ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

後反省

2013年12月31日 18時11分10秒 | Weblog
今年も最後の日となったが、個人的には長めの休暇の一日で、いつも通りの
寒い日の夜である。
今年を振り返っても、去年のことの方がより強く思い返され、つまりは
その年に比較的大きな山というか、谷があり、その影響が未だ今年に
至っても続いており、来年も継続するであろう、ということである。

ともあれ、今年掲げていたと思う『漫画を一本描く』という目標は果たせず、
来年に持ち越しとなる。蚊トンボにも劣る意志の貧弱さと言えよう。
その他にも、エロ方面に力を入れた絵関係のTipsブログを新規で立ち上げる
という構想も、折に触れては行ってはいるものの、本家のウェブがなおざり
になっている時点でお察しの有様と言えよう。
ひとまず、当面の目標としてはその辺りである。

あとは、放置しすぎなリクエストの数々…。これはもう人としてどうかと
いうレベルの案件であるが、ここも何とかしていきたい。

色々と逃げ出したい気持ちにとらわれたこともあるが、元々ここが避難所
なのだから、せめて細々とであっても続けていく所存である。

それでは皆様、よいお年を。
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前反省

2013年12月30日 23時22分49秒 | Weblog
いよいよ来年が近づいてくるというのに、特に掃除もせず、いつも通りの
連休を過ごすような気構えで臨んでいる体たらく。
否、普段の連休よりも輪をかけて怠惰な生活ぶりというか、気力の出なさ
加減がひどい。

明日は一年の反省と来年の抱負でも書こうと思うが、今年の初めに書いた
抱負が実行されたようには思えない。つまりは持ち越しである。
多忙を理由に色々なものを置き去りにしているが、仮に仕事を辞め、
その原因を絶ったとしても、まともに動けるようになるまで、果たして
どれくらいの時間がかかるのだろうか。そもそも動き出すことができるの
だろうか。

しばらくは悩みの年が続きそうである。そもそもそういった状況に、
何かがきっかけになって動きがあることはあるだろうが、それはあくまで
自発的な行動に対してであって、年が明けるとか、明日が来るとか、
そういったものは気休めにすらならないのだ。
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万感の思いを込めて

2013年12月29日 22時20分47秒 | Weblog
最近のアニメなどを見ていると、声優の演技とは実に凄いものだと
思うことしきりであるが、ああいったケレン味の強い演技は、従来の
演劇的な演技力とは別物のように思える。
演技やその辺に関しては、全くの門外漢なので、その点は最初に断って
おくが、ともあれ例えれば、漫画やアニメでの上手さと絵画的な絵の上手さ
が違うようなものだと言えば通りが良かろうか。

無論、だからと言ってアニメの声優の演技が劣るとかそういったことは
断じてなく、むしろアニメに特化し、それを盛り上げるべく進化している
と感じている。漫画やアニメは総合的な表現手段であるから、
『調和する2つは、完璧なる1に勝る』という格言を地で行くこととなろう。

特に個人的にやたらと凄いと感じるのは、女性キャラの『絶叫』である。
今のこのご時勢、個人的にも想像がつかないが、一体何があればかように
悲痛な叫び声が出せるのか、いや、仮にこれがこの程度と言われるよう
ならば、本気の悲痛な叫びなど、聞いただけで心が砕けてしまうのでは
なかろうか、と俄かに不安が沸き立つ程度には凄いと感じる。

この手の“感情が振り切れた際の叫び”というのは、漫画ではなかなか
表現が難しいと思える。吹き出しの中だけで表現すると『~~ッッ!!』
とかばかりになり、逆に笑えてきてしまう。そうなると、絵での表現は
当然として、コマの運びやカットの切り方などのテクニックまで必要に
なるから、個人的に漫画で鳥肌が立つような絶叫シーンというものには、
ほとんど出会ったことがない。

と言うか、これを描ききる自信がないので、エロ漫画を一本も描ききれ
ないのだと、言い訳に近い自己分析をしてみる。
上記の流れをぶった斬る感じではあるが、エロ漫画には絶叫がとても多い。
分からない人には、大人になれば分かるよ、と適当に言っておく。
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盗人猛々しい

2013年12月26日 02時13分40秒 | Weblog
十分に寒い季節だというのに、寝ていたら虫にくわれた。多分ダニである。
随分と痒みが続き、痕も結構大きかったのでかなり吸血されたとは
思うのだが、さぞかし膨れているであろう奴らを発見できたことは無い。

それにしても、一体どこに消えているというのだろう。未だ布団に潜み、
繁殖の機を伺っていたりしなければ良いのであるが。
退治に効果のありそうな日干しも、太陽が高く上がらないので効果は
薄そうであるし、布団乾燥機などという利器もない。寝具なので燻して
追い払うことはできない。

