ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

動物と人の心

2015年01月29日 23時09分14秒 | Weblog
『ユリ熊嵐』というアニメを観た。
最近の一話のみであるが、そこかしこに寓意的なものが散りばめられており、
多分それが作中で明らかになる事はなく、話が完結してなお受け手の解釈に
委ねられる類の作品なのだろうなと予感する。

ともあれ、かねがね感じていたのは『クマ』というモチーフについて。
あくまで主観の域を出ないが、クマという動物は女性にとって老若を問わず
愛される存在で、ぬいぐるみで画像検索すると上の方がほぼクマで埋まる
程、一般的であるように思われる。
そして、クマを好む女性はファザコン的な傾向があり、その強さはクマへの
執着に比例するのではないか、というところまでが個人的な印象である。

つまりクマは父性であるとか、おじさん的な属性を持つ存在ではなかろうか、
と言う事で、上の話に戻ると『百合』という女性の純潔性をイメージとして
もつ存在とのミスマッチ感が、タイトルからして不思議な感覚を抱かせる
のだと考える。

人間にとって身近すぎる犬、猫、馬、牛、豚、鶏などは寓意こそあれ、
それを好きだからと言って、その人の内面的傾向が透けるには至らないが、
クマやゾウ、ライオン、カエル、ペンギン、フクロウなど、やや生活から
遠くにありながら、愛される存在としての地位を確立している動物には、
“何かがある”と感じてならない。
共通点としては、どこか人っぽさを感じさせる点があることであろうか。

今挙げた例からだと、特にカエル(好き)には特に強めの傾向があると
予感している。少ないながらも、なぜか一定数必ず存在するカエル好きの
人間…その寓意とするところは何なのか。とても興味深い。
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不幸のコンテンツ

2015年01月27日 23時04分19秒 | Weblog
一部のゲームでは定番となっている感のある『コラボ』であるが、基本的に
内輪ネタ的なもので、本来の販促効果はあまり無いのではないかと思う。

想像しうる効果について、ざっと検討してみたが、
○往々にして奇抜な外見による、話題性
○コラボ元で取り上げてもらう事による広告費の軽減
○コラボ元からの収入(使用料)※場合によると思われる
の3つくらいしか思い付かず、ほぼそれに伴い発生する以下のマイナス点を
塗り替えるほどのものなのか、甚だ疑問に感じる。
●コラボアイテム作成および、その告知にかかる人件費
●奇抜過ぎる外見による作品イメージの毀損
●コラボ元への支払(使用料)※場合によると思われる

中には有料コンテンツとしてコラボアイテムを取り扱うタイトルもある
ようであるが、そもそもの目的が、ファンサービスと販促(宣伝)が
中心である以上、他の有料コンテンツと比べて格安ならばまだしも、
ガッツリお金を取るのはおかしいと感じる。
特に“第一印象”的な感覚が決め手になり得る、追加有料コンテンツで
かように阿漕に見える事をしてしまったら、反感は免れないだろう。
無論、製作側にも事情や意図はあるだろうが、買い手にとっては屁の
つっぱりに等しい。

個人的にはコラボ系の、特にゲーム中での見た目が変わる衣装や持ち物の
類に関しては非常に否定的である。
これは良いコラボだと思うものに出会った事がない以前に、双方の作品
(会社)の印象を悪くしかねない、まがい物じみた低い質と、変に
面白がっている割にはすぐに“祭”の場を退き、以後良好な関係を
維持しようともしないメーカーの対応が、有り体に言って不愉快の域に
達しているためである。

正直、仕掛け人の自己満足に終始すると言ってもいいくらい、誰も
喜ばないのが現実なのではなかろうか。
かように不毛なコラボアイテムを実装するくらいならば、ロード画面で
広告が表示される、(そしてお値段割安)とかの方がよほどマシである。

ともあれ、手段と目的が逆転してないか?という話。
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添うもの

2015年01月25日 23時05分59秒 | Weblog
NHKの番組で、機械やPCによる身体機能や感覚の強化が、服と同じような
感覚となり、それは人類が今に至る過程で服を獲得したのと同じような
流れであろうという話をやっていた。

個人的にこの話を聞いて、人間が服を獲得したのは、そうしないと環境の
変化についていけず命に関わるという大問題に適応した結果であるが、
身体機能や感覚の強化は特に命に関わらない、あくまで便利か不便かの
枠を出ないものであるため、同列で語るのには違和感があると感じた。
とは言え、上記の人間の機能ブーストはいずれ広く普及していく事は
おそらく間違いないだろうと思う。

