ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

そこに理由はない、が

2013年02月28日 01時26分30秒 | Weblog
まだ途中段階の考察であるが『求める異性のタイプ』というものには、
ある程度の傾向があるような気がする。
その傾向を決めるのが、異性側の親、兄弟、そして10~15歳の間の環境
ではないかと考える。例えば男性であれば、異性側の親は母親ということに
なり、これの影響は感覚的に10%くらいだと考える。つまり、求める異性の
タイプの影には、父親なり母親の姿があるということである。

次に兄弟の存在。毎日起居を共にしているならば、いとこでもいい。
この場合は兄弟と逆、もしくは別のタイプが求める異性の姿に投影される。
これの影響はおそらく50%くらいではないだろうかと考える。

家庭環境や家族構成というものは、異性の好みにかなりの影響を与えて
おり、ある程度家族構成や、それぞれの性格を把握していたならば、
およそ6割位の精度で、好みを割り出すことができることになる。

では、残りはというと、10~15歳の間の環境であるが、ほとんどの場合
学校での人間関係やそこからの派生になる。クラスメイト、先輩、教師、
趣味、話題、クラブ活動、学級行事などなど、はっきり言ってほとんど
不確定要素であって、どちらにどう転ぶか分からないものである。
特殊な嗜好や、求める異性に対しての“注文”のようなものは、大体ここで
醸成されていると考えており、言っても四割は占めているので、ここで
好みが大きく化学変化を起こすことも十分にあり得る。

ここまで仮定してみて、父親や母親の面影が、異性の好みに投影されると
いうのは、そこまで珍しいことではないということに気がつく。
そして、漫画やアニメでよくある『兄妹間での恋愛感情』というものが、
どれほど異常事態であるかという事にも気付く。
兄妹での恋愛感情というものが、一体どう言うきっかけと仕組みで
育っていくものなのか、個人的には全く想像がつかない。

ファンタジーのテーマとしてはむしろ好むところではあり、今回の
考察もこれに端を発する訳なのだが、肝心要の部分がよく分からない。
思いつく限りでは、10~15歳の期間には顔を合わせておらず、ある程度
歳をとった段階で出会った場合か、その手の物語や漫画に憧れ過ぎて
自己暗示をかけてしまった、とかその程度。

実際の所はどうなのだろうか。
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過ぎる冬、変わらぬ寒さ

2013年02月27日 00時59分43秒 | Weblog
朝の通勤電車で、参考書を片手にした学生を目にし、受験の季節である
ことを知る。どことなく春の予感を漂わせる、しかし何か寂しげな、
この季節の印象が固まったのは、高校三年の時である。

それ以前は、ほとんど印象にも残らないような、寒さが厳しいというだけの
季節であったが、受験や卒業の準備というイベントを経て、寂しげな
イメージを獲得するに至った。

前にも何回か書いたかも知れないが、この街に初めて来たのも、丁度
この時期。世の中も、自身を取り巻く環境も驚く程大きく変わったが、
この寒さと、漂う雰囲気は何ら変わるところがない。
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心と体の三分間

2013年02月26日 01時28分32秒 | Weblog
小腹が減ったので、丁度コンビニにあった手頃な『一分でできるカップ麺』
的なものを購入し、食す。夜食としては色々と申し分なかったのだが、
一分という時間は思いの外短く、やや急かされる感があった。
そして、一分で出来上がってしまうため、入れたお湯がかなり熱い。
我が家には電気ポットなどという気の利いたものは存在しないため、
お湯と言えば煮えたものか、風呂に張る程度の温度のものしかない。
ともかく、温度低下の早い冬ですらこれなのだから、夏にはどうなるのか、
考えるだけでも少し恐ろしい。

そう言えば、カップ麺を嗜んで初期の頃は、出来上がりの熱さが
耐えられずに、氷を一つ入れて食べていたことがあった。もしかしたら、
それが答えなのかも知れないが、我が家には(以下略)。

それにしても、あの頃はカップ麺の出来上がる3分間すら長く感じたもの
だが、今では気を抜くと10分くらいはすぐに経ってしまう。
その当時であれば、一分は適当な時間だったのかも知れないが(氷も
あったし)、客観的な時間はどうあれ、主観的には飯はゆっくり頂きたい。
たとえそれが夜食であっても、おやつであっても。

…最近は食べる話ばかりである。
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食とかのバランス

2013年02月24日 23時40分04秒 | Weblog
もう三度目にもなる、件の蕎麦屋での夕餉。一瞬雪がちらつくくらいの
寒さだったが、それでも懲りずにもりそばを頂く。何だかんだ言って、
これが一番しっくりくると再確認。

