ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

集めるということ

2014年04月29日 22時49分13秒 | Weblog
ふと思い立って『ビックリマン』シリーズのバックストーリーのような
ものを調べてみたが、想像以上に複雑怪奇で、何が何やら分からない
気持ちになった。言えることは、小中学生には殆ど理解できなさそうだ
という点と、作る側は神話のようなものを作ろうとしていたのではないか
という予想が立つくらいである。

今集めている『神羅万象』シリーズにもストーリーのようなものはあるが、
ビックリマンのそれに比べると非常にシンプルと言える。
ビックリマンでは“存在は示唆されていたが、今回初のシール化だ!”
というようなことがしばしば行えるくらいには設定や世界観諸々が濃いが、
神羅万象ではせいぜい“かつての英雄がまさかの再登場!”程度である。

ただ、個人的にはシールやカード収集は、綺麗な虫や石を集める行為と
大差ないと考えているため、集めているものが自然界の中でどのような
役割を担っているのかだとか、あまりにもグローバルな要素(設定)には
興味がわかない。
何を食べ、どこに住み、いつごろに多く見られ、仲間が何であるかという
程度の情報が分かれば十分である。

あまりにも広い範囲で包括しうるような情報は、どこか宗教めいてくる
ということも、敬遠の理由として少なからず存在する。
ビックリマンのストーリーや設定も、上に書いたように、どこか宗教
めいた雰囲気を感じる。

ともあれ、集める上で一番の決め手は絵と素材。これに尽きる。
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整頓

2014年04月27日 23時12分54秒 | Weblog
暑くもなく寒くもない快適な時期である、ということで、今まで集めた
『神羅万象チョコ』のカードを整理する。
弾にもよるが、大体コンプリートのための最低数の三倍は買っており、
それら大量のダブりカードが混ざり合ってしまうと、カードの整理は
非常に面倒なものになってしまう。

各弾ごとに小箱で区切ってはいたが、ダブリカードも小箱に入れてそれらと
同じような場所に置いていたため、いささか混乱を招き、保管場所も
散らばりがちであった。今回の整理にも漏れている箱がおそらくあと一つ
あるであろうこともなんとなく予想がついたのだが、結局見つからずじまい
に終わった。

ともあれ、本命の小箱に『それが第何弾の何シーズン目で、何が不足
しているか』を記入した紙片を付け、できるだけそれらを一つの大きな
箱の中に入れて管理する方法に改めた。これでひと目で確認できる…
とまでは行かないが、散逸は免れるであろうと思われる。
本当はファイルに入れて保管するのが良いのであろうが、件のカードを
内袋ごと保管できるタイプのカード入れは、そこらで売っていない上に、
ファイリングの作業はただまとめるよりもかなりの時間と体力を要するため、
今回は見送りとした。

しかしまあ、よくもここまで買ったものだと、せっかくの休みにかような
ことをやっている事と合わせて、呆れることしきりである。
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吹き溜まり

2014年04月24日 02時24分55秒 | Weblog
いい加減に本格的に暖かくなり、防寒用のあれこれの始末を考えねば
ならない時期となった。特に先の冬では寒さを凌ぐためのアイテムを結構
購入していたので、それをどこに片付けるかが焦点となる。

しかし、例えばこれから本領発揮となる扇風機(クリップで固定する中型の
もの)などは、一年中どころか購入してから今に至るまで、ずっと作業机の
足にかじりついたままでいる。
なので、前に買った遠赤外線の出る温い板もそのまま放置(固定装置化)
する事になるかも知れない。この手の機械はメンテナンスが殆どいらない
ので、かようなものぐさには大変都合が良い。

ウールのひざ掛けや、半纏のように個人レベルでのメンテナンスが面倒な
上に定期的に行わないといけないようなものは、中々に面倒である。
メンテナンスしなければ、ボロ切れになるのも早い。我が家のベッドと棚の
隙間に存在する“谷間”には、そんなボロが堆積しており、さながら
サルガッソーの様相を呈していることが予想される。
(見るのが嫌なので確認せず)
とりあえず、次の連休にはなるべく色々なものをクリーニングに出そう。
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夜食問題

2014年04月23日 02時27分53秒 | Weblog
夜食にカップ麺を度々摂るようになってしまった食生活において、
多少でも節約+ローファット化を実現するために、袋麺を備蓄するように
したのだが、個人的に夜食にラーメンというのはいささか重いという
結論に至った。ならばなぜカップ麺は大丈夫なのかという話ではあるが。

今までに食べてきたインスタント食品で、夜食に最もふさわしいと
感じたのは『そば』である。出来れば袋麺タイプのそばを常備しておきたい
ところではあるが、ここは関西。近所のスーパーでは年末にしか袋麺の
そばを並べないと来ている。ならば生麺タイプのそばを買い込むか、通販で
袋麺を箱買いするかのいずれかとなり、さすがにそれには少々悩む。

