ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

ただの思いつきのようだ

2015年06月29日 23時08分02秒 | Weblog
いわゆるハーレムもののラブコメで、後半ありがちな陰鬱な展開を避けて
きれいに終わらせる方法について、“ほのめかすだけ”という切り口はどうか
と思うに至る。

具体的には、『タッチ』の最終話や志村貴子の諸作品のように、全てが終わった
後の世界を断片的に追っていくような、過程も結果も描かずに周囲の反応や感想を
輪郭として、結末を匂わせるスタイルである。
これならば複数のヒロイン各々についているファンも、それぞれがそれぞれに
とって最良と思える物語を銘々構築すればよく、誰も傷つかない。はずである。
往々にして決断を先延ばしにしてヘタレの称号を授かる主人公も、一応の男気を
維持したまま物語を収束でき、ファンからの非難を浴びることは最小限に抑える
ことができるであろう。

と、ここまで書いてみたものの、実際にそういった作品を好んだ時分にこの結末を
提示されたらどう思うだろうかと想像してみたが、“多分ぶん投げる”という
答えが導き出されるに至った。
ラブコメで主人公が煩悶と懊悩の末に一人だけヒロインを選ぶという展開は、
主人公に精神的成長が見られる場合に関しては、個人的に好みの結末であるから、
先に書いたような日和見的な結末に納得がいかないのも無理のない話ではある。

だからといって主人公が全員から振られたり、主人公やヒロインが不慮の事故で
死んだり、女性に興味がなくなってしまったり、全員と今まで通りお付き合いする
というような展開はなお悪い。

おそらく本当は誰か一人を選び、他の女の子を切り捨てるという過酷な行為を
しっかりと描きつつも、読み手をしていやな気持ちにさせないようにするのが
一番なのだろうが、相当な語り手の巧さが求められよう。

そう言えば、最近ラブコメ読んでない。
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価値と行動

2015年06月28日 22時14分54秒 | Weblog
近所の古本屋のカード売場にて、少年とその祖母と思しき人が中古の
カードを巡って談判を行っているのを見る。
中古のカードやらフィギュアを取り扱っている店は、随分昔から存在するが、
個人的には子供が訪れる所ではないように感じている。それはゲームや漫画の
中古と違い、元値よりも高いものがほとんどであるからである。

需要と供給の仕組みであったり、それに伴う“ものの価値”についての認識が
甘かったり無かったりする彼らに、プレミア価格が標準の中古カードの世界は
いささか早すぎ、例えるならば英雄的願望と僅かばかりの訓練のみで戦場に
駆り出される少年兵を見るような思いに駆られる。

かようなカード売場にて、大人でも躊躇するような価格のそれらを、ショーケース
越しに熱いまなざしを注ぎ、同伴の母や祖母などに『これは安いよ』などと
説明しているのを見ると、何ということだという嘆息とともに、かようなものを
用意してしまった大人としての罪悪感のようなものに心が重くなる。

先の談判の場は、端で聞いていた限り一枚3~4千円(元値は百円程度と思われる)
のそれを、3~4ヶ月分の小遣い+己へ与えられる報償と引き替えに手にするような
交渉を行っていたようであった。
大人になった身空からすれば、かように刹那的、泡沫的なものに対してその
価格はそもそもが高すぎ、親からすれば他の有意義なものを手にするきっかけとも
言える、小遣いというチャンスを捨てるというのはリスクの高い選択でもある。

子供に親がものを買い与えるのは、子の利益になると親が判断した時であるから、
こういった場合、軽率な条件を出したことを後悔させ、世の中のものの価値に
ついて考える機会を得るといった、いわゆる授業料として、買い与えるという
選択肢は可能性を強めるだろう。

ただ、それはあくまでも周囲の人間がしっかりとそれを説き、相手もそれを理解
した場合の話である。その場合、“授業”を行うのは、その少年の母であって、
この老婦人ではないから、なおさら判断は難しかろう。
さりとてそれら事情を現場で説明するには時が足りまい。

とりあえずこの一連のやりとりは敢えて最後まで見届けなかった。
かような場面において、己ならば何と言って少年を説得するだろう、と考え
たかったからである。
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テキトーが適当

2015年06月25日 23時33分37秒 | Weblog
ウェブ通販の受け取りをコンビニで行った際に、サインを記す必要があるので
あるが、そこで店員におもむろに渡された筆記具は『消せるボールペン』で
あった。
さすがの世間知らずの身空でも、それをちゃんとした書類に供することは
出来ないことくらいは知っている。想像以上にあっさりと、他愛ないと感じる
ようなことでも書いた文字が消えてしまうことも知っている。
しかし、それでもしっかり配送完了の通知は来るので、かように信のおけない
道具を用いたとしても実は問題はなかったのである。

