ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

霞か霧か

2014年02月27日 02時15分14秒 | Weblog
ここのところ急速に暖かくなり、春のような雰囲気が大阪では漂いつつある。
黄色い霞がかったような午前中の景色や、少し蒸した感じの夜の感覚は
いかにも春を予感させるものであろう。

しかし、かように微温い環境か、あるいはそれの訪れが急なせいか、
どうにも頭が冴えず、ぼんやりするばかりである。思考をしても、うまく
まとまらずに霧散したり、まとまったとしてもすぐに忘れてしまう。
一過性のものであると願ってやまない。個人的に調子の良くなる五月くらい
までには立て直したいところである。本当はもっと早いほうがいいが。
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チョコに飽きたらチョコを食え

2014年02月26日 02時35分27秒 | Weblog
『神羅万象チョコ』が10周年というかどで、ベストセレクションのような
ものを出している。内容は人気投票で上位の30枚(30キャラではない)を
全てキラカードで、お値段は1.5倍にて仕るというものである。

値段はこの際置いておくとして、全てがキラ仕様というのは存外残念な
ものであり、喩えるならば着エロ専門の人が突然ヌード解禁した時の
ような、何とも言えない贅沢な残念さである。
ただ、包装やお菓子(本体)が値段相応とはいかないまでも、少々豪華な
仕様になっていればそこまででもなかったのかも知れない。

その昔、ビックリマンで過去のホログラムシール+αを復刻した時、
お菓子はいつもと変わらなかったが、個別に包装されており、それだけでも
結構な特別感はあった。何より後処理(他人に配布)が楽であるのが大きい。

一応お菓子が本体である上に、ファンサービスのアイテムなのだから、
この機会に少し冒険してみて欲しかった。流石に10年味が変わらず、
変わったのはサイズだけというのはつらい。

ちなみにビックリマンもお菓子が変わっていないと思われがちであるが、
チョコに混ざっているものがピーナッツ→アーモンド→クッキークランチ
という地味な変遷を遂げていたりする。あまり見習って欲しくない所の
多いビックリマンシリーズであるが、ここだけは見習って欲しい。

と言うか『北斗のマン』って何だアレは。
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生存≠勝利

2014年02月25日 02時27分36秒 | Weblog
自宅PCに入れてあるウイルス対策ソフトの期限が迫ってくる。
思えばここ数年、二大巨頭というべき二社のソフトを交互に使っている。

そして今回購入したのは『優待版』の名を冠する方だったのだが、迂闊にも
前に入れていたのは別の会社の方であったため、優待版の効果なし=
すわ返品かという事態に陥る。
しかし、落ち着いて調べてみると、件の優待版は別に同社のものでなくても、
有償のウイルス対策ソフトであれば効果を発揮できるそうで、一安心する。
言ってみれば『とにかくウチを使ってえな。安うしときまっせ』という
ことなのだろう。

それにしても、無料のものなどの台頭があったり、競争の激しいであろう
かの業界で生き残るためとは言え、随分と大胆な戦略に出たものだと
感心する。と同時に恐ろしい気持ちにもなる。
前にも同じようなことを書いたが、正直目に見えたり、身に降りかかる
ような害がないだけで、ウイルス対策ソフトはウイルスそのものよりも
タチが悪い存在に思えてならない。

人間にも同じようなことが当てはまらないだろうか、と深く考えてみると
思い当たる節がいくつか出てくる。

病んでいないということは、どこまでが健康である、といえることなのか。
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彼らはどこへ行ったのか

2014年02月23日 23時34分46秒 | Weblog
久し振りに街へ買い物へ行く。屋外は寒いが屋内だと暑く感じるという、
つまりは春に近づいたという実感があった。もうじき二月も終わりである。

世間ではPS4が店に並んでおり、世界的に見ても後発とも言えるほど、
遅くの発売であったのだが、見た限りそこまでの話題にはなっていない
ようであった。実際のソフトのラインナップを見ても、即欲しいと思わせる
ようなものはまだなかった。
それにしても『ゲーム』というものは、この何年かの間で随分変わった
ように思える。PS3からそうであったが、いわゆる据え置き機はWiiを
最後にコアなゲームファン以外の人達の手を離れてしまったのではないか。

近所のゲーム屋も、思えば客層は10代未満~10代前半、そして間がかなり
空いて、20代後半以降が主となっているように見え、随分偏っている。
そして前者はDSなどの携帯機にばかり群がっている。つまり、昔ながらの
ゲームというべき、据え置き機のゲームを買う層は非常に少なくなっている
という事が言える。個人的には、ゲームは時間のかかる娯楽、という認識で
それゆえに殆ど触らなくなったのだが、他の若い世代はどうなのだろうか。

大作が増え、大人向けになり、マニアックで共感しづらい内容のものが
増え、値段も上がり敷居が高くなって手が出せなくなったという事も
ありそうではあるが、本当のところはどうなのだろう。
ゲーム以上に楽しい何かに没頭しているのか、それとも…。
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乱れる暴走車

2014年02月21日 02時06分47秒 | Weblog
乱れて定まらない環境下にあって、突き進むにしても踏ん張るにしても、
そこで必要となる力こそが、個人における“正義”の正体なのではないかと
ふと思う。その力がなければ流されるだけであるが、共有もでき、バスの
ように乗ることもできる。