ある程度の血だったらくれてやっても良いのだが、痒いのは御免である。
無断でこっそり持っていこうとするから、余計な痛痒を増やすことになり
必要以上の恨みを買い、最悪滅亡の危機に瀕するのである。
交渉してまでとは行かないが、うまく話をつけて少ない苦痛で、より多くの
血を得られる方向で進化してはくれないものだろうか。

血に代わる何かを近くに置いておけば、人よりもそちらを優先して取りに
行くようになる、とかそんなのでもいい。
とにかく、今のところは大変に忌々しい存在である。
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2013年12月25日 02時08分15秒 | Weblog
メリークリスマス。とは言え、個人的には心は長月、暦は師走とでも
いうような感覚のため、大変に心のこもっていない一言であることは
今更のように断っておきたい。

さておき、この前本屋にて、絵の教本として『デッサン人形』がついて
いるものを見かけたが、あれは良くない、と感じた。
最近ではそこいらの画材店でも、件の人形の代わりにドールの素体を
置いている(それもデッサン用としては疑問があるが)ような状況であり、
ではなぜデッサン人形なのかと考えると、金銭的な都合か悪意かのどちらか
にしか行き着かない。中身を読んでいないので、あまり断定的なことは
言えないが、アレを教材にしてまともな教本を作ることは、個人的に
想像がつかない。そもそも、アレでなければならない理由がない。

ここ最近ではアクションフィギュアの進化が著しく、種類も豊富である。
アニメ的な絵を目指す人のために、デフォルメの効いた体型のものから、
アカデミックな絵を目指す人のための、実際の人体比率に近いものまで、
よりどりみどりである。通販で適当に探すもよし、近所に大型量販店が
あるのならそこで探すもよし。

これまた個人的な見解となるが、上達のための条件の一つとして、
『良い師匠の下につく』というのがある。誰しもが師匠を持てるわけでは
ないので、未だ多くの人にとって本が師匠替わりになることは普通であると
思われる。その際にひどい本(師匠)に当たってしまった場合、なかなか
大変である。それが何であれ、師匠の善し悪しは下に付いている時には
往々にして分からないものであるのだから。
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飲み食い

2013年12月23日 23時04分12秒 | Weblog
友人と飲みに、久し振りの日本橋へ行く。せっかくなので、待ち合わせの
時間より早く現地に赴き色々歩き回ってみるが、何と言うかカード屋が
随分増えた印象である。数年前はメイド喫茶が軒を連ねており、今でも
路上で客引きを行ってはいるが、件数はかなり減った感がある。
あと数年後には、一体何が流行っているのか、想像ができない。

話は変わり、ごく身近な話題となるが、近所のスーパーで乾式袋麺の
そばを見つけたので購入してみる。ついでに我が家にはそういった麺類を
あけられるような丼が無かったので、それも購入する。
冷凍ではなく、生でもなく、棒状のものでもなく、カップ麺でもない。
考えれば考えるほどに不思議な存在と言えるそれは、最近の袋麺の急速な
台頭の流れを受けたものであろう事がぼんやりと想像されるが、それに
しても対象がピンポイント過ぎる。

この袋麺を求めるに当たって、ざっと以下のような条件が挙げられるが、
いかにターゲットが狭いかがうかがい知れよう。
・毎日食べるかどうか分からない
・冷凍庫がない もしくは使えない
・電子レンジがない
・ザルがない もしくは大きな鍋がない
・台所が狭い
・外食するお金がない もしくは外食できる時間帯に生活していない
・でもなるべくおいしい蕎麦が食べたい

…とは言え、個人的にかなり当てはまっており、正直、こんなのを待って
いたのだ、と言いたい。
一つ心配なのは、この蕎麦のつゆが温/冷両用のため、関東風の甘辛い
味付けになっている点である。個人的にはどちらも美味しくいただけるが、
関西の知り合いの多くは、関東風のそばやうどんのつゆを悪し様に
こき下ろしているレベルなので、特にこの時期、関西では苦戦しそうな
予感がする。
個人的な生活習慣と嗜好に合致しているだけに、一時の徒花として消えて
欲しくないものである。
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動機の賞味期限

2013年12月20日 02時38分10秒 | Weblog
以前にも書いたことのような気がするが、たとえばの話である。
消防士がいたとして、彼は何のために働くかと考え、大きく二つあるの
ではなかろうかと推測する。
曰く、理不尽な災害に苦しめられる人々を救いたいと願う気持ちと
災害の理不尽を憎み、滅ぼそうと願う気持ちの二つである。
本職の方に怒られそうな気がしないでもないが、そこはたとえばの話と
いうことでご容赦願いたい。

一般的には前者がごく良心的かつ前向きな“動機”と言えるだろうが、
その仕事を長く続けていく過程で、後者へとその“動機”が変質していく
ことはそれほどおかしな話でもないように感じる。
そして後者の動機というのは、人の心身を支えるには十分なものではあるが、
待っているのは往々にして不幸な結末、という予感がつきまとう。

