ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

大晦日

2015年12月31日 22時20分13秒 | Weblog
年末の休日を謳歌している中、気が付けば今年も最後となっていた。
近所のスーパーで大ぶりのエビを見かけ、どうしても鍋にぶち込み
たい気分になり、実に数年ぶりに厨房に立つ。
とは言っても、エビの他に白菜としいたけを適当に切って、もう
一品ということで成り行きで牡蠣を鍋キューブと共に煮るという、
失敗しようのない男鍋であるから、これを料理としてカウントする
ならば、普段やっている炊飯器に米をセットするのと大して差は
ないのかも知れぬ。

さておき、今年は何かを変えたというようなことは少なかったが、
色々なものを買った年だったように思える。PS4しかり、液タブしかり。
何年か前に立てた“来年の目標”のようなものが、依然履行されて
いないので、確か去年も目標らしい目標を立てておらず、つまりは
来年も継続してそれに当たるという、だらしのない目標である。

この休みの間に実感したことであるが、何かを急いで沢山詰め込む
ような生活は肌には合わず、ダラダラ絵を描いたり本を読んだり
しているうちに気が付いたら数日経過していたような、そんな
スタイルが心身にとって無理のない具合なのだ。

年が明けたらまた目まぐるしく、色々なやるべきことと戦う日々が
始まるのであるが、それを想像すると少し気が遠くなる。
ともあれ、来年も細くしぶとくを信条に生きていこうと思う。

それでは皆様、良いお年を。
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皮と中身

2015年12月29日 23時21分03秒 | Weblog
ふらりと立ち寄った家電量販店で4Kテレビを見ていたが、
デモ用の映像ですら遠景が補正で描き割りのようになっており、
詰まるところ拡大した画像のリアルタイム補正のデモとして
しか機能していないような状態で、少なくともテレビ放送には
まだ早かったのかと思うに至る。
女優が登場するデモ映像も肌の質感に補正がかかりまくりで、
その商品が謳っているような、実際の人物が前にいるような
リアルな感じはなく、単純に高精細な今までの画像(動く
ポスター)という印象だったのが、少々ショックであった。

正確だからとか、リアルだからとか、そういうものは正しい
ということには必ずしも結びつかず、当然売れるとも限らない
が、良くできた紛い物ばかりが溢れかえるような状況は
それが遠からず腐り果てる予兆とも思え、暗い気持ちになる。

結局テレビは、普段はタブレット端末で観る程度で充分であると
いうようにも感じ、一部のアニメや映画以外では画質よりも
内容の良し悪しが重要なのだと改めて感じる。

たまたま今日見かけたNHKの『カテイカ』はそういう意味では
非常に希望の持てる番組だった。変な笑いが10分くらい
止まらなくなるほどの、ぶっ飛び具合と面白さ。
イカという存在が、いかに万能かということを思い知らされる。
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色か雲か水面の月か

2015年12月27日 22時50分01秒 | Weblog
nasneを導入したことにより、わざわざPCを立ち上げずとも自作の
エロ絵を確認できるようになり、色々と捗る今日この頃であるが、
それに伴う新たな問題が生じることとなる。
我が家には都合三つの出力媒体があり、それはPC、タブレット、
PS4であるのだが、それぞれで全く画像の発色具合が異なる、という
問題である。特にPS4のメディアプレーヤーで見た場合に、赤系の
色を強く拾うような傾向があり、頭を抱えたくなる。

試しに適当な市販のゲームの一枚絵を出してみると、以外にも
破綻なく色が出ており、ちゃんと考慮されていることに感心する。
一応PCの方では元となるデータを作成する場所である都合上、
簡易的ながらキャリブレーションを行いはしたのだが、少々不安
な気持ちになる。
デジタルの絵は作者の環境が、閲覧者の環境と必ずしも
一致する訳ではないどころか、ディスプレイや出力の設定でかなり
見え方に揺らぎがある。気付きづらいがなかなかに大きな問題である。
とは言え、アナログでも結局印刷や撮影という壁があり、オリジナル
版にどれだけ忠実に出来るかどうかは依然大きな問題と言えよう。

例えデジタルであっても、色とか絵とかの見え方は感覚的なところが
大きく、描き手の立場からしても、室内の照明環境や、気分的な
ものですら絵の色味を揺るがす原因となる。(未熟さはさておき)
個人的には、かくも変動する色について、ある程度のお手本というか、
スケールのようなものを用意してはいるが、やはりどうしても
それさえあれば万事問題なしというようにはいかない。
なので、上記のように色々なモニタで出して見たり、日を改めて
(寝かしておくとも言う)見たりするというアナログな手段に
頼っている。

