ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

奴隷の奴隷

2015年03月30日 23時17分32秒 | Weblog
いろいろあって、しばらくぶりにネット接続をやり直している
今日この頃であるが、設定周りの煩雑さや不親切さが10年以上前から
あまり変わっておらず、諸々うまくいかないことと相俟って、大変に
憤りを感じている次第である。

世の中が便利になった傍で、未だに書面よりも口頭での契約しか
有効とみなされなかったり、機器や環境の設定書類がバラバラで筆記上の
表現がまちまちで、しかも専門用語の羅列だったり、接続ウィザードの
処理が異常に重く、再入力などを行う度に最初からやり直しになったり、
とかく前時代的なストレスの溜まるばかりの有様に、契約早々失望する。

こういった不便の押し付けは、そこにインストラクターの需要が
生じるためか、わざとやっている感があり、とにかく腹が立つ。

そして接続ウィザードを使用し、画面には『設定完了!ネットの世界を
お楽しみください』とか表示された割に実際には繋がらないという結末。
冒頭で10年近くかけて進歩なしかと書いたが、少々訂正したい。
乾いた笑いすらかき消す程度のイヤミが言える位には進歩していた。

数時間かけて、設定関連のマニュアルや書類を周囲にぶち撒いて、
得るものがこれか。と言うか、世間一般の人達はこういった作業を難なく
こなせるというのか。
だとしたら、進歩したのは道具よりもむしろ人の方だ。
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欲と春

2015年03月29日 21時36分29秒 | Weblog
ウェブサイト引越しについて、思いの外苦戦中。諸々の知識とかがすっかり
抜けているので、ほぼ勉強し直しという状態。とりあえず近いうちには
何とか。

ともあれ、ひとまず第一の関門は突破となり、新しいインターネット
サービス用の機器設置工事は終了した。しかし、旧来のサービスの解約と
機器撤去工事が次の関門として立ちふさがる事に今更のように気付き、
やや士気が後退している。そこに重なるように上述のサイト移転に伴う
アレコレの想像以上の面倒臭さ+今月のトップ絵のことが重なり、何も
したくない気分に陥る。

また、掃除を久しぶりにしたせいか、あるいは春の陽気が強く感じられる
ようになり、体が冬眠から脱し始めたせいか、いずれか分からないが、
食欲とともに物欲も芽を吹き始め、タブレット用のワイヤレスキーボード、
電動シュレッダー、ハンディクリーナーなどが欲しくなってくる。

何だかんだで電子レンジすら買わなかった身空であるから、この内のどれ
だけを実際に購入するのかは甚だ疑問であるが、物欲や食欲などとともに
やる気のようなものが春になった途端に沸いてくる感覚を今までにない位に
感じ、目下それを味わっているところである。

当然、睡眠欲も地を割るが如き力強さで目覚めてきている。
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本の虫の

2015年03月27日 23時10分04秒 | Weblog
いよいよの来客を前に、掃除機を久し振りに起動させるが、程なく沈黙する。
どうやら熱が溜まり過ぎると自動停止する機能があるらしい。10年ほど
使ってきたが、そのような事は初めて知った。

また、10年も経ったせいか、フィルタの役目をはたしているらしい内部の
スポンジが、劣化によりカステラのようにほろほろと崩れて落ちた。
一応それでも使えない事はないらしいが、いい加減に買い替え時なのかも
知れぬ。

また通販でパーツだけを差し替えたら蘇るというパターンの可能性もあるが。

そのような中で一通り埃を中心に吸いまくっていたら、その中に
カツオブシムシの幼虫を見つける。我が家はかような有様ではあるが、幸か
不幸か虫の類を見かける事はほとんど無い。後は精々紙魚とハエトリグモ、
そしてGの字だけである。
個人的にはGの字だけで十分であるが、ともあれ意外な所から春の訪れを
感じたという話である。もちろん、虫はクモ以外皆殺し。
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流れる河の如し

2015年03月25日 23時09分45秒 | Weblog
今週末にネットサービスの会社を乗り換えがあり、諸々の機器設置の
ために人を招き入れる予定と相成った。

向こうもプロだから、多少の荒れた部屋は慣れっこであろうが、最低限の
礼儀として、ある程度の片付けはしておこうということで、今更のように
部屋の片付けを行う。出したゴミは文字通りの山を成し、個人的には
近年久しく見る、驚くほどの空間をもたらしはしたが、その直後に
それでも一般的な人間の住む家の片付き具合には到底届いていない事に
気付き、ある程度の片付けを成した達成感も手伝って、もうこれで良かろう
という諦念が一気に心を支配した。
つまりは、なるようになればよかろうという心境。

目下の問題は、現在細々と展開している本家のウェブサイトが、現在契約
中のネットサービスの一環であるため、解約時にはおそらく停止される
ということ。なので、かなり近いうちにウェブサイトの引越しを行わねば
ならない。ある程度の目星は立てているが、やはりどうにも面倒くさい。
移転だけならばまだ良いが、それに関連する作業までを考えると、ひとまず
今日はもう寝るかという気持ちになる。

