも近道や正解が
あってそれを正義だと勘違いしてしまいがちであるが、依然として
世界は空気と同じくらいの割合で適当さが、海と同じくらいの割合で
虚偽が占めており、残った陸地であっても色々あって人の住める場所は
ごくわずか。
しかしそれでも人間は十二分に生きてこれたし、これからも何だかんだ
言いつつも強かに生きていけるだろう。 適当に、適当に。
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