ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

あたたかな結界

2010年04月30日 23時43分16秒 | Weblog
先の休日に某漫画専門店で『お風呂ポスター』なるものを見かける。
アニメ絵のきわどいポーズの女性キャラが描かれたもので、熱によって透明化する
インクを使った『エロライター』や『あっぱれ大将軍』を思わせるギミックが仕込まれて
いる模様。店頭で温める訳にはいかないので、ギミックが作動した際の絵は不明。

使用法は言わずもがな、名の通り風呂場に張るだけだと思うのだけど、普通に考えて
用途がそれだけのはずがない。男には自分の世界があるのだ。
そこで疑問に思ったのが、風呂を利用する場合の多くが家族や他の人と同居している
場合で、ある程度多くの人が使う可能性のあるその場所に、件のポスターのように
結構でかいものをその都度持ち込むのは、いささか無理があるのではないか、という点。

つまり、風呂を使う環境の場合は家族の目があり、家族の目がないならば風呂を使う
理由がない、という事。風呂場だと後片付けが面倒なのです。
でも、もしかしたらぼくが想像した使い方が間違っていて、本当はもっと有意義な
手順があるのかも知れない。

…ここまで読んで何の事か分からなかった人は、ここで全てを忘れる事を強く勧めます。
18歳未満だったら尚更。 つまりはそういう事です。

個人的には、あのサイズでしかも人物が大写りになっている場合、解像度がすごい事に
なっていそうだなあと思った次第です。それこそ線情報がベクトルでなければやって
られない状態で、なればこそのアニメ絵なのか、と邪推したり。
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跳躍

2010年04月28日 23時55分20秒 | Weblog
つい最近まで桜が咲いていたと思ったら、鯉のぼりが上がっていて、周りが
とても青々としていた。何と言うか、悪い夢を見た後のような、時間跳躍感。

ほとんど記憶に無いその間にも、実際には多分何かしていた訳で、末恐ろしい気持ちになる。
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尊無駄

2010年04月27日 23時51分42秒 | Weblog
世の中は日々加速度的に便利になり、当然のようにその恩恵に与っている身ではあるが、
どうにも不便を愛し、無駄を尊ぶ事が身について離れない。

趣味がプラモです、とか言うと『よくもまあかようにわざわざ手間のかかるものを』と
呆れたような顔で言われるのだけど、その手間が良いのですと言って理解して貰えた
例が無い。と言うか、そこの理解が無いからこそそんな意見が出たのだと思う。
或いは、他人の趣味を理解する事自体が無駄で手間と感じているのかも知れない、
というのはいささか邪推か。

無駄だとも手間だとも感じて構わないが、無理解は要らぬ軋轢という大きな手間を
生むので、穏便に理解したふりをすれば良いのに、と思う。
そもそも、やれ何が無駄だの不便だの手間だのと比べて論じる事自体が、不便とかを愛する
精神の根底部分をないがしろにしているようにも思える。つまりは野暮という話。

日本人特有の感情なのか、どうなのか。
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軽量化

2010年04月26日 23時48分23秒 | Weblog
今でもおそらく変わらずいるのだと思うけど、奈良や京都の寺社仏閣でイーゼルを
立てて気ままに絵を描く人。あれが例えば未来的にタブレットPCとかに変わったり
するのだろうか、とふと思った。
イーゼルも含めて、絵を描こうとしたならば結構な装備になる。絵具を洗った水とかも
その場で廃棄する訳には行かないので、ちょいと気軽にとはなかなか行かなさそうだ。
車があれば多少は楽かも知れないが。

今はまだバッテリーの持続力や、屋外でのディスプレイ視認性悪化の対策が出来ていない
ので、そういった人を見かける事も無いだろうけど、今後どうなるのか気になる所。

かつて絵具は使う度に練って作っていたという。それがチューブ絵具の発明により、
絵描きはアトリエから解放され、それが後の印象派へと繋がったという話があるのだけど、
今度は割と大掛かりな画材の数々と廃棄物から解放され、より腰が軽くなったと言える。
カメラ付き携帯に先を越された印象はあるけど、あんな感じになるのだろうか。

ただ、絵は凝ったものでなければ紙切れ一枚と鉛筆一本あればどうにかなり、その
シンプルさもまた揺るがなさそうな感がある。個人的にも依然アナログは捨てがたい。
あの物理的なままならなさと臭いがたまらんのです。
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ぬけがら

2010年04月25日 23時43分04秒 | Weblog
昨日は久し振りに人の多い所に出たせいか、夜過ぎてから具合が悪くなり、
そのまま寝る。いつも見ていた深夜アニメも、それどころではなくなる。
朝方くらいに目が醒めた時には復調していたが、あれは一体何だったのだろう。

そのお陰と言うか何なのか、今日は比較的早くから行動が出来、先日買ったフィギュア
ケースの為にフィギュアの再配置を行う。片足で立っている上に重心が既に後ろにある
やつなどは、どう考えても来る夏を乗り越えられなさそうなので、予め傾けて
飾ったりしたのだけど、アレはどう考えても設計ミスだと思う。
仮に本体と台座が一体成型であったとしても、応力集中でポッキリ逝きそうだ。

