ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

見えない脅威

2020年01月30日 23時50分06秒 | Weblog
大阪でも新型肺炎が広がりそうな勢いであるが、落ち着いた対応を心がけたい。
目に見えないものに対しての恐怖や不安というものは、殊更に強くなるもので、
報道機関などは(何かあっても責任が取れないため)最大限の安全措置をとるような
伝え方をしているのも相まって、とかく過剰に反応してしまうことは特に注意するべき
であろう。特に、こういう事態にあって、悪意をもって動く手合いも少なからず出てくる
ため、それに対しての自衛という面が強い。

もちろん、自衛や予防として最低限出来ることはやるべきである。
いくら簡単に死ぬほどのものでないにせよ、罹患者が会社で数名出たら業務に相当な
打撃となるので、油断はできない。この騒ぎが収まるまではひとまず人の多い所への
外出を控えることとする。(割と普段通り)
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休みと苦痛

2020年01月28日 23時29分36秒 | Weblog
『下手の考え休むに似たり』という言葉があるが、当の本人は往々にして苦しんで
いるので、休んでいるのと変わらないというのは少し違うと思った。
下手が考えるくらいならば休んでいた方が余程有意義だ、というのならば分かるが、
結局のところ結果論的なもの言いなので、現実に今頭を捻り倒している人達には
かような格言は届くまい。普通に『考えすぎは体に毒だ』と言っておけばよかろう。

話は変わり、思えばここ十数年以上にわたり、椅子中心の生活を送ってきており、
床に腰を下ろすことが滅多に無くなった。そうなると不思議なもので、実家では当たり前に
行っていた、床に長時間座るという行為がしんどいと感じるようになっていた。
胡坐をかこうと、座椅子があろうと、とかく足をどうやっても落ち着かない。
そしてすぐに足がしびれたり、腰が痛くなってきたりするから、慣れというものを差し引いても
床に座るという行為は、肉体的に結構な負担なのではなかろうかとすら思えてくる。
正座に至ってはするだけでちょっとしたストレッチ感覚であり、明らかに普段使っていない
所が伸びたり圧迫されていくのを実感できる。

どちらが健康に良いかは分からないが、ひとまず椅子の方が腰痛になりづらいという
話なので、引き続き椅子主軸の生活を送ることとする。
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動き

2020年01月26日 23時40分52秒 | Weblog
エロ漫画界は絵の上手い人がもはや当たり前になっている感があるが、
とは言えイラストレーション的な、止め絵の上手い人の割合が多く、動勢を感じられるような
レベルのものは依然少ないと感じる。

確かに、エロ漫画は格闘漫画のようにコマの前後のキャラの動きの繋がりが重要ではない
ので、動線のしっかりしたコマ割りをするよりは、定点カメラで撮影(盗撮)したようなコマ割りの
方が内容的に即していると言える。
ただ、何事も型にはまって久しくなるとつまらなくなるものであるから、勢いを出すために極端に
デフォルメしたり、パースを効かせたりするような作画を特色とする作家がいても良いのではないかと思う。

勢いを出すために、エロ漫画でよく使われるのは、効果線と書き文字を飽和させて、てんやわんや
感を演出する手法であろう。実際これは効果的であるとは思うが、得てして画面が喧しくなり、
特に相手役の台詞が上ずってくると一周回って笑えて来てしまうという弊害をもたらす。
エロ動画でも相手役が必要以上にうるさいと気分が高まるどころか、うんざりしてしまうのも
おそらく同じ理由で、作品の中の相手役と、自身の感覚の乖離が大きくなると思われる。

もっとも極端なデフォルメもパースも、行き過ぎると笑えて来てしまうのは同じで、しかも
女性キャラの印象を崩さずにそれを行うのは卓越した技量が求められるから、挑戦したがる人や
それが出来る人が殆どいないのも無理のない話である。

個人的にも一枚絵で、デフォルメとかパースの強いエロ絵を描いてみようと試みたことはあるが、
『センスが無いとすごく難しい』というのが率直な感想。最終的には何だか挿絵のようになる。
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唐揚げのレモン

