ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

指力鍛錬

2016年01月31日 22時27分01秒 | Weblog
随分と久し振りにプラモデルを作る。会社勤めをするようになって以来、
塗装や合わせ目消しやディティールアップなどの本格的な作業をしなくなって
いたが、しかしそれでもプラモデルは増えていく。
当然ながら技術や勘は衰えていくので、いずれ老後に本格的に取り掛かるに
あたって、リハビリ的なものとして簡易なプラモデルもいくつか購入したが、
それのリハビリも必要な程度には衰えていた。

こんな状況下で、塗装も接着剤も不要、いきおい下地処理や合わせ目消しも
不要というようなプラモデルは福音と言ってもよく、実際今回完成にこぎ着ける
ことができたものも、それに類するものであった。

ただそれでも、ニッパーで切り出したパーツの、その跡を処理する手間は
必要で、それを行うための指力の衰えは文字通り痛感するところとなった。
例えるならば、米一粒を指で保持してその上三分の一をデザインナイフできれいに
切り落とすような作業で、米粒をスパッとやった余勢で指を切ったり刺さない
ような力加減、と言うか指力を要求されるのである。 寸止めは力だよ兄貴。
さすがに指に刺さることは殆どなかったが、その代わり持っている部品を
取り落としてしまうことが何度もあった。
手の甲に置いた紙を怪我せずに切るような、精妙な動作がプラモ制作には
求められるのである。ズボラな身空にとっては実に高いハードルである。

いやまあ多分多くの人は素直にやすりで処理しているのだと思うが。

とりあえず、塗装の腕は依然下落中で、リハビリの目途は立っていない。
そもそも先から出ている老後というのも、恐らくは(エロ)絵への情熱が肉体的に
厳しくなってからの事であろうと考えると、何か色々と物悲しくなる。
いかにやる気があったとて、体がついてこないのでは話にならぬ。
プラモはいずれ作っていきたいが、楽しみがそれだけになってしまうような
状況というのは避けたい。わがままではあるが、色々やりたいのである。
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それは本当に良いものか?

2016年01月29日 23時23分51秒 | Weblog
理解に苦しむような自信を頑なに持ち続けている人をたまに見かけるが、
あれは一体何なのだろうかと思う。誰もが認めるような強烈な能力や
才能を持っているのならば話は別であるが、全くもって、屈しない、省みない、
改めない。
自信や矜持自体は誰の心の中にもあって、生きる上で欠かせないものでは
あるだろうが、行き過ぎれば毒となる。

そもそも自信というもの自体は感覚的な、相対的なものであるが、そんな
根無し草のようなものが個々人の心の柱として機能するはずがないので、
何かしらの経験や他者からの評価、つまり社会の中における己の居場所を
確認できるようなものが、個々人の自信を自信たらしめる裏付けとなる。

例えば何かの賞で一等になったとか、リーダーとして良い成果を残した
(と会社から評価された)とかがそれに当たるであろうが、問題は、その時の
評価は確かに社会的な位置をここだと示し得るようなものであったとしても、
それが未来においても保証されるものではない点であり、ついでに言うと
その自信の源が陳腐化した際にバッサリ言ってくれる存在が稀である点である。

何だか分かりづらい文であるが、いかに権威ある評価であっても、それが
ずっと価値あるものであり続けるという保証はなく、したがって結局
自信などというものは浮き島のようなものであるという話。

過去の栄光というものは確かに居心地の良いもので、過去の事なので誰も
手出しができない。他人からすれば、それが害にならない限りはそこにいる人を
引っ張り出す義理はないので生暖かい目で見守るのみである。
そして往々にして、かような安住の地を見つけた人間をその場から引き剥がそうと
すると、理由の有無を問わず猛烈な反発を招くことになる。

屈しない、ということはつまり、曲げたら割れて二度と戻らないことを本能的に
察知していて、それゆえに必死で守ろうとするのかも知れない。

なので、自信は定期的に省みて、改めて、たまに折られるくらいが健康的で
あると考える。そうやって、ようやく曲げても割れない自信が身につくのでは
なかろうかとも考える。(とは言え、そんな境地に至っても本人的には折れない
自信を持っているという認識はないかも知れない)
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氷山の一角

2016年01月27日 23時47分02秒 | Weblog
少し昔に、控えめな胸の女の子ばかりを集めたような
写真集が刊行され、そこに“山”の角度を示す数字が
併記されているのを見て、非常に釈然としない不快感に
とらわれたものであったが、数年を隔ててその不快感の
源をようやく探り当てた心地になった。

頂点の角度のみで山の美しさを語るには、情報が足りなさ
過ぎる上に、そもそも本質的な美しさの源泉は角度ではない。
仮に山を三角形と定義すれば、その山頂の角度を求めることが
いかに愚かしいかが分かることかと思う。
単に頂点の角度のみではその全体を推し量ることすら出来は
しないのである。せめて頂点から垂線を下ろし、そこで生じる
二つの角度を記す位でなければ、まるで意味が無いどころか、
無用に価値を貶めるだけの表記となりかねない。

上記の本で悲しみにも似た感覚を覚えたのは正にここで、
愛情をもって取り上げているのならば、なぜかように薄っぺらい
短絡的な数値でもってそれを一括りにしようとしたのかという、
大仰にいえばそれは裏切りにも近い行為であったからだと、
今にしてようやく気が付いた次第である。

無理矢理まとめるならば、好きなものを熱意を持って伝えるに
当たって、変に端折るよりも弁を尽くして語る方がずっとずっと
良い、ということであろうか。
くどくとも、それもまたスパイスとなろう。
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凍結

2016年01月25日 23時29分16秒 | Weblog
今朝、寒いながらも風呂に入ろうとしたがお湯が出ない。
すわ、よりによってこんな時に給湯器の故障かとも焦ったが、先日の
ニュースでも危機喚起がなされていた、冷え込みによる水道栓の凍結に
よるものと推測された。実際湯が出ないだけで、暖房やコンロは生きている。

こういう時にウェブは便利なもので、直ちに湯を作り多分凍っているであろう
所にかけた所、果たして給湯器は復活、待ち望んだ温水にありつけることと
あいなった。

ただ、かような水道栓凍結という事態は長年大阪住まいをしていて初である。
結構前にも寒いときはあったが、その時は朝日が給湯器にちょうど当たるような
位置関係だったから事なきを得たのだろうと、今になってようやく気付く。

他人にこういう話をすると、大体次の言葉が『引っ越しせよ』になるのだが、
そんな期待をよそに薬缶の購入を検討するという、我ながら泥縄状態。

明日も寒いらしいが、洗面器も買ったので何とかなる。はずである。
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定番は鉄板にあらず

2016年01月23日 23時10分09秒 | Weblog
どういう訳か、フィギュアの世界ではバニーガールコスと
いうものが水着、和服と並ぶ定番のような扱いになっている。
元絵があるからなのかも知れないが、個人的にアニメ系の、
しかも中学生以下の(設定の)キャラにバニー姿をさせるのは
やや悪趣味であると感じてやまない。

この話は以前にも書いたかも知れないが、ウサギは幸運の他
多産のイメージも持ち、なればこそ“セクシーな”印象を
付加する要素として用いられてきている。
なので、実際にセクシー系のキャラであるとか、その格好を
することで、ある種ネタになるようなキャラ性をもった
キャラがする分には良いが、無垢さが重要な要素であろう普通の
小中学生女子のキャラにはいささか毒が強すぎる。
例えるならば、和食に極彩色のソースをかけるようなものである。

個人的にはボディラインを出したいのであれば、体操服や水着で
充分だと思える。少しひねるのならば、童話モチーフのアリスとか
人魚姫とか赤ずきんにすれば良かろうと思われる。
なお、赤ずきんのイメージはウサギのそれよりもずっと直截的で
あるため、これに関してはさらにもう一ひねり入れる必要がある
かも知れない。

とりあえず、コスプレしているフィギュアが増えるのは良いが、
かなりやりたい放題出来るというのが利点でもあろうから、
あまりモチーフを固めすぎないで欲しいというのが、個人的な
意見である。

それこそ普段セーラー服のキャラが(最近のアイドルグループ的な)
ブレザーを着ているというのでも十二分にありがたい。
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寒々

2016年01月20日 23時09分52秒 | Weblog
大阪も急に寒さがきつくなり、赤外線ヒーターだけでは凌げず、ついに暖房を入れる。
なお、余談ながら何度となくそのヒーターで食品を温めようと試みたが、容器が
溶けて変形してしまい、いずれも失敗している。暖房として主力を張るには
力不足感の否めない存在ではあるが、さりとてプラスチックを溶かす程度の火力は
あるというその中途半端さこそが主力を張れない要因の一つでもあるのでは
なかろうかとぼんやり考える。 なお、電子レンジを導入するという選択はない。

年が明けて以降、きな臭いニュースばかりが色々と出ていたようにも感じられたが、
今や芸能系のニュースにすっかり塗り替えられてしまっており、言い知れぬ不安を
覚える。実際に陰謀とかそういうのはよく分からないが、なんでかようにアイドル
という存在が人々の興味や憧れの的として、未だにあり続けられているのか、
それが不思議でならない。
人の興味の向く対象がこれだけ多様化し、見たくないものも含め見えるようにも
なったのに、アイドルを追いかける類の人が減ったようには見受けられない。
それこそ日本人の魂的なところに訴えかける何かがあるようにすら感じる。

ともあれ、冬が早く去ることもそうであるが、明るいニュースが増えることを
望むばかりである。
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自由に描くのみにあらず

2016年01月18日 23時15分32秒 | 絵関係
定番化したい覚書シリーズということで、フォトショップについてのものを
上げてみる。フォトショップのツールに特化した内容なので、他のツールの
ことは考慮していないので、そこはご容赦頂きたい。
※クリップスタジオを一応持ってはいるが、ほとんど使っていないので、
これと同様のことができるかは不明。
なお、絵柄については分かりやすさを重視し、今回の説明に不要な要素は
出来る限り省いたものとした。

もちろんこれで万事問題なしという訳ではなく、あくまで方法論の一つとして
提示しているに過ぎないので、改良や突っ込みは望むところである。

詰まる所、絵はセンスの問われる作業であるが、趣味はともかく仕事で
多くの人に描いてもらうような場合、そのセンスの差が問題になることが
しばしばある。こういった作業の分解や簡略化は、その問題に対しての
方法のひとつで、目指すところは"センスは問うが、そのセンスで二者から
選択する"くらいのレベルである。

アニメ絵などもまさにその方法論の結晶であって、今もなおツールの進歩に
甘えず、その方法論を強化、改良していっているのは、昨今のアニメの
高クオリティっぷりを見ても明らかである。

今回のはそこまで効率アップを図れるようなものではなく、あくまで小ネタ
とでもいうべき、小さなものであるが、なればこそ分厚い教本を前に
あきらめかけた人への壁を超える一手となれば幸いである。
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ようやくという感じ

2016年01月16日 22時44分01秒 | Weblog
『オーディンスフィア レイヴスラシル』を購入する。
一応オリジナル版はプレイ及びクリアしているが、それが
もう10年も前の話だということに驚かされる。
今では睡眠時間を削ってプレイすることも、そもそも
まともにゲームをクリアにまで導くことすら億劫になりつつ
あるが、まずはどれくらい変わったのかを確かめるべく
プレイしていこうと思う。

話は変わり、少し前に絵を描く際のサブモニタが欲しいという
ようなことを書いていたが、少し調べてみたところ、
タブレット端末やスマホをPCの追加ディスプレイに
出来るというアプリがあることを知る。

大判の液晶タブレットという利器があっても、やはり細かい
作業をする時はズームがぶり寄りで、全体像が見えづらくなる
ため、今まではフォトショップでクローンウィンドウを作成し
それを別ディスプレイに移動させて全体確認を行っていたが、
色味などを調整する上でも、もう一つくらい見る術が欲しい
と思っていた。

果たしてそのアプリはそれなりに便利で、危惧していたPC側の
操作が引きつるというようなこともなく、晴れて第三の
(基本見るだけで充分なので、PCの画面のクローン)
ディスプレイを獲得するに至った。

ここ数ヶ月で我が家のタブレットにおける株(生活依存度)
はうなぎ登りと言わざるを得ない。使い方が分かって来始めた
ということであろうが、多分まだ上がるだろう。
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それは昔からずっとある

2016年01月13日 23時04分26秒 | Weblog
時々思い付きで、今まで描かなかったようなものを敢えて描いてみる
ことがあり、最近『腋毛』を描いてみたのであるが、頭の中で
ぼんやり思い描くような腋の下にもさっと一叢の毛がという訳ではない
ことを色々な資料を確認したり、実際に描く中で気付く。

一塊になっていることも多いのであるが、よく見ると2~3のブロックに
分かれており、腋毛が生える場所にはある程度の偏向性があるように
思われた。あと、人間には毛の生える向きというものがあるから、
それの切り替わり個所が上記のようなブロック化を生むのかも知れない。

髪の毛は言うに及ばず、ヒゲや眉毛であるとか、下の毛であるとか、
毛の黒いアジア系の人間であれば尚のこと、パッと見の印象における毛の
役割は大きく、いきおい絵を描く際にもそれが強く影響を及ぼす。

上で挙げたような、ある程度以上の濃さがあって、外見上の特徴とも
なり得るような諸々の毛の流れや生え方というものは、適当にやる(描く)と
思った以上に大きな不自然さをもたらす。
人間が人間であるずっと前から毛はあったのだから、そう考えると
むべなりという話であるが、ともあれ、今回の件を通じて腋毛の奥深さを
思い知らされた。

もちろんまだ深みにはたどり着けておらず、ちょっと入った所から
底の方を見て、その深淵の濃さに驚いているような状態である。

そして辺りを見渡せば、胸毛に腹毛にすね毛に尻毛に背毛…
デフォルメ絵との兼ね合いなど、毛ワールドは広く深い。
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あの手この手

2016年01月11日 23時18分35秒 | 絵関係
先日手についての話をしたり、これまで文面で色々と提案してきたが、
文章での説明には限界があるのと、実際に描いてみねば分からんという
こともあり、雑ながら覚書をアップしてみる。

個人的に手を描く上でのポイントというか、こんな感じでやってみては
どうだろうという提案込みの、いささか気弱なものではあるが、何かしらの
足しになればと思い、描けるだけ描いてみた。
手を描く上で気にしている部分であるとか、解釈についてが含まれて
いるため、見る人が見れば手を描くのが苦手だという原因が
そこから見えてくるかも知れないので、そこも期待。

手の細かい表情とか、手指や爪の形の分類については細かくなるので
省いているが、その辺を突き詰めると多分もう一枚ぐらいは描けそうな
気がする。今回の内容をまずはしっかりまとめろという話であるが。

とりあえず今回は手についての覚書であったが、今後も折を見ては
人間の体のパーツや部分描写についてなどの思うところをアップしていこう
と思う。誰かの役に立てば幸いであると同時に、誰かが改良してくれれば
なお幸いである。
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