という訳で、大変急ながら、今月中に本家の引越しを行う予定。
…今月って、あと一週間も残っていないじゃあないか。
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2015年03月23日 23時06分06秒 | Weblog
本屋で本を何とはなしに眺めていると、『ネオ○○』という冠が付いている
ものが多い事に気付く。似たような意味合いの『新○○』も沢山あるが、
例えば『ニュー○○』等よりも何やら文学的な印象が強く、にわかに
興味が沸く。

そもそも日本語の『新○○』という冠は、思いの外意味する範囲が広く、
新学期、新入生、新校舎と挙げたその全てで微妙に意味合いが違う。
“新学期”の場合、次の、すぐ目前の未来のものと言う意味合いで、過去の
ものは全く残らない。
“新入生”の場合、全く今までなかったものが、初めて入ってきたり行われ
たりすると言う意味合いとなる。
“新校舎”の場合、過去にあったものに追加、もしくは別の場所にもう一つ
足されたものという意味合いとなり、過去やオリジナルが残っていることも
それなりにあり得る。

かように守備範囲の広い『新』という語であるから、曖昧なそれを避けて
敢えて外国語で似たような語を冠に据えることで、言葉に含まれる意味を
尖らせて、より訴えの強いものにしているのではなかろうかと、勝手に
推測する。
例えば海外の言葉で似たような語としては『ニュー○○』『ネオ○○』
『○○・ノヴァ』『○○・ヌーヴォー』とかであろうか。
これに対しての個人的な感覚を以下に記す。

『ニュー○○』英語における、新しいという意味の語であるが、日本では
宿泊施設についている印象が強い。“別の場所にある”“第二の”という
意味合いが強い感じか。

『ネオ○○』ドイツ語であるが、上に書いたように文芸や演劇などで
用いられる事が多い印象があり、“既存のものを踏襲しつつもまるで
新しい”という意味合いが強いと感じる。『新』と『改』を足して
悪い部分を引いたような印象か。(改だと以前までのものが悪かったり
欠陥があったような印象が残る)

『○○・ノヴァ』ラテン語であるが、英語における“新星”の意も持つ
ことから、“何もないところから突如として現れた”“全く別のものを
祖とする新しいもの”という意味合いを感じる。

『○○・ヌーヴォー』フランス語であるが、ワインの印象が強いせいか、
日本語で言うところの『初○○』に近い印象がある。存在の目新しさでは
なく、あくまでも新鮮さが売りという感じか。

当然これはあくまでも個人的な感覚であり、偏見と独断に満ちたもので
ある事は理解頂きたい。
しかし、漠然としているからか、ハッタリの効きやすいものだからかは
分からないが、他にもこういった言い回しは存在していそうである。

表記上は大体一緒。しかし、言わんとする事はかなり違う。
なかなか面白い。
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分解者

2015年03月22日 22時20分10秒 | Weblog
次の日が空き缶ゴミの回収日ということで、前日深夜に出したそれが
回収を待たずに何者かに回収されるというのは、空き缶に限らず、段ボール
等のいわゆる資源ごみの場合に、ごく当たり前に見られる風景である。

実際の現場をつぶさに観察したわけではなく、明らかに回収にやってきた
という気配を感じるのみであるが、そこで『缶を改めて、しかる後に潰す』
作業を行っているような音が聞こえてきて、違和感を覚える。
単に資源ごみをくすねるのならば、そのまま持って行けばよいはずだからだ。
そこで気になって、少々調べてみると、アルミ缶とスチール缶の回収レート
には大きな隔たりがあるようだった。重量比などを考慮しても、圧倒的に
アルミ缶のほうが割が良い。

一口にリサイクルとは言っても、その内訳には結構な差があり、かような
資源ごみのおこぼれに与っているような立場の人からしても、割に合わない
ものが存外多くあるということが分かった。

或いは単純に回収にあたって、明確な住み分けのようなものがある可能性も
否定は出来ない。ある人は段ボール専門、ある人はアルミ缶専門、ある人は
スチール缶専門、というような具合に。
一時期ペットボトルの蓋を分けてどうのこうのという話があったことを
思い出したのだが、あれなどは相当割に合わない部類であろう。
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懐柔の手管

2015年03月18日 23時29分25秒 | Weblog
トンデモ設定が目白押しとの定評ある『キン肉マン』であるが、単行本を
流して読んでみると、設定の無理さが存外気にならない事に気付く。
作品のもつ勢いがそうさせているのはもちろんであるが、よく見てみると、
とんでもない出来事があった際に作中の人物が驚きこそすれ、誰かしらが
それを知っているという流れになっており、それが読者をして“さも
ありなん”と思わせ得る説得力を生むのではなかろうかと思うに至る。

つまり、作品の中で“既に知られている”物事は、それがたとえどんな
ものであろうとも、十分に起こり得るということである。
架空の書籍から引用したような演出や、ストーリーに全く関係の無い
第三者による証言や、神の声によるナレーションは、詰まる所これの応用と
言えるのではなかろうか。