おそらくは酒類を購入する際に行われる、年齢の認証と同じようなもので、
本人が自発的にその意を示すことが重要であり、過程や手段などはどうでもよい
のであろうと思われる。なので、多分醤油で書いても、水で書いても、おおよそ
筆記に適していないものであっても、本人が受け取りを認めたという意志を
然るべき場所に示せば大丈夫ということが予想される。

しかし、件の消せるボールペン、便利なのはよく分かるのだが、上でも書いた
ように意図しない事故で消えることが多いので、個人的には能動的に消そうと
思わなければ案外消えない鉛筆よりもさらに数段信頼度が落ちる。

ともあれ、悪意の存在を鑑みれば不安も生じようが、かように大雑把でおおらか
な事態が許容される状況を大変に居心地よく感じる次第である。
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天からの贈り物的な

2015年06月23日 22時50分18秒 | Weblog
『キン肉マン』に登場する、四次元殺法コンビをもじって、無次元殺法コンビ:
ブ●ックホール(貫通式)、ペ●タゴン(非貫通式)という、文字通り
どうしようもないネタが突然仕事中に降って沸いたが、本当にどうしようもない
ので、ここに記すこととする。

さておき、この手の突然降り注ぐアイデアや閃きというものは、実に予測が
出来ないもので、その内容や質、ジャンルなどはほとんどランダムに近い。
ただ、くだらないものもあるのならば、反面非常に優れたものもあるはずで、
世界のどこかで想像を絶するような素晴らしいアイデアが、誰かの頭の上に
降ってきている可能性もある。

少し前までであれば、そういったアイデアは他人にほとんど伝わらず、しかも
それを留めておく術もなく、勿体ないと思われることすらなく揮発してしまった
であろうが、今はその場の思いつきレベルのことを一瞬で世界万人に発信でき、
記録としてもかなりしっかり残るようになった。

さすがに学者やその道の権威にはかなわないが、数億分の一の確率でも当たれば
良かろうという、素人ならではの強みもある。
素手が銃よりも強いというような、ただの漫画的なロマンなのかも知れないが、
個人が隠し持っているような何かに対して、どうにも期待が沸いて仕方がない。

何かすごいのが出てはこないものだろうか。
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アイテムの使用タイミング

2015年06月21日 23時02分42秒 | Weblog
ひょんなことから入手するに至った、災害などの緊急時用の食料を試してみる。
基本的には缶詰にレトルトパックといった、軍用糧秣のようなラインナップで
あるが、目玉と言えるのは生石灰の反応を利用した温め機能が付いている所で
ある。
某漫画でネタにされていた、ジェット某とおそらく同じ仕組みで、果たして瞬時に
もの凄い熱と蒸気が沸き上がり、これでガスも飲料水も火気もないような
緊急時の熱源とするのかと感心する。

数刻おいて、部屋のガス漏れ報知器がけたたましく鳴り始める。
かようなことは初めてであったため、まずは停止させる操作を試みようとするが、
当然そんなものはなく、回せる換気扇を全て回し、蒸気を発する源を風呂場へ
移し、とにかく換気を出来るだけ行った結果、警報は停止した。

かの食料の注意書きには、同時にわずかな量の水素ガスが発生する旨があり、
おそらくそれに反応したのだと思われた。ついでに我が家のガス漏れ報知器は
比較的密集地帯に設置されていたために、発生した気体がこもりやすかったの
であろう。本来災害時用のものであるから、屋外や風穴の空いた家屋で使用
されたり、そもそもガス報知器などと言った平和極まるアイテムなど無い状態で
使用される想定なのだろう。

いずれにしても、予想だにしないトラブルの発生で、ひどく汗をかいたが、
いい経験になった。上記の某漫画でも、使用時にトラブルを起こしていたが、
図らずもこちらも予想外のトラブルを招いた。例えば冬場などで、水もガスも
電気も安全地帯もない環境下でかような温かい食糧にありつける安心感は
筆舌に尽くしがたいだろうと思われ、非常時においてはまさに生命線といえる
存在であろう。ただ、平時においてはやや持て余し気味というか、やりすぎに
なってしまう感がある。大事の前の小事ということであろう。

そう考えると、いかにその“平時”がデリケートなものの上に成り立っている
のか、少しばかり感じられたような気がした。
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年男

