ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

語に花を咲かせよう

2015年09月30日 23時19分24秒 | Weblog
ニュース系のまとめサイトの見出しなどで、内容をひどく盛って
いる割に語彙に乏しいものばかりなのを見るにつけ、悲しい
気持ちになる。
刺激的な文面で見る側の意識を引きつけるために、事実と異なり
多少過剰とも言えるような事になっても、それ自体は悪くないと
思うのだが、語彙に乏しく、やたらに“ヤバい”とか“号泣”
“激怒”などの語を並べられると、子供騙しにしか見えなくなる。

実際そのサイトが若い人向けのもので、既に三十も半ばのいい
大人が真面目に見るものでは無いのかも知れず、かような指摘も
無粋なのかも知れないが、個人的には刺激的なのはそのままに、
多少難しくても表現的バリエーションが豊かな方が、色々と
身になると感じる。
もちろん後々になって効いてくる面もあり、すぐにでも会話などで
役に立つ面もあるという、範囲の広い“色々”である。

守備範囲の広い言葉は大変に便利なものであるが、そういう
言葉には概して実体がないため、後に何も残らない。
何も残さないという点を目的として使用するには問題ないだろうが、
それで良いのか?と端から見ている分には思う。

多少分かりづらい喩えを持ち出すと、語彙に乏しいということは、
墨と水だけで絵を描こうとするようなものである。
それはそれで特性を理解し、分かった上で極めれば大層なもので
あるが、他に色々な色や画材が使用でき得る環境下ならば、
特別な理由がない限りはそれを使えば良かろうという話になる。

ある一つの事柄に対して、色々とその表現のアプローチ手段が
見えるというのは、とても素敵なことではなかろうか。
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手遊び

2015年09月27日 22時36分23秒 | Weblog
久し振りに粘土をこねたところ、思いの外はまる。
元々は絵を描く上での補助的な作業として、立体や形状把握の
為にと行ったのだが、単純に作ることが楽しいと実感する。

ちなみに作成したのはいわゆる男性シンボル的なアレである。
自らの体の一部であり、俗に“息子”と形容されるほどに
見慣れ、親しんできている存在であるが、だからといって
さあ描けといわれて正確に描けるとは限らない。
数多のエロ本を引き合いに出すまでもなく、例えば人間の
足先をちゃんと描けと言われても、なかなかそうはいかない
ことからも“見てきているから描ける”というのは、幻想の
ようなものであると言えよう。絵を描く技能は特殊であるが、
それでもモチーフを見ながらでないと描けないのが普通なのだ。

ましてや内外の諸要因及び、個人差、年齢差によってその形状が
著しく変化するそれは、想像で補完するにはあまりにもやっかいな
モチーフであると判断し、立体として手元に置いておくと同時に、
それを作成する過程で立体や構造についての理解を深めようと
思うに至った次第である。

成果物はアレでナニとしか言いようがないが、動機自体はこのように
至極真面目なものである。もっとも、先に描いたように、作る
行為自体が思いの外楽しくなってしまった(現在色や質感をどの
ように仕上げようか計画している)ので、総合的に見ても脱線
気味な感は否めない。
しかし、この脳が変な汁でしっぽりしていく感じは、何とも言え
ない良い感じなので、暇があれば色々なバージョンを作っていこうと
思う。

なお、女性版も作ったが、そちらは本体よりもその周囲の構造や
立体の方が今のところ気になっていた(エロ漫画でもエロフィギュア
でもその辺りの造形が満足いくものをあまり見ない)ので、それ重視
で作成してみた。

しかし、余談かつ以前にも触れた事ながら、この手のモノに関して
三次元だと規制が緩い感があるのはなぜなのだろう。立体として作り、
売り物として世に出るものすらあるが、例えばそれを写真に撮って
そのまま掲載させるとアウトになる(消しが入る)という不思議。

