ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

しめやか

2020年12月31日 22時18分52秒 | Weblog
今年も終わりに近づき色々振り返ってみるが、個人的にこれだと言えるようなものは
プラモを再開したことくらいであった。ただ、それも今は停止しており、自身の
飽き症というか長続きしない性格がいかんなく発揮される、いつも通りの年であった。
世間的に落ち着けばもう少し色々できると自身は思っているが、この調子では
世間がいかに変わろうと、それこそ会社が潰れて放り出されでもしない限り、何も
変わるまい。
あと、一応世間的には厄年と言われる年齢であったが、特にケガも病気もなく息災で
あった事は、特筆するべきかも知れない。

さておき、今年最後の晩餐に何か彩りをと散歩も兼ねて近場のスーパーに繰り出すが、
結局年越し蕎麦用の海老天を買う程度に止まる。よくよく考えてみれば、蕎麦を食べるので
鍋をやっている余裕はなかった。帰りの道すがら、少し前までやっていたはずの店の多くが
潰れているのを目の当たりにし、少々物悲しい気持ちになる。折からのの肌に感じる
空気や温度はまぎれもなくいつもの年末年始のもので、そんな気持ちを加速させる。

来年はどのような年になるであろうか。細くしぶとく生きていくという信条に変わる
ところはないが、今年よりは良くなって欲しいと願ってやまない。
それでは皆様、よいお年を。
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思えば有耶無耶のまま

2020年12月29日 23時25分27秒 | Weblog
忘年会も納会も、新年会の予定もなく、大掃除すらうやむやのまま、おそらく
会社勤め生活史上最高レベルにきりの悪い仕事納めとなった。
多分このノリで、仕事始めもぬるりと行きそうな予感。
私生活においても、人混みや密集地を避けるべく、初詣も帰省も友人宅へ遊びにも
行けず、部屋で隣の寺で撞かれる除夜の鐘の音を聞きつつ、恒例の年越しジャンプを
行うという、おそらくはそんな年末年始になるであろう。
年越しそばは作って食べるとして、何年か前からやらなくなった適当に良さげな
具材を雑に鍋にするというイベントでも復活させるべきか。

何だか今年は誰も彼もが年末年始に外出しないからか、蕎麦とか酒とか、そういった
ものが早くもスーパーで姿を消しつつある印象。気のせいかも知れないが。
年末年始需要と言えば、前回も書いた練り物であったり、栗きんとんや黒豆、昆布巻き
に餅といった、伝統的な正月用の食材があるが、そちらの方は売れ行きがそこそこ
だったので、いわゆるお節を作る側ではなく、食べに行く、またはお節など買って
られない側の人口の方がこの地域では多いという可能性も示唆される。
こういう地域の雰囲気が時折垣間見られ、その度に人の層、すなわち歴史的な厚みを
感じさせるところは、個人的にはとても面白く思う。

ここに来る前まで住んでいた地域は、かなり新興かつ狭い住宅地で、そこに住む
人達が高確率で利用するような商業施設も少し遠くにあった上に、家は生協やっていた
ので、あまりこういったものに触れたり考察する機会に恵まれなかった。
なので、今更ながらちょっと新鮮な気分である。
とりあえず、年明けまでのんびり過ごすこととする。
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駄考察

2020年12月27日 23時45分32秒 | Weblog
天才とはまた違って、明後日気味の方向に伸びた才を"鬼才"と称することが
あるが、"魔才"という言葉がない不思議。以前"殺人鬼"とは言うが"殺人魔"とは
言わず、"放火魔"とは言うが"放火鬼"とは言わない。というような旨の話を書いて、
そこで内容的には鬼よりも魔の方が人でなしの度合いが高いということも触れた。
かように日本語の中において、鬼と魔という存在はかなりはっきりと線引きが
なされており、鬼のような魔であったり、魔のような鬼というような半端なものは
存在しないような印象である。

感覚的には、鬼はあくまで生き物としての理の中におり、親の腹から生まれ、
子から歳を重ね、老い、ものを食い、眠り、繁殖して世代を重ねるという存在で、
反して魔はそういった生き物の理から外れ、上記のような性質や行動、習性を
特に持っていないものと捉えている。詰まる所、魔という存在は完全なる
ファンタジーやオカルトの存在であると言え、そう考えれば鬼と魔が決して
混じり得ない存在であることも納得がいく。

仏教において鬼に近い存在としては夜叉や羅刹がいて、彼らはゲームにおける
種族のように人とは一線を画している。その他にも天、竜、迦楼羅、乾闥婆
等々といった諸種族が仏法に帰依した愉快な仲間たちという事で、仏像や仏画として
今日にも残っているが、魔に類するものは絵や像として残っていることがない。
もしかしたら、魔というものは仏敵であるために、明確に鬼(一応仏の教えの
中にいる)と区別されているのかも知れない。