2015年06月20日 23時21分12秒 | Weblog
そういえば36歳になっていた。ゲームや漫画の登場人物であれば物語の途中で
死んだり、主人公連中の若さに蹂躙されたり、能力値の上昇が貧相だったり
するような、そんなお年頃。

なので、いきおい祝われてももはやさして嬉しくないという状態。
肉体的な衰えであったり、世の中の発展などを感じるにつけ、時が進んだことは
分かるのであるが、いかんせん精神的、感覚的な部分が付いてきていないために、
己の年齢に対しての実感が乖離しているのである。

よく言えば自由を謳歌しており、悪く言えば大人としての社会的責任を果たせて
いないとも言えよう。もっとも、その辺りの危機感は薄く、どちらかというと
何も残さずに、気が付かないうちにあっさりと朽ち果ててしまうことへの恐怖の
方が大きい。
老後の楽しみとして部屋に大量にため込まれたプラモデルや、買うだけ買って
未だ2割程度しか整理できていない神羅万象のカードであるとか、そういうもの
が死ぬまでそのままになるのかも知れないという不安が、どんどん現実味を
濃くしていく。そして、『気が向いたらやるか』と思って、それから過ぎていく
時間の早さが年々加速していくことも、その不安を助長している。

そろそろ仕事している場合ではない…と言いたいが、生きていく為に仕事は
抜けられない。大丈夫なのか。
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そういう食べ物

2015年06月17日 23時21分37秒 | Weblog
つけ麺という食べ物がある。ざるそばのように汁と麺が別になっている
ラーメンで、しかしざるそばのようには冷たくない仕様であることは多分
誰もが知っていることであろうが、それを初めて食べたのは実は結構最近のこと
である。

そんなつけ麺であるが、腑に落ちない点がある。
先に述べたように基本温かい汁で供されるそれであるが、反して麺は
冷たく、食べているうちに汁がぬるくなっていくのである。
往々にしてつけ麺の汁は味が濃く、いきおい脂分も多いので、ぬるくなって
(冷めて)くると、熱かったときよりは美味しく頂けない感じがする。

好意的に受け止めれば、時間を経る毎に変化する味を楽しめる、と言えなく
もないが、脂っこい汁がぬるくなってくると食欲に歯止めがかかり、有り体に
言って軽い食傷状態を引き起こすので、うまくいっているとは考えにくい。

なので、汁は麺と一緒に定量で供される仕様にではなく、保温ポットなどに入れ、
適宜適量を器に取った麺にかけて食するようにすれば良いのではないかと思う。
そうすれば汁の冷める速度は大幅に緩和されるであろう。食器は増えるが。

もっとも、ラーメンは通常の汁の中に麺が浸かっているスタイルが結局は一番。
あとは変わり種として、冷やし中華や冷製つけ麺があればひとまずは十分。
色々な形式のラーメンが、流行っては廃れていくのを見つめていくのもまた
楽しいものではあるが。

と、カップメンばかり食べている人間が書いても、さしたる説得力はあるまい。
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面倒の対価

2015年06月15日 23時35分41秒 | Weblog
もうそろそろ新色が出ているかなと、油絵の具のページを見てみたら、丁度
先月に新色がリリースされたとあり、こんなこともあるものかと思う。

東京から越してくる際に、かつて使っていたアナログの画材も持ち込んだが、
せいぜいアクリル絵の具を少々使った程度で、油絵の具は結局今も戸の奥に
眠ったままである。画材としての油絵の具は非常に好きであるが、現在は
画材オタクとしてその好意を向けているだけの状態で、今では多分まともに
扱うことすら叶わないだろうと思う。

使ってみると分かるが、油絵の具という画材は想像以上に癖のある画材である。
例えば等量の白と黒の絵の具を混ぜても中間のグレーは出来ないというように、
混色時の強さのようなものがマスクパラメータ的に存在する。その上黒だけでも
微妙な赤っぽい黒、青っぽい黒というような異なるものが複数存在し、
それぞれの強さも違い、ついでに生産している絵の具ブランドによっても
それらの特性が結構違うという、素人泣かせの画材でもある。
さらに油絵の具には透明性というパラメータもあり、混色時や重ね塗りする時に
その特性の差が大きく表現を左右する。

詰まるところ『習うより慣れろ』を地でいくもので、実際に数をこなして感覚で
覚えていく他無いものであった。唯一の救いとしては、油絵の具は乾燥前と
乾燥後とで色の変化がほぼ無いという所であろうか。
アクリル系の絵の具の場合、ベースが牛乳のような白濁液で、それが乾燥すると
透明化するために色が結構濃くなる特性があり、これを考慮しなければならない。

