ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

余暇と欲

2012年04月30日 23時33分01秒 | Weblog
ようやく重い腰を上げて、街へ買い物に繰り出す。渋っていた割に
多くの収穫があり、甲斐はあったと思った次第です。その中で、ふと
興味がわいて見てみた腕時計コーナーで、『スケルトン機構って男のコ
だよな』と思うに至る。というか、腕時計は妙にごついのが多い。
時間の確認という単純な機能だけなら、最近は携帯電話を流用すれば
ほぼ事足りる(さすがに職場によっては携帯を取り出して時間確認する
行為はまずいだろうが)ので、デザインの二極化が激しいのかも知れない。
ともあれ、そんなぼくは懐中時計の方に惹かれる。

やはり時間的な余裕があると、アレコレ欲しくなってくる。それこそ今まで
目も向けなかったようなものものも含めて。例えばこの他にもRGシャア専用
ザク(ガンプラ)とか。財政が自転車操業状態になって、毎月火の車…
というのも嫌ではあるが、こうして使い道に目をやる余裕もない生活も
それなりにアレである。それにしても、みんな楽しそうだなあ。
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後があるからこその

2012年04月29日 23時48分51秒 | Weblog
連休ということで、いつも以上にのんびりダラダラしているゑのです。
初夏の陽気にまどろんで、ふと気づけば見上げる窓の向こうに月が、
なんて事も。そしてそれを風流と解せる余裕の有り難さよ。

そしていつも以上にきなこ棒の消費の激しいこと。
というか、きなこ棒の美味いことよ。
後にも休日が控えているというだけで、ここまで生活が爛れてよいのか
という問題はさておき、久しぶりの休日を謳歌したいと思います。
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日格差

2012年04月27日 02時54分51秒 | Weblog
暑いのか寒いのか良く分からない季節で、色々と着る服に困る。

厳密には服の数は大したことないので、困っているのは何枚重ねるか、
である。何度か書いたかもしれないが、昼間の陽気に油断して夜に痛い目
というか、歯が鳴り止まないほどの寒さに襲われた事が結構あり、
それに対する教訓として、『寝る時は暑い位を旨とすべし』を得る
きっかけとなった。
アレに空腹が重なったときはこれが『ひもじい』という感覚か、と
半分感動するくらいにどうしようもない気持ちになるので、最近は
夜食をとる事も多いです。太りそうですが。
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気抜け

2012年04月26日 02時03分57秒 | Weblog
連休が近いせいで浮き足立っているのか、曜日の感覚がずれていて困る。
今日などは早くも金曜の気分で、我に返ると色々と恐ろしい気持ちに
襲われる。しかも、それでも折に触れて一日ずれている事を実感するに
つけ、実は結構参っているのではないかと疑心暗鬼に陥る今日この頃です。

なお、休日の予定は無し。
この機会にエロ系の絵を載せるブログでも併設しようかしら。
…でも、本家でも続いていないものが果たして続くのかどうか。そして
休みがちなこのブログに影響が出そうだという不安も。

もうとりあえず寝ます。
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花と記念碑

2012年04月25日 02時13分43秒 | Weblog
また『ビックリマン』が復刻されていた。さすがにもう最近の子供は
買わないであろうという内容と値段に、いい加減に不安を感じる。
わずか程度には豪華さを付加してはいるものの、やはり拭えぬチープさと
もはや見飽きたというレベルの絵と、変に格差を無くしてしまった
ガッカリ感とが折り重なり、『もう駄目だ』と匙を投げた次第です。

思い返す事10年以上前、まだあの時期は復刻にいささかのブーム的な
追い風が吹いており、ビックリマン全盛期に好敵手として名を馳せた
『ドキドキ学園』の復刻は、半ば必然のようだったと記憶しています。

果たして、原版を失ったのではないかと噂されるほどに劣化した絵と、
それ以上に貧相な企画とシールの素材で(値段だけは当時のままだった)、
野の徒花のように終始人知れず散華したそれの方が、―装いばかりを
中途半端に新たにするだけの、美学のかけらもない今のビックリマンよりも
幾分美しかったのではないかと、今更のように思いました。

何事にも伝説的となった何かはあり、多くの人はそれに思いを馳せ、再来を
望むわけですが、その伝説を墓穴からほじくり返して、無闇に華美な服を
着せ、復活したかに装うのを醜悪と言わずに何と言いましょう。

あやかるのは良い。憧れるのも良い。神の如く崇めるのも良い。
それにとらわれて動けなくなるのも悪くはないだろう。
ただ、働きを終え、或いは死んだ伝説は静かに眠らせてやるのが良いと
思ってやみません。
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懐古