ただ、それも失われた機能や感覚を補う類のものであるうちは良いが、
強化が当たり前となり、健常者の基本的力をも増強するようになった場合、
人間のその領域は急速に退化していくのではないか。
上の例で言えば、服を獲得し人は毛皮を失った。武器を獲得し、爪や牙を
失った。これらは命に関わるものであったがために、急速かつ劇的に
行われた適応であるから、命に関わらない機能ブーストがもたらす退化は
恐らく緩やかであろう。
現在も車や飛行機などの移動手段の発達や、PCなどによる機能補助に
より、人は省労力から元の力を失いつつあるように感じる。

必要がなくなるから機能も省かれていくというのは、至極理にかなった
自然の摂理とも言えようが、昔出来た事がいずれ出来なくなるという感覚は
非常に寂しいものである。それを踏まえても、機能ブーストは衰えたり
失われた部分に対してのみ適用するのが健全だと思われる。

ともあれ、視覚と下半身的な機能の、対老化としてのブーストは
生きているうちには実現して欲しいものである。
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生活と米

2015年01月24日 23時38分05秒 | Weblog
ここのところ、食事はほとんどコンビニかスーパーの弁当で賄っていたが、
いい加減に出費が心配になってきたのと、数ヶ月前に買ったきりの米を
使わねばという心境から、米を炊く生活に切り替えてみる。

思えば給料的には大体頭打ちで、しかし年末に父親と会話した辺りでは
その額でもその年齢の社会的平均程度と聞いて、経済的な先行き不安が
より濃厚になったというのも大きいかも知れない。

ともあれ、買った米の前からあるさらに古い米から頂く事にするが、
米の消費期限がどれくらいなのか表示されておらず、そういうものなのかと
若干不安を覚える。ひとまずざっと目視して虫の類がいない事を確認し、
しかる後に普通に炊く。この炊飯器を再起動させるのも一体いつ振りで
あろうかと思いを馳せつつ、炊き上がったご飯は先までが杞憂であったと
思われる味であり、米の保存性の高さを身をもって知る。

炊飯器もまた久し振りに動かした割に、それを感じさせない堅牢さで、
普段デリケートに過ぎる機器に囲まれて、おっかなびっくり生活している
身空には、そのたくましさが感動と覚えられる程ですらあった。

ともあれ、これでいくらか食費が浮き、趣味に投じる費用の足しになれば
万々歳であるが、しばらく続けてみない事には何とも言えまい。
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野良○○

2015年01月21日 23時49分45秒 | Weblog
ここ最近で、今まで見なかったネズミを立て続けに目撃する。
もちろん、家の中などではなく近所で屋外の話である。
同じく居合わせた周りの人間からは『可愛い』などという感想も出ていたが、
個人的には近寄ってきても欲しくないくらいに嫌悪感がある。

ペット用のネズミやハムスターの類で、籠の中に居るならばいざ知らず、
野良でそこらを走り回っているのは、超特大のGの字というくらいの認識で
ある。野良犬や野良猫も大概であるが、野良ネズミは完全に哺乳類とは
違う何かであろう。

今までうすうす感じていたが、動物は見るだけくらいの距離感が丁度良く、
野生の獣の類はかなり苦手であることを、改めて実感した。

しかし、ネズミが表に出てくるということが何かの前触れでない事を
願いたい。もう後何回か、頻繁に見るようだったら、気をつけよう。
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待ってても入らない

2015年01月19日 23時26分36秒 | Weblog
久し振りに『週間少年ジャンプ』をざっと立ち読みしてみたが、ほとんど
取り付くしまも無い感じで、何も引っかかるものが無く愕然とする。
唯一読めるのが『磯部磯兵衛物語』だけ。

エロ漫画ばっかり読んできたせいで、少年失格の烙印をどこかに押されて
しまったのか、じっくり読めばそんなことなくなるのか、実際のところは
分からないが、昔よく読んでいた漫画雑誌に引っかかるものがなくなる
というのは、いささか寂しい。
そう言えば『ビッグコミックスピリッツ』も昔はよく読んでいたが、今は
それほどでもなくなった。

