ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

定番はあるが

2017年06月29日 23時22分49秒 | Weblog
エロ漫画についての話。
度々なされる話として、エロ漫画にストーリーは必要なのかというものがあるが、
実際テンプレ的な筋書きだけ用意して、仕掛けとキャラで差を出していくという
方法でも良いのでは無かろうかとふと思った。
筋書きが同じでも、当然使えるページは限られているので、どの場面をピックアップ
するかだけでも作家性は十分に発揮されるだろうし、一口に『幼馴染で世話焼きの
妙に体形がエロいヒロイン』というキャラ造形であっても、作家によって結構な差が
生じると思われるし、エロ漫画的にはそこよりも重点を置くポイントがいくつもあるので、
解釈の差を味わう楽しみすら生まれ得る。

それこそ収録作品の筋書きが全て統一されたエロ漫画ムック本とかを実験的に
出してみたら面白いのではなかろうかと思った次第である。もう既にやっている
可能性はあるが。

エロ漫画をざっと見て、上手いなと思う作家さんに共通する点として、構図やアングル、
表情の多彩さ(全てのコマで同じポーズや表情が無いくらいの勢い)、背景の丁寧な
描写の二つがあると個人的には考える。

一般誌の漫画のように絵はアレだが話が面白い人や、止め絵がもの凄く上手いが構図や
表情のレパートリーが少ないというような人はそもそもエロ漫画の世界にはあまり見られない。
話が良く出来過ぎていてエロがおまけになってしまっている感すらある作品や、話が
はっちゃけ過ぎてエロさよりも笑いが勝ってしまうというものもあるが、この辺りは少数派で
あるし、結局のところ絵が上手いのは大前提になっている。

エロとはいえ、漫画においてストーリーは決して軽んじてはいけない要素であるのは
分かるが、演劇でも脚本が同じでも演出や役者が変われば内容が一変するように、
既にある、良く出来た筋書きをあの手この手で料理するのは既に確立された嗜み方であって、
決して蔑ろにする行為ではないと考える。

結局話を作る労力は変わらない可能性があるが、話を作るのが苦手な人でもある程度描ける
可能性もある。ちょっと見てみたい。
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睡眠環境問題

2017年06月27日 23時28分43秒 | Weblog
どうにも朝早く、目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまう毎日。
睡眠時間をもう少し取らねばと思い、少し早くに床に就くとはいえ、
それでも言うほど時間が取れているわけでもなく、実際起きた時には
かなり眠いので、自然に目が覚めているわけでは無いと思われる。

部屋のレイアウトであれやこれやと苦慮の末に導き出した、東向きの窓の
すぐ下に寝床を据えたのが良くなかったのか。
確かにちょっとした拍子に朝日が顔面を直撃するが、さりとてすぐに部屋の
レイアウトを替えるには骨が折れる。顔(目元)に何かかけておくという
手があるが、どういう訳か悪夢を見る確率が跳ね上がる。

窓と反対側を向いて寝るという最も原始的な方法も、意識の外なので制御
できず、今のところ確率1/2という状態。

体の向きを上下入れ替える方法では、多少顔面への日射が無くなるが、
北枕になるのと、壁側に収束させたコンセント類のタップの明かりが
目に入ってくるという問題がある。

今の寝床を寝具置き場(開放型押入れ)にして、床で寝るのが正解なのか。
再レイアウトも考慮に入れつつ、もう少し考えたい。
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補給

2017年06月25日 23時10分21秒 | Weblog
『神羅万象チョコ』を求め、散歩がてら少し遠くのスーパーまで足を運ぶ。
自転車があれば大した時間はかからない程度の距離であるが、手放して久しく、
自転車を取り巻く問題も随分と変わってきてもいるので、大阪にいるうちは
多少の不便は今回のように風情と割り切って、持たないままでいるつもりである。