と、ここまで書いて、結局あまり詳しくもない身空で当て推量でものを考察しても
ものの足しにならないので、覚書ということで。内容的にも結構重複多いし。
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雰囲気浴

2020年12月24日 23時50分30秒 | Weblog
メリークリスマス。
特に何か用がある訳でもないが、失われた季節感を少しでも矯正すべく、この時期の
おもちゃ売り場にて雰囲気を味わってくる。やはりクリスマスあたりのおもちゃ売り場の
少し浮かれたような空気は、たとえ客がまるで居なかったとしても得難いもので、
遠い記憶がその時の空気と共に蘇ってくるような格別の趣があった。

無宗教かつ、その日を共に過ごす相手もない身空であるが、いわばこの祭のような
雰囲気というのはそれだけでも日々の煩わしさから離れたような心地で、平日にも
かかわらず一杯やりたくなる。とは言え酒は明日に取っておくが。

そして近所のスーパーでは早くも正月用の練り物を陳列し始めていた。
ケーキも蒲鉾もシーズンを過ぎると即座に廉価大放出が始まり、運が良ければその
恩恵に与ることもあるかも知れないが、非常に残念なことにどちらも酒のあてとしては
個人的な感覚ながら少々何かが足りない。そういう意味ではまだ鶏肉の方が有望と
言えるが、これは余程運が良くないと特売に出くわすことが出来ない。

結局一人で飲む酒なので、詰まるところ形にこだわる必要はない。
あればラッキーくらいの気持ちで、年末のちょっとしたお祭り気分を肌で感じつつ
ささやかに飲めれば十分。
ともあれ、少しばかり季節感を取り戻せて良かった。
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時には泥のように

2020年12月22日 23時27分06秒 | Weblog
最近何だか朝起きても微妙に寝た気がせず、夢を見ることも多かったのだが、
よく考えてみると明け方くらいに寒さで目を覚ましていた。
震えるほどの寒さを感じて起きた訳ではなく、何だかちょっと寒いな位の感覚で、
目を覚まさせられるというよりも、眠りから引っ張り出されるというようなもので、
なればこそ今まで自覚なく来てしまったのかも知れない。

という訳で、今夜からは万全の防寒対策を施して床に就こうと思う。
それは明日よりも確かな希望であり、安息の地でもある。そんな眠りの時間を
邪魔されてはたまったものではない。もはや見る夢すらも要らぬ。泥のように眠りたい。

休日に諸々の蓄積からガッツリ寝てしまって、無駄にしたと後悔するのを
避けるためにも平日に出来る限り疲労を取っておく方が有意義であろう。
昔のように若さを信じてゴリ押すことなど、もはや出来ないのである。
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余裕あればこその

2020年12月20日 23時51分33秒 | Weblog
金曜の夜くらいから腹の具合が悪くなり、土曜は専ら寝て過ごしていた。
日曜には回復したが、何かとうまく行かず終始モヤモヤしたままの休日といった
感じであった。たまにはこんな日もあると気持ちを切り替えて次週に臨みたい。
外出できずに晴れない気持ちをゲームで晴らそうとして、却って鬱憤が溜まるという
のは、手を出した方が悪いのか、仕掛ける側が悪いのか、否、どういうゲームか
分かって手を出したのならば、プレイする方が愚かであろう。

出来れば何か一つでもスッキリとさせたいところではあるが、そういうものの考えが
新たなるモヤモヤの種を招いて、悔しさに枕を噛む如き心地でまんじりともせずに
月曜を迎えてしまったり、後から思い返して、なぜあんなことをと後悔することも
今まで何度かあったので、もはや何も望まない。本当に自分のためになることだけに
努力であるとか、懊悩するという事をして、他人から与えられる類の事には基本的に
多くを望んではいけない。いきおいそこに時間と心を割きすぎてはいけない。

要はそんな余裕が今は無いという事である。いずれ余裕が出来たらやればよい。
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標石

2020年12月17日 23時38分48秒 | Weblog
残業、時々普通の時間に帰るという生活をしていても、結局毎日家での時間の
使い方に大差ないという、どうしようもない状況。
何かをやるための精神的助走の距離が年々延びて、少なくとも今の生活では何かが
出来るのが大体三日以上の休みの三日目以降という。
さらに助走をしようかどうか逡巡していると、さらに時間は溶けていく。かくして
大したことも出来ぬまま、半年以上もダラダラとして、大したものが残っていない。
そう考えると、かような生活を続けていても、"あの時はこうだった"と思い返す
きっかけになり得る『神羅万象チョコ』の存在は本当に大きかった。

10弾が出た時はあの仕事をやっていたとか、12弾が出ている時に引越したとか、7弾が
出ていた時に空き巣にやられたとか、そういう記憶とが結びついて時系列を形成できる
という、以前にも書いたように記念写真的な存在であったのだ。
ちなみに神羅万象チョコは2004年開始なので、弾数に2003を足せばおおよそ何年の
出来事か分かる。

