ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

月の変わり目

2014年06月30日 23時50分54秒 | Weblog
六月も終わり、間もなく七月である。
現状目下の楽しみと言えるものは、再来週あたりから発売の『神羅万象
チョコ』の次弾である。それ以外はどこか判然としない、虚無感のような
もので霞んでいるような、実に煮え切らない状態である。

月に一度程度になってしまった絵を描くことも、頻度が減れば当然ヘタにも
なろうに、思ったようにいかずにいらついてしまったり、しかし取り戻そう
という飢餓感が意外なほど湧いてこなかったり、何かが足りないというか、
ネジが一本落ちたのではないかと不安になるような、そんな日であった。
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好き嫌い

2014年06月29日 23時06分50秒 | Weblog
『超劇画 聖徳太子』か『モンスターハンター(平松伸二氏の短編集)』
でも無かろうかと探しに入った古本屋で読んだ『謝男(シャーマン)』に
少しだけ感銘を受ける。

雰囲気は似ているものの土偶と埴輪くらいには違う『どげせん』は大して
響くものがなかったのに反し、それこそ作中の人物のようにコロリと
やられてしまった。読んでいる最中は『バキ』シリーズを読んでいる時の
ような、手品か奇術を見ているような心地であったのだが、件の作品は
読んだ後に何か残るものがあったのである。

生活の知恵でも、ましてや真理でもない、とても小さく取るに足らないような
感覚で、単行本を買おうという気にもならないものであるが、とにかく何か
があった。

漫画つながりではあるが、最近になって、個人的不快指数の最高ランクに
位置する漫画が『グルマンくん』であることに気がついた。
完全に個人の好みで、感覚的な、主観的なものであるが、アレを読むと
吐き気を禁じ得ない。なお、後半は読んでいないながら『ゴッドハンド輝』
もやや不快指数が高い。

まともに読んでいられないという経験を味わった作品としては、駕籠真太郎
氏の作品のいくつかが挙げられ、自分自身をして“ああいうものが嫌い
なのか”という一種の指標になっていたのであるが、今回の件で、己の
好みについて、今一度心に問い正す必要があることを思い知らされた次第
である。あと、もっと漫画を読まねばならぬということも。

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谷から山を見る

2014年06月25日 23時31分08秒 | Weblog
夜のおやつなどとして、よくゼリーを食すのであるが、その容器を
『何かに使えそうだから』という理由で溜める習性があり、ふと気付けば
かなりの量になっていた。なお、実際にその容器を『何か』に使った
ことはまだない。そして、その何かが何であるのかは分からない。

度々日記で触れているとおり、何かを捨てることが苦手で、何かにつけて
ものを溜め込む傾向がある。その中には、部屋の一部と化しているため
捨てるという意識が麻痺して5~6年以上放置したままの神羅万象チョコの
箱(菓子在中)があったり、穴があいたものの何かに使えそうとまとめて
ある靴下だったり、雑誌だったり領収証だったりが山や谷をなしている。

これらの溜め込んだものについて、実際に『捨てないでおいて良かった』と
思えるような事態になったことは当然無く、それに気がついた時点で
モノが飽和した空間に慣れてしまっていたために、その環境を崩す踏ん切り
がつかず、またモノが蓄積されていくという悪循環に陥っていたのだろうと
他人事のように分析する。

結局のところ、己にとって極度に不快であるか、そうなることが決定的で
あろう物に対してしか捨てるという決断を下せない、というのが現状である。
言い換えれば、この環境の下では最近のゴミを除き、不快と感じる要因が
無いということでもある。

この価値観について、共有、もしくは理解を示す人に出会ったことはない。
解ってくれとは言わないが、そんなにおれが悪いのか(パクリ)
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雨か晴れか

2014年06月24日 23時31分51秒 | Weblog
街ゆく人を見てみると、日傘をさす人がとても多い。去年はこんなに
多かっただろうかと思いつつも、七月つまり夏は近づいていることを
実感させられる。

かように暑くなっているというのに、そう言えば今年に入ってからGの字を
とんと見ていない。室内はもちろんとして、夜近所を出歩いている時も
見かけず、これによって季節感が少々麻痺したのかも知れない。
それにしても、室内ならば去年設置した化学兵器(毒餌)が今なお効力を
発揮しているのだと説明がつくが、屋外で見かけないのは少々気になる。

市などが対策を行ったのか、たまたま(セミなどのように)発生に周期が
あるだけなのか、何かを察知して退去したのか、など、疑惑は晴れない。
とは言え正直なところ、出てこないのは大変ありがたい。

鬼の居ぬ間の安寧を謳歌する(部屋を思うさま散らかす)こととする。
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そこを線で割れ

