ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

王者の貫禄

2024年02月29日 23時53分58秒 | Weblog
『ウマ娘』に関してはとんと存じ上げないが、カード付きお菓子となれば
話は別。『ガオロード』の時にも片鱗は既に覗かせていたが、最近は
総プラ製のカードであっても発色やホロ印刷も随分と綺麗になったので、
収集が大変に捗る。もうそろそろ疑似的にでもホログラムを総プラ製の
カードで実現できそうな気がしてならない。

そして何か微妙に値上げしたような気がしなくもないが、それよりもなぜか
お菓子部分が大幅にでかくなっており、完全に緩衝材としての機能を
果たしている。しかし、神羅万象チョコのウエハースが小さくなったり、
ビックリマンのチョコに入っていたナッツが消えたり、基本的にランクダウン
しがちなお菓子が強化されるのは今まで見たことがない。
それだけ売れ筋という事であろうが、その勢いで懸賞カードとかさらに豪華な
カードを出して欲しいと願ってやまない。
ただ、大元のゲームの方はやらないので、ゲームで使えるデータの類はいらないです。
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偶然かも知れない

2024年02月27日 23時42分03秒 | Weblog
『ニンジャスレイヤー』作中に"ノビドメ"という名を冠した地名が出てくる
のであるが、割とマイナーな地名と言うか、東京と埼玉のかなり限られた
エリアの人しか知らないような気がする。大体新座あたりを通っている
野火止用水のことで、多分『Zガンダム(小説版)』に出てくるカミーユも
知っているはず。
もしかしたらそう思っているのは自身だけで、世間的には玉川上水や神田上水
くらいの知名度があるのかも知れないがそこは分からない。

その他田無タワーと思しき建造物も出てくるというから、かの作品の著者は
東久留米や小平とかその辺りの地理に明るい可能性が感じられる。
と言うか昔住んでいた所も、野火止用水の脇を毎日のように通り、道すがら
田無タワーを望んでは明日の天気に思いを馳せるという、そんな立地であったので
大変に親近感が沸いた次第である。
後から調べてみて、西武池袋線沿線に住んでいた作家が結構多いと知るにつけ、
不思議な気持ちになる今日この頃。
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なかなか維持できない

2024年02月25日 23時37分03秒 | Weblog
久し振りに美術館とかで本物を見に行くと、写真や画像では味わえない
物質感やら色つやの差、無限の解像度がそこにあって、足りない栄養素を
満たせたような心地になる。ジャンクな食生活を送っている中で、たまに
食す新鮮野菜サラダのような、そんな気持ちがちょっと蘇るような何か。
今後情報化がいかに進もうとも、現実世界のモノに対する信仰めいた、
信頼感のようなものは根強く廃れることなく生き残るのであろう。

話は変わり、少し前にやけに暖かくなって、上着を春モードに切り替えた
ものの、案の定すぐに寒さがぶり返し、と言うか例年以上の気温の乱高下を
見せ、具体的な体調不良こそないものの、どこか調子が狂った状態。
天気予報も当てにならず、今日までの連休の天気も、情報元によって全然
違うものばかりで予定を立てるのも億劫になったほど。来週以降もそれは
あまり変わらないようで、おそらく三月半ばくらいまでは良く分からない天気
と気温に振り回されることになるのであろう。
そんな状況なので、ちょっとでも気を抜くとすぐに風邪をひいたりしかねず、
いきおい人の多い所には近づけない。
こんな時には電子書籍(コミック)版『ニンジャスレイヤー』を読むに限る。
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共感中毒

2024年02月22日 23時48分18秒 | Weblog
ネットのニュースサイトとか、紹介系youtubeのサムネやキャプションに至極
当たり前のように踊り狂う"○○の××が△△過ぎる!"といった、内容を雑に
盛りつつ、感想を先取りするような文言に醜悪さを感じずにはいられない。
読んだ上でどう思うかは読者のものであるし、ある事実に対して出来得る限り
虚飾や主観を排して伝えるのがこういったニュースにおける最低限の文脈、
あるいは作法ではなかったか。

非常に穿った見方にはなるが、こんなものに晒され続けては頭がおかしく
なっても仕方がない。と言うか阿呆になる。決して軽く流してはいけないような
問題すらもまるでTVのコマーシャル感覚で、ただ耳目に刺激を与えるのみの、
頭の中には届かない、薄ら甘い何かに変えてしまっている。
かくして世の中には"また聞き"を何世代も繰り返した、半ばデマのような風説が
幅を利かせ、真実はさらに滑稽じみた存在になり果ててゆくのである。

なので、個人的にはそういう頭痛を催すキャプションの付いた記事は可能な限り
遠ざけるようにしている。
どう読むのも、どう感じるのかも、それくらいは自分でやらせて頂きたい。
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便利と不思議

2024年02月20日 23時43分55秒 | Weblog
鞄の中にスマホが無いことに気が付いて肝を冷やしたが、最近は別の端末から
スマホの位置を調べることが出来るので、結局職場に置き忘れてきたと判明し
胸をなでおろす。何か急に生暖かくなったから、どこか調子が狂ったのであろう。
念のため少し後にもう一度調べてみて、位置が動いていないのを確認して一安心。

