ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

助走無し師走

2021年12月30日 23時15分13秒 | Weblog
何事もきっかけがあれば話は急に動き出すもので、あれよあれよという間に
年末年始の予定が決まる。トイレ掃除と段ボール畳みも今日の内に済ませておいた
ので、とりあえず今年やることは大体やった。バッチ来い来年。

今年を振り返ると、大体コロナか緊急事態宣言かという話となり、さりとて
在宅勤務などということは無く、詰まる所会社と家の往復が殆どであった。
ただ、春に緊急事態宣言の合間を縫って潮岬に行ったり、Switch買ったり、
入院したりと、何だかんだで去年よりは充実した年だった。

来年は、ほぼ今年と言うか今の続きといった具合で、身がもつかどうかの
戦いが既に約束されたような状況であるが、終わりを心に据えたので、
それを頼みに生きていく予定。具体的にそれがいつかはまだ何とも言えない
が、早ければ来年内になる可能性もある。

それにしても、何か今年は心に来る出来事が例年になく多かったような気がする。
ごく身近では特に大きな出来事が無かったので、そこは救いであったと
言えるが、そんな流れが来年になって止まるとも思えないので、油断せず、
覚悟を決めて臨まねばなるまい。

という訳で、皆さま良いお年を。
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たるむ年末

2021年12月29日 23時47分00秒 | Weblog
先日はウェブ忘年会を兼ねた同窓会で気が付けば深夜というような状態で
あったが、それ以外の時間では何かと気が抜けがちで、抜ければ抜けたで
すぐに寝てしまうような、思うほどに無気力な年末と化している。
どこかで実家に帰ろうかと思いつつも、なかなか踏ん切りがつかず、もう
そろそろ刻限が迫ってきている状態で、大掃除やら何やらも残っているという、
書き起こしてみれば案外余裕のない状況であった。
とりあえず終わっているのは、ガオロードのカード整理と、風呂の掃除だけ
という、謎の中途半端具合。

ひとまず、明日から頑張る。
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やり方の問題

2021年12月26日 23時55分09秒 | Weblog
半ば意地で年末はガッツリ休むことにしたが、土日だけでも寝ていた時間の
方が多く、いかにここ最近の仕事が体に来ていたのかを思い知る。
世間では働き方改革とか言われ、実際に少し前には楽を出来た時期もあったが、
今ではあれは何だったのかと疑問を覚える程の状況で、何が原因なのか、
何が改善の策となるのか、この休み中折に触れては考えてばかりいる。

勤務時間の強い縛りという問題は、かつて昼も夜もなく(ダラダラと)仕事を
やってきた我々のような古い人間にとって、意外とも言うほどに大きな変革であり、
そこを軽く見ると想像以上に生産性の低下を招く。
あまり詳しく書くわけにもいかない話であるのと、考えがまだ煮詰まってない
問題でもあるので、今のところはここまでであるが、とにかく考えて少しでも良くして
行かないと、身がもたないのは確か。

とりあえず、休みが本領発揮してやる気が回復するのが三日目以降なので、
ひと時の解放の喜びを存分に味わいつつ休暇を謳歌することとする。
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去る時は来る

2021年12月23日 23時54分51秒 | Weblog
ここ最近、身の回りで退職する人が非常に多く、いきおい別れの挨拶なども
する機会が増えたが、思うにそんなときにかける言葉は軽くて残らず、
気取らない、至極ありふれたお土産のお菓子のようなものの方が良いの
ではなかろうかと思い至る。
退職のご挨拶、とは言っても多くは社交辞令であるから、プライベートでも
親しいとかが無い限り、あまりにも砕けた感じというのはさすがに出来ず、
かといって肩肘張ったり、教訓に満ちた重苦しいものも良くないと考える。
社交辞令の挨拶などその場限りであるだろうが、後に引く可能性を
否定できないから、気の利いたことを言ったつもりが、あまりにも重すぎて
呪いの言葉と化してしまうというのも避けたい。
気取った言葉などは、いかにも軽薄で論外と言えよう。

