ニュース系のまとめサイトの見出しなどで、内容をひどく盛って
いる割に語彙に乏しいものばかりなのを見るにつけ、悲しい
気持ちになる。
刺激的な文面で見る側の意識を引きつけるために、事実と異なり
多少過剰とも言えるような事になっても、それ自体は悪くないと
思うのだが、語彙に乏しく、やたらに“ヤバい”とか“号泣”
“激怒”などの語を並べられると、子供騙しにしか見えなくなる。
実際そのサイトが若い人向けのもので、既に三十も半ばのいい
大人が真面目に見るものでは無いのかも知れず、かような指摘も
無粋なのかも知れないが、個人的には刺激的なのはそのままに、
多少難しくても表現的バリエーションが豊かな方が、色々と
身になると感じる。
もちろん後々になって効いてくる面もあり、すぐにでも会話などで
役に立つ面もあるという、範囲の広い“色々”である。
守備範囲の広い言葉は大変に便利なものであるが、そういう
言葉には概して実体がないため、後に何も残らない。
何も残さないという点を目的として使用するには問題ないだろうが、
それで良いのか?と端から見ている分には思う。
多少分かりづらい喩えを持ち出すと、語彙に乏しいということは、
墨と水だけで絵を描こうとするようなものである。
それはそれで特性を理解し、分かった上で極めれば大層なもので
あるが、他に色々な色や画材が使用でき得る環境下ならば、
特別な理由がない限りはそれを使えば良かろうという話になる。
ある一つの事柄に対して、色々とその表現のアプローチ手段が
見えるというのは、とても素敵なことではなかろうか。
いる割に語彙に乏しいものばかりなのを見るにつけ、悲しい
気持ちになる。
刺激的な文面で見る側の意識を引きつけるために、事実と異なり
多少過剰とも言えるような事になっても、それ自体は悪くないと
思うのだが、語彙に乏しく、やたらに“ヤバい”とか“号泣”
“激怒”などの語を並べられると、子供騙しにしか見えなくなる。
実際そのサイトが若い人向けのもので、既に三十も半ばのいい
大人が真面目に見るものでは無いのかも知れず、かような指摘も
無粋なのかも知れないが、個人的には刺激的なのはそのままに、
多少難しくても表現的バリエーションが豊かな方が、色々と
身になると感じる。
もちろん後々になって効いてくる面もあり、すぐにでも会話などで
役に立つ面もあるという、範囲の広い“色々”である。
守備範囲の広い言葉は大変に便利なものであるが、そういう
言葉には概して実体がないため、後に何も残らない。
何も残さないという点を目的として使用するには問題ないだろうが、
それで良いのか?と端から見ている分には思う。
多少分かりづらい喩えを持ち出すと、語彙に乏しいということは、
墨と水だけで絵を描こうとするようなものである。
それはそれで特性を理解し、分かった上で極めれば大層なもので
あるが、他に色々な色や画材が使用でき得る環境下ならば、
特別な理由がない限りはそれを使えば良かろうという話になる。
ある一つの事柄に対して、色々とその表現のアプローチ手段が
見えるというのは、とても素敵なことではなかろうか。