2020年01月23日 23時45分51秒 | Weblog
ネタバレを好まない人が世の中には結構な数居ることを知ってはいたが、物語の
核心となるような内容ではなく、先の展開の予想がつきそうな内容やそれを匂わせる
台詞の一つすら知らせないで欲しいという人がいることを最近になって知る。

個人的には、たとえ先の展開が知れていて、それこそ重大なネタバレがあったとしても、
その過程をどう描いているのかに興味が移るので、そこまで問題と感じていなかったが、
確かに作品を味わうにあたり、先の事を全く知らない場合の感動の度合いは段違いであり、
なればこそまっさらな気持ちで作品に相対するという気持ちは理解でき、むべなりと思う。

ただ問題は、『ネタバレ』ということに対して、どこまで作中の内容を伝えてしまうとそれに
当たるのかという線引きが結構曖昧な点で、人によっては大丈夫なことが、別の誰かには
全く大丈夫ではないということがそこかしこで起こる。
こういう事態には、基本的に一番とまではいかないがかなり気にする人の水準に合わせて
線引きを行うという認識の為、今回の件で他人に物語やゲームの内容を話す際の
『ネタバレ』に抵触する範囲はかなり広くなった。要はより深い慎重さをもって、その手の
話をしなければならぬと思うに至った次第である。
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ヒヤヒヤのちスッキリ

2020年01月21日 23時21分10秒 | Weblog
脈絡なくふと『天空の城ラピュタ』の色々なシーンを思い返し、主要キャラの向こう見ずで
余裕で生死をかけるようなアクションの数々に、やはりあれはとんでもないものだったのだと
実感する。仮にあれがアクションゲームだったとして、余裕で数十回は死んでいそうな無茶で
ヒヤリとするものばかりで、なればこそあれだけの爽快感をもたらすのだろうと思い至る。

と言うか、最近はこの手のヒヤヒヤさせて爽快感や疾走感をもたらすタイプの演出が少なく
なったように感じる。みんな刺激に飽きたのか、それとも心臓に悪すぎて自粛したのか、いかなる
理由かは分からないが、個人的には映画などでこういったスレスレのスリル満点のシーンを
スローにして表現するやり方の方にむしろ飽きたので、行動がとかく危なっかしく、戦っても
いつもギリギリなキャラが出てくる作品の方が望ましく思う。

あと、その他悪役としてもはや板についた感のあるムスカ氏についても、特に動機や背景が作中で
語られていないという点が娯楽に全力を注いだ感があって潔さを感じる。
あのラピュタの力や、通常兵器の届かない上空にあるという特性を生かして、世界平和のために
超武力を抑止力として運用する(『沈黙の艦隊』で提唱していたのと同じやつ)とか、
そういう思想の下に軍からラピュタを奪い取ったとか、今風にアレンジされたらかように面倒な
感じにされそうである。

映画館から出た時に、何か色々凄くて、楽しかった!細かい所におかしな所があったようにも見えたけど、
スッキリ終わってたからとにかく良し!という気持ちになれる作品が個人的に最良と感じているので、
漫画、アニメを問わず、こういう作品が絶えず生まれ続けることを願うばかりである。
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欲求の渋滞

2020年01月19日 23時32分17秒 | Weblog
凄く久し振りに、もしかしたら10年ぶりくらいにプラモの塗装(筆塗り)をする。
プラモを作る事はあっても、大体墨入れやピンポイントで塗りを補ったりする程度で、
筆を持ち出すにしても細筆止まりというような状態であった。
と言うか、大面積の塗装がプラモ制作にとっての障壁となっており、大体説明書の
1~3番くらいの所のパーツを組んだ所で放置状態になる事態が多発していることからも、
いかに塗装が億劫だったかが伺い知れる。

