先日打ち切りであると嘆いていた作品は『エクゾスカル零』である。
しかしあれからちゃんと読んでみると、打ち切りと断ずるには些か言葉が
足りなかったと感じたので、諸々の所感と共に記すこととする。
件の作品を開始するに当たって、作者はおそらく6割がた出来上がった
計画やテーマをもっていたと思われる。巻末には作者のコメントが度々
載せられていたが、それは作品や作品世界の解説と言うよりは自問自答
めいた、自分への励ましのようですらあった。
つまり、作者は作品の制作を通して残りの4割を埋めて、答えへと導こうと
考えていたと思われる。ただし、上記のコメントの内容から、その道は
かなりの苦痛と困難を伴うものであったことも伺える。
果たして、物語を通して答えは出た。
しかし、それはその作品を描かせるに至った動機や、その根幹にあるものを
覆してしまうものであり、実質続ける事が出来なくなった。
これが打ち切りに近い終わり方をした真相なのではないか、と個人的ながら
感じた次第である。
作品の内容的には、全てのテーマ的問いかけに対して答えは出している。
いくらか設定や物語的に回収していないところはあるが、十二分に作品と
して完結していると言って差し支えなかろう。
外的要因により作品が続けられなくなったり、広げた風呂敷を畳み切れなく
なって、不細工にまとめざるを得なくなったり、奇跡のアクロバティック
着地を決めたりというような打ち切り的展開のパターンはこれまでいくつも
見てきたが、物語が出した答えが作者や作品の根源的テーマをひっくり
返すという矛盾に直面して、“続けられなくなった”ケースは初めて
見たかも知れない。
こういう終わり方は何と呼べば良いのか。『パラドックス的エンド』?
しかしあれからちゃんと読んでみると、打ち切りと断ずるには些か言葉が
足りなかったと感じたので、諸々の所感と共に記すこととする。
件の作品を開始するに当たって、作者はおそらく6割がた出来上がった
計画やテーマをもっていたと思われる。巻末には作者のコメントが度々
載せられていたが、それは作品や作品世界の解説と言うよりは自問自答
めいた、自分への励ましのようですらあった。
つまり、作者は作品の制作を通して残りの4割を埋めて、答えへと導こうと
考えていたと思われる。ただし、上記のコメントの内容から、その道は
かなりの苦痛と困難を伴うものであったことも伺える。
果たして、物語を通して答えは出た。
しかし、それはその作品を描かせるに至った動機や、その根幹にあるものを
覆してしまうものであり、実質続ける事が出来なくなった。
これが打ち切りに近い終わり方をした真相なのではないか、と個人的ながら
感じた次第である。
作品の内容的には、全てのテーマ的問いかけに対して答えは出している。
いくらか設定や物語的に回収していないところはあるが、十二分に作品と
して完結していると言って差し支えなかろう。
外的要因により作品が続けられなくなったり、広げた風呂敷を畳み切れなく
なって、不細工にまとめざるを得なくなったり、奇跡のアクロバティック
着地を決めたりというような打ち切り的展開のパターンはこれまでいくつも
見てきたが、物語が出した答えが作者や作品の根源的テーマをひっくり
返すという矛盾に直面して、“続けられなくなった”ケースは初めて
見たかも知れない。
こういう終わり方は何と呼べば良いのか。『パラドックス的エンド』?