読まなくなった理由は、追いかけきれなくなったためであって、ちゃんと
初めから読んでいけば面白い作品はきっとかなりあることであろう。
ただ、全ての作品でそれをやるには時間が明らかに足りない。
週刊誌をざっと読んで、絵や内容でよほど気になるところがない限り、
作者の名前を覚えて後から探す事もしないので、地味に面白い系の作品は
見逃している可能性が高い。そしてそもそもコンビニにあまり置いてない
月刊誌に関しては、今誰が何を描いているのかすら良く分かっていない
始末。

したがって、単行本に関しては知り合いにお勧めを教えてもらって、
読んで気に入ったら続きを買うという、大変にものぐさな購入スタイルに
成り果てた。
能動的に単行本を買っていると言えるのは、エロ漫画くらいである。
(当然ジャンル縛りあり)
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心のローカルネタ

2015年01月18日 21時46分17秒 | Weblog
『妖怪ウオッチ』のグッズの一つ、妖怪大辞典の表紙の“妖”の字が
どうしても“奸”にしか見えない。と言うか、かなり頑張らないと“妖”
に見えないのだが、あれで良いのだろうか。
そんな細かい所、子供は気にしないのかも知れないが。

話は変わり、最近始まった『ローリングガールズ』が
・挿入歌にブルーハーツの曲(しかもややマイナーどころ)を使用
・舞台が所沢(西東京と埼玉の境目)あたり
という個人的趣味を狙いすましたかのような要素を引っさげており、
スタッフに知人がいないかどうか思わず探してしまう始末。

ただ、ブルーハーツの曲は女の子が歌っているのだが、なんかちょっと
朗々としすぎていて違和感があり、それが少し残念でもあった。
個人的にはもっと鬱屈した感じとでも言うか、ついに学校をサボって
お菓子とか買いこんでカラオケボックスに屯し歌い散らす女子高生の
ような、そんな感じが欲しかった。

所沢と言えばお茶だよねーとすぐに出てくるぐらい、かつてその近隣に
住んでいたので、西武線沿線は出てくるだけで何だか嬉しい気持ちになる。
今はどうか知らないが、所沢は買い物やデートに行くにしても少々
中途半端で、どうせならばと大体が池袋や吉祥寺に流れていく印象が強い。
そのためか『地元どこ?』と聞かれて『所沢のあたりっす』と答えても、
東京方面に住んでいた人にすら『どこそこ?』と返される事が多い。

ともあれ、件の作品には期待したい、と言いたいところであるが、
ストーリー立てが何か今ひとつに感じ、この時間帯のアニメでよくある
重要だろうというシーンやエピソードをこそカットしたような内容で、
普通に観ているだけなのに一話見逃したのかと錯覚することしきり。

アニメファンなら付いていけてるのか、こっちが年のせいで理解力が
低下してしまっているのか、ちょっと不安になる。
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焼畑

2015年01月17日 22時52分05秒 | Weblog
年末にフリーで絵を描いている友人のところへ遊びに行った。
そこでの絵の仕事は基本的にキャラクターのデザイン込みのもので
あったが、それにしては報酬が軽すぎると感じる。

この手の絵の仕事は総じてデザイン込みのことが多く、しかし発注側が
デザインの苦労というか重みを理解していないのでは無かろうかという
疑問がぬぐい切れない。
デザインにも良し悪しがあるが、素人でも時々“当たり”を出せるもので
あったり、奇抜なものがたまたま受けたり、既存の記号を適当に投影する
だけでもそれなりのものに見えるため、一般的には水物もしくは軽いもの
と認識されている可能性がある。

ただ、個人的にはキャラクターのデザインというものは、漫画で言う
ところの『原作』にあたる要素であると思う。
デザインや原作がダメな感じでも、絵の力次第である程度引っ張って
いけるとか、逆に絵がダメでも、原作やデザインが良いものであったなら
別の誰かが描いたとたんに再評価されるとか、合い通じる所がある。

一般的にはデザインと作画が分かれているケースはあまり多くないように
思え、当然それは仕事(報酬)の上でも分化されていない印象である。
デザインが上手い人、特定の分野の絵が非常に魅力的な人、それぞれに
それぞれの長所はあろう。ならば変にケチってまとめるよりも、ちゃんと
住み分けを行って、それぞれに応じて評価や報酬を与えるのが良いのでは
無かろうか。