話は変わり、amazonにおけるカスタマーレビュー、いわゆる星の数が通常の漫画には
満点のものがしばしば見られる反面、エロ漫画ではまず満点のものが見られないように
思われた。そもそもの評価の母数が一般の漫画と比べて圧倒的に少ないのも
あるだろうが、低評価のレビューが結構多く、ついでにその内容が頭を抱えたくなる
ものが多く見られ、雑に言えば民度の低さのようなものが感じられた。

個人的に一番どうかしていると思ったレビューは『表紙に描かれた娘が彼氏持ちだから
減点(大意)』というもので、お前は一体何を求めてここに来たのだと問わずには
いられない。エロ漫画雑誌の表紙に描かれているものであればまだ一縷の望みありで、
このレビュー投稿者の要求をほぼ確実に満たせるのは茜新社の発刊する(していた)
雑誌くらいではないか。
しかし単行本となれば、表紙を飾るのは殆どの場合収録作品に登場した人物で、
仮にそうでなければ看板に偽りありになってしまうため、彼女らに純粋さのような
ものを求めるのは実質まず不可能と言える。
とは言え、エロ漫画の単行本における表紙絵の理想像とは一体いかなるものなのであろうか。
個人的にはエロ漫画の単行本をジャケ買いしたことがない。買う本はなべて中身を
ある程度把握している状態であるから、単行本の表紙は何冊目のものか(同じものを買って
いないか)を知るためにしか機能していない。

そんな状態なので、一部のエロ漫画雑誌の表紙の方が絵的な需要が高く、単行本のそれは低い
という一般漫画と逆転した謎の現象が発生している。表紙絵を描く苦労が報われないのは
少し悲しくもあるが、なかなかに面白い。
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懐はいつも寒いまま

2024年02月18日 23時47分43秒 | Weblog
未だにアナログ志向の抜けない身空であるため、毎度毎度月毎の生活費やらを
ATMからおろしているが、いい加減手数料が高く感じられており、その手数料を
節約するために給料日近くに補給するという策を講じている。
しかしそれも毎月に使う額が一定ではないために予測が困難で、結局手数料を
払っては補給という、些か無駄遣いが続いてしまっている。
一番良いのは現金払いからの脱却であるが、昔からこういうものに対して
どうにも腰が重く、やらねば損だと分かっていても手が出ない。
信じていないとか気持ち的なものでもなく、ただ単に面倒と感じられて腰が上がらない。
もうちょっと余裕が出来たら色々調べてみて、そこから少しづつ手を出していくのも
悪くはあるまい。いきなり全部は無理なのは言うまでもないので、出来る所から
やっていこう。しかしカードはもうこれ以上増やしたくないので、そこら辺も考えたい。

話は変わり、大体今ぐらいの時期が一年で一番寒くなる日のはずで、これを境に
日に日に暖かくなっていくものであるが、すでに春めいた暖かさの日があると思ったら、
また冬に逆戻りというような日もあったり、何だか気温が安定しない。
この暖かくなっていく四月くらいまでの間は、毎年着るものに悩む時期でもあるが、
今年はその辺りの切り替えをすぐに出来るように、特に気をつける必要がありそうだ。
第二のインフルエンザとして、今やすっかり生活に浸透してしまった感のあるコロナで
あるが、未だに身近で感染したとかそういう話をよく聞くので、気を抜いてはいけない。
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宇宙と忍者と拉麺男

2024年02月15日 23時57分00秒 | Weblog
『漫画を読むと馬鹿になる』とは、幼少の頃そこかしこで真面目に言われてきた
言葉であるが、今や時代遅れも甚だしいと感じるほどに、漫画という作品は
あらゆる方面で評価を得ている。それはそれが言われてきた昔からも変わらないと
感じるが、『闘将!!拉麺男』に関してはそれが当てはまらないと思っていた。

あらゆる内容が無茶苦茶で、力任せとか勢いとかそんなフィジカルなものではなく、
もっとケミカルな、さながら悪夢を見ているかのような訳の分からなさで、作家の
凶気に当てられて読み手までもがおかしくなりそうな逸品である。

しかし最近コミック版『ニンジャスレイヤー』を読むにつけ、あの作品の舞台は
現実の中国の実際の歴史上の時間軸ではなく、ネオサイタマやニンジャスレイヤー
時空上の江戸時代や平安時代のような、空想にも近い別時空のものだと思えてきた。
ニンジャ時空では、その他にもありとあらゆる事象が我々の知っているものと何か違う。
そうなってくると、"拉麺バース"とでも呼ぶべき時空における、悪夢めいたあらゆる
不条理も十分娯楽として許容でき、何なら楽しむことも出来る。
それどころか、同キャラが度々登場するゆでたまご氏の作品をマルチバース的な
繋がりを持っていると解釈することで、更に味わいが増してくる。