ともあれ、資料作成、資料作成。
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はっちゃけお手本

2015年09月24日 23時29分23秒 | Weblog
『浦沢直樹の漫勉』という番組がとてもおもしろい。
内容は説明不要の漫画家浦沢直樹氏が、ゲストの他の漫画
作家の作業中の動画を流しつつ、技術的な所、信念や気持ち
的な所、その他降って湧いた疑問などについてトークしていく
というもので、色々とかゆいところに手が届くような心地で
あった。

途中で藤田和日郎氏がゲストを勤めた会があったのだが、
描き方が実にカオス的で、思わずテレビの前で“マジかよ”と
唸ってしまった。その前の会のゲストの方は、ホワイトは“消す”
ツールではなくて“足していく”ツールであるという旨の発言を
していたが、氏も同様の使い方をしていたのが大変興味深かった。
ただし、使う量と頻度が桁違いで、上がったばかりの原稿を封筒に
入れる際に、ベニヤ板とかを一緒に仕込んでおいた方が良い
(ちょっと曲げたらひび割れる)のではなかろうかと心配になる
ほどのドカ盛り状態になっていて、誌面における異常なまでの迫力も
納得の仕事っぷりであった。

ともかく総じて思ったことは、漫画という表現の中で、それを
描くという事はやはりあくまでも手段に過ぎず、決まった型など
無いのだという点であろう。
今はウェブやら何やらで、ちょいと調べればすぐに“答え”が
出てくるが、往々にしてそれが唯一の正解だと勘違いし、そこから
冒険できず、縛られてしまいがちになる。

漫画の面白みの一つは、その表現の幅の広さや懐の深さであるから、
あるやり方に縛られてしまうことが、どれほどもったいないことか
という話になる。
おそらくは、そういった状況に対して、“こんなこともやって大丈夫
だから、色々とやってごらん”というメッセージを投げかけたもの
ではなかろうかと、勝手ながら推測してみた次第である。
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求められる多様性

2015年09月22日 23時17分39秒 | Weblog
タブレットがもはやペンタブレットのことを指さなくなって
久しく、いきおい入力デバイスとしてのスタイラスペンの
重要性や機能は向上したように感じる。文字を書いたり、簡単な
図や図形を描く分には十分な域にまで達したものの、絵を
描く上ではまだまだ不十分に感じてやまない。
ということで、無知任せ妄想半分ながら、スタイラスペンに
欲しいものを書き殴ることとする。

最近のスタイラスペンで感知している情報は、・位置・傾き・筆圧
の三つで、どこにペン先があるか、ペンはどれくらい傾いているか、
ペンはどれくらいの強さで当てられているかを示している。
おそらくはそれを叶えるために必要なのは、位置的な情報を返す
センサー二つと感圧センサーの合わせて三つであると思われる。

個人的に絵を描く上でスタイラスペンに足りない要素は“向き”で
あると感じており、つけペンや万年筆のような筆記具をイメージ
してもらえると理解しやすかろうと思われる。
一応傾きから向きを指定することも可能だろうが、それだとやや
感覚が独特なものとなる。
なので、センサーをもう一つ増やして、ダイヤル的なもので“表”
を指定してやるようにすれば確実に解決するであろう。

そしてもう一つ、特にタブレットでスタイラスペンを使ったときに
顕著に感じる問題であるのだが、実際のペンの先の直下に描画
されるという点である。
普通に考えると何らおかしいことは無いように感じるが、感覚的に
は三ミリくらいのガラス板越しに描いているような感があり、
何か少し勝手が違う。
個人的にはペンの先の直下より数ミリ先に描画点がある方が
アナログの感覚に近いと感じるので、実際のペンの先とは別の
“仮想描画点”のようなものを指定できると良いと感じる。
ペン先の手前ではなく、上下方向にも仮想点を設け、筆圧と
連動させることで、ある程度押し込まないと書けない筆記具を
シミュレートする事も可能であろう。