この際なので、はっきりと言っておきたいが、デザイン込みで絵が描ける
人(デザインも絵も良質な人)など、多くは無い。
決して当たり前などと思ってはならない。
そして、絵やデザインが良質か否かを判断する審美眼を、クライアントは
しっかりと備えていなければならない。そうでなければ、仕事に対しての
正当な報酬が与えられないし、仕事をする側も甲斐が無い。
かくして業界が衰退する、などということにもなりかねない。
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文句ばっかり

2015年01月15日 23時02分20秒 | Weblog
神羅万象チョコの最新弾が出ていた。前回の弾ほどではないが、にわかに
近隣での人気が高まってきているのか、見かけてもすぐに無くなってしまう。
今回はじっくり買っていくつもりなので、そんなに焦る気持ちはないが、
少し買ってみて、やはり今回もハズレカードの絵がいやがらせ級にひどい。

デザインとかキャラとかモチーフの問題ではなく、ポーズとか表情が
見ていて不安を掻き立てられる類のもので、ここは何とかならなかったのか
と言いたくなる。ほんの少し手を入れるだけでもっと良くなったと
思うのに、大変に残念である。キャラやカードの素材に差をつけるのは、
この手の集めものにおける魅力を増すために必要と感じるが、収集が
目的でなかったならばまた袋に戻したくなるレベルの不快感を
もってその差とするのは、是非とも考え直して欲しいと願ってやまない。

話は大きく変わるが、ひょんな事から漫画原作のエロアニメを観た。
原作がエロ漫画的ワードの応酬が売りの内容であったためか、そういう
気持ちになる前に笑いの方が押し寄せ、結果として今年一番の大笑い。

人の感覚にもよるであろうが、見るのと聞くのとでは大違いという
ことである。
声優さんが下手とかそういうことではなく、エロ漫画における
テキストはそれ自体で独立分化した要素であって、そのまま口に出せば
読むのと同じ効果が得られる(与えられる)ものではなかったのだ。

原作に忠実、というのは重要な事だとは思うが、台詞やカットに忠実に
なるあまり、印象のようなものが薄れたり変な方向に向いてしまうことは
多かろうと思え、アニメの監督というものは大したものだと今更ながらに
実感する。
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定番は洗練されているか

2015年01月13日 23時25分12秒 | Weblog
よく祝典などで、立食というスタイルがある。特定の座席を設けず、
大きめのテーブルに食べ物と飲み物が置いてあり、めいめい好きなものを
とって歓談するという形式である。
しかしこの形式、大体テーブルには皿と箸などが置いてある事が多く、
そうなると飲み物が持てず、どうして良いのか分からなくなるという、
重大な欠陥があるように思われる。一旦置いた食べ物や飲み物を覚えて
おきながらでは、気もそぞろで歓談もままならない。
なぜかような形態が、特に改良の検討もされずに放置されているのだろうか。

と言う事で、こうすれば良いのではなかろうかという案を書き出してみる。

・手に余ったものをその場に捨てていけるようにする。
要所要所にバケツを設け、手に余ったものはそこに捨て、常に飲むか
食べるかの二択しかない状態にする。飲み物はコップ一杯など、ちびちび
飲まないようにしたり、皿や箸などの食器を大量に用意する必要がある。
一口に言って大変に罰当たりでバブリーなスタイルになる。

・皿や箸などの食器を用意しない。
そもそも両手がふさがる根源である皿と箸を一切用意しない。出す料理も
ベーグルサンドやサンドイッチ、おにぎり、クレープのように片手で
持てて、手が汚れにくいものに限定する。

・飲みかけの飲み物を安定して置いておける仕組みを用意する。
立食において大抵困るのが飲みかけの飲み物のやり場である。安定を失い
やすく、簡単にこぼれるため、そうならないために例えば脚に飲料を
突っ込んでおけるホルスターのようなものを着用するとか、支給される
皿にコップや缶が丁度はまる穴を開けておく等の仕掛けを作っておく。
この場合、飲料用のコップや缶のサイズは全て統一しておく必要がある。

個人的には立ちながら、食べながら、飲みながら話すなどという、
マルチタスクめいた器用な真似は出来ず、仮に上等な料理が出てきたと
しても(落ち着かない環境のため)その味は半減し、大変残念な気持ち
になる事ばかりに思う。
立食というと何か貴族然とした、そこはかとなくセレブの香り漂う印象
があるが、出てくる料理や飲み物にいちいち気をとられて結局何にも
できずに損したような気持ちになる、我々庶民にとってはもう少し最適化
する必要があるように思われる。
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