とりあえず、最終的に目指した所にはあったが、それまでの道すがらにあった
コンビニや小規模のスーパーには無く、改めて神羅万象チョコの縮小化を思い知る。
その他にも、神羅万象チョコが必ず置いてあった"最後の頼みの綱"的な個人的
立ち位置のコンビニが無くなっていたり、もっと具体的に言えばサンクスが軒並み
ファミリーマートに替わっているのを目の当たりにし、物悲しくなったりもした。
サンクスはどういう訳か、個人的におまけ系菓子との相性が良かったらしく、
学生の時分にも集めていたチョコエッグの有力な補充元であった。
ファミリーマートはたまに限定のおまけ付き菓子を出すが、それ以外には全体的に
置いてある確率が低く、食玩やシール付き菓子補充における冬の時代を予感させる。

それにしてもここ大阪は急に梅雨らしくなった。あまり歓迎できることではないが
蒸し暑さの上昇具合が著しい。少し動いただけでじわりと汗ばむこの感じと、
周囲の蒸れた匂いもまたこの季節が来たのだと感じさせる。
暑いからと直接床の上で寝たら腹を壊したりもする、この油断ならない感じもまた
梅雨であると言えよう。というか、土曜に決まって腹を壊すのはなぜなのか。
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力は謎の源

2017年06月22日 23時34分47秒 | Weblog
『神羅万象チョコ』の最新弾が出て少し経つが、近所の店にまるで置いておらず、
このままろくに揃わないうちに次の弾になってしまったり、人知れず打ち切りに
なっていたりしないかとやや不安になる。時間を見て本格的に探しに行くか…。

話は変わり、そして以前にも少し書いていた話題であるが、生き物の『生命力』と
『獰猛さ』について。
動物の事を色々と調べていくと、この動物は生命力が強いというような記述が
たまに見られ、それは劣悪な環境下でも生きていける適応能力の高さであったり、
手足がもげても再生する機能の強さであったりと、一口に言っても多くの状態を
示している語であるのだが、シンプルに"死ににくい"点について、疑問がわく。
例えばある亀は首を刎ねても、しばらく噛みつこうとしたりするというが、
他の構造的に似た種では必ずしもそうはならない。個体差における生命力の差は
性格的なものでたまたまそうだった、が通じるが、種として生命力が高い場合、
構造的にそれを裏付ける理由がある訳で、生物学的にどういう理屈なのか、
それがどうにも良く分からない。

『獰猛さ』についても同じで、個体差で獰猛であるならば、生まれや育ちでそう
なった、とか、たまたまそうだったが通じるが、これもまた種単位で獰猛であったり
温厚であったりするというから、やはりそれを裏付ける理由が存在する訳で、
どうにも気になって仕方がない。
獰猛さや温厚さについてはその生物が辿ってきた種としての長い進化の道筋の
中で環境的な厳しさ、つまり天敵や捕食者にさらされてきた中で育まれた『本能』、
つまり一種の『習性』と言えそうではあるが、生命力に関しては習性というには
物理的過ぎる気がしてならず、一体どうなっているのだと思わずにはいられない。

ただ、仮にその辺りが解明して、人間に対してその応用がなされた結果、根っから
温厚であるとか、強靭過ぎる生命力の人間が生み出されても、それは何だか嫌だ。
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あくまでも眺める程度

2017年06月20日 23時32分39秒 | Weblog
書くのは二回目かも知れないが、近所の古めかしいアパートの入り口に
『悪さをしに入らないで下さい』とラフな手書き文字の張り紙がしてあるのを
見て、その裏に何があるのかと想像を働かせずにはいられなくなる。

件のアパートは今ではそれなりに珍しいと思われる、入ってすぐに
下駄箱のあるスタイルのもので、外観もいかにもといった感じのために、興味
本位で侵入してしまう人が結構いるのかも知れない。
ただ、張り紙の内容があまりにも直截に過ぎる(普通だったら関係者及び住人
以外の立ち入りを禁ず、程度の文面になる)ので、例えばイタズラ盛りの
小学生くらいを対象にしている可能性もある。と言うか、個人的には
それ以外の可能性を検討した場合に洒落でなくなる率が上がるので、その
予想程度で当たっていると思いたい。