説明すると長くなるので割愛するが、ここ最近個人的にはどちらかというと
憎しみに近い感情を動機として仕事をしている。
無論、作業や仕事そのものを憎んでいるわけではないことは明言しておく。
ともあれ、かようにネガティブな感情というのは、ものを食べて
エネルギーに変え前に走るというようなものではなく、自分の体の後ろに
仕掛けた爆薬を発破して前に吹き飛ばすというような状態に近い。

つまりは後を顧みない、一時の爆発的な外力頼み、ということである。
一言で言うと、身がもたない。

なぜこうなったのだろうとか、円満に決着する方法はないのかという
ことはしばしば考えるが、大抵は時間切れ、もしくはエネルギー切れで
終わる。今もまた今まさに思考がフェードアウトしていく。
また明日。というやつである。
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手袋

2013年12月19日 02時48分03秒 | Weblog
手脂が多い性質なので、フィギュアの組立時やカードや本の整理時は
いつもそれとの戦いであった。最終的にはあまり気にしないという結論に
至るものの、何か心が晴れないので手袋を購入しようと今更思い立つ。

初めは軍手で良かろうと思っていたが、繊細な作業も出来るように、
骨董商などがはめている白手袋がより欲しいと感じるようになる。
しかしその手袋、一体どこで扱っているのだろう、と思っていたら普通に
コンビニで似たようなものが売っていて、少々驚く。
タクシードライバーの人向けであろうそれは、確かにコンビニで取り
扱われているのが納得の品である。思っていたよりは手先の密着度合いが
低いが、それでも軍手には優っていたので良しとする。

絵を描く用途として、右手指の必要部分だけを取り去った手袋を
作るためにもうひと組買っても良いかも知れない。
こういう時に左右の別がない軍手は楽なのだが、これはそうもいかない。

手袋は必要となる場面が思いの外少なく、手先の動作が大幅に制限される
ため、往々にして使用が躊躇われることが多い気がするが、いざ使って
みると劇的な効果を発揮するものが多い。
学生時代に革手袋を使った時も、その効果に感動したものである。
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より美味しく頂きたい

2013年12月18日 02時21分38秒 | Weblog
取り留めもなく、絵を描くことはその対象を味わうことと似ていると
考える。味わうというのは、切って噛んで飲み込んで血肉にするという、
かなり具体的な“食べる”行動も含めての表現である。

己の一部として取り込む、という原始的な欲求が、食という行動には
含まれていて、絵を描く際にもそれがあり、当然描き終えればそれが
満たされる。
子供であっても、それはそれで感覚の赴くままに食べ(描き)、大人は
大人でじっくりと様々な味に思いを馳せつつ食べる(描く)。

モチーフを徹底的に剥き身にして、掘り下げて、“料理”する。
そして肉の筋から骨までしゃぶり、出汁の一滴まですすり切る。
徹底的に描く人は、描いている時、こんな感覚だろう(多分)。
ただ、喉越しや歯応えだけを味わって、さらりと飲み下すのも有りだろう。
無論、単純に好き嫌いだけで、掻き込んでいくだけでも充分である。

好みの赴くままに描くのも自由。こだわり抜いて徹底的に描くのもまた自由。


ちゃんと描けた時の感覚は『御馳走様でした』という感覚に近い気がする。
…その感覚を極めるにはまだまだ遠いと感じる次第ではあるが、
上澄みだけでも続けていこうと思えるくらいには甘やかだと感じる。

あるいは邪かも知れぬ。
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元型

2013年12月17日 02時19分00秒 | Weblog
毎週の生きがいとなっている『キルラキル』であるが、あれを初めて
見た時に思ったことが『初代プリキュア』に主要キャラのデザインが
似ているということであった。
そして最近また何かに似ていると感じ、思い当たったのが『男組』である。
ライバルが“大衆は豚だ”という旨の思想を持って、自分の学園一帯から
やがては全国へ勢力を広げようという目論見を持っていたり、日本刀を
振り回したりする辺りがそれっぽい。
とはいえ、件の作品がそもそも色々な作品のテイストの集合体であろうから、
それの元となっているものをいくら抜き出したところで野暮なだけだろう。

余談ながら、ギャグの欠片もない『男組』において、なぜか笑いが
止まらなかった場面がある。
それは、かつてライバルだった男が、自分の勢力圏の不良学生を引き連れて
援軍に駆けつけるシーンで数万の彼らを“兵力”と呼んでいた所である。
不良学生が数万人というのもそうであるが、それを兵力と呼ぶあたりに
どこから突っ込んで良いのか分からず、しかもシリアス極まる作画
(池上遼一氏)である。多分今読んでも、しばらく悶えるであろう。

10年以上前に読んでそれっきりなので、記憶が怪しい部分はあるだろうが、
その点はご容赦頂きたい。
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