脱がせるフィギュアを、何の臆面も無く全開で飾っているのも、我ながら何かが
狂っているような気がしてならないが。

さておき、残った箱とブリスターの処理、これが問題なのだけど、それ以上に絵を
描く事が全く捗っていない、それこそが問題だ。
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さばよみ

2010年04月23日 23時46分41秒 | Weblog
今に始まった事ではないのだけど、ぼくは自分を過大評価する傾向があり、
齢30を過ぎた辺りでようやくその係数が1.4位である事を知る。
具体的には、10日でできますと言った作業の場合、実際には14日かかるという事。

さすがに過大評価自体は昔から解っているので、仕事を請け負う時は可能な限り
そこを考慮した日数を提示しているつもりなのだけど、要はその細かい数字が
分かっただけという話。もっと言えば仕事の出来なさっぷりを露呈したという話。
全くろくな話ではない。

ともあれ今後は自分の想像上の能力に7掛けして行けば、周りに迷惑がかからない算段。
本当は過大評価係数が1に近付くようにしたい所だけど、それは今後の課題。

周囲からの期待値という恐ろしい要素もあるので、実に気が抜けない。
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キツキツ

2010年04月21日 23時46分00秒 | Weblog
最近は仕事して、家帰って寝て、その疲れを休日をフルに使って癒すという、
嫌な意味で隙の無い生活。寸暇を惜しんでゲームしたり絵を描いております。

お陰様でどちらも進行が中途半端というオチ。そして、どちらかにのめり込むと
睡眠時間が削られ、仕事が中途半端になる罠。いつまでたっても時間が上手く使えない。
一応今の所、五月の連休はちゃんと休めると聞いているので、そこで幾らか取り戻せたら
と今更ながらに考えています。急な用事が入りませんように。
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簡素

2010年04月20日 23時49分27秒 | Weblog
少し前からウェブ掲示板などで見かける『○○とは何だったのか』の元ネタが
分からず、少しだけ悶々とする。多分アニメ辺りだとは思うのだけど…。

あと、少し前にトイレの水が流れたまま止まらなくなり(溢れたりはしていない)、
蓋を開けて直そうかと思ったら思いの外アナログかつ簡素な作りで拍子抜けする。
浮きに連動した蛇口に、レバーと鎖で繋がったゴム製の栓。これだけ。

そして問題はそのゴム栓を固定する部分がずれていた為に、うまく水が溜まらず
(タンク内が一定水位に達さないと水は止まらない仕組み)起こっていたらしい。
しかし、そのゴム栓をどうにかしようと掴んだら、なぜか手が真っ黒になる。
比喩ではなく本当に真っ黒。ゴム部分の劣化のせいかも知れないが、そこが一番驚いた。

こんな話の後で難ですが、ウェブ拍手にメッセージがありましたので、お返事をば。

>すごく綺麗な絵ですね、つい眺めてしまいます。

ありがとうございます。じっくり見るには小さすぎるという意見もあるかと思いますが、
お気に入り頂けて何よりです。最近特にペースが落ちてきていますが、何とか
続けていこうとは思いますので、これからもよろしくお願いします。
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至り

2010年04月19日 23時44分40秒 | Weblog
なぜかふと思い立って大学闘争について某ウェブ百科事典を紐解いていたのだけど、
そこの文がどこと無くライトノベル的な印象を受けた。用語が多いのと、婉曲な
言い回し(しかもやや美化した印象)がそう思わせたのかも知れない。
割と人の事は言えないのですが。

ぼくは全くその世代の人間ではなく、通っていた大学もそのような雰囲気とは
無縁のところだったので、その時の空気がどんなものなのか全く解らない。
ただ、縁あってH政大(K澤大だったかも)に遊びに行った時に、その手の立て看板が
並んでいて驚いた記憶がある位。
その時の感想も『まだこんなものが残っていたとは…』というレベル。

当時の人にとっての青春そのものであったり、思想や理想などもあったとは思うのですが、
実際に死者を出していたりして、個人的にも大学闘争と言う言葉から想起されるのは
安全ヘルメットにタオルを顔に巻き、ゲバ棒を手にした物騒な連中、という感じです。
正直あまり深入りしたくない部分なので、込み入った言及は避けますが、
それにしても何でこれを調べようなどと思ったのだろう。
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2010年04月18日 23時41分37秒 | Weblog
週末の話ではあるのだけど、実家から叔母が亡くなったとの報せが届く。
忙しい人だったらしく、今まで片手で数える位しか会った事がなかったのだけど、
身内の死という言葉がどうにも重くのしかかり、週末の下がり気味な心持ちと
相まって色々な事が手に付かない状態に陥っておりました。

理由があればへこたれていたい、それが全くの本音。だからこそすぐに前に進まなければ
いけない。時間は待ってはくれないのだ。忘れない事だけが唯一の抵抗と言えましょう。
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