かように色という、絵を描くに当たって実に原始的な、根本的な
要素においてすら振り回されがちな体たらくで、先達である
アナログ絵描きの作品を見るに付け、彼らの色彩感覚の繊細さに
脱ぐ帽子や兜がいくつあっても足りない気持ちになる。
しかし、最近の画集(昔の絵画作品を収めているようなもの)も、
安くてもそれなりに良い色が出ているものが結構多くて、
良い時代になったものだと思う。ありがてえ、ありがてえ。
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思わぬ未来感

2015年12月24日 23時18分06秒 | Weblog
せっかく買ったPS4を有効活用すべく、NASNEを購入する。
想定外の出費に、かなり財布にダメージを受けたが、幸い
大型量販店のポイントがかなり溜まっていたので、半分
位に抑えることが出来た。

果たして件のツールであるが、元々はテレビをPS4から観る
目的で購入したのだが、色々と調べてみると、ネットワーク
上で色々出来る記録媒体としての色合いが強いようで、
丁度自宅の据え置きHDDが寿命を迎えそうな今のこの状況
において、渡りに船ともいうべき存在であった。
あとはこれを経由することで、タブレット端末を簡易的な
テレビとして供することができたり、そこからNASNEに録画して、
PS4から閲覧したりとか、PC経由で動画やら画像を放り込んで
適当なツールで閲覧するとか、何やら未来的なことが
出来るようになった。

そこで気になるのは他ユーザーに覗かれたり、データを
抜かれたりする危険性であるが、基本的には認証や許可の
ないユーザーは接続できないらしいので、一応安心。

と言うわけで、PS3はPS3のゲームをやりたくなった時か、
かつて録画したものを観たくなった時以外には必要なくなり、
長期休暇に入っていただくことと相成った。
本当は完全に乗り換えしたかったが、致し方なし。
少しでもダメージを回復するために、何か売るか…
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夢は理解されぬもの

2015年12月22日 23時29分46秒 | Weblog
帰りの道すがら『おそ松さん』の話(多分声優さん絡み)をしている
若い女性を目にし、某お絵描きサイトのR18部門を埋め尽くす程度の
人気について確証めいたものを得るに至る。
世間がもうじきクリスマスだからということで、贈り物や貢ぎ物
などについての浮ついた話をしているよりは、個人的にいくらか
好印象ではあった。

それにしても、気が付かないうちに世間の女性陣は随分とたくましく
なったというか、諸々の欲求や衝動について抑えたり手心を加えたり
隠したり隠れたりというようなことをせずに、思いのままを思うままに
さらけ出して生きるようになったと感じてやまない。

そういえば近所の本屋のBL関連コーナーも、いつの間にか辺りを
憚ることなくその版図を着実に広げてきている。
さすがにそっち方面に手を出すつもりはないが、『やらないか!
オトナのぬりえ』を本屋で見かけた時は衝動買いしそうになった。
アレをBLの範疇に含めてしまうと方々から怒られそうであるが、
なんか妙にカテゴリが細分化し、しかもそれぞれの勢力が互いを
憎しみの溝と壁で隔てて罵声を浴びせ合うような、仁義無き
修羅の界が透けて見える感もあり、正直深入りする気が起きない。

精々花か玉かというような美少年を、キャッキャウフフと愛でる
程度の、嗜む程度のものでありたいと思う。
言わずもがな、ファンタジーとしてである。
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期待と期待外

2015年12月20日 22時30分57秒 | Weblog
PS4が自宅に届き、慌てず騒がずしめやかに開封及び設定を
行う。その日のうちに今あるPS3をお役御免として、入れ替えを
行いたかったが、PS3で録画したものはPS4では視聴できない
とか、チューナーを共用できずまた別の機材を買わねばならない
(しかも結構高い)とか、都度接続し直すのが大変ということも
あり、結局しばらく寝かせておくことにする。

しかし、PS4のホーム画面などを見ていると、いつからゲーム
機は金持ちっぽい雰囲気を持つようになったのかと思うに至る。
個人的な偏見であるが、ゲーム機とはあまりお金のない人の
ためにこそ必要なもので、必要以上の高級感は却って敷居の
高さを生み、実際荒れた我が家にあっては場違いとも取れる
ような佇まいで、逆転的にわびた空間を創出してしまっている。
『へうげもの』的に言えば“甲”に過ぎる形と言えよう。


