ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

持って帰らない時代

2015年11月29日 23時09分45秒 | Weblog
自宅のWindowsにアップデートの通知がきたので
実行したら、いつの間にかWindows10をインストール
するか否かという話になっていて、世界有数の企業が
そこいらのエロサイトまがいの騙しをかけてくることに
やや驚く。

かつてPCでやっていたことの多くがタブレットに移行
した今、問題はお絵描き関連で不都合が生じないか
という点のみで、後の方になって面倒になるよりも
設定や諸々あまりいじっていない今アップグレードを
かけてしまった方が楽だろうという判断により、かくして
OSは最新版に変わった。
変わった、とは言っても前述のお絵描き関連が問題
なかった他に実感として得られるものはなく、実感する
ほど突っ込んだ使い方をしていないので、言われなければ
気が付かないレベルであった。

話によると以降のWindowsOSはアップデートによる更新が
主軸となり、新バージョンをパッケージ売りする事はやめる
とのことらしいが、それが今の世の主流なのかと、しみじみ
思う。

個人的には据え置きのゲーム機も、いずれそうなって欲しい。
4~5年程度のスパンがあるとはいえ、お金も場所も食うのは
きつい。
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場当たり的冬支度

2015年11月27日 23時26分18秒 | Weblog
急に寒くなったので、余裕をこいて先送りしていた新たな
冬物上着をようやく購入する。今までの一張羅は、思えば
十年程使ってきており、少々感慨深いものを感じる。
この度晴れてお役御免となったが、色が褪せた程度で機能的
には問題ないため、部屋着や緊急時の控えとしての余生を
全うしてもらうこととなる。

そして今年もあと僅かとなり、年内に予定している大きな
買い物は残すところPS4のみとなった。相変わらず置き場所
について、大した策を講じていないので、また一悶着ある
ことが予想されるが、それはそれでその時に考えることとする。

外が冷え込んできたことにより、当然のように室内もかなり
寒くなってきたので、暖房器具も引っ張り出さねばならぬ。
久々の起動時に焦げ臭い匂いを発されては困るので、本格的に
冷え込まないうちにホコリ程度は払っておきたい。
これら一連の行動を起こせるのはたいてい休日なので、
あとはやる気をそがれる悪天候にならないことを祈るのみ。

寒くてもいい。サッパリ晴れて欲しい。
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適応

2015年11月25日 23時37分03秒 | Weblog
以前より個人的な鉛筆等の持ち方がおかしい点には折々
触れており、ペンダコが出来ないということも書いていた
と記憶しているが、最近の液タブ導入以来描く機会が
増えたためか、ついにペンダコが出来た。

知らない人のために補足すると、普通の人はペンを持つ際、
中指の第二関節の横辺りにペンを乗せるが、個人的な場合
それをせず、中指もペンの保持に動員している。
つまりは三本の指でつまむように持つやり方で、書道などの
筆の持ち方に近いと言える。(書道のように筆は立てないが)

このようなペンの持ち方なので、ペンダコが出来たと言っても
普通の位置にではなく、中指の爪の先の肉部分(人差し指側)に
出現していた。不思議なのは、今まで普通のペンタブレットを
長らく使用してきたのに出来なかったそれが、液タブに変えて
から急に出来たということである。
作業面の角度がかなり違うので、そのせいかも知れないが、
適応の早さに自分の肉体のことながら驚かされる。

そして今の位置にペンダコがあると、つい爪をかむ癖の流れで
一緒に噛みちぎってしまいたくなる衝動に駆られるのが、
目下の悩みである。とはいえ、なるべく大事に育てていきたい。
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夢を形にする場所

2015年11月23日 22時52分03秒 | Weblog
液タブを購入したことにより、趣味のエロ絵(自分用)が
完全にデジタルに移行し、色々と捗っている。

絵に色が付いたり、差分が用意できたりする以外にも
(三文)官能小説ばりの情景描写の文章を挿入したりすることも
実に容易となった。台詞を追加するのではなく、当事者の
手記のような体裁なので、漫画の一コマというよりは、ライト
ノベルなどの挿し絵に近い。

個人的にはこういった文の方が、台詞だけよりも体温的な
ものが近づく感があるため、お気に入りのスタイルとなっている。
フォントに手書き調のものを使用すると味わいが増し、実によい。
なお、登場人物に渋々ながらに淫語を言わせるのが特に好みである。

かような赤裸々発言は置いておくとして、ふとそこである
閃きが頭をよぎる。『この文章を朗読させられまいか』
エロにおいて、音(声)の要素は非常に重要であることはもはや
言うまでもなく、個人的には淫語にまみれたひどい文をあえて淡々と
デジタルで読ませるというシチュエーションについても、
ひねくれたエロティシズムを禁じ得ず、是非とも試してみたくなる。

歌を歌わせるソフトはかなり前から存在しており、知名度も高く、
独自のジャンルを構築できるほどの完成度であることは、
音楽に疎い身空でも知っている。ならば、デジタル朗読ソフトも
同様に高いレベルのものが、それこそフリーで出ていても
おかしくないのではなかろうか。