塗るからにはきれいに仕上げねばという気負いのようなものが邪魔をして、いざ始めようにも
『否、まだ支度が十分ではない』として先延ばしを行ってきた結果である。
やらねば腕は衰えるばかりで、その支度とやらにかかる時間が増えるばかりであるという事に
気付いているのか居ないのか、とにかく全然手が伸びなかった。

それが今回いかなる心境の変化で塗装に至ったのか。それは最近新しく登場した『アクリジョン』
という水性塗料によるところが大きい。
件の塗料は水性塗料でありながら、これまでの水性塗料にあった塗膜の弱さや、もったりした感じが
解消されているという触れ込みで、これならばとようやく重い腰を上げるに至った次第である。
水性に対するラッカーやエナメルなどの油性塗料は、シャープで堅牢な仕上がりだったりと
良い所が多いが、取り扱いに際してシンナーが必須になり、いわゆる『シンナー臭』も含め、色々と
面倒がつきまとう。水性は塗料の調整にこそ溶剤は必要になるが、後始末は全て水で行えるので、
取り回しの良さに関しては油性の及ぶところではない。

塗装に関して二の足を踏んでいたのはこの辺りの面倒さもあった訳だが、ともあれそれに対しての
打開策のようなものが見え、今回の件に至った訳である。

ただ、久しぶり過ぎて腕がすっかり鈍っていたのか、撹拌が不十分だったのか、期待ばかりが勝って
いたのか、仕上がりは思ったほどではなく、結局油性の塗料に切り替えた。
全てをアクリジョンで賄えていたのならば美しく話が纏まったのだろうが、塗装というハードルを
越えるきっかけになったので良しとする。

あと、プラモの色塗りはひどく禁欲的であると改めて実感し、とかく他の欲求(エロい絵を描きたいとか)
が割り込んでくるとどうにも筆が進まなくなる。
これは前向きに解釈するならば、今後いつか下半身的に元気がなくなって絵筆を手放す時が来た
際に絶望しないで済むという事でもあるが、そこまでの間にどれほどのプラモが積み上がるのかは
あまり想像したくない。適度にプラモは作りたいが、絵も描きたい。我ながら贅沢な悩みである。
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さっぱりしすぎ

2020年01月16日 23時35分49秒 | Weblog
時間がある訳でもなく、欲しいものがあるでもなく、しかし手元には物が沢山ある
というような今この状況においては、その何かを半端に消費する以外に大してやることが
なく、その場合、新しく沸いてくる気持ちとか、発見であるとか、日記に書き留めておきたく
なるようなことが殆ど残らないのが、我ながら大変に歯がゆい。

ちょっとした心がけや、考え方を少し変えるだけでも変わるのかも知れないが、心や頭に
引っ掛けておいたことが帰宅すると殆どずり落ちてしまうような、そんな状態。
良く言えば雑念が減っているという事であるが、悪く言うとすっからかんという事で、
確かによくよく考えてみると、ここ最近枕元の手帳や本が殆ど手つかずになっている。

たまたまそういう波が来ているだけなのか、その辺りは良く分からないが、楽しいとかそういう
気持ちが衰えているというようには感じないので、ひとまずは気楽に行くこととする。
眠れないよりはスッキリ眠れる方が良い。
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良いものだ

2020年01月14日 23時31分09秒 | Weblog
机の上の本棚の前にあった神羅万象チョコのカードなどを片付け、ついでに本棚の
整理を行っている時に、やにわに木箱が欲しくなる。そういえばと思い、近所の百貨店の
イベントを調べてみると折よく『矯正展』のお知らせが。渡りに舟か虫の知らせか、
急ぎ現地に向かう。

矯正展とは、以前にも書いたかも知れないが、全国の様々な刑務所において、受刑者が
作った作業製品を展示販売する催しである。別に特段値段が安かったり、デザインが洒落ている
訳ではないが、結構しっかりした手作りの味わいのある品々が魅力である。
そして思った通り木箱があったので、その他にめぼしいもの数点を購入し、首尾よく引き上げる。
しかし、折に触れマークはしていたものの、欲しいと思った時にかようなイベントがあるとは、
奇妙なこともあるものだと、しみじみ思いつつ、件の木箱が本棚にするには微妙に小さい
(それでも今使っている本棚よりは勝手が良い)というオチまで付いて、しめやかに連休は幕を閉じた。

