ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

普通の価値を知る

2015年07月30日 23時22分49秒 | Weblog
現在加入しているウェブサービスのキャンペーンという触れ込みで、
動画の視聴サービスの一ヶ月間無料お試し的なものを勧められたので、
些かの不安を覚えつつも試してみることとする。

果たしてそこは、確かに多種多様の映像娯楽作品が目白押しの所では
あったが、基本気の利いたものを観ようと欲した際には、追加の料金が
発生するスタイルだったので、思っているほどの自由度はなかった。
視聴可能なものが少ないのは良いとして、実際に観てみると数十秒毎
くらいのスパンで発生するバッファリングのせいで、腰を据えて観る
気にはならないと思わざるを得ない有様であった。
時間帯の関係もあろうが、回線が細すぎるのであろう。

結局このキャンペーンは
・もっと貢げば色々な作品を思うがままに観れるよ!
・もっと貢げば回線が太くなってストレス無く動画を観れるよ!
という、不便を煽ってお金を集める類のものであったのだ、と思うことにした。
ただ、そういう狙いが見えたことで、当初の不安にあった『騙されるの
ではなかろうか』という思いは却って薄まった。
また、普段何気なく享受しているようなことは、実際には結構な金銭的
対価を伴うものであったのだということにも気付かされた。

とりあえず、無料なので、期間内は気兼ねなく、そこそこに楽しもう
と思った次第である。
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手続き

2015年07月28日 23時39分13秒 | Weblog
新しいウェブサービスの会社に移して久しいが、諸々の料金について
カード払いにしていたつもりが、毎月のように『○月○日までに料金納め
ないとネット停止させ申す』という旨の請求書が届くので、調べてみたら
回線使用料とプロバイダ使用料の二種を払う必要があり、そのうちの
片方にしか自動払いの設定をしていなかったことが分かった。

ネット関連は、書類や規約やら、とにかく相手を煙に巻くのが目的かと
疑いたくなるほどにいちいち煩雑なので、支払い手続きを行う先が
二つもあることなど確認もしておらず、何か騙されているような気分に
なったが、ひとまず設定するだけ設定する。
諸々の確認のために、先に設定した方の支払い状況などをウェブから
調べようとしたが、やれIDだ、やれパスだなどとさらに記憶の奥底を
ほじくるような仕打ちと、それらの設定を行ったPCのデータが死んでいる
状況から、すべてがどうでもよくなりかけたが、幸い設定直後に送られて
くる葉書がすぐに見つかり事なきを得た。

とりあえず、現在のネットサービスは不必要に煩雑で、そこに勤めている
人間が一からこれを再設定しようとして、どう思うか本気で聞いてみたい。
先にも書いたが、なぜこれがここで必要になるのかと理解に苦しむ部分も
あり、騙すつもりでやっているのではなかろうかと言う気持ちが沸いてくる
ほどである。料金以外で、現行のサービスにして良かったという点は
今のところ何一つ無い。

手続きがある程度面倒なのは、セキュリティ面から見て致し方無いところも
あるかも知れないが、それを当たり前として相手に要求するのは違うと
思ってやまない。聖域的に競争から保護されているから生きていけている
だけの、甘えのようなものが見える。
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なんて生き物

2015年07月26日 23時36分01秒 | Weblog
虫魚禽獣という言葉があるが、昔の人々の生物観を表しているように思え、
興味深く感じる。
上の言葉は、人を除く生物全般を指す意味で、獣や禽(鳥)、魚は良いが、
その他をすべて“虫”に含めている大雑把さが何とも面白い。

獣や鳥、魚以外の、一般に思い浮かべる虫はもちろんとして、エビ、蟹
などの甲殻類に蛙や蛇、トカゲなどの主に陸棲両生類、は虫類や、軟体動物
たる諸々の貝類も含まれたと思われ、その観点は漢字に“虫”が含まれて
いることから伺える。
※今の漢字(名前)とその当時の漢字が同じだったかという保証はないが。