となると、先に述べたような、あっさり味の言葉を謝辞と共にさらりとかけて、
一切の嫌味なく、笑顔で送るというのが最善と思った次第である。

何よりも、そこで見送った人々の姿はいつか必ず来る己の姿でもあるのだから、
努々無下にする勿れ、と襟を正す今日この頃。
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信じるだけでは休むに似たり

2021年12月21日 23時55分00秒 | Weblog
世の中で暮らしていると、期待していたものと何か違ったとか、思っていた
ものと実は違ったとか、信じていたものに裏切られたとか、そういった
『裏切り』に出会う機会がままあるが、それはとりもなおさず外界からの
洗礼であり、社会で生きる上では避けられない出来事と言えよう。
つまり自分の思い通りにならないことを知り、自分の知らない世界を知り、
そこから自分というもののの輪郭を知り、立体的かつ地に足の着いた人格を
形成するのに裏切りは必要な要素の一つである、とも言える。

しかし、ネット掲示板とかではどうもこの『裏切り』の耐性が低い人が多く、
そこで意見を発する人達の境遇を察せずにはいられない。
あるいは、世間に溢れる裏切りを嫌って、避難所よろしく集まる場所がネットの
掲示板なのかも知れない。
個人的な感覚では、完全に自分が掌握したもの以外は大なり小なり裏切りが
起こるもので、そこにはもちろん親しい人たちであっても含まれる。
しかし、大事なのは『裏切るまい』という気持ちを持っているかどうかであり、
そこが赤の他人とそれ以外の人との大きな差ではなかろうか。
信じる、信じているだけでは駄目で、信じようとする、裏切るまいとする、
そういう心を働かせることが重要。

ここまで書いて、この話前にもしたような気がしてきた。
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外見は得てして変わらない

2021年12月19日 23時47分24秒 | Weblog
休日になると相変わらず発生するやる気の著しい減退と、下り気味になる
腹の具合から、計画していた外出もままならず、せめてもの帳尻合わせという事で
近場の散歩に留まる。
思えば寒くなってからめっきり足を運ぶことのなくなった、かつて住んでいた
家のある辺りを歩いたが、新しい家が増えていたり、コンビニが出来ていたりと、
何かと時間の経過を感じさせる要素が多くあった。
とは言えそんな足で向かうのは古本屋で、そんな古本屋は20年前の本とかが
平気で置いてあるような世界なので、寒暖差よろしく新旧の差にちょっとした
眩暈を覚えつつ、思えば青春時代と呼べる時期の多くを古本屋巡りに費やしてきた
ものだと感慨にふける。今はもう立ち読みをする体力も、良さげな漫画を探す
気力もあまり無く、そもそもこのご時世で店内の長期滞在が良しとされていないので、
適当に見て回って店を後にする。
先に述べた古本屋巡りをしていた頃は、この手の古本屋が新しいタイプのものとして
勃興期の最中にあったが、それも今は昔の話。かつての栄華はもはや外側だけと
いうような、何とも哀愁を醸すばかりの存在になってしまった。
個人的にはアナログの本が大好きなので、行先で古本屋を見かけたら思わず中に入って
しまうのであるが、収穫があることは非常にまれで、そういった点でも個人的に
思っているものではない、別の存在になってしまった点が哀愁を加速させる。

かように見た目は変わらずとも、中身や方針がすっかり変わってしまったものは
数多く、そういった人の世の移り変わり、諸行無常を味わう目的での散歩は
なかなかに乙なものであると感じた次第である。
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火消し術

2021年12月16日 23時50分53秒 | Weblog
歳のせいなのか何なのか、ここの所怒りの沸点が下がってきていて、
人や物に当たることはまだ無いにしても、心の中が煮え立っているような
場面が増えた。そして生来のクヨクヨする性分から、そんな怒りをねっとりと
引きずるような状態で、内に押さえ込んだ感情がつい態度などに表れて
しまわないかという事も併せて、我ながら大変に精神衛生上よろしくない。

とりあえず、家にまでその気持ちを持ち込まない事だけは何としても守ろう
としているが、心の鎮火法を早い所学習しないと、そんな防衛ラインも
長くはもたないだろう。
息抜きに茶でも一服入れるとか、そんな感じなのだろうかとも思うが、
それで消えたら苦労はなく、ねっとり燃える怒りの火に文字通り手を焼いている。