ともあれ、これと先のペンの向きの情報を合わせることで、
アナログの筆記具に近づくのではないか。ある程度はソフト側で
対応できそうであるが、センサーを増やすとかになると結構な
改良が必要になるだろうと思われる。

ともあれ、スタイラスペンの業界において、某社の一強状態が
解除され、群雄割拠になることを願ってやまない。
機能もそうであるが、形状こそ本来多種多様であって然るべき存在
である。“究極の一本”とか寝言も甚だしい。

サイズもデザインも一種類しかない靴を老若男女の別なく押しつける
に等しい。
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毒視線はあるのか

2015年09月20日 23時21分34秒 | Weblog
ファンタジーものの物語やゲームなどでよくある表現の
『目を合わせたら死ぬ』という状態が、いかなる原理によって
引き起こされるかについて、考えてみると良く分からないことに
気付く。

視覚によって効果が発揮される以上は、毒とか毒ガスの物質による
作用ではないだろう。例えば鼻や口からであればそこから毒となる
成分が取り込まれ、体内に回り神経や肉体機能に傷害を引き起こし
毒のその猛威を発揮するに至るのだろうが、視覚に関してはモノを
見てから脳へ伝達される物質がない。
その論法で行くと、『聞いたら死ぬ音声』というのも、物質が
介在しないという同様の理由で不可能という事になる。

物質的な線がないという事ならば、あとはもう暗示であるとか、
催眠によって死に至らしめているということしか浮かばない。
ただ、魅了してされるがままの状態にしてから、致命的な行動を
命じるという方が確実性が高いと感じる。そもそも、直接生命活動を
自ら停止させるという本能に背くような強烈な命令を、催眠レベル
で行えるのかという疑問がある。

藤田和日郎の作品『邪眼は月輪に飛ぶ』では、目が合うどころか、
その目を(動画や写真越しであっても)見たら死ぬというキャラが
登場していたが、そのからくりは作中で言うところの“呪毒”で
あるとしていた。つまりは未知の、少なくとも化学的には未解明の
人を殺しうる何かである。

確かに、人は他者の視線を僅かながらにも感知できるような所も
あり、単純に視覚そのものも未解明の部分があるかも知れない。
前でも少し触れたが、音声によるものもまたしかり。
悪用はされて欲しくないが、まだ何かあるのかと思うと少し
ワクワクする、
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門の上は概して暗し

2015年09月17日 23時09分49秒 | Weblog
ふと疑問に思ったことがある。
エロ漫画には、あまり省みられないが各話毎にタイトルがあり、
しっかりロゴデザインまでされているのであるが、あれは一体
誰がやっているのだろう。
週刊連載の作品のそれに比べたらさすがにシンプルではあるが、
そこいらのライトノベル程度にはデザインがなされており、気に
してみると結構気になった次第である。

エロ漫画は基本雑誌連載であっても、続きものは無いので、
毎号毎にほぼ全ての作品のタイトルロゴが新規で作られている
ことになるが、それにしても随分と凝ったデザインのものも
見られ、エロ漫画の隠れた見所の一つ“キャッチコピー”と
並ぶ存在と言えるのではなかろうかと思うに至る。

作者がロゴデザインまでやっているとは思えないが、単行本にも
それはちゃんと収録されているので、作品の一部と言って
差し支えないだろう。
また、毎回タイトルが変わるというのは、エロ漫画に特有の
スタイルであるから、これを生かした“タイトル芸”が
生まれてもおかしくはなかろう。(もう既にやっている作家さんが
居るかも知れない)

この勢いでエロ漫画の表紙デザインとかも凝ったものになって
欲しいと願うばかりである。ちょっとばかりピンク色を控えて
もらうだけでも良いのであるが…。
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料理を出す順番

2015年09月15日 23時32分32秒 | Weblog
最近のライトノベルを網羅しているわけではないが、よくある妙に
凝ったタイトルの場合、実際の作中の事実と大体反対という法則
がそろそろ成り立つのではなかろうかと思えてきた。