普通に本などを収納するだけであれば、カラーボックスで事足りるのであるが、最近はどうにも
木製品に魅力を感じつつあり、特にしっかりした作りのものには大変に惹かれるものを覚えるように
なってきた。アンティークとか、そういう装飾性のあるものではなく、至極シンプルなデザインが好み。

これまでの経験上、安い作りの本棚はすぐダメになる上に、最悪崩れたりと危険でもあるので、
あまりケチらないようにしている。今はそこまで必要性に迫られていないが、もし追加する機会が
あったならば、木製の良いやつを買おう。
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一部活況

2020年01月12日 23時49分31秒 | Weblog
年末から昼夜が逆転気味の生活が板につき始めているので、この連休で
どうにか生活サイクルを元に戻したいと画策中。
いつも夜の作業中に聞いている、youtubeの音楽を睡眠導入系の音楽に切り替えたり、
そもそも早めに音楽を止めたりして、夜更かしに至らないようにしているが、結局早めに
寝ても休日だと起きるのが遅いという、効果があるのか無いのか良く分からない事態に。
まあそれでも2/3くらいは目的を達成できているので良しとする。
問題はそれを継続できるかどうかである。

話は変わり、久し振りに近所の大型ショッピングモールに出向いたが、どこにこれほどの
数がいたのかと思うほどに子供連れでごった返しており、自宅付近との差を思い知る。
あとは、子供とはあまり関係がないが、ガチャ系のおもちゃが非常に活況という印象。
買い物帰りの子供がたまに親にねだっているのを見る程度で、実際によく回しているのは
大体大人で、実際にそれくらいの層の物欲に訴えるようなものが多い。

今の子供の経済事情は良く分からないが、ガチャ一回300~500円は高いのではないかと
思う。今の個人的な経済的な状況でも5回回したら結構散財したと感じるほどなので、
相当大人向けなのではなかろうか。比較的安めのおまけつきお菓子も、あまり子供に
買われている感じはしない。最近流行っているらしい『鬼滅の刃』関連のおまけつきお菓子が
根こそぎ無くなっていたり、個人的に集めようと思っていた『にゃんこ大戦争』のお菓子も
全く見かけなくなったから、単に需要が偏っているだけという可能性もある。

ひとまずいずれも活況であることには変わらないので、以前にも書いた通り、こういう
群雄割拠の時に現れる変な奴を楽しみにしつつ、緩く状況を追っていきたい。
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雪より雨

2020年01月09日 23時39分08秒 | Weblog
未だにおとそ気分が抜けきらないので、まだ正月の話。
毎年実家に帰る時に、新幹線で軽井沢を通過するのだが、例年では雪山と化し、
スキー客でにぎわう姿が今年は見る影もなく、ただの枯れた芝の丘が広がる
ばかりであった。ここ数年新年に実家に帰ってもあまり雪が積もっているのを
見ていないが、今年は格別に少ないと感じる。

とは言え、雪が降るピークはもう少し先なので、その時になったらまとめて降って、
大雪による災害とかが発生し、"また天災かよ…"とげんなりする未来が訪れる
可能性もまだ残っている。

ここ大阪の、住んでいる近辺でも積もるほどの雪というのはしばらく無かった
ように感じており、降ればそれなりにテンションが上がってウキウキしたりもするが、
実際にそれに触れる事態となればげんなりするものでもあるので、普通に
適度に雨が降る程度で十分である。
窓から眺めるだけにしても、今の家は窓が全て擦りガラス仕様なので、外気と共に
味わう必要があり、持って一時間程度という所であるから、風情も大して味わえない。

そして雨が降るにしても、この前のように深夜から明け方にかけてざっと降って、
その後は晴れる、というような降り方が個人的には大変ありがたい。
ただし、その雨が後から凍らない、という前提ではあるが。
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