現実の火と同じと考えたならば、酸素、即ち燃える要素を遮断、つまり
心を無にするのが良いのであろうか。もしくは延焼を避ける処置をしておきつつ、
燃え尽きるまで燃やしてしまうとかか。いずれにしても結構な技術と言えよう。
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物欲の緒を手繰る

2021年12月14日 23時44分32秒 | Weblog
ボーナスも入ったことだし、絵が描けるタブレット端末をまた懲りもせず
探しているが、結局ipadで良いのではなかろうかと疑念に襲われ、結局
買わないループに再度突入しそうな勢いである。
少なくともああだこうだとやっているうちにクリスマスが過ぎていくのは
目に見えている。これに限らず、ボーナスの使い道を考えているうちに
次のボーナスの季節になっていたなんてことを、随分長い事繰り返して
来ているようにも思う。
しかし、だからと言って蓄えが一杯になるのかと言うとそうでもなく、
日々の無駄遣いでダラダラと浪費していくという、実に締まりのない経済状況
である。かような体たらくであるのならば、ビシッと高めの、出来れば生活の
役に立つものを買った方がずっと良いに決まってる。

ここ最近Amazonのレイアウトが変わって、興味の向いているものしか表示
されなくなっていて、『そうそうこれだよこれ、こんなのが欲しかったんだよ!』
というような出会いが無くなってしまったので、近場の家電量販店にでも
赴いて、心に引っかかるものを探してみるのも良いかも知れないと思った。
と言うか、別に電化製品である必要もないのであった。
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あれ

2021年12月12日 23時32分05秒 | Weblog
特売で度々お世話になっている、スーパーで売っているそばであるが、
何か食べた次の日に体からそばつゆの匂いがする。
つゆがゼラチンで固めてあるタイプのやつで、そのゼラチンが原因なのか、
つゆに何か入っているのか、あるいは気のせいか、謎は深まる。
そのスーパーでは大体汁があるものはゼラチンで固めてあり、他の食品では
匂いが次の日に来ることは無かったから、ゼラチンの線は薄いと見た方が
良いかも知れない。冷食のスパゲティが主食となって爛れた食生活になった
昨今、すでにもっとアレな臭いを漂わせている可能性はあるので、まず
他に改善すべき問題があると言えばそれまでであるが。
大体週末に腹を壊すのも、多分そのせい。

話は変わり、『ガオロード』の最終弾が届き開封したところ、運よく
アナザーカード以外が全て揃う。それはそれで嬉しいというか安心では
あるのだが、同時に虚しさも押し寄せてくる。ファイルにしまうまでが
コレクションだと分かっていても、ここでやる気が途端に無くなるのも事実。
これがあるから、常に新しいものを欲して止まぬのだ。
気が付けば机の上も多種多様のカードやらシールでひしめいている。
忙しくなると、こういった身の周りの荒れっぷりに気が付かなくなるようで、
この辺りもそろそろ片付けねばなるまい。
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粛々と向かう

2021年12月09日 23時52分25秒 | Weblog
気が付けば『ガオロード』の三弾にして最終弾が発売されていたが、既に
最初の段階から鬼滅の刃シールウエハースにぶつかってしまっていて、もう駄目な
感じが漂ってきている。しかし、最期を看取る意味でも出来るだけ買う。
嬉しいカードが出なくても、久し振りに食べるあのウエハースが美味いので問題ない。
土曜に二箱届く予定ではあるが、むしろそこまでにどれだけ揃えられるかが勝負である。

話は変わり、最近仕事が多忙になり、懐かしさを感じるほどの生活の荒れっぷりが
戻ってきてしまっている。床が空き缶やら何やらで埋まるには至っていないが、
前の家だったら身動き取れないくらいには溜まってきている。
特に多いのは燃えるゴミと段ボールで、さすがに年末年始の休みで処分せねばならぬ。
年末年始は半ば意地で人並みの休暇を取ったので、そこで何とかする算段。

そして果たして実家に帰ることが叶うのか。思ったよりは悪い事態には向いて
いないようではあるが、正直何があるか分からないのが年末。来年の事を言えば鬼が笑うと
言うが、年末そのものに魔が潜んでいるので、油断は禁物である。
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