あと、ハーレム系のラブコメはぱっと見ありがたそうなものに
感じられるが、すぐに食傷を起こし飽きてしまうという、色々と
もったいない作りではなかろうかと、深夜のアニメなどを見ながら
ぼんやり思ったりした。というのも、キャラが増えれば相対的に
一人当たりの性格などのキャラ性が薄くなり、それの相手をする
主人公の行動もぞんざいに(半ばヤケクソ気味にすら)なり、
軽薄変態とそれを取り巻くチョロい痴女集団という大変残念な
構図が一丁上がりになってしまう。

個人的にはハーレム系のような、両手に余る花に囲まれてウハウハ
している主人公に感情移入できたためしがないので、数多の女性
キャラの私的な側面に触れたいという目的の場合、群像劇のような
スタイルでも十分に欲求を満たせるのではないかと感じる。
その上で、今回はこのキャラに主眼をおいて進める、という方針を
主軸に据えれば、個々のキャラなり、特異なシチュエーションなり、
その他色々をしっかり描けるのではなかろうか。

あと、主人公の理解者、親友とも言えるような存在が最近の
作品には少ない気がする。特にハーレム系。

三十代後半の野郎が真面目にああだこうだ言うようなものでは
ないのかも知れないが。
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移り変わり

2015年09月13日 22時09分39秒 | Weblog
納豆が好きで、ここ最近の自炊(ご飯を炊くだけ)のお供として
重宝しているが、近所のスーパーにおける納豆売場が縮小され、
それに伴い好みの中粒のものがなくなり、少し遠くのスーパーに
足を伸ばさざるを得なくなる。

一応会社帰りにも寄れる立地、かつ営業時間で、ついでに
神羅万象チョコも補充できるので、言うほど悪い条件ではないが、
一抹の悲しさを禁じ得ない。また、余談ながら今弾の神羅万象は
コンビニで取り扱っている店を一切見ず、ゆるやかにコンテンツが
閉じられていっている様が感じられ、これもまた悲しい。

街を見れば、もはや夏の様相はなく、早くもハロウィンの広告が
並ぶようになってきている。花火も半額ワゴン行きになっている。
毎年のように夏の短縮化を実感するが、今年の夏は特に短く
感じられた。夏休みを取ってないにもかかわらず、である。

せめて月末近くの連休はちゃんと取れるといいのだが。
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有限の楽しみ

2015年09月11日 21時56分43秒 | Weblog
夏の暑さにこれは欠かせまい、とビールを飲むことが何度か
あったが、たまにひどくまずく感じるときがあった。
誰かと店に飲みに行った時などは問題ないのだが、缶ビールに
関してのみ、同じ銘柄でも上記のような状態になることがあった。

気分的なものなのか、体が何かしらのサインを発しているのか、
詳しいところは良く分からない。とりあえず少し前に健康診断を
受けたので、ある程度であればその結果で何かが分かるであろう。

肝臓とかを悪くしていたりしたら、落ち込むこと必至であるが。
酒とエロと趣味は、死ぬまで続けられるよう祈るばかりである。

酒はそれなり程度には控えられるが、エロと趣味は無理。
まさに祈るばかり。
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秋のまどろみ

2015年09月09日 23時16分50秒 | Weblog
先日は夜仮眠のつもりで寝たら、あまりの心地良さにそのまま
朝まで眠ってしまった。
かように眠るにあたって都合の良い季節といえば、まずは春先
が思い当たるが、考えてみると今この頃の涼しくなり始めた季節も
眠気が猛威を振るう時期ではなかろうか。

本来ならば十月から十一月初めくらいがその時期に当たるの
だろうが、どういう訳か今年は残暑らしい残暑もなく、すぐに暑さ
が去ってしまった感がある。もちろんまだ油断は出来ないが。

それにしてももう九月。一年も後半戦に差し掛かりつつあるという
この事実に、寒くもないのに震えが来るこの感覚。
もう少し有意義に過ごそうとしなければなるまい。
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