生麺タイプの場合、消費期限が短く、冷蔵庫のスペースを結構取る。
しかし我が家の冷蔵庫は、ほとんど缶コーヒーの一時的な置き場になって
いるだけの、実に狭隘な状態で、別途必要なつゆの材料となる醤油を
置くスペースについてすら諸々の検討を行わなければならないという、
実にしみったれた、ケチ極まる様相を呈しているのだ。

袋麺を通販で購入した場合、箱単位で頼むことになるため、数十食分もの
袋麺が一度に押し寄せることとなる。消費期限内にそれらを飽きずに平らげ
ることができるのかという不安が大きい。その不安をさらに濃くするのが、
『具となるものがない』というこれまた貧相な現実である。

一度に大量に買い込むというものぐさをせず、週末にでも少し遠出をして
食糧の買い込みを行うのが、最善の策のように思える。

電子レンジがあれば、もう少しまともな食生活(コンビニ弁当)だったの
だろうな、などとは思わないようにする。
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正体不明の存在

2014年04月22日 02時03分47秒 | Weblog
『夢』がある、ということは非常に大切なことであると、ふと思う。
春になって頭がイカれたのかと思われたかも知れないが、実際にその
可能性もある。後になって見返して『うわァ…』となるのもまた一興。

さておき、例えば子供が憧れるような、プロのスポーツ選手やパイロット、
運転手などは一般に『夢のある』職業であろう。しかし、彼らがやたらに
金(具体的な数字)や現実のことばかりを並べ立て、リスクや醜聞ばかりを
強調するようになったら、その『夢』はなくなる。
実際問題、現実を見据えて地に足が付いていなければ、仕事など出来は
しないが、さりとてそればかりを強調して夢を潰してしまっては、後に
続かない。そう、子供が憧れるようなという事は次代が多く集まり、発展し
得る可能性が高いということではないだろうか。

ここ最近では情報ばかりが先行して、現実的な知識が多く広まり、夢が
失われていっているように感じる。知識は闇を照らすものであり、安定を
もたらすが、底力がない。反して夢はほとんど闇のようなものであるが、
それゆえの底力と言うか、底の見えない力を持ち得る。

全く具体的ではなく、計ることもできず、形も匂いも色も、影もあるのか
よく分からない。しかし、その場所にとても行きたいと思う。
楽しそうだ、面白そうだ、幸せそうだ、甲斐がある。…そんな気がする所。

平たく言えば『ワクワク感』。ムリヤリ表現すれば『明るい闇』。

この代で終わらせるものではなく、次へ続け、発展させて行くようなもの
の場合、ただ与えられた任務をこなすだけでなく、周囲へ少しでも『夢』
を伝えることも重要な役目であろう。結局それがなければ今居る人間も
ガス欠に陥り、次代どころではなくなる悪循環が生まれてしまう。

夢…何だか恥ずかしい響きであるが、今一度こっそり省みることにする。
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心の集まり

2014年04月20日 23時40分11秒 | Weblog
近所の商店街のシャッター街化がひどいというのは以前にも書いてきた。
住民の高齢化やネットショップの高性能化が原因とは思うが、なればこそ
それでも生き残ったり、新規で立ち上がる店の傾向が見えてくるように
思える。

具体的にその内訳は飲食店(飲み屋)、ドラッグストア、マッサージ系の
医療施設、そして歯医者である。
基本的にどれもネットショップでは補えないもので、『即必要なもの』
『コミュニケーション』というのがキーワードではないかと思われる。
また、注目すべきは扱っているものや、見た目がどれも旧態依然と
したものである点で、平たく言うと、何か垢抜けない雰囲気である。
年配の方々は特にコミュニケーションに飢えている印象で、コンビニの
コーヒーを淹れている間に店員と喋っていたり、スーパーの店員と喋って
いたり、飲み屋や喫茶店に人の居ない時がなかったりしている。

その多くは、当然のようにタブレットどころか携帯電話すら持ち合わせて
おらず、おそらく自宅にはPCなどなく、未だテレビが娯楽の中心であろう
ことが推測される。
彼らの時間がいつから止まったのか、それは定かではないが、商店街に
漂う昭和末期臭からすると、その辺りからなのかも知れない。

そう考えると商店街というものは、その周辺人々の精神的な年代という
ものが反映されているものなのかも知れないと、ぼんやり考える。
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数まかせ

2014年04月17日 02時22分55秒 | Weblog
相変わらず購入を続けている『神羅万象チョコ』であるが、今回の弾から
特別なカードを入手するに当たって、チョコに付いている台紙のマークを
切り取って送る方式となったのは以前にも書いた。なお、そのカードは
二種類あり、15枚で貰えるものと、30枚で貰えるものがある。