詳しく突っ込んでみると、多分イルカや鯨、サンショウウオやヒトデに
ウニなどは魚として判定されていただろうとか、コウモリは獣でも鳥でもなく
虫だったのかも知れないとか、タコは虫か魚かどっち判定だったのだろうかとか、
色々と気になるところがたくさん出てきて、とてもにわかに沸いた興味程度では
追いきれそうにない。

科学なき時代の日本の自然観や生物観というものは、当然ながら今の我々の
常識の外にあるものであって、軽く触れるだけでも大きな驚きがある。
実におもしろい。
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包丁は人に向けるな

2015年07月24日 22時40分39秒 | Weblog
『まずは非暴力にてつかまつる』というような言葉があるが、以前から
ここで書いているように“暴力”という言葉は非常に曖昧ながら力のある
言葉なので、もう少し取り扱いには注意した方が良いのではないかと
思ってやまない。

暴力とは、適切ではない強さでふるわれる力であって、相対的、感覚的
概念であるために、具体的にこれ以上やったら暴力ですよという線引きが
かなり曖昧な存在である。
多くの人にとって、もっとも分かりやすい暴力である殺人も、状況如何で
正当“防衛”とみなされる場合もあるし、男性が女性に手を上げるという
ことも、やはり状況次第と言えよう。
そしてやっかいなことに、暴力という言葉自体がかなり強力な言葉であり、
人の心や行動に大きな強制力を発生させる。その強さは、下手に暴力だと
発することが暴力として判定されてしまうほどであるから、使用に
おいては細心の注意を払わねばなるまい。

その言葉は往々にして、当事者側が発して然るべきものかも知れないが、
上記のような性質を持ってしまっているがために、第三者が審判して、
結果として下されるのがあるべき姿のように思える。
ケンカしている二名がいるとして、彼らの個々の状態や能力は彼らにしか
分からず、相手の攻撃に対しての損害もやはり受けた側にしか分からない
ので『奴の攻撃は暴力だ』と、言うのは当たり前の流れのようにも思えるが、
その主張は自己の正当性を主張し、周囲を見方に引き込む売り込み行為で、
立派な“攻撃”であるということを忘れてはならない。

誰か中立の立場にある人が、客観的に状況を調べ、できるだけ公正に審判
した上で、初めて暴力だったという言葉がでる可能性がある、というレベル
である。
そういう観点からすると、冒頭にて書いた、まずは非暴力にてつかまつる、
というのは、そこらヘんの遊んでばかりいる高校生が根拠なしに『東大
入るから人生全般問題ござらぬ』と言っているのと大して変わらない。

基本的に、決めるのは我々ではない。それ以前にやるべきことがあろう。
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引力と挑発

2015年07月22日 23時09分35秒 | Weblog
夏になると決まって胸元が大きく開いた服を着てくる女性がいるが、
あれは一体どういう考えなのか、疑問に思う。

日常におけるいかなる姿勢、体勢、角度であったとしても完全な防御を決め、
チラリズムを撒き散らし、世の男性の脂ぎった視線を一点集中させる目的と
言うのならば至極納得のいく話であるが、往々にしてかかる手合いは少しの
動作であっさり下着が見えていたりと、半ば開け放しの無防備状態である。
そのくせ視線を向けただけで、恨みと蔑みのこもった眼差しで返されたり
するのだから、見せたいのか見せたくないのかはっきりして欲しいと
言わざるを得ない。

男という生き物は、その主が何であれ“肉の谷間”が発する引力の奴隷であり、
それへの視線を引き剥がそうとするだけでも気力や筋力を使う。
たちの悪い事に、その人の顔を見て話したいと思っていても、引力が発生
すれば視線は釣瓶落としとばかりにその下の谷間に吸い込まれていく。
端から見れば随分失礼な話であるが、この世界において引力に抗える存在が
どれほどあろうかという話であり、さりとて発生源を責めるわけにもいかない
という、不条理が発生する。

服のデザインの一つとして、胸元の開放性が高いものがあるということは
むしろ望ましいことであるが、公共の場で着るにあたっては防御面における
信頼性の高いインナーを仕込んでおくなどの配慮を望んでやまない。
その上で、着る側をしてその格好が男性諸君の視線を無差別に引き寄せる
(ある程度見られても構わない)という認識を持って欲しいとも思う。