2014年06月23日 23時20分46秒 | Weblog
紙一枚にペン一本。お馴染みのお絵かきセットであり、これで描く絵は
と言えばほとんどの人が線を基調としたものになるだろう。
そして、線で絵を描く際にはほとんどの人が『輪郭線』を用いる。
銅版画のような線の使い方をする人もいるかも知れないが、ごく少数派で
あろう。 ともあれ今回は『線』の話。

線の種類を大きく分けるとこんな感じであろう。
●解放された一本線    イメージ:/
●閉じた一本線      イメージ:口
●解放された二本線    イメージ:∥
●閉じた二本以上の線   イメージ:回
●解放された三本以上の線 イメージ:////
○見えない線       イメージ:矢う
※そしてそれぞれに太い/細い・強弱・抑揚が加わる
※迷い線はカウントしない

ここで“解放された”“閉じた”とあるのは、それぞれ始点と終点が
同じであるか違うかの差であり、これだけでも大きく意味(与える印象)が
異なる。閉じた線は固く決まった印象を与え、一本線ならば輪郭線として、
素材や存在の差異を表し、二本以上の線ならば硬いものか、人工物で
あることを匂わせる。

解放された線は、本数を多くする毎に存在が柔らかくなる。
印象が薄くなる、とも言えるだろう。立体における、辺の角を面取して
いく感覚といえば分かりやすいかも知れない。
三本以上の線となると、立体であるという情報すら失い、色の差を
表すこともしばしばである。

そして見えない線。これは実際に線は描かないが、周りに描いた線の
状況から存在を想像させる線である。あまりいい例とは言えないかも
知れないが、アニメ絵における目頭の描写はこれと言えよう。
(たまにしっかり描く作家さんもいるが)

という訳で、完全に自己研究そのままの稚拙な内容ではあったが、
絵を描く時などに改めて意識してみると、新たな発見や発明があるかも
知れない。なお、エロ系の描写に関して、いい手法が見つかったならば
そっと教えてくれると個人的には幸せである。
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維持と拡散

2014年06月22日 23時29分34秒 | Weblog
最近は気を抜きがちで、日記の更新頻度にもそれが現れてきている始末。
平日、休日を問わず、10時頃に睡魔が襲ってきた際に抗いきれずに寝て
しまうことが多く、その日に書こうと思っていたネタも忘れてしまったり、
そもそもネタをまとめることすら億劫になってきたように感じる。

もっとも、そうして温めていたネタも、書いてみると大したことが
なかったりすることもしばしばである。

例えば最近書こうと思っていたのは、手につけるもの(手袋、小手)は
左右非対称でも気にならないのに、足に付けるもの(靴下、靴)だと
とても気になるのはなぜか?という問題。
ごく個人的な感覚の問題になるが、さらに足は足でも脚のどこからが
非対称でも気にならなくなるのかについて考えてみたり
(答え:膝上まで)、その原因が『接地していること=バランスの問題』
だとして、四足動物ならどうであるとか(答え:前と後ろが違うのは可。
左右で違うのは不可)、そういう事を考えてみたりしていた。

そして結論では、人間は非実在の、仮想下である平面に描かれた絵で
あっても『地面に立っている』存在であるならば、ある程度常識的な
バランスをそこに期待する。平たく言うと、たとえ絵であっても、
転んでしまいそうなものに対しては気持ち悪く感じる、ということである。

この問題は、詰まるところ人の感覚によるものなので、大きさや長さに
よるアンバランスさも色や模様などで打ち消せる可能性が十分にある。
そこまで突っ込んだ考察は、流石に頭の中だけでは完結できず、絵を描いた
りして実証してみる気力もなかったので、こういった中途半端な
日記に書く内容としてふさわしかろう、と感じた次第である。

毎日これくらいのネタを用意できれば良いのだが、そうもいかず、
色々と鈍ったのではなかろうかと不安になる今日この頃。
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白で書く

2014年06月17日 23時03分19秒 | Weblog
以前にも書いたことかも知れないが、アナログで絵を描くにあたり、
『白』の手があるかどうかということは、殊の他大きい。
白なんて、紙(下地)の色を活かせばよろしかろうと思う人も多いと
思われ、実際に有効な手ではあるが、場合によっては『白』が使えると
表現に幅が出る。

ただ、鉛筆のように繊細なトーンの絵の場合、下手に白を置くと、そこだけ
色がおかしく見えてしまうので、ペン画のようなコントラストの強いものに
用いるのが無難である。

前置きが長くなったが、そんな『白』が描ける水性ボールペンや画材が
最近増えてきたので、それを取り上げてみることとする。

●PILOT Juice ホワイト(0.5)
線は結構細いが、隠ぺい力(下の色を覆い隠す力)は控えめ。
修正ペンのような使い方は難しいが、やや半透明の風合いはこれはこれで
稀有といえるため、水彩画や淡い色調の絵にも合わせることが出来るかも。