言うまでも無いが、現実世界では仮に誰かが知っていたとしても、その
程度では万物の法則や理は曲がることはない。無理なものは無理である。

このような、読んでいる側がかなりあっさり騙されてしまう非現実として、
他の例をいくつか考えてみた。
●血が出なければ痛くない。そして死なない。
●恥じらわなければエロくない。性的アピールにもならない。
…何か少し違う気がしないでもないが、じっくり探せば他にも沢山見つかり
そうである。

冷静に考えれば、そんな訳あるかと言いたくなるような事象であっても、
ちょっとした仕込みをするだけで、アラ不思議。

フィクションの世界だけでなく、現実世界でも結構騙されていそうである。
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末端装備

2015年03月16日 23時31分05秒 | Weblog
日曜などの散歩などをするにあたって、簡便さを理由に素足にサンダルと
いういでたちで臨むのであるが、以前から書いているように20分も歩くと
両足の小指の付け根がすれて痛くなる。

他の人はどうか知らないが、履物のデザインは基本人に厳しいとふと思う。
革靴を履けば踵や親指の付け根がダメージを受け、草鞋や草履を履けば
指の間がダメージを受け、サンダルを履けば小指がダメージを受ける。
フォーマルな場で用いるものならまだギリギリ我慢が出来るが、普段履きの
靴や履物でなぜかような苦痛を味わう必要があるのだろうか。

履いているうちに足が固まって慣れてくると言われても、もう数年件の
サンダルを履いているが一向に足が馴染む気配がない。
靴下をはけば若干解消するが、裸足だと20分なのが40分になる程度の
防御力である上に、靴下をはく手間があるのならばその勢いで靴にするので
実質問題ありと言える。

有り体に言って、いわゆるつっかけ式のサンダルはデザイン的には失敗と
いうか、手抜きであろう。あれが活躍しうるのはごく短距離を歩くのが
決まっているような場だけである。つまりトイレや庭限定と言えよう。

クロックスの履物が登場した時は、そのあまりの快適さに感動を覚えた事を
思い出す。早急に買い求めることとしよう。
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○○離れ

2015年03月15日 22時53分47秒 | Weblog
意外と近所に気の利いた本屋がある事に今更気付く。少し気が付きづらい
とはいえ、駅から出てすぐの所で、灯台下暗しの諺を地で行く体たらく
と言えよう。ともあれ、今後も定期的に利用していこうと思う。

また、その近くでペットボトル入りだし汁専用の自販機を見かけ、
『こんなものもあるのか』と驚く。後で調べてみたところ、かなり本格的な
だしのようで、確かに見かけた際に年配の男性がそれをまとめ買いしていた。
少々気になったので、これもマークしておこうと思う。

自販機といえば、近所に100円以下で飲み物を提供するものが急に増えた感
がある。最近に至っては100円を大きく割り込み、最低30円で買えてしまう
自販機まで見られるようになってきた。どういうカラクリかは分からないが、
おそらく在庫処分的なものであろうということで、常飲している缶コーヒー
を調達する際には非常に助かっている。
近所の子供にとっても、僅かな小遣い程度でそれなりの飲み物が買えると
あって、意外な需要があるようだ。

色々なことを踏まえ、何か買い物をする際に、人と直接触れ合わなくなって
いると実感する。そのせいか、たまに慣れないもの(贈答用のお菓子とか)
を買おうとして、しかもその店員が美人のお姉さんだったりすると、どっと
汗をかいてしまうというような不便な体質になったりもする。
かくして、またより一層人を避けるようになる訳である。
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話術

2015年03月12日 23時24分37秒 | Weblog
いきなりではあるが、会議など色々な人が集まって意見を戦わせ、目的に
対してより良い手段を講じたりする、いわゆる議論が出来ない人が多い
気がする。正直人のことなど言えない身空であるが、学校やその他の社会
生活の中で、議論する事を知らず、教わらず、ゆえにそうなりそうな時には
避けたりいなしたりする方向に動いていたため、こんな事になってしまったと
今更のように反省する次第である。

結局そういった議論をせずに、周りがそれを避けてきて今に至ったような
人というのは、もしその人が多くの人を指揮する立場に至った時に、半ば
独裁的な行動をとり改めないという厄介な存在になると考える。

ともあれ、本題としては、そういった議論を運転免許のような教習を経て
身につけさせるくらいのことをしても良いのではないか、と思ったことで、
それこそ車の運転のように、まずはテキストでの講習から入り、シミュ
レータによる訓練を経て、多くの生きた人を相手に実践を行うという所
まで行っても良いのではないか。
もちろん、この手の経験や記憶というのは定期的に行っていないと鈍る
ものであるから、数年に一度講習を受けなおすくらいでもいい。

現場で学ぶものもそれはそれで沢山あるだろうが、往々にしてそういった
ものは個人毎で取得の程度やその認識に大きな差があり、多くの人がある種
一般教養的に身につけていないと話にならないような場では思いの他
大きな障害になり得る。

外部の人間との会合や会談、交渉ではさすがに知識のある人がそれに
臨むであろうが、問題はより小規模な、たとえばチーム内などでの
話し合いである。
砕けた場ではなく、ちゃんとした場における話術というのはことのほか
大事である。という話。
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