絶対にそれは無いだろうという、現実と常識を傍らに置きつつ、それはそれとして
目くるめく空想世界に頭のてっぺんまで浸る。読み物とは元来そういうものであろう。
漫画で日本文化や日本語を学びたいという人にはちょっとお勧めできないが、
そんなフィクションの楽しさや接し方を再認識させてくれた『ニンジャスレイヤー』は
良いものである。
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変わらない終わらない

2024年02月13日 23時27分37秒 | Weblog
大昔読んだ漫画の一コマがどうにも忘れられないという事はあるだろうか。
ジャンプにかつて連載されていた『アウターゾーン』の笑う校長という回で
発せられた"みんな同じ顔!"というコマが、どういう訳か人生の様々な場面で
繰り返されてきた。
昨今のAI生成顔のイラストや、流行りを通り越して没個性になって来ている感の
あるエロ系フィギュア界隈を見るにつけ、そのコマの反復頻度はいやますばかり。
もしかしたら差別だ何だのと過剰かつ感情的になっている手合いが、全ての人間の
顔を同じにすれば真の平等が齎されようとか寝言を放ったりし始めたら、この漫画が
見直されて、預言書だ何だのと囃し立てられる可能性もある。
ただ本作は、連載されていた当時から正鵠を射た内容の話が多かったので、半ば
必然と言うか当然と言えよう。

話は変わり、北斗の拳は連載開始から40年を超え、今なお愛されている名作中の名作
で、いきおいフィギュアなどの立体物においても数え切れないほどの作品が出ている。
しかし、そんな本作でも終盤の敵キャラであるバランやボルゲのものはまず見ない。
個人的にはちょうど北斗の拳の最終回の近くで頻繁にジャンプを購読していたので、
その辺りのキャラや話の流れを把握していたが、あれほどの名作の割に、物語の終盤が
驚くほど心に残っていないように思える。いやまあ、バランやボルゲのフィギュアが出て
も嬉しくも欲しくもないので、そういう事とも言える。

隆盛を極めた存在が、良く分からない所で人知れず終わっているというのは良くある
ことなのかも知れないが、少々物悲しくもある。誰もが納得できるような話の流れで、
綺麗にスッキリサッパリ終わらせることが意外に難しいということもあるだろうが。
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昨日の明日

2024年02月11日 23時50分11秒 | Weblog
かつて愛したフィギュアが随分と遠くの存在になってしまったような気がするのは、
値段のせいか、モチーフのせいか、或いは自身の趣向の変化か、いずれにしても
何とも物悲しい。場所や金がないからと、尻込みするような場面も増え、元より
自分の素直な情動に即アクセルを踏み込むことが出来ない気質もあって、どんどん
感情が後退していくのである。
いつか前に出られる、いつでも前に出られる、そんな気持ちでいたのは初めのうち
だけで、今では前に出てくるやり方すら忘れかけている。というよりも何よりも、
恐れが勝る体たらく。そう、何かにつけて怖いという気持ちが後ろ髪を引く。

普段の休日はそんなこんなで悶々としている内に過ぎ去ってしまって、平日になれば
忘れるしかなく、それどころかその忘却が薬となっているような有様であるから、
かかる連休に自信の行動の有り様を省みることが出来るのは大変に有難い。
要するに余裕がもたらされる、ということがどれほど大事であるか、という話。

何かを出来るとは思ってはいけないし、何かしなければならないと思ってもいけない。
いつもは省みることの出来なかった何かに目を向けることが大事なのではないかと思う。
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中心に転がる

2024年02月08日 23時42分26秒 | Weblog
スーパーなどでレンジ専用のうどんや蕎麦などを購入して、袋に入れて
持ち帰る際にいつの間にか横倒しになっていて、ひどい時には汁が漏ったり
して大惨事になるのであるが、かかる事態を防ぐ手立てがなかなか見つからない。

問題の原因と思われるのは、コンビニの袋は底が平らではなく、全体的に柔らかく、
持ち手が上方の一点のみという所であろう。
底が平らでないならばと、仮に板を仕込んだ所で、全体的に柔らかく、しかもそんな
不安定なものを一点で保持するので、すぐに板が立ち上がってくる。
紙袋のように、ものを入れる部分に多少の剛性があるならば比較的安定するが、
底が平らであることがほぼ必須になる。
一点保持をやめて、例えば持ち手をそれぞれ両手に持つことで、やや安定するが、
結局底が不安定なので時間の問題でしかない。

考えれば考える程、コンビニの袋は汁の入ったどんぶりを入れて運搬するのに
向いていない形と言わざるを得ない。
もはや水を張って、そこに浮かせるのが最適解になりかねない勢いであるが、
当然そんなことはやってられない。
そんな訳で、毎度蕎麦やらうどんを買う度に何とかならないかとあれやこれやと
やっているものの、未だにこれだというような配置方法が見つかっていない。
買い物の時には飲み物やお菓子や総菜など、その他のアイテムが毎度違うという
事もあるので、それが難解さをさらに高めている。

おばあちゃんの知恵袋的なものがあるような気がしてならないが、早々に
自前の買い物袋を用意せよという話であっさり終わりそうな気もする。
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