デジタル系のお絵かきツールで、絵の具の伸び具合とか混色の感じなどを
シミュレートしたものがあるが、色の透明性や混色時の強さといったメーカー
毎の特性、あるいは乾燥時に色が濃くなる現象などを逐一考慮、網羅したものは
さすがに見たことがない。
あったらあったでおそらく不便と感じるだけであろうが。

考えるまでもなく、デジタル画材の便利さの偉大なことよ。
考慮すべきはキャリブレーションと印刷時の色設定程度で良いのだから。
もちろん、アナログでなければ絶対に表現できないことも山ほどあるので、
アナログが廃れることはないだろう。
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足元と口元

2015年06月14日 22時11分42秒 | Weblog
文(言葉)とファッション(服)というものは少し似ているのではないかと
ふと思う。いささか突飛な話ではあるが、ある特定の状況下では決められた
型に則ることが作法とされるあたりや、“この場所や流れにはこれ”というような
定番的なものが用意されているあたりや、ごく基本的な構成はほとんど
変わらないが、端々の部分や素材において各時代毎で求められるものが反映
されるあたりなど、突き詰めていくと相似点がそれなりに見いだせる。

基本的構成、文でいえば主語と述語の関係性、服でいえば人間の体を覆うために
必然的に生まれる構造(例えば袖が3つある上着など存在するまい)がそれに
当たるが、個人的に興味深いのはその上に乗る、文でいえば修辞、服でいえば
アクセサリや装飾的要素における関連性である。

例えば所謂『中二的』と評される、カッコつけを覚えたばかりの世代が、無闇
やたらと小難しかったり変に詩的な表現を用いたりするのと、やはりその世代
がひどく奇抜なファッションに染まるという点は、類似性を強く感じさせよう。
後になって冷静に考えてみると往々にして恥ずかしくなるそれは、本来
据えられるべきものが本来据えられるべきではない場所に付いていたり、
もの自体がすでにおかしかったりという要素に分解できる。

それはライトノベルの文と作中キャラの格好が好例で、普段使わないような
文に、普段見かけないようなキャラが乗っているので、その中では非常に
バランスが取れていると言えるが、それを現実世界に持ち出したら、文にせよ
服にせよ文法が一致しないので浮くこと必至である。

色々書いたが、重要なのはいずれも“正装”のようなものについての知識を
持っておくことと、突飛なセンスに染まりすぎないと言うことであろう。
日常生活をおくる上では普段着的なものをおさえておけば問題はないが、
上記のようにその生活の上にあっても、必ず正装を求められる場面というのは
発生し、その時に着る服がなくて自己流センス丸出しの自称美しい服を
持ち出しても、物笑いの種になるどころか、先方の怒りを買うだけである。

どうしても正式な場に出て行くための服がない場合、潔く断るのが良いだろう。
断りの口上程度であれば、少し調べるだけで調達できよう。
あとはもう、余計なことは喋らない。 付け焼き刃はすぐにボロが出る。
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復活の算段

2015年06月13日 23時14分30秒 | Weblog
色々と検討した結果、壊れたPCの代替機はデスクトップ型のものにすることとした。

立ち上げが早く、取り回しの良いタブレットPC、もしくはノートPCでは、現在
持っているソフトウェアや、ツールを引き継ぐために色々と機材を増やさねばならな
かったり、拡張性や問題発生時の対処が面倒という理由があった為である。

あとは値段の問題もあり、例えば件のタブレットPCはミドルスペックのもので
大体20万、故障したPCのハードディスクからデータを転送するための機材や、
ソフトを読ませるための光学ドライブなどを追加するとさらに高くつく。
これならば、普通のPCを10万程度で買って、液晶タブレットを10万程度で購入
すれば、概ねやりたいことは同じになる。

我が家はまだクラウド化であるとか、ソフトウェアのインストールをウェブ
経由で行うというようなハイテク仕様に対応できておらず、PCの故障も部分的
(という予想)であるため、旧来の資産をなるべく継続利用できる方が、
思い切って未知のツールに挑むという冒険よりも良かろうと踏んだ次第である。

しかし、今回の件で、マザーボードやメモリが死んだような状態のPCに対して、
タブレットPCでそこを補って駆動させることが出来るのではなかろうかと
思ったのであるが、ウェブで調べてもそんな酔狂かつ限定的な事例に対しての
方法は書かれていなかった。出来そうな気がしなくもないが、どうなのだろうか。

ともあれ、ひとまず方針は固まった。諸々の実機が届くのは少し後になる
だろうが、何とか立て直したい。
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