今はさながら闇の中を行くが如き心地で、2019年から今まで、大した記憶が残っていない。
他の人はどうやって自身の記憶や思い出と現実世界の時間を結び付けているのであろうか。
日記も大雑把な内容は覚えていても、それをいつ書いたのまではあまり覚えていない。
多分毎日ではなく、年に数回か一度か、それくらいの頻度の方が良いのだろう。
とにかく何か手掛かりと出来るようなものを探さねばならぬ。
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寒さ

2020年12月15日 23時34分08秒 | Weblog
今日の会社帰り、街ゆく人が殊の外少ない。何かコロナ関連でお達しが出たの
かとも思ったが、おそらく原因はこの寒さであろう。とにかくやたらに冷える。
部屋で暖房を入れ、足元あったか系のパネルを付けてもなお指が冷たくなるほどで、
今年は涼しくなるのも早かったが、寒くなるのも早いと実感する。

毎度当てにしていない天気予報では、数日後にはまた少しだけ温かくなるような
感じであったが、ともかく本格的な冬に備えてホット系の飲料の素でも買い込んでおこう。
今のところは寒さに目を覚まさせられるという事もないので、寝具の追加は
必要なさそうであるが、仮に今欲したとしてもAmazonとかではクリスマスのアレコレで
届くのが大分先になりそうな予感がする。なので、普通に己の足と手を用いて買うのが
一番であろう。とりあえず、会社帰りに適当な店を覗いてみて、問題なさそうだったら
買って帰る、というのが良さそうだ。

それにしても本当に年末感がない。あとちょっとでクリスマスというのも、正直
まるで実感が湧かない。今を感じさせる最大の手掛かりがこの寒さだけというのが、
何とも恐ろしい。仮に数年後に今を思い返したとして、一体何が残っているのだろうか。
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深みに向かう心理

2020年12月13日 23時23分45秒 | Weblog
休日に物資補給のために駅前に繰り出したが、普通に人が多くて外出自粛とは
何だったのかと言いたくなるような有様であった。
とは言え、何かあると困るので買い出しも早いこと済ませて、家に籠る。

家に籠りきりの無聊を慰めるために、youtubeで色々観る生活が板に付いてきたが、
その中でエナジードリンクにアル中御用達の安酒を混ぜるカクテルが紹介されて
おり、何もここまで頽廃を演じなくても…と思いつつ彼らの発想に脱帽する。
飲んだことは無いが、昔はアブサンがそういった酒で身を持ち崩す者の
アイコン的存在であったらしく、それが時代を経て別の姿を得たということだろう。
件の動画ではエナジードリンクにモンスターエナジーを用いていたが、個人的に
味や色、効果等を考慮するとマツキヨのエナジードリンクを用いた方がさらに
頽廃度合いの向上が見込めるのではないかと思った。試したくはないけど。

同じくマツキヨではエナジードリンクの成分をそのままのタブレット菓子や
グミなども出しているようで、かの店に対しての評価におけるジャンク成分が
かなり増した。上に書いた物資補給の際に立ち寄ったので、ついでに色々
見てみたが、改めて思ったのは結構怪しげな品が他のドラッグストアに比べて多い
という事である。

個人的にはドラッグストアにはやや胡散臭い、怪しげなイメージを抱いていて、
それがまあまあの割合で具現化してしまったような、マツキヨはそんな印象。
店舗によって品揃えもかなり違うだろうから、この辺りの感覚は変化していく
可能性は大いにある。
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敢えて目先の

2020年12月10日 23時42分14秒 | Weblog
適当にスーパーで買ってきた饅頭をレンジで温めるだけで、そこはかとない
高級感を味わう今日この頃。缶コーヒー等のお茶をセットにするとなお良し。

話は変わり、暖房をつけるようになってから乾燥を感じることが多くなり、
折悪く目薬も切れたので、手元に水分を置いておきたい気分。
目薬も新しいものを買いたいが、残業続きの生活で平日は薬局に寄る時間がない。
土日がチャンスではあるが、その時に気力が残っているのか分からない。
一応例のワンコイン元気薬を購入してあるので、それに頼れば多分行けるだろう。

しかしそれにしても信じられないのが、あともう数週間もすれば来年になって
しまうという事実。今年色々あったことは敢えてここで書くまでもない程で
あるが、そんなこんなでやっぱり感覚的に二か月かそれ以上抜け落ちたまま、
ここまで来てしまった。
来年はある程度回復して欲しいと願ってやまないが、どれほどそれが叶うだろうか。

とりあえず、残業漬けからは脱出できるであろうと思うので、そういった
目先の明るいネタを糧に生活していこうと思う。
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