●uni-ball SigNo ACホワイト(0.7)
上記のものよりも若干太い(0.7)が、十分細字と言える細さ。
なお、これよりも太いバージョンもあるが、未所持のため使用感は不明。
隠ぺい力が強く、軽い修正やハイライトを入れることもでき、安い紙に
描いた時にはその線が浮き上がって見えるほどの白さ。
とは言え、消す目的のペンではないため、その辺りの過信は禁物。

●SAKURA Souffle スフレホワイト
線は結構太く、書いてから広がる感覚。書いてから乾燥するにつれて
徐々に不透明度が増すという不思議な白ペン。隠ぺい力は上二つの
中間程度だが、書いてすぐはかなり透明に感じるので、案外使いづらい。
紙以外の、プラスチックや写真の上から書けることが売りらしいので、
画材として使うには少々繊細さに欠けるかも知れない。

●SAKURA 布用 マイネームホワイト
サインペンの太さ。紙にも書けないことはないが、使う際にペン先を
数回押したり引いたりしないとインクが出ない上に、隠ぺい力は期待
できない(かなり粉っぽい)。あくまでも色の濃い布地の上に書いた
時に目立つというものなので、小さい絵を描くときには使えないだろう。

●100均で買った極細修正ペン(韓国製・メーカー不明)
修正ペンを謳っているだけあり、隠ぺい力は抜群。線もそれなりに細い
のだが、ペン先とインクの相性が悪いせいか、======←こんな
感じの線にしかならず、かなり残念な印象。


以上、とりあえず手元にあった白系のペンの感想などを書いてみた。
基本的に白系の水性ボールペンは、パステルカラーの一環として
中高生の女子向けに作られているような印象があるのだが、個人的には
修正ペン並の隠ぺい力を誇りつつ、水性ボールペンの取り回しの良さ
を実現した実用一点張りの逸品の出現を望んでやまない。

全くの余談であるが、個人的に修正ペンのあからさまに体に悪そうな
あの匂いは結構好きである。
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反英雄

2014年06月16日 23時29分16秒 | Weblog
恒例の楽しみとなりつつある『ビフォア・ウォッチメン』の新刊が出ていた
ので、購入する。今回のDr.マンハッタンの話は非常に難解で、構成が
凝りまくっているので、まだ完全に読めていない。

しかし、アメコミ作家には全く疎いのだが、結構な大家に毎回執筆依頼を
出しているように見え、実際に絵と脚本が毎回とんでもないレベルである
ことから、いかにアメコミ界における『ウォッチメン』の存在が大きいかが
垣間見える。

日本で同じようなことをやるとしたら、題材は一体何になるのであろうか。
とは言え、題材以前に絵をかける人と脚本書ける人を両方かき集めないと
いけないので、案外ハードルが高いかもしれない。
もちろんアンソロジーのようなものではなく、正式な外伝として出す
ならばの話である。

今回の話でつくづく思ったのだが、オジマンディアスは実に悪魔めいている。
ロールシャッハやDr.マンハッタン、コメディアンの奇人ぶりが目立つ中で
若干埋もれているかと思ったが、そのようなことは全くなかった。
かつての宿敵を精神的に屈服させ、忠実な手駒に仕立て上げる手練手管は、
魔人(そのかつての宿敵の二つ名)などではなく、悪魔そのものである。
次回は彼が出てくるのだろうが、どのような話になるのか今から楽しみ
である。
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在処

2014年06月15日 23時14分36秒 | Weblog
友人の来訪に際して、提供できる部屋やスペースがないという状況に、
何か貧しさのようなものを感じ、引越しへの思いを強める今日この頃。

周りを見渡せば、友人の多くは結婚しており、もうじき物心の付き始める
子供のいる所もある。本当に、気がつかないうちに時間が随分と経った。

そしてまた夏である。もう何度目か。
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実感なし

2014年06月14日 23時55分41秒 | Weblog
今更ながらの35歳になりました宣言。実際のところ、30を過ぎたあたりから
年齢の数え方が雑になってきている感覚が強い。ただ、世間的には忘れては
いけない概念であるために、それを注意喚起する目的で○○さん○○歳の
誕生日おめでとうと釘を刺しにかかっているような邪推にとらわれる。

ともあれ、他者の善意というものに対し、しっかりと考えなければならない
時期であるということは疑いようがない。己がこうして我侭を通して
いられるのも、巡り巡ってはどこかの誰かのおかげであり、善意も理屈
ではない、何か大きな意志の力によるもので、いずれ何かしらの形でそれら
に報いなければならぬ。
もちろん打算など限りなく少ない状態で、精一杯、目一杯の好意をもって
応えられれば幸いであろう。

嫌な考えが増えたのではない。無垢の考えが増え、我々は残っただけだ。
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