とにかく、いらぬ気苦労は小さなことでも避けていきたい。
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それは怪物を描く為にある

2015年07月20日 22時36分03秒 | Weblog
その昔、日本の絵描きはほとんど情報のない環境下で、異国の生き物を描いたり
する事があった。例えばライオンやバク、サイやらゾウなどがそれであり、
麒麟や鳳凰などと同列で描かれていたのではなかろうかと推察する。

想像下で、“分からない”状態で描いたそれらは、後の世に幻獣として
ほぼ伝説化し、ほとんど別の存在として扱われていると言っても良いであろう。
今の世の中では“分かっている”ということが非常に重要で、暗闇の中の灯明の
ようなものになっている節があるが、絵とかの世界においては必ずしもそうでは
ないと思うに至った。

分からない、知らない、という状況は、良くも悪くも混沌で何でもアリという
世界であり、大袈裟に言って魔の領域に属するものである。
いきおいそこからは、数多の怪物やクリーチャーが誕生していくわけであるが、
絵の世界においてそれはむしろ歓迎される事柄である。
喩えが若干アレであるが、下手に具体的な知識であったり前情報を備えずに
描かれたであろうエロ漫画の女性キャラは、有り体に言って怪物であることが
しばしばある。しかしそれはそれで需要が存在しており、往々にしてジャンル
として確立されていたり、つまりは認められている存在と言えるであろう。

同じ絵描きでも、分からない、知らないだと話にならない場合や場面も
多かろうが、描ける技術を持っていながら分かるものしか描かないというのも
少々勿体ない話である。

様々な物事や生き物、現象、存在に対し、自らの憶測や妄想に偏見や誤解、
時に変態性をトッピングしつつ想像力と表現力で(怪物や化け物を)描くことを
恐れず、もっと押し進めても良いのではなかろうかと思った次第である。
割と皆無意識でやっていることとは思うが、恐れることない、と言う話。
もちろん、笑えない、洒落にならないのはNGで、そこの所の匙加減は必須であるが。
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夏祭りの対象年齢とは

2015年07月18日 23時20分14秒 | Weblog
先日までのひどい雨から一転、世間ではもう夏休みの様相を呈している。
個人的な感覚ではまだ七月の頭であったのだが、さておき、近所の商店街で
夜祭りが開催されていた。
さして人は多くなかろうと思っていたが、予想に反してどこにこんな人
(若い衆)が居たのかと驚くほどの盛況ぶりで、思わぬ目の保養と相成った。

それにしても、ざっと見た限り、祭に来ている人の男女比率が女性にかなり
偏っているようで、これがたまたまなのか、この近辺だけでの傾向なのか、
現代の傾向なのかは分からないが、少々興味深いと感じる。
祭好きというと男の方が多い印象であったが、最近ではそれが逆転している
とでもいうのだろうか。

また、最近の女の子はやたらに足が長いので、浴衣を下手に着る(帯の位置が
高すぎる)と、却って不格好に見えるなあ、と事案発生の手前あたりながら
思ったりもした。
そして、今回は妙な着崩しをした手合いは見受けられなかった。地域柄なのかも
知れないが、その辺りは近日開催の天神祭にて明らかになるであろう。

個人的には中学高校のあたりの、一番おいしい季節に夏祭りでどうこうという
思い出がなかったのと、近所で夏祭りがあまり行われていなかったためか、
あまり夏祭りというものに対してワクワク感が沸いてこない。
ただし、とても羨ましくはある。

夏祭りの場に、うらぶれた大人の溜まり場とか用意してはくれないものか。
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わびさびの境界

2015年07月16日 23時23分02秒 | Weblog
日記のネタなどを思いついた時、忘れないうちにメモ帳に記すのであるが、
論を展開していくのが面倒になったり、時間をおいてみたら大したことの
ない内容だったりで、没になるものが多い。
いきおいメモ帳は文字で溢れるのであるが、ぼんやりそれを改めて眺めて
みると、それなりに趣があると感じる。
内容に対してではない。書かれた字そのものに対してである。