しかし、改めて考えてみると、炭水化物しか摂取できていない。
どこかで野菜や肉を補充しなければ。
特に一人暮らしをするようになってから、意識しないとどちらも摂らない
ということがザラにある。それの補充は大体外食で賄ってきただけに、
外食でも炭水化物ばかりとなると、また別の場面で補わざるを得なくなる。
とりわけ肉は定期的に取らないと、何か気力というか、この野郎という
気持ちが湧いてこなくなるので、比較的重大である。

とりあえず、帰りのコンビニでタンパク源の補充ということで、魚肉
ソーセージを購入する。何か大きな間違いを二つ以上犯しているような
気がしないでもないが、忘れることにする。野菜は明日摂ろう。
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あやつり○○

2013年02月23日 23時41分36秒 | Weblog
大人数を必要とするものづくりの現場では、指揮者の持つ完成予想図が
明確であることが重要であるが、それでいてそれが明確に示されていない
場合、現場は混乱する。あるいは不信の嵐が吹き荒れることになる。

建築など、設計図のような明確な予想が示されていれば、それを目指す
ように進行すればよく、指揮者からの突っ込みも進行に遅れがあったり、
図面との相違があった場合になるので、作業員からしても納得できやすい。

しかし、完成予想図が明確に示せないような曖昧なものである場合、
指揮者のビジョンが明確すぎると、現場への指示が高圧的なものになり、
ある程度までは問題ないが、行き過ぎると現場の空気は『もうお前がやれよ』
という不信感に満ちる。

ビジョンが明確でありながら、それを伝えきれない時点で、指揮者として
の能力に疑問がある。最低限ここは守ってほしい、という要点を伝える
ことができればまだいいが、それもできないならば、何が上がってきても
文句は言えない。

言われなくても高いクオリティを叩き出してくれる現場というものは、
そういう指揮者側からすれば大変に頼もしく、やりやすいものではあるが、
それを当然のものとして期待するのは、間違っている。
そういう現場に慣れてしまうと、“言わなくても伝わる”という、まるで
超能力のようなものを当たり前と感じてしまい、指揮者の伝える能力が
麻痺を起こす。この場合、優れているのは指揮者ではなく、現場の監督者
である。

ビジョンが明確でありつつも、“言わなくても伝わる”という幻想に
とらわれている指揮者がいたとしたら、すぐに降板させ、代打を探した
方がいいだろう。

現場に、やれる限りはやるという最低限のモラルがあることが大前提では
あるが、やるところまでしかできないのが事実。その中でどうにかするの
が指揮者の手腕であろう。それにどうしても納得がいかないのなら、
別途資金と時間と人を募り、そこでまたやれる限りやればいい。
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はかる、みる

2013年02月21日 00時44分35秒 | Weblog
家に帰ると、あらゆるものが冷たい。吐く息も凍る。それこそ、どこか
窓が開けっ放しになっているのではないかと疑う程に寒い。
寒さに弱くなったのか、今年の寒さが格別なのか、或いは前の年の寒さを
忘れているだけか分からないが、お湯で手を温めても、こうして文字を
打っているだけで手がかじかんでくる程度ではある。

こういう時に温度計でもあれば、何かの目安か気休めにもなろうと思うの
だが、おそらくそれ以外に使われないだろうということが容易に予想
されるので、結局我が家には温度計がないままである。
方位磁針、巻尺、温度計、湿度計、体温計、気圧計、体重計、キッチン秤、
ガイガーカウンターなどなど、世の中には色々なものを測り、表示したり
するものがあるが、どれも普段はそんなに使うことのないものばかりで
あったりする。今の生活で必須と言えるのは、時計とカレンダーくらいで
あるが、巻尺も必要になる時には結構必要になる。

そういったものは、大体欲しい時に手に届く場所に無く、複数所持する
羽目になることもしばしば。というか、上の巻尺がまさにそれ。
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当たるも八卦

2013年02月20日 01時03分53秒 | Weblog
暖房を入れると暑く感じ、入れないと寒くてたまらない。結局速やかに
布団へ滑り込む。そんな日々のゑのです。ああ。なんだか久々のですます調。

相変わらず少ない楽しみの一つとして、通販で本を買い漁っているのですが、
やっている事は大体『神羅万象チョコ』でカードを集めているのと
変わらないことに、最近気がついた次第です。
やっていること、つまりは、当たりを引いた喜びを糧にしている、と。