話は大きく変わるが、我が家の夕飯は納豆ご飯→お茶漬けの
連携が定番である。これだと茶碗を洗うのが楽であるのだが、
それはさておき本日ひょんなことから、そのお茶漬けに胡椒が
入ってしまった。
しかし結論から言うと、思いの外いける。と言うか、不思議な旨さ。
初めは味覚がいかれたのかと思ったのだが、ウェブなどで調べて
みると、れっきとした料理として存在し、胸をなで下ろす。

もともとはカップ麺やスーパーの総菜に一味を加えるために
常備していた胡椒であったが、今回の件でさらに使い道が増えた。
これとおかかふりかけ、甘味としてハチミツというのが我が家の
食卓における三本柱である。
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常に試されていると思え

2015年12月19日 23時35分43秒 | Weblog
お絵描きが出来るらしいタブレット端末(ZenPad s8)と
秤に掛けて悩んだものの、結局より大きい可能性をもたらす
と思われたPS4を購入する。実際に届くのは明日ではあるが。

高性能を謳う端末で、色々な場所でお絵描きできるのは
魅力的に思われたが、多少のお絵描きであれば適当な
メモ帳でも充分に代わりが利き、色を付けるにしても後から
デジカメなり何なりで撮り込めば良いのであるから、わざわざ
数万円も払ってまで導入するようなものでは無かろうという
判断である。

端末と言えば話がやや逸れるが、片手で保持して、もう片手で
操作するというのがタブレットやスマホの基本スタイルと
いえるが、個人的にアレは結構持っている方の手がキツい。
持っている方の小指に乗せるようにすれば、少し楽にはなるが、
長時間ともなると手がねじくれたような感覚に襲われ、ひどく
体に悪い感覚を伴う。普通に掴むのもそれなりの力で保持する
必要があり、絵を描くような精密な作業の場合は、さらに力を
掛けてガッチリ保持せねばならず、描くことに集中できなくなる。

携帯ゲーム機をはじめとして、この手の道具について、持た
なければ保持できないものばかりで、指の力を用いることなく
手に固定できるようなものがほとんど無いのが不思議でならない。
スマホや端末のケースにしても、落としてから先のことを考えた
ものは非常に多いが、そもそも落とさせないような作りのものが
少ないのはなぜなのか。
ハンドストラップを付けたり、背面にベルトを渡して手を差し
込んで固定できるようにしたり、いかようにも手段はあるはず
なのに、どうにもあまり数がない。

何というか、目先の便利さにほだされて、さらなる利便性を
訴えることをやめてしまうのは良くないと感じた次第である。
不便なものは不便と言って良い。最近はとくに初期出荷版は
テストショット的な傾向が強いので、尚更ここで意見を述べて
おくことがお互いのためになる。
そしてそのような意見や訴えが一定数集まればそれは必要と
いうことになり、必要は即ち発明の母となる。
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知性は留め、理性は捨てる

2015年12月16日 23時00分50秒 | Weblog
神羅万象チョコの最新弾が出たが、相変わらずの引きの悪さ。
また、心なしかメインのイラスト担当の人に疲れが見えたような、
そんな次弾が早くも気になるような内容であったが、今日は
それとは別の、先日に引き続いての生き物の話。

『人魚』をイメージして浮かぶ絵といえば、いわゆる人魚姫的な
外見で、普通の人間の下半身が魚になったようなものであろう。
半魚人やクトゥルー神話に出てきそうな外見を思い浮かべた人は
それはそれとして、今回は上記のタイプの人魚について話を
聞いていただきたい。

件の人魚について、やや性的な風味を増す手法として、上半身を
丸裸にする以外に、下腹部にそけい部のような描写を入れたり、
背鰭と尾鰭の間に尻のようなものを描写するものがある。
つまりは人間の脚を魚の尾に見立てる(人間寄りにする)という
方針であろう。
しかし、問題はそのうちの『尻』である。

魚は二足歩行でもないし、地面に胴体を安定させる必要性に乏しい
ために、おおよそ尻らしきものや座骨を発達させる必要がない。
百歩譲って尻があったにしても、それが据わる場所は腹側の、
尻鰭のあたりになるはずである。大体人魚の尾は尻尾であって
脚ではない。人の脚に当たる器官は魚の腹鰭である。