いずれにしても、人の住んでいて、生活している所なので、あまり興味本位で
かき回して良いものではない。なので、知っている人は『ああ、あれの事か』
程度に、知らない人は『そんなところもあるのか』程度にして欲しいと願う
次第である。探し出したり、間違ってもアレコレ手を出したりしないように。
想像や妄想の糧として用いるにも、作法というものがある。
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言葉は立体的

2017年06月18日 22時21分23秒 | Weblog
世間で騒がれている共謀罪関連のアレコレついて、個人的には学生運動を
こじらせた手合いをどうにかするためのものなのではないかと感じた。
社会的なネタや知識にはとんと疎いので、あまり言っても無知を晒すばかり
ではあろうが。

学生運動といえば、昔ここでも書いたかも知れないが、よその大学に遊びに
行った際に、それ系の立て看板やビラがそこかしこにあって驚いた記憶がある。
というのも、知る限り美術系の大学でそういう活動が盛んな所は無かったからだ。

元々芸術の世界は、特定の政治的思想に阿るのを良しとしない空気がある。
(これとは別に、宗教的思想と共に育ってきたという歴史もあり、何が違う
のかと言えなくもない)なので、個人的にも政治の話はしないつもりで、
今までもそのつもりでやってきた。上で書いたように無知であることが
大きくもあるので、今後何か思いついたように話題に挙げることはあっても、
あまり深く長くは踏み込まないつもりである。

それにしても、この手の法案や政策に反対する人達は、やたらに拡大解釈
したり、個人攻撃や論点ずらしを行って脱線させたり、自論を通して"勝つ"
ことしか考えてなかったり、感情的にああしろこうしろと言うだけでどうしたい
のか分からなかったり、ひどく極端な印象を受ける。
政治とかその域に限らず、職場とかでもこういった手合いはそれなりに居て、
それこそ学校の教育でちゃんとした議論を行うことと、そもそも正しい議論とは
何なのかを身につけさせた方が良いのではなかろうか、と感じてやまない。

具体的には実技教科『論議』として新設するくらいの勢いで。
国語の時間についでにやるとかでは(専門の技術や知識のある人が教導しないと)
ダメだ。
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集中力管理

2017年06月15日 23時43分58秒 | Weblog
最近、仕事が一段落したせいか一週間が早い。ヨドバシまで神羅万象チョコを
買いに行ったのが月曜日。それが気が付けば週も終わりという。

時間的な余裕も出来てきているので、『ウィッチャー3』を半年ぶり位に再開
しているが、ゲームは結構な精神力やら集中力を要するのか、3時間以上遊ぶと
次の日に若干影響が出る程度に疲労する。
絵を描くのも速度を上げると集中力をかなり使い消耗するので、中々手軽に
趣味に没頭という訳にもいかず、もどかしい。

さりとてスマホなどのお手軽系のゲームに手を出す気は起きない。
適度に時間を定めてやるか、どうにかして慣らしていくか、消耗しない程度に
ゆるりとやっていくか、選択肢は色々あるので、日に応じて使い分けたりしつつ
上手くやっていきたいと思う。
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結局運が四割程度

2017年06月13日 23時47分50秒 | Weblog
いつもの『神羅万象チョコ』の季節である。
いつものと銘打つ通り、今更特に何か変わったようなこともなく、
強いて言えば、女性キャラが今まで以上に多く、ついでに胸が軒並み特盛
状態で、子供向けを諦めたかのような印象がある点だろうか。

前の弾が子供向けを意識した内容(裏面に謎解き要素があったり、主人公の
性格が少年誌的なヒーロー然としている)であったが、おそらくそれがあまり
うまく行かなかった結果なのかも知れない。

今までの弾のオールスター的な弾があったり、ロボ系のキャラが多めの弾が
あったり、デザイン上のコンセプトが裏に見え隠れしているのが神羅万象
シリーズの面白い所でもあったりする。イラスト担当の趣味がにじみ出ている
だけの可能性もあるが、いずれにしても味わい深い。