あとは、教本やら画集では、多少なりに己の引き出しが増えたような心地に
なるという、実用的お得感があるくらい。本当は教本も首っ引きで、
じっくりと実際に手と頭を働かせつつ、読んで描けば本当の効果が期待
できるはずなのに、それができていないのは成果(絵)を見れば明らかで
あると言えましょう。若いうちはともかく、ある程度の歳になって、
ちゃんと描ける人というのは、間違いなくそういった下積みをしっかり
やっている人である。感性とか味だとか、そういうのは才能の領分で、
(ある程度描いてきて)無いと分かったならば、しっかり描く道に向かう
方が、個人的に目指すものに近づけると感じる訳です。

“らしさ”などは追求しなくても、描きたいものを描けるようになって
きたら、嫌になるほど出てくるので、振り回されない程度に気にかけておく
くらいでいい。
…最近全然更新してないですが。
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気分次第

2013年02月19日 00時42分30秒 | Weblog
何やら最近、雨が多い。こんなに寒いのだから雪でも降ればいいのに、
などという気にもならない。雨も雪も、外出に傘が手放せない時点で大した
差はない。雪はまだ目に新鮮だからマシとも言えるが、結局のところは
気分次第である。要するにそのような気分だ。

同じく最近、目を酷使する機会が増えた。原因は仕事の内容によるもので
あるが、そのような理由から、目薬を購入した。
さした時はなるほど爽快であるが、どうやら寝る前にさすのは良くない
ようで、起きるとスッキリはしているのだが、やや重くもあるという
状態に陥った。今後は、素直に起き抜けにさすようにしよう。眠気覚まし
にもなるだろうし。

しかし、何度か購入しても、使い切ることなく使用期限を割ってしまう
目薬の、なんと不憫なことよ。消毒薬や胃薬にも使用期限はあり、それは
あまり気にならないが、目薬はさすがに気になる。
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食の嗜好

2013年02月17日 23時40分25秒 | Weblog
先週見つけた蕎麦屋に再び赴き、蕎麦をすすりながら、何とも不思議な
食べ物だと、ふと思う。
通と呼ばれる人の間では、それは『香り』を頂くものであるという。
個人的には、蕎麦そのものの味も好きなので、行儀が悪いのかも知れないが
じっくりと味わうことにしている。

それを踏まえた上で、普通に供される具の入り、汁を張った温そばが
どこか中途半端に感じた。具を気にしていると蕎麦を気兼ねなくすすれない。
具の味や香りが強いと、もはやそれどころではない。また、関西風の
だしの効いた薄味のつゆだと、何だか全体的にパンチが弱い。ついでに
伸びるのが早いので、どこか急かされるような心地だ。
そう考えると、さるそばのスタイルが蕎麦を味わう最適な形なのではないか
と思えるようになり、若干しまったと感じる。
とりあえず次に行くときは、ざるを頼もうと心に決める。

ものの食べ方など、人それぞれで、どこにうまみを見出すかもまた人
それぞれ。例えば蕎麦屋で対面に座った人が、そばにマヨネーズと
ケチャップをてんこ盛りにして食していても、そこに文句を言うことは
したくない。だって、そんな雰囲気じゃあ飯がまずくなるもの。
ともあれ、色々と開拓したいと思う。

なお、余談ながら、同じ麺類でも、
蕎麦は麺の香りと味を、つゆとわずかな薬味で楽しむもの
うどんは具の味と風味を、うどんをベースに楽しむもの
ラーメンはスープの味を、麺をベースに、具をアクセントに楽しむもの
と個人的には考えております。 人それぞれ。
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2013年02月15日 01時15分09秒 | Weblog
海洋堂の、『チョコエッグ』から続く動物フィギュアがガチャポンで
出ていたので、早速回す。チョコQの最終弾が出てから随分経つが、おそらく
これが新風を巻き起こすことは無いだろうという気分になる。

前線を退いた海洋堂は、博物館や水族館、動物園や空港などでの土産物を
ターゲットに据え、細く長くを信条に商売をしているようであり、元々
ガレージキットを取り扱う、ニッチ層向けのメーカーであったことを
考えると、むしろ一昔前のヒットが異例であり、その教訓が今の有り様に
現れているように思えてくる。土産物という商品の性質を考えても、食玩
の立ち位置が変わってしまった今となっては、実に『らしい』選択で、
個人的には実に見事なものだと感心してしまう。
この辺については、以前にも書いたような気がする。

流行りに乗り、数をさばき、多くの利益をだし、世界に売り出していく、
というスタイルを真っ向から否定し、まずは品質ありきで、それを維持
しうる最低限の量と売り場があり、あとは長く売っていくという、実に
職人集団らしいやり方と言えよう。
野心や向上心は無いのかと言われたりしそうなスタイルではあるが、
歴史的には、これまで日本がのし上がってきたやり方であると思う。

新風は巻き起こらないだろう。でも、それでいい。
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