2012年04月24日 01時55分50秒 | Weblog
最近、作業中にファミコンの音楽集を聴いていることが増えた。
ほとんどがいわゆる『ピコピコ』音であるが、その程よい単調さと
頭に響く感じが、適度に眠気を覚ましつつ集中に向かわせる効果があるの
かもしれないと思った次第です。スーパーファミコンのゲーム音楽も
よく聴きますが。

懐かしさ補正がかなり働いていることも自覚済み。ただ、一タイトル毎の
曲数が少ないのがやや不満。最大でも4メガとかそこらでやりくりしていた
時代のものであるのだから、無理もない話ではあるが。

それにしても、かなりマイナーなゲームの曲であっても、ちょっと調べる
だけで全曲出てくるのは、実に良い時代になったものだなあと思いました。
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続ける副産物

2012年04月22日 23時48分37秒 | Weblog
いつもの休日という事で、目一杯(仕事の事を一切考えずに)休む。

気の向くままエロ絵を描き、腹が減ればコンビニに買出しに行き、
力尽きれば即座に寝る。傍から見ると実にアレであるが、本人としては
それなりに有意義であったりする。精々の不満といえば腕や肩周りが
すぐ疲れるという体力の無さと、なかなかそそる所まで行き着かない
エロ絵の完成度くらいである。

もう少し早く描ける方法を身につけて、回転を上げないと、望む域に
達するまでに体がもたない。こうやって言うと、実に深刻だ。

溜まっている神羅万象チョコのコード入力も、そろそろ片付けてしまいたい。
相変わらず、二箱では全然揃わなかった。また一日五個くらいの割合で
増えていく日々が始まるのである。
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古びたセロテープ

2012年04月20日 02時24分06秒 | Weblog
朝起きたら、左足の小指の付け根あたりに金属的な痛みがあった。
実際の所、それ以前から変な角度でそこに体重を乗せるとギリリと痛む
事はあり、それがやや顕在化したような感じである。

痛みを発する角度が広がったものの、強めの圧力をかけないと発生しない
上に、普通に歩行や日常の生活に支障を来すこともなさそうだったので、
しばらく静観することにする。無論、骨が逝っているという事もない。
  はずである。

靴底の減りの早さが異常だとか、その減り具合も割と普通ではないので、
身に覚えは十分にある状態ではあるが、出来る事と言えば、靴を変える
程度であろう。
とにかく問題は、こうやって自分の体から自分の体が剥がれていくような
何とも言えない感覚。使っている場所がひどく限られているので、仕方が
ないと言えばそうなるが。
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黴生す身の

2012年04月19日 02時42分16秒 | Weblog
迂闊にもコンビニの受け取り番号を間違え、期せずして受け取りが
延期になったゑのです。

先日、昼休みに久し振りの外を出歩いたのですが、思えば結構な年数
こうして昼間の界隈を歩くという経験をしておらず、一日のほとんどが
コンクリの塊の中で昼も夜もない蛍光灯生活とくれば、心にカビが生える
のもむべなりと思った次第です。
とは言え、未だに心のカビを根治する術を得ることかなわず、こうして
今日も何かを腐らせている体たらく。

いずれはいいカビが付いたとか、この湧いた地虫の具合が通好みのオツな
味わいだね、とか言われたりするのだろうか。そうなって欲しいもの
ではあるが、色々とどうなのだろう。
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人を満たすもの

2012年04月18日 01時08分32秒 | Weblog
冬の装いで床に就けば暑くてかなわず、さりとてそのままで寝ると
寒くて風邪を引きそうになる、難儀な春の夜でございます。

先日より、というか定番の神羅万象チョコのホログラムっぽいカードを
首尾よく手に入れる事が出来、改めてホログラムという素材が、個人的
ではあるものの、心のどこかを掴んで離さない魅力があると感じた次第
です。とは言え、ほぼ同じような事を『ビックリマン ホロセレクション』
が出た時に言っていたと思う。

そんな魅力か魔力かというものではあるが、当然ながら他人にとっても
そうであるはずなどはなく、改めて考えてみると結局のところ、幼少期の
(得ようにも得られなかった)思い出なりが強く作用しているだけで、
落とした宝物を拾って拾いまくっているような状態である事に気付く。

落とした、というと厳密には語弊があり、正しくは何かしらの理由で
拾えなかったものであるが、実は今も拾えないものは何かしらあるのだと
思う。そして、ある日拾えなかったものの存在と拾う方法に気付き、
まるで取り返そうとするかのように、かき集めるのだ。それこそ死ぬまで。

それを或いは、証を求めると言うのかも知れぬ。
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