当人からすれば望んでないモチーフを嫌々ながらに描いている可能性もあるが、
意に反してそれが望まれてしまうことも往々にしてある。
個人的なものである可能性もあるが、好きなものを描こうとすると概して手を
入れ過ぎてしまったり、偏ったこだわりめいたものが強く出過ぎて、えぐみの
ようなものが前に出て来てしまう傾向がある。

ラーメンで言うと煮干大量投入系の味わいのような感じか。
煮干は好きだし美味いと思うが、濃過ぎ(煮過ぎ)て味に酸味が生じてたり、
内臓の味まで出てきてしまっていて、正直また食べたいとは思わないという、
そんな感じ。
なので、適度に好きだけど、ある程度どうでも良いとも思っている位の
塩梅の執着加減の方が、見る側をして好印象を与えやすい絵が描ける気がする。
描いているうちに好きになってくるという、そういうことも良くあり、
なかなか如何ともし難いが。
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これから

2017年06月11日 22時52分18秒 | Weblog
もうじき38歳になる。
正直数年前の時分でも、この歳以降のことは想像があまりつかず、と
言うよりは呑気に考えて見ないふりをしてきたのだろうが、ともあれ
未踏の領域に足を踏み込んだような心地を今更のように味わう。

それにしても、思えば遠くまで来たものだ。
今まで漫然と過ごしてきたようにも感じるが、趣味も続いており、未だに
それによる成長の手応えを実感できるので、そう無為でもないと思いたい。

周りの人間は結婚したり、子供が生まれたり、家を買ったり等、社会的に
充実した、おそらく望ましい道を辿っていて、それを尻目に勝手気ままに
やっているような状況であるが、職も趣味もあるので特に問題はあるまい
として、これからも引き続きやりたいようにやっていくつもりである。

今手元にあるやりたいことだけでも、とりあえず向こう10年分くらいは
費やせるのではないかというような状態で、かつ、今の趣味は青天井と
来ているので、肉体的にストップをかけられてしまうような事態と、
情熱や意欲が続くのだろうかという不安以外は特にない。
とは言え、来年も同じようなことを言える保証もないのであるが。
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これもまた一つの作法

2017年06月08日 23時46分23秒 | Weblog
以前フィギュアの胸の形というか重みの印象的に風船のようだと書いたが、
改めて我が家のフィギュア群を見てみると総じてそのような形状で、
アニメにおいて人の顔の描き方がほぼ型にはまったのと同じような、表現
的に一般的なものになっていることを思い知らされた。

胸の上側は凹んだ曲線であるとか、肋骨の立体に沿って左右斜め下に流れる
とか、正面から見て真円ではなく傾いた楕円であるとか、谷間は外力が
かからないとまず生じないとか、同様に両腋を結んだ線より上に谷間は
生じないとか、そういう現実的な表現はアニメ的な絵の作法上、是ではない
ということである。
なお、上で挙げたような状態は、下着を着けている時はその限りではない。
と言うよりも、アニメ的に是とされる胸の描くものは下着込みという
条件下での形状により近い。上に着ている服が胸の形状を真空パックみたいに
追従するのはまた別の話であるが。

顔において、今日のアニメ的デフォルメに至った経緯は単純に計り知れない
ほど深く長く複雑なものであろうが、概ね確実に言えることは何かしらの
要求があって、受け入れられて、必然的にそこに至ったということである。
胸についても、ごく個人的には釈然としないが、至るべくして至ったので
あろうということで、それが求められた一つの答えであろうということである。

女性のセクシーさを表現するにあたって、胸の描写はあのさじ加減で必要十分
なのかと考えると、少し寂しいような、何とも言えない気持ちになる。

描写に踏み込むのはエロスの表現法の一つであるが、そこを捨てたればこそ
ここ最近の大きさ礼賛の風潮もむべなりと思えてくる。
つまりエロさを出したければ、大きくするしかないのである。中々不便だ。
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