果たして読み通り、結構なレベルの気の利いた朗読ソフトの
体験版が見つかり、色々試してみる。少々慣れは必要で、
実際の人間に読ませた方が早かったり痒いところに手が届きそうと
いう感覚もあったが、内容も構成も他人には見せられないような
文章を読ませることができると考えれば、手間に見合った
クオリティで、満足する。

最近は“アレ出来んじゃね?”と思い立ったことが速やかに、かつ
高クオリティで実現できてしまう世の中であることを、改めて
実感するに至った。それは同様に“コレ出来ないんじゃね?”と
思うような物事も速やかに分かる、ということである。
普通の人は無理でも、能力ある人がどんどんそれを埋めていって
くれることで、世の中や生活が豊かになることを願ってやまない。
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隠れた宝

2015年11月21日 23時36分18秒 | Weblog
すこし足を伸ばした先にある某大型ショッピングモール。
中心地へ出向くには気力も目的もあまりないというような
時に重宝するという以外にも、近隣から若い人が多く集まって
いるという関係で、目の保養にもなるという利点もある。

しかし、一番有り難いと感じるのは、そこの食品コーナーに
おけるカップラーメンの取り扱いの多彩さである。

個人的な食生活の関係上、スーパーのカップラーメン売場は
ほぼチェックするようになっているが、ここまで種類を多く
取り揃えている店は他に見たことがない。
いきおい宝の山を目の当たりにした心地で、あれも良いな、
これも良いなと選ぶ悩みすら味わえる、感動かつ圧巻の
ラインナップであった。

会社の帰りに寄るには、やや遠回りとなるのが難点ではあるが、
味覚的な刺激及び変化が欲しくなった時など、以後お世話になる
ことと思う。

しかし、色々なスーパーの食品売場を見るにつけ、近所の
よく行くスーパーの“練り物”コーナーの充実はおかしいと
いう確信が強まってくる。上記のカップ麺の件もしかりで、
担当者がものすごく強いこだわりを持っているのか、お得意さん
の要望によるものなのか、そして、その強みを全面に押し出して
いる風もまったく見られず、実に謎である。
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物入り

2015年11月19日 23時21分04秒 | Weblog
12月になったらPS4を買おうと意気込んでいたが、折悪く
ZenPad s8という、ペン入力機能が売りの一つになっている
という、つまりはお絵描き出来るかも知れないタブレットの
存在を知り、当初の意志が揺らぐ。

最近大きな買い物をしたので、かなり財布には厳しく
当たっていこうと思っていたのだが、これは実にきつい。
家にあるものでそれなりのお金になりそうな物、例えば
お役御免となったペンタブレットなどを切り崩さないと
バランスが取れないと感じる。

無論、それはどちらも買う場合の話であるから、いずれか
の購入を少し先に延ばすという手もある。
買ってからしばらく経つが、今使っているタブレット端末は
特に不便はないし、絵も液晶タブレットで描けるので、PS4の
方が優先は高いと言える。
最近めっきりゲームをしなくなってしまったが、これを機に
またのめり込むようになる可能性もある。

ということで、初志貫徹。あとは購入までにまた別の誘惑
(大きな出費)がこないことを願うばかりである。
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モノ満たし

2015年11月17日 23時19分35秒 | Weblog
あの後、枕元用の灯りとして、LEDランタンなるものを購入した。
非常用の懐中電灯にもなるそれは、大変にシンプルであり、
それゆえに大方の予想に反することなく、想像通りの便利さで
あった。とはいえ、かような日常をささやかに良くする類の
品物について、一人暮らしを10年以上続けた段階でようやく
気がついたことに関しては、今まで何をしてきたのだという
自問を禁じ得ない。

豪奢な生活が肌に合わない、というのは一つの理由ではあるが、
それがある種の意地のようなものとなって、こういった便利
グッズを見る目を曇らせているのだと思われる。
またもう一つの理由として、ネットの店に依存しすぎている
というのもある。ネットの店は果てしなく広大であるが、
ローカルの環境で見渡せるのは、ごくごく限られた、かつ
当人の購買傾向に寄った領域であるため、基本的に意外性に
乏しい。

この前の休日に、家電量販店に出向いたときに、そこまで
広くないはないものの、色々と見て回ると、面白そうなものが
思いの外沢山あった。本屋でもそうであるが、あまり大きく
なくても、目的がなくても行って見ることで、何かが開かれる
ことがある。常に、ということはないが、稀であるという程でも
ない。
気分的には浜辺に何か打ち上がっていないかを探しにいくような、
そんな感じ。(そしてモノが増える)
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非直接的が適切

2015年11月14日 21時32分17秒 | Weblog
清水の舞台から飛び降りる心地で購入した大判液タブで
あるが、当初の懸念をよそに大変快適に使えている。
ただ、問題がないわけではなく、そのうちの一つが
“反射光”である。