いきおい青少年の注目が集まる諸々の穴も、その辺りに縦に
並んで付いていることであろう。体外受精が一般的ではあるが、
体内受精を行う卵胎生の種もそれなりにいるので、色々なさりたい
人もオッケーである。

ごく個人的な意見ではあるが、普通の人間に鯉のぼりを穿かせた
だけのような件の人魚像については、安いコスプレ臭の漂う、
いささか面白味に欠けるものであるという認識がある。
人魚の魅力の一つは“人外のもの”という点であるから、体の
構造が人間と大きく異なるという、面白いネタをわざわざ捨てて
しまうのは実にもったいない。

前にも書いたが、こういう所で想像力を形に出来るのが絵描きの
最大の楽しみにして、最大の特殊技能であろう。 
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私はゼロになりたい

2015年12月14日 23時19分52秒 | Weblog
ここ最近NHKで、止まらない高齢化社会に対する警鐘の
ような番組が多く流れているが、結構どうしようもない
問題のようにも思える。それこそ同局でやっていた
ドラマのように、長く患わずにアッサリ逝くことを推進
するような手しか、現状打てる手がないのでは無いかと
すら思える。

また、一連の番組であまりピックアップしていなかったが
社会の中における老人の比率が上がれば、いきおい要介護
の人口も増え、そうなった場合に面倒を見る人が、本来
諸々の生産を行う人々から切り出されていってしまう、
という事も大きな問題の一つに思える。
介護の仕事の報酬が低いのならば尚更で、こうなると
単純に労働内容に見合わないという事に加え、低所得の
ために結婚や育児を思い止まってしまうという、かなり
危険な流れを生みかねない。

だからといって、その場しのぎ的な戦力(例えばアルバイト)
を増やせば良かろうというのは、実に悪手である。
ヒヨッコの教育は誰がやるのか、そもそも彼らに責任を
負わせることは出来ないので、重要な(キツい)ところは
結局任せることは出来ない、とくれば長い目で見ても損しか
無いと言える。

残る打開策としては、ロボットやパワードスーツの技術を
出来るだけ早く実用化のレベルまで引き上げることで
あろうか。と言うか、この身が老いさらばえる前に機械で
心身機能を補える時代になって欲しいと願ってやまない。
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生物的疑問

2015年12月12日 23時30分56秒 | Weblog
動物などをざっと眺めていて、なぜ脊椎動物にカニや
サソリのようなハサミを持つものがいないのか、ふと
疑問に思う。
件のハサミの構造は、人間の腕で例えれば肘から
まっすぐ骨を伸ばし、あとは前腕を屈伸させることで
ハサミの開閉を実現しているようなものだから、別に
外骨格の生き物でなくても類似の構造は出来うる
はずである。

挟んだり、ちぎったり、切断したりするのが動物に
おけるハサミの役割であるが、近しいものとしては
鳥の嘴があるだろうか。
あれは手を翼として飛行のために特化させ、脚は体を
支えたり離陸時の助走や着陸時の衝撃吸収と、文字通りの
手一杯な状態のため、口先だけで手作業的なものを
こなさねばならない(出来なければまともに物が食べら
れないので生死に関わる)という必要性に迫られた結果
と言える。

嘴の場合は頭骨と顎骨の二つしか動かせる部位が存在
しないため、ピンセットやハサミ状、気の利いた形に
出来たとしてもペンチにニッパー、ヤットコなど、
軸が一つしかないという制約からは逃れられない。

昆虫や節足動物も、手足の数がほぼ無制限という
脊椎動物からしたら反則的な体の仕組みを持つが、
ある脚の先からさらに複数の脚を生やすということは
出来ていないように見える。
ということは、彼らのハサミは、“本当は手のように
したかったけど、構造や素材上仕方なくあの形にまとめ
ざるを得なかったもの”ということなのではないかと
思うに至る。

筋量、土台、構造等において好条件が叶うならば、
ハサミを発生させる理由はなく、ゆえに脊椎動物は
ハサミを持たないのではなかろうか。

結局自分で疑問を立ち上げて、自分である程度納得して
しまったが、動物を見てアレコレ考えるのは好きなので、
この件に関してもまた別の仮説がふとした拍子に
生じるかも知れない。謎が多いって素晴らしい。
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