元々字はうまくない上に、自分だけ読めれば良かろうと走り書きで記して
いるために、自讃も弁護もしようのない、かけらの美しさもない代物であるが、
なればこそ泥臭さや生活臭のようなものを醸し出していると思われた。
その他にも、メモ帳には文字以外の、思い付きレベル以下の落書きも多数あり、
今風に分かりやすく言えば『ぼくの考えた妖怪(選外)』のような
クリーチャーがひしめいていたりもする。

所々に、ふと突然『腕を曲げた時にあの角度から見たらどうなっていただろうか』
的なことを思い立った際に、アレコレ確認の為に描いたものであったり、ある
ものを正しく描く為には、ここを基準としてどうこう…というような正しい
用法におけるメモも一応有るにはある。

今でも十分に、これらアナログ的に書かれたものをブログなどにアップする
ことは可能であるが、現状手持ちの道具ではアナログで書いたものを取り込んで
画像にするという手順を踏まねばならず、不便が勝る。
さりとて液タブなどで、最初からデジタルで書くとなると、どういう訳か気負いの
ようなものが生じ、きちんと書かねばという気持ちから非常に時間がかかって
しまい、アナログでの最大の良さであるライブ感や勢いが死んでしまう。

とはいえ、そもそも汚い部類に属するこれらを、趣ありと好意的に受け取るのは
少数派で、多くの人はそんなもの望んでいない可能性も捨てきれない。
実際の所はどうなのだろう。
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夏の始まり

2015年07月14日 23時33分59秒 | Weblog
単なる気のせいなのかも知れないが、暑くなるとコンビニに人が増えるような
気がする。ここ数日で訪れたコンビニで、それほど混むような時間帯では
ないはずなのに、行列が出来ることが度々あった。

概して暑くなると人は活動的、つまり大雑把な体の動きを望むように
なり、寒くなるとその逆で細々とした手先などの動きを望むようになる。
その関係でとりあえず外に出ようという流れになって、いきおいオアシスたる
コンビニに人が溜まるのではなかろうかと、ざっくりと仮説を立ててみる。

個人的には手先を動かしたり、集中力を高めようとすると途端に汗だくになる
この季節は少々疎ましい。はっきり嫌いだと言わないのは、夏の雰囲気や絵の
ネタとして味わう分にはむしろ好きであるからで、描きたいのに色々あって
集中できないというのが大変にもどかしい。
ただ、クーラーとかをかなり気軽に回せる身分ではあるので、その恩恵に今年も
与りつつ、長くなるであろう夏を越そうと思った次第である。
多分今年もそんな遠くへは行かず、家と会社の近辺をうろつくのみであろうが。
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復元作業

2015年07月12日 23時12分19秒 | Weblog
ようやく新PCも届き、諸々復帰させるべく再セットアップを行う。

予想通り旧PCのHDDは生きていたので、データの救出は問題なく行えたが、旧PCで
ゴタゴタしていた時に、Cドライブをまっさらにしたために色々なソフトの設定や
メールの内容が失われたのが地味に痛い。
フォトショップのブラシやスウォッチの設定はおよそ三年前のものに戻ってしまった。
あるだけマシではあるが、今後はマメにバックアップを残しておかねばなるまい。
saiなども前のPCがクラッシュしているために使用不能となった。代わりのツール
(絵の描き方)を確立せねばなるまい。
HP編集で使用していたソフトは新PCのOSでは動作しないようで、少なくともその
OSで動くバージョンを手に入れる必要が発生した。また予期せぬ出費である。

そもそものOS(Windows8)も、初めて触るために、痒いところに全然手が届かず、
イライラばかりが溜まった休日であった。

PCはクラッシュしないもの、ネットのプロバイダ的なものは変わらないもの、
というおかしな前提の上に成り立っているものが実に多く、それによって生じた
苦労が今回多かったように思える。セキュリティの都合もあるだろうが、PC関連
のローカル設定は極めて泡沫的であり、欠片ほどの信用すら油断と言える状態と
いうことが今回良く分かった。
昨今のクラウド化はそれに対しての答えと言える動きであるから、今後はそれに
乗っかっていきたいと思う。
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