散歩の圏内の銭湯が気が付けば半分くらいになっていた。
今住んでいる所は周りに風呂無しトイレ共同と思しき古式ゆかしい物件が
幾つか見られる(この時期入り口が解放されていて、大体入ってすぐに階段と
靴箱があるのが目安)が、入居率も低そうな上にこれも気が付けば取り壊され
ていたりするから、いわゆる時代の波と言うやつなのかも知れない。
昔住んでいた所が、高度経済成長期に雨後の筍の如く発生した新興住宅地で、
家には水洗トイレに、追い炊き機能付きの風呂に、屋内に洗濯機を置くスペースが
あったりと、いかにも当時の人にとっていやます未来感を示すものであっただろう。
やや話が脱線したが、かかる地域にあって銭湯は驚くほど少なく、実際需要など
なかったのであろう。
事実自身が初めて銭湯を利用したのは大学生になってからのことであった。
今住んでいる地域に銭湯が多かった、ということは高度経済成長期の前に生まれた、
もしくはそれを光として見た時の影にあたる場所であった、ということなのだろう。
昭和の末期の、歌や漫画の舞台となりそうないかにもな安普請。カネは無いが夢はある。
ゆえに青春でありドラマである。そんな風景がそこここに見られたのかも知れない。
夏の終わりの感傷に、かかる往時を想像するのもまた乙なもの。
今住んでいる所は周りに風呂無しトイレ共同と思しき古式ゆかしい物件が
幾つか見られる(この時期入り口が解放されていて、大体入ってすぐに階段と
靴箱があるのが目安)が、入居率も低そうな上にこれも気が付けば取り壊され
ていたりするから、いわゆる時代の波と言うやつなのかも知れない。
昔住んでいた所が、高度経済成長期に雨後の筍の如く発生した新興住宅地で、
家には水洗トイレに、追い炊き機能付きの風呂に、屋内に洗濯機を置くスペースが
あったりと、いかにも当時の人にとっていやます未来感を示すものであっただろう。
やや話が脱線したが、かかる地域にあって銭湯は驚くほど少なく、実際需要など
なかったのであろう。
事実自身が初めて銭湯を利用したのは大学生になってからのことであった。
今住んでいる地域に銭湯が多かった、ということは高度経済成長期の前に生まれた、
もしくはそれを光として見た時の影にあたる場所であった、ということなのだろう。
昭和の末期の、歌や漫画の舞台となりそうないかにもな安普請。カネは無いが夢はある。
ゆえに青春でありドラマである。そんな風景がそこここに見られたのかも知れない。
夏の終わりの感傷に、かかる往時を想像するのもまた乙なもの。