最初はそうたやすく集まるまいと思っていたが、現在その台紙は手元に
70枚程度ある。今回はかなり引きが良いという手応えであるが、それでも
まだ全種揃ってはいない。
ともあれ、今まで散々買ってきたものの、一弾当たりの総購入数というのを
確認したことがなく、大体50~60個程度であろうと思っていたところ、
結構などんぶり勘定であったことが(収集を始めて10年目にして)判明
したわけである。

話は若干逸れるが、件のシリーズも10周年ということで、画集、もしくは
トリビュートイラスト集でも出してはどうかと思う。
真のターゲットである子供は買わないと思うが…。
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味は二の次

2014年04月16日 02時30分23秒 | Weblog
仕事の帰りのコンビニで夜のおやつを買うようになって久しいが、
ここ最近『グミキャンディ』が色々と出てきているような気がする。

お菓子方面の情報には明るくない上に、単なる気のせいという可能性も
あるが、脂分の少ないおやつは色々と有難いので、もっと変なグミ
キャンディを展開してくれればと願ってやまない。
そう、件のお菓子は数あるお菓子のカテゴリの中でも変化球のものが
非常に多い分野で、それゆえに短命のものも多いが、どんな変わり種が
出るかというワクワク感は比肩するものが無いように思われる。

同じくバリエーションに富むものとしてチョコレート菓子があるが、
味の変化や深さを主軸とし、食感は予想の範疇であることが多いのに対し、
グミキャンディは『食感』に特に重きを置いて攻めて来ることが多いので、
中々予想がつかず、時に度肝を抜かれる。
ただし、味に関しては両手で数えて余る程度のバリエーションしかない。

と、ここまで書いておいて、個人的には今のところ特にケレン味の
ないものが好みであったりする。コーラアップとか。
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心身の洗濯

2014年04月15日 02時13分59秒 | Weblog
前回の話の途中からの続き。

期せずしておよそ三時間ほど大阪を歩き回ることとなり、久し振りの
肉体的疲労を味わったのだが、その後の睡眠は実に心地よいものであった。
これまでの精神的疲労も洗い流されるかのように思え、ここでふと一つの
仮説が立ち上がるに至る。
具体的には、
・精神的な疲労は睡眠では回復しきれない
・肉体的な疲労は睡眠でかなり回復する
・肉体の回復と精神の回復は同期する
つまり、精神的な疲労を回復させたい場合は、わざとでも肉体を疲労させて
おいたほうが効率良く回復できるのではないかということである。

ただし、疲労は疲労であることと、疲労が大きいほど回復には長い時間が
必要であるので、(仮説だが)あまり無茶な運用はできないと思われる。

なので、ちょっと嫌なことがあったとか、慣れないことをして気疲れした
時などに、一睡で回復できる程度の軽めの運動をしておく、というくらいに
とどめておくのがちょうど良いのではなかろうか。

精神的疲労と肉体的疲労の双撃で即ダウンするレベルであるとか、三日
くらいあとを引くような肉体疲労を加えるのは、仮説の範囲内でも既に
アウトと言えよう。あとは大きすぎる精神的疲労。慢性的に山と積もった
ものや、突然やってきた不幸など、そういったものはじっくり時間をかけて
ちょっとずつ崩していくしかないように思える。

どれもこれも素人の仮説であるのだが。
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春の散歩にて

2014年04月13日 23時10分45秒 | Weblog
神羅万象チョコの最新弾が登場し、今回も購入及び収集の日々であるが、
若干前回と勝手が異なっていた。
それは特定のコンビニで、一定数以上購入で貰える限定版のようなカードが、
住んでいる近隣でほとんど見かけられなかった事である。
今まで悠長に構えていたのだが、四月という事で誰か強力なライバルが
現れたのかも知れない、というのは流石に思い込み過ぎだろうか。

ともあれ、休日に若干遠出をして、件のコンビニ廻りをしたのだが、
時すでに遅く、成果はゼロという結果に終わった。もうネットオークションに
頼ろうという状態である。

既に書いたように、結局成果はなかったのだが、今まで訪れたことのない
(厳密にはあるが忘れていた)地域を散歩することが出来、無駄ではなかった
と最終的には言えるような内容ではあった。
そして、改めて今住んでいる地域が老人ばかりだということにも気付か
された。と言うか、休日の午後というのはこんなにも子供が闊歩している
ものだと、今更のように思い知らされた。

近所の商店街の元気のなさと、おそらく盛期であったのが平成の初め頃
だろうという、随所に残る面影に悲しみを禁じ得ない今日この頃である。
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