正義と言いながら、それらはただの力でしかなく、正しくも邪でも、
良くも悪くもない。使い方、関わり方、使われ方、関わられ方次第である。

個人的にその力はより具体的には『馬力』とでもいうべきもので、バイクや
車のような乗り物の力という印象が強い。その心は、より強い力を発揮する
と、すぐには止まれず、曲がれないという点が似ていると思ったからである。

ともあれ、全方位に働く馬力はない。つまり万能の正義も存在しないという
ことであろう。
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見えているだけ

2014年02月19日 02時02分45秒 | Weblog
以前にも似たような話をしたことがあったと思うが、『知っている』という
ことは、明かりを持っているようなものである。その明かりは、
ある程度示し合わせておけば、他人と共有することもできる。
世界は『先が見えず、隣も、足元も見えない暗闇』であることを前提と
すれば、その明かりは生きていくために手放してはならないものであろう。

しかし、その明かりも強すぎれば却って実態を見えなくさせ、時には
見えるだけで本当に存在すると思い込んでしまったり、明かりをつけ過ぎて
不安に駆られ眠れなくなってしまったり、そして見えないものや、限りの
ないものは照らせなかったりする。

最近では巧妙な『特定の部分だけを照らす明かりのようなもの』を
つかまされてしまうことも多く、寄る辺となるその手の明かりこそを
まずは疑うべし、というような状態になっている。

ただ、たとえ暗闇の中であったとしても、自分の触ったものは確かであろう。
それこそが、先日の話題でも触れた『経験』なのではないか、と思う。
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ゲームのようにはいかない

2014年02月18日 01時48分47秒 | Weblog
今読んでいる本(漫画ではない)は、まだ読み始めたばかりではあるが、
冒頭から『情熱とやる気があって、今実際に行動している人はこれを読む
必要はない(大意)』というような内容が書かれており、中々に熱い感じで
続きを読むのが楽しみになっている。

その他にも、凡その表現者は何かしらのコンプレックスが創作意欲の根本に
あり、それを自身の経験に乗せ、切り売りする形で世に示すものである、
というようなことも書かれており、実にむべなりと思う。

最近何かしら描く気のようなものが薄れてきていると、個人的に感じて
いたが、それの原因が経験値切れなのではないかと、そこから思い至る。
これまで、知識のようなものはそれなりにかき集めてきたが、それらには
肉も骨も血も無い。つまりは実を伴わず、経験に裏打ちされていない
ものである。

思い当たる限り、五年位前から経験値が増えていない。
燃料が尽きるのも無理からぬ話である。
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備忘録

2014年02月16日 23時42分54秒 | Weblog
気を抜いていたら、かなり間を空けてしまっていた。
週末は大阪でも例年以上の雪が降ったが、特に問題になることはなく、
個人的に怪我などをすることもなく、至って無事に済んでいる。

それはさておき、Pixivなどで時々出てくる『○○の描き方』シリーズで、
何となく自分でもそう思っていたものが出てきたとき、言いようのない
悔しさのような気持ちがこみ上げてくる。
思っていたとしても形にできるかどうかが問題であるので、かような感覚は
身の程知らずであるのだが、とりあえず先を越されないうちに、そういった
コツのようなものはまとめておくべきだ、と思った。

うまくまとめられるかどうかは分からないが、うまくまとめるのは後から
でも何とかなるだろう。
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反復と加速と変化

2014年02月13日 02時28分29秒 | Weblog
絵の修練の方法の一つに『クロッキー』というものがある。

これは短時間でポーズをとった人を描いていくもので、予備校の頃に行った
ものは初めは30分1ポーズ、次に10分、5分、3分…とどんどん加速し、
最終的には30秒になるという、美術系予備校絵画科名物とでもいうべき
荒行である。

もちろんポーズを取る側も大変なので、各ポーズの間には数分の休みが
入るのだが、それでもどんどん加速してくると、色々な雑念が払われて、
何だかもうよく分からない境地に至ってくる。
とは言え、そんなに数を経験した訳でもないので、あまり確かなことが
言えないのが悲しいところである。

なぜ今頃かようなことを思い出したのかというと、エロ動画を観ながら、
気になったカットで止めて、スケッチするというようなことを繰り返して
いた時に上に書いたような、クロッキーをしていた時の気持ちが少し
蘇ってきたからである。
とりあえずエロい気持ちが霧散するのは保証しよう。

あとは人のポースがたくさん載っている本を、丸々一冊見て写した時も
似たような気持ちになった。
ただ、この手の練習法は生きた人間を前にして描かないと、往々にして
ただの作業になる(変な慣れが生まれる)ので、写真や動画を止めて描く
という事は、単純に上手くなる方法とは言えない。
※デフォルメのかけ方を検討するには向いていると思われる。

ともあれ、たとえその場で静止している人であっても、時間的、空間的な
“前後”が存在する環境で描くのは、得られるものが全然違う。
…と最後はまともに締めくくってみる。最近ライブで人を描いてないなあ。
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休日と健康

2014年02月12日 02時52分15秒 | Weblog
折角の祝日という事であるが、少し買い物に行っただけで熱っぽくなり、
あとは寝るに任せるという日を送る。最近は、寒さについて、気温が
低いのか、体調が悪いのか、あくまで体感的なものなのかよく分からなく
なってきている。

頭痛はカフェインを摂れば大体収まるし、寒気も温かいものを飲み、
ある程度腹が満ちれば回復するし、しかし腹はすぐに痛くなるしで、
実によく分からない。言うなれば健康のストライクゾーンのようなものが
狭まったのかも知れぬ。
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