液タブは画面を散々やたらにペンでカキカキする都合上、
入力面(画面)が強化ガラスで覆われており、そこに
部屋の明かりが映り込む(テカる)のが地味に問題になる。
普通の液晶ディスプレイでも同様のテカリはあるが、
液タブの場合、画面を少し傾け起こす使い方をする関係上、
使用者の背後上方の明かりが丁度反射して目に入るという
ことが起こる。

液タブは基本液晶ディスプレイのため、画面に多少の発光が
あるが、反射による光はそれのどれよりも強く、絵を描く
上では非常に邪魔になり、まともに描けないレベルと
言っても差し支えない。感覚としては普通の室内で、紙の
上にものを書いているときに、懐中電灯で一部を照らされて
いるような状態である。

このことは、アナログからではなく、今までデジタルで
やってきた人たちにとっても大きな問題なのではなかろうか
と思えてくる。つまり、部屋の光源に大してかなり気を使う
必要が出てきたという事である。

昔ながらのアトリエは北側だけに採光用の窓を設けるという
決まりがあったらしく、それは一日や季節を通じての変化が
少なく、点光源ではないというのが理由であるのだが、
そこまでとは行かないまでも、部屋の光源や、光源に対しての
液タブの設置場所、角度をかなり考えねばならなくなった。

電気スタンドや部屋の明かりなど、当たり前のように用い
られており、それは必要にして十分故にそうなっているので
あるが、絵描きにとってはあまり有り難くない存在である。

LEDや有機ELによる照明技術が発展してきている昨今、
視界の邪魔者たる光源を排除した部屋が廉価で実現できる
日を望んでやまない。
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湧いてくるやつへの対処

2015年11月12日 23時17分09秒 | Weblog
日記などのアイデアや諸々の考察が一番捗るのは、一般に
言われているようにその日の朝で、例えば昼に起きたと
しても、朝の感覚には及ばない。

昼の休み時間であるとか、夜の帰宅途中であっても
アイデアの発掘や考えを巡らせることは十分に可能で
あるが、後々になってよく練り直してみると大したことの
ないネタだったり、収拾がつかなくなったりで、
どうしても質に劣る。

どのみち一番対処に困るのが、朝出てくるそれらの、頭の
中に湧いた泡のようなものを留める手段で、手帳を常備しては
いるものの、何かと慌ただしくてペンを走らせる精神的余裕が
なく、結局消えてしまったり、後から必死に、もしくは
不意に思い出すことになる。

あとは、質に劣るとはいえ寝る前に湧いてくるアイデアも
侮れず、書き留めておかないと安心して眠れない。
しかし、消灯して床に就き、何か閃いてしまったときに、
暗闇の中で枕元のメモ帳に後から判読可能な文字を書ける
ようなそんな器用さはないので、いちいち都度部屋の明かりを
付け直さねばならず、これがかなり面倒である。
なので、手軽で目に刺さらない程度の光量のデスクライト的な
ものを購入してその対策にあたろうと考えている。

朝(出社途中)に湧いてくるやつの対処はまだ思いつかない。
明日の朝にでもいろいろ考えてみるか…。
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素人のまま来る

2015年11月10日 23時14分39秒 | Weblog
予備校の時分にデッサンの講評などで言われていた事が、
ようやく分かってきたように感じる三十路の下り坂。

ヴァルールであるとか、量感であるとか、キーの高低など、
言葉で表せばその類のものであるが、今まで言葉とそれに
伴う感覚的なものでしか入ってきていなかったため、
しっかりと理解出来るようになるまでにここまでかかって
しまった次第である。

良い悪いの話ではないが、ここまでの、絵を描く上での技術
を教わってきた中で、理詰めで理論立てて、それこそサルでも
分かるくらいの丁寧さでもってそれを為された事はなく、
あくまで感覚的に、当人の主観世界を表出させるべく、外から
“目覚めよ”と呼ばれ続けていただけのような気がする。

個人的に見た限り、今の美術の世界にあっては上で書いた
ような理詰めの、アカデミックな知識であるとか、技術という
ものはほぼノイズのような扱いで、それこそキャンバスや
絵の具までもがその範疇に収まるような、表現主義を通り越して
神秘主義に片足を突っ込みつつある状態と感じている。

美術の教育の現場にあっても、そういった感性重視の、感覚的な
教え方や課程を組んでおり、有り体に言って芸術家という
宝くじの“アタリ”を探すための機関かと邪推するほどで、
しかし結局はアタリも大して出なければ、世の中で多数派と言える
商業絵描きの基礎能力の構築も出来ない結果を生んでいると
思える。

商業絵描きを育成するのが目的の、専門学校とかではさすがに
かなり理詰めで教えていると思いたいが、現場はどうなのだろうか。
かつての己自身がそうであったように、学校の美術教育の感覚で
来たら、全然違う世界を見せつけられて面食らって、ついて行くのが
やっと(脱落者も